Fate 18

ファティマが天幕から消えた途端、俺はたちまちに猛烈な勢いで不安になる。
わけわかんなくなって、あんな風に淫らになるのは……怖くて、怖くて仕方ない。
(……あんなのは、絶対に俺じゃないッ)
心の中で、そう強く思っている所為だろうか。 
俺を狂わすフェロモンを垂れ流すユリアスが動いた拍子に、拒絶が始まる。
(……やっ……ヤダッ!) 

―――ドクンッ。    

声に出していたんだろうか。    
目を不快そうに細めたユリアスがゆっくりと歩み寄ってくる。
    
―――ドクン、ドクン……。

興奮しておかしくなった時とは違う気がするけど……。    
心臓の刻む鼓動が早まっていく。 

(い、嫌だ……っ!)

これから起こるだろう羞恥と恐怖に戦慄き、 
「嫌ッ。お願い……来ないで!」 
それでも視線を外せないでいる俺は、晩秋の湖を連想させる深く青い双眼へ向けて叫んでいた。 
「何んだと?」 
ユリアスの、凍りつくような冷たくなった眼差しが、俺を捕らえて絡めとる。 
俺は立たない腰で後ずさり、無意識に両腕で怯えた身体を抱きしめながら震える口を開く。 

「あ……あんな風になるのは……嫌っ」 
告白した俺の視界が、じんわりとぼやける。
 
激しく動揺していた俺は、気づいていなかったんだ。 
エキゾチックでまったりとする、あの特有な甘い香りが立ち込めていないことに。 
俺の頭の中は、近づくことを拒絶する感情一色に染まっていたのだ。 

「嫌だッ。いや……誰か……!」 

一層険しく眉間を寄せ、鋭く目を細めたように見えるユリアスが一歩、また一歩と近づいてくる。
忍び寄る恐怖に俺の身体は硬くなり、ぎくりと身を竦ませた。
「―――誰を呼ぶのだ?」
ファティマか?と、迫力の在る、低く重たい声音で迫ってくる。
「呼んでも無駄だぞ。あれは俺の忠実なる腹心だ」
口の端をわずかにひしゃげて言い放つ。

(……そ……それ以上来ないで!お願いだから……)

俺の瞳から、塞き止められなくなってしまった涙が溢れ、ハラハラと零れ落ちていく。
一瞬、困ったようにユリアスは足を止めた。
憮然としたその口元からは、気づかないような小さな溜息が漏れていた。

気づけば間近に迫っていて、自分に向けて伸ばされてくるユリアスの手が視界の隅に映り、ギュッと硬く瞼を閉じる。
「……俺を見ろ」
少し荒げた声に、嫌だと首を激しく左右に振るう。
だが、ユリアスは拒絶するのを許さなかった。
むんずと腕を掴まれ、グイッと強引に引き起こされた俺は、ユリアスの逞しい胸の中にいた。

フェロモンが漂っていると思い込んでいる俺は、必死に暴れて抵抗する。
実際の腰の立たない状態の俺は、ユリアスに支えられていたのだが、
そんなことには、まったく気づかない俺は、ただがむしゃらに腕を動かし続けた。
俺がぼこぼこ殴ったり、爪を立ててひどく乱暴に振舞っているのに、ユリアスは微動だにしない。
どれほど抗っても強靭な体躯の彼には、びくともしないのだ。
やがて体力を使い果たし、疲れ切った俺は身体から力が抜け、ユリアスにもたれかかっていた。

大人しくなった俺の身体を優しく抱きしめながら言う。
「そなた、頭に血が上っていて気づかなかったらしいが、俺は香を出してはおらんぞ」
(…………へ??)
涙でぐちょぐちょになった顔を上げれば、冷たく威圧するような視線は消え失せ、俺を安心させる穏やかな表情のユリアスがいた。
(あれ……。じゃなんで俺、こんなに動揺して暴れてたんだ?)
我に返り、ふとそう思った俺の顔は、アホじゃないか、とみるみる内に赤くなっていく横で、
「……俺とて、然う然う出しっぱなしにするわけにはいかぬ」
と、顔を逸らし、何故か少し困ったような、口ごもるような口調で言葉を零す。
そんなユリアスのことを、自分のことはすっかり棚に上げててしまった俺は、じっと見つめていた。
「何をそう驚いておる?」
ちらりと俺を横目で見ると、唇の端をゆるく噛んでいた。
(あれ? もしかして……恥ずかしがってる?)
そう思ったら、何だかユリアスが可愛く見えてしまい、クスクスと笑い声が溢れる。
その刹那、俺の肩越しに顔を埋めたユリアスの、俺を抱く腕に力が入る。
「あまり俺を煽るな」
珍しく切羽詰ったような声音に、ドキッとして身じろぐ。
そんな俺に、
「動くな」
と、眉をひそめながら一言囁いたユリアスは、唯々ずっと抱きしめていた。

トクトクと伝わる、やわらかな鼓動。

(あれ、おかしいな……俺)

―――甘く、もどかしいような感覚が俺の中で目覚めていた。

 

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