「ムスタファ!何故、お前がここにいる?!」
「何故?それをお前が問うのか?」
フンと軽く鼻を鳴らした男は、ふてぶてしそうに言う。
「お前を連れ戻しに来たのに決まってるだろ」
ったく、面倒なことを人に押しつけたまま、ちとっとも帰ってこやしねーし、と不平を零したようにつけ加えて話す。
(え、えっ、えぇぇ―――ッ?!)
俺の頭の中は、驚きで一色に染まっていた。
両腕を前で組むようにして部屋の入り口の壁に凭れかかり、偉そうな態度見せている上背の男は、
ユリアスよりも少し年輩そうで、どちらかと言えばワイルド系な力強さを感じさせる。
ぱっと見た外見は、人目を引くような派手さはないが、ユリアスと同じように、
自身の持っているオーラみたいなものが、傍らにいる存在たちを惹きつけさせているようだ。
その男は、王者としての貫禄があるユリアスを前にしても全く動じず、敬う仕草も見せないでいるのだから、驚かずにはいられなかった。
(このムスタファさんて、ユリアスとどういう関係なんだろう……)
この離宮に来る前、名前だけはチラッと聞いていたものの、予想していなかったインパクトのある人物を前に、藤也は心の中で呟いていた。
「義務や責務だと言い切って、手間のかかる事柄をすべて手際よく処理してきたお前が、何で今回に限って、その言葉を使わないんだ?」
不思議で堪らないな、と言ったその口元は、薄っすらと意味ありげな笑みを浮かべている。
「義務だろうが責務だろうが、そのような言葉は、ただの言いわけにしかならぬ」
口を辛めて言葉を放ったユリアスは、その存在を一瞥した後、ハッとしたような表情をわずかに見せ、
男の視線を遮るように俺の身体を自分の背後に回した。
けれど男にはさほど関心を示さないのか、顔は前を向けず肩越しから、俺を見据えている。
その表情は訝しく、まるで俺を観察するかのように見えてしまうのは、気の所為だろうか……。
「いつからそこにいた?」
ユリアスは眉間に深く皺を寄せ、不機嫌そうな声だけを男に向けて問う。
「さてな。せっかくのお取り込み中だったし、邪魔しては悪いと思ったから、ソコで大人しくしてたが……」
親指を立てて後ろの廊下を指し示した男は、はぁーっと大げさのような大きな溜息をつく。
「だけどあれでは、誤解に誤解を塗ってわだかまりを大きくするだけだぞ」
呆れたように口を開く。
男は、自分の話している相手が見向きもしないことなどお構い無しに、続ける。
「本当にお前って、政務はそつなくこなす癖に、女には弱い……いや、その人限定に弱いのか?」
そう揶揄するような物言いに、
「口を慎めっ」
と、珍しくユリアスが声を荒げて返した。
けれど、俺を見つめたままでいるその表情は、暴言を吐く男に怒りを向けているものではなく、
どこか安心してほっとしたような、そして何故か、おもむろに嬉しそうな顔を呈すると、隠さずに口角を吊り上げた。
「大体、あの古に縛られた頑固者たちを、いつまでのさばらしておくつもりなんだ?」
男は大した挨拶もなしで、その長い足を動かして部屋の中へゆっくりと入ってこようとする。
「おかげで厄介事は増えるし、古いしがらみに縛りつけられてるだけじゃないか」
古き仕来りなんぞ、いい加減取っ払えばいいのに何故しない?と、目を鋭く細め、ユリアスに詰め寄る。
「出来もせぬことを、軽々しく言うなと言っておるのだ」
「だからやりもしないで、甘んじているのか?」
そう言った男は、クククッと楽しそうに笑いを漏らす。
「違うな。甘んじているなら、十二神中の至高神の前で婚儀など挙げるわけがないよな」
覚悟は出来たんだろう?と歩みながらユリアスに問う男は、俺の顔を垣間見た途端、ひどく驚いた表情を見せ、ピタリとその足を止めた。
(―――なっ……)
事前に美しいとファティマから聞かされてはいたが、これほどまでに美しい存在を目にするのは初めてだった男は、
思わず息を呑まずにはいられなかったのである。
シルクのように光沢のある皇かな黒髪と、貴石のように輝く大きな瞳。
目元は泣き腫らしたためか、かわいそうなほど赤らんではいるが、瞬かせる睫毛は驚くほど長く、
そして均整のとれた鼻梁と艶やかに赤く色づいた唇が魅了してやまないのだ。
美形には見慣れているはずなのに、目の前の彼は比べものにならないほど美しく思え、言葉が出なくなった。
ユリアスほど蓬莱人に執着していたわけではないが、それでも王家で語られている伝説の存在を前にして、
感情が高揚しないわけがなかった男は、ぼそりと言葉を漏らしていた。
「どうやら、俺の香には反応がないらしいな……」
(まぁ、ここで妙な反応を示されて、ユリアスの逆鱗に触れるよりかは断然ましか)
その声は、藤也には届かない小さなものだったが、しっかりと聞き取っていたユリアスは、融然と微笑んだ。