京都ホテルオークラより
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現在、関西空港から京都に向かうJR車内。
暗闇の窓の外に流れる大阪の街の景色を見つめる。
ネオンが見える。
マンションが見える。
密集する住宅が見える。
家の中に洗濯物がぶら下がっているのが見える。
オフィスではまだ残業中か。
居酒屋の灯り。
自転車で帰る学生さん。
コンビニに立ち寄るカップル。
マンションのホールを乳母車を推しながら歩く若奥さん。
通過する駅のホームでケイタイを見つめるOLさん。
………色んな風景が一瞬で過ぎていく。
僕はその「一瞬」の景色の中に、色んな想像(妄想)をする。
あの歩いているサラリーマン風の人はどんな1日だったか?
俺はあの人と一生知り合いにならないんだろうな。
あの居酒屋のノレンをくぐったらどんなものが食べられるか?
あのオフィスで残業してる人、疲れてないかな?
あの女性と付き合うことは絶対ないなぁ(笑)
あの灯りのお宅では何のテレビ見てるかな?
「一瞬」の風景に何かを見つけたくて、僕は窓の外を眺め続ける。
飽きない。
でも、ふだん北海道の田舎にいる世界の「小ささ」を感じる。
知り合いにすらなれないたくさんの人が、広い世界が、窓の外を流れていく。
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「お前のいる環境で感じる苦労なんてたいしたことない、甘えるな!バカタレ!」という批判にあえて耳をふさぎ、
私KONOなりの甘っちょろい世界の中で感じてきた想い。
振り返れば、色んな事を断念してきた。
楽しみにしてた予定もアキラメてきた。
「どこかに一緒に出掛けよう」という守れない約束を重ねてきた。
どこにも動けない日々の中で、どこかへ出掛ける友達に対しての羨ましい気持ちを必死に抑えながら、目の前の事に懸命に取り組んできた。
自分が背負っている「環境」が理由で「回り道」をしたとしても、そんな自分自身をミジメだと思うことだけはしないように、ツッパッてきた。
体調が思わしくない状態が続いてもそれを「ストレス」とは言いたくなかった。
そんな日々の中で、自分自身の喜怒哀楽を見つめながら、そのままを引き受け、受け入れようとした。
それしかなかった。
そんな自分の「情けなさ」に気づきながら、「自分の事として」仏教を学んできた。
でも、
何も理解しちゃいなかった。何も引き受けちゃいなかった。
だって、
今、
こんなふうに
愚痴っているから。
でもさぁ、
受け入れないままに、受け入れてるのかもしれないなぁ。
ココロは揺れまくっても、私という「存在」は一切を引き受けながら、おとずれる場面を生きているから。
枕経で「ご遺体」の前に座る。
横たわる姿が、
びくとも動かないその姿が、
ゴチャゴチャ愚痴る僕のそれまでのココロを一番黙らせてくれる。
無言の迫力が、ゴチャゴチャ愚痴る僕を一蹴する。
イレギュラーに、容赦なく入る「葬儀」は、やはり、そんな落ち着かない「私のため」にあるんだ。
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◎二十歳の息子さんが白血病になったと泣いているお母さんに会った。
◎旦那様が健診で肺癌が見つかり余命1年を宣告された奥さんに会った。
◎お母さんの頭に悪性の腫瘍が見つかり動転する友人に会った。
◎そして、「葬儀」で大切な家族とお別れをするご遺族の皆さんに会った。
たった数日で、こんな厳しい状況にいる人達に立て続けに会った。
ただ、話を聞くしかできなかった。
生きていると色んなことある。みんな、その状況を「受け止める」「受け入れる」ために必死だ。
すべては移ろい、変化し、思い通りにならないという「道理」。私がいくらもがき苦しんでも、容赦なく「道理」の方が私を飲み込んでいく。
「受け止める」「引き受ける」ってどういうことか、
改めて、僕の大きな人生テーマになっている。
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今日、室蘭文化センターでのコンサート「natural songs」にオープニングアクトで出演するみのや雅彦師匠を見に行ってきた。
今日は、法事やお参りのスケジュールが忙しい日曜日で、さらに地元では「ハーフマラソン大会」で市内あちこちで交通規制で回り道を余儀なくさせられたり、「枕経」も入ってしまい、どんどん室蘭のコンサートへの「気持ちの距離」が遠くなり、挫けそうに……
でも、何とか間に合った(^-^)v
午後3時30分開場、午後4時開演のコンサート。
しかし、師匠自身もMCでおっしゃっていたけど、「オープニングアクト」なんてカッチョよく言ったって「前座」なのである。
そして今日は、その「前座」の意味をハッキリと思い知らされた。
午後4時になり、会場アナウンスがあり、ライトが消え、いちばん最初に師匠が出てくるものと信じていた。
しかし、そうではなかった。
まだお客さんが完全に入場していない3時55分くらいに、いきなり会場アナウンスで師匠が紹介され、ライトも消されない中、師匠が登場。2曲披露して10分ちょいで師匠の出番は終わり、そこで初めて会場アナウンスが「開演に先立つ諸注意」を言い、ライトが消え、コンサートが開演した。
だから、「前座」と「本編」はハッキリくっきりと分けられていた。
これが「前座」という意味か……
でも、
師匠は限られた時間の中で、「羽幌より」と「空」をキッチリ歌い、見事なMCでお客さんの笑いも誘い、輝いていた。
「デビュー26年選手が前座をつとめます!」 ……そんな師匠が大好きです。
コンサート本編では南こうせつ、尾崎亜美、遠藤賢司、ムッシュかまやつのビックネーム四人が、それぞれ有名曲などで素晴らしいエンターテイメントを繰り広げていた。
でも、師匠に会いに来た僕は、前座と本編の「線引き」を考えていた。アンコールにすら出演者としてステージに呼ばれないのだ。
帰りに退場するお客さんでいっぱいのロビーに出ると、師匠が「サイン会」をしていた。たくさんの人が並んでいた。
もっともっともっともっと、師匠をたくさんの人に知ってほしい……
遠巻きに師匠を見つめ、見えてないけど師匠に一礼をして、僕は会場を後にした。
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日常の中に、色んな「距離感」がある。
(1)実際の距離(メジャーで測った距離)
・近所の人、市内の人とは近いから、来やすいし、会いに行きやすい。
・しかし、遠方の人とは、交通手段など物理的に色々大変で、来にくいし、会いにも行きにくい。
(2)気持ちの距離(諸条件・縁などが複雑に絡まる距離)
・近所の人でも、興味ない、仕事がある、体調が悪い、他の用事がある、めんどくさい、って諸条件で来れない人、会いに行けない人がいる。
・しかし、遠方の人でも、興味がある、仕事を休んで行く、他の用事を振り切ってでも行く、って車を飛ばして、またはJRを乗り継いで、はるばる会いに来たり、あるいは会いに行く人もいる。
・もちろん、遠方だから、なかなか来れない、会いに行けないって人もいる。
・その日の天気とか、体調や気分もあるだろうし・・・・、
わずか100メートルの距離でも「縁」がなければ、月に行くより「遠い」のかもしれない・・・。
距離で言うなら、「隣りにいる人」の心の中だって、どうなのかわからない。。。同床異夢?
でも、
実際の距離を、想い(気持ち)は超えて、伝わっていくと思いたい。
来れても来れなくても、逢えても逢えなくても・・・。
♪孤独に耐えきれない夜 遠くからそっと笑いかけてくれる
愛すべき人達は 眠りについているだろうか・・・・♪
・簑谷雅彦『愛すべき人達は眠りについているだろうか』より
♪祈る心よ今 言葉を超えて行け 頼むから 君の明日を守って♪
・みのや雅彦『遠い微笑み』より
明日、みのや師匠がコンサートのオープニングアクトで室蘭に来る。
札幌や京都でのコンサートと違い、ウチからわずか車で30分の距離。(1)で言う「実際の距離」はラッキーなくらい近い。
しかし、明日は日曜日で、結構法事やお参りが多く、スケジュールが立て込んでいる上に、開演が午後4時と早い。オープニングアクトの師匠の出番は最初で終ってしまうから・・・要注意。・・・・・夜始まりのコンサートではないから、頑張って間に合わせないと!!
(2)の「気持ちの距離」が不安になってきているけど、なんとか辿り着きたい!!
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いやぁ、マズイ
ある「音楽」が耳について離れない。
お参りの合間にも、
車の中でも、
気がついたら口ずさんでいる・・・
昨日の夜、パソコンで検索して「PV」を見てから
頭をグルグル。
すごいインパクトだ。メロディも歌詞も声質も。
チョコレイト・ディスコ
チョコレイト・ディスコ
チョコレイト・ディスコ
ディスコ・コ・コ
もういぃ~~~~・・・・
グルグルグルグル・・・・
チョコレイト・ディスコ
チョコレイト・ディスコ
チョコレイト・ディスコ
ディスコ・コ・コ
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