道路を問う
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【社会】長野聖火リレー混乱 誰のため…怒り消えず2008年4月27日 07時11分
雨降る長野市内を巡った北京五輪の聖火リレーが二十六日、終わった。日本各地から集まった中国人とチベット支援者らが応援と抗議で火花を散らし、外野に置かれた地元市民から十年前の長野五輪のような歓迎ムードは吹き飛ばされた。「政治」に振り回された「地元不在」のリレー。いったい誰のため、何のためだったのか。 沿道に地元住民の姿は少ない。代わりに埋めたのは、中国やチベットの旗を掲げた人たちと、彼らの怒号や小競り合い。 長野市内の土産物店に勤める高山善行さん(41)は「平穏で楽しめるリレーであってほしかった。残ったのは『騒ぎ』と『迷惑』だけ」と言い切った。 聖火を見ようと長野市の実家に帰省していた東京都の大学四年北村萌(めぐみ)さん(21)は偶然、同じ大学に通う中国人の友人に会った。「彼らは五輪と聖火を応援するために来たと言っていたが、(五輪もリレーも)結局は中国だけのためのものだと分かった」とがっかりした。 在日中国人で東京都から来たシステムエンジニアの女性(30)は「私たちの五輪やリレーへの思いが日本人に伝わったはず。中国の民族主義はそんなに悪くない。欧米の宣伝による偏見がある」。長野駅前にいた中国人の会社員(26)も「日本人は優しいからチベットにだまされている」と不満をもらした。 在日チベット人コミュニティー代表のオバラ・カルデンさん(34)は「選手のことを思えば、北京五輪の成功を願わずにはいられない。でも、日本の人にはこれを機にチベットの人権問題に少しでも関心を持ってもらえたら」と話した。 沿道の各地では小競り合いがやまず、長野駅前ではリレーを見終えて別の会場に向かう中国人の一団に、チベット旗を持った日本人二人が突撃。駅前の別の場所ではチベット人支持者と対峙(たいじ)する中国人がチベットの旗を踏み破る場面も見られた。 それでも、聖火リレーを終えて総括した長野市実行委の篠原邦彦事務局長は、開口一番「無事終わって何より」。鷲沢正一・長野市長は「いろいろな意見のある人たちがいろいろな形で意見を表明した。市としては平和を発信できたのではないか」と述べた。 だが、疑問を抱いたままの人は少なくない。実行委で市教委体育課課長補佐の矢島孝一さんは「こんなにすっきりしない、さわやかさがないイベントは初めてだ」。そして登山に例え「目指したのと全然違う所に到達しちゃった感じだ」。 ■本紙記者も参加 五輪取材の経験を講演したことが縁で聖火ランナーに誘われた。引き受けた一年前には考えられなかった事態に戸惑ったが、当事者から見た景色を知りたくて、長野の街を走った。 盲導犬を連れた前走者が近づいてきた。機動隊が囲む一団に、私ものみ込まれた。支給された半袖のウエアでは少し肌寒い朝。出番は後半の四十七区だった。 トーチは少し短めの金属バットのようだ。「真っすぐ、五輪マークを正面に」と説明を受けた。思ったよりも重く、太い。長さ七十二センチ、重さは約一キログラム。 トーチを守る中国の係員が近づき、小さな鍵でトーチ中央のガス栓を開く。前走者のトーチを重ねると五秒ほどで炎が灯(とも)った。においも、ガスが出る音もしない。 「レッツゴー」と係員。ゆっくり走り始めたつもりだったが、右横の機動隊員から「もう少し、ゆっくり」。隊列を維持するために隊長が「前へ」「位置を変われ」と部下に指示を出した。 周囲は予想外によく見えた。真横は機動隊で視界は悪いが、斜め前方は大きく開けている。囲まれた威圧感はなかった。 百九十三メートル、あっという間の二分間。私の走行区間に抗議行動はなく、のぼりや旗は少なかった。 リレー前日、有森裕子さんから声をかけられたのを思い出した。「平和を願い、楽しんで走りましょう」と。楽しむことはできた。あとは「平和」の願いが届くことを祈っている。 (名古屋整理部・上学(うえまなぶ)) (東京新聞)
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