Fate 11
砂漠の夜は、羽織り物が無ければ寒さに震えるほど、気温の低下は著しい。
明かりが絶えはじめ、窓から差し込む月光が室内を蒼く照らす頃。
バタバタと足音立てて、階段を駆け上がるアルザスの部下が、静寂を破った。
「セシア!早く王女を隠し部屋へお連れしろッ」
普段の様子からは伺えないほどの怒声に、尋常でないことを悟ったセシアは、全速力で走った。
階下で剣の交じり合う金属音が響いている。
この内殿には、極力最低限の護衛しか、配置されていないのだ。
何が起こったのかはわからないが、おそらく、アルザスはもちろん、ここにいるその全員が足止めをしようとしているのだろう。
だが、それほど時間稼ぎをすることは出来ないということをわかっている彼女は、無心に走る。
「マディーナ様ッ」
その、いつになく慌てた声音に、藤也も敏感に反応して、スツールから立ち上がる。
「何があったの?!」
心配そうな表情を露にした藤也に首を左右に振りながら、
「わかりません」
と一言答えたセシアは、彼を奥部屋へ押し込もうと腕を伸ばした瞬間、「うっ」という短い呻き声をあげた。
その細い首を、背後から伸ばされた大きな手でぞんざいに絞められた彼女は、抵抗する間もなく床に崩れ落ちていく。
「……セ、セシア?!」
目を見開いて、名を呼ぶことだけで精一杯な藤也。
本人も気づかないようだが、足がガクガクと戦慄き、カチカチと歯が音を立てている。
そんなことはお構い無しに彼女を気絶させた男は、何事もなかったかのようにその綺麗な面を藤也へ向けた。
俺を見て、一瞬ハッとしたように目を見開かせた男の声は、美しい顔に似合わない渋く、落ち着きのあるものだった。
「私は、ファティマと申します」
以後、お見知りおきを……と言って、
上品かつ優美な物腰で挨拶を交わしてきた男の眼差しは、ギラリと射抜くような強いモノに変わっていた。
只者ではない雰囲気に呑まれた俺の喉が、緊張でゴクンとつばを飲み込んで鳴る。
「失礼ですが、貴方様のお名前は何と仰るのでしょうか?」
「―――ッ!」
驚愕の目で、その男を見上げていた俺の心臓は、バクバクと、その音しか聞こえないくらいに激しく鼓動している。
「王女の偽者と言うことはわかって、聞いております」
そしてニッコリ笑いながら近づき、身を屈めるようにして耳元で囁く。
「あまり時間をかけると、後ろにいる……あの男がキレますよ」
そう言われた俺は、無意識にドアの方へ顔を向ける。
(……あっ?)
その視線の先には、薄暗い月明かりの中に、精悍の顔をした美丈夫な男が立っていた。
少し離れた距離でもわかる、特殊な虹彩を持つ紺碧色の双眼。
(昼間、会った男……だ)
何故か部屋の奥には入ろうとはしない男は、ただ、この俺の前にいる男と俺のやり取りを静観しているだけのようだ。
「あの方がキレると、誰も手がつけられなくなるので……できれば、早めに答えて頂けませんか」
その傍元で囁かれた俺が視線を戻せば、
「貴方様も、腕力で痛い思いをするのは、お嫌でしょう?」
と、微笑みながら言う。
目だけ笑わせた美形が凄むと恐ろしいもので、
(ひぃ…ぃ、まじ怖―――……)
その普通じゃない震え上がるほどの冷たく強い視線に、ぎゅっと指を握りしめて、ぽそりと呟く。
「…………ゃ」
「はい?」
聞こえませんでしたよ、と言うかのように男は自分の耳に掌を宛がっている。
馬鹿にされたような態度に、ちょっとカッとなった俺。
「藤也。植物の藤の木って意味で、藤也っ」
やけっぽい口調で答えれば、
「……だそうですよ」
クスっと喉の奥で笑い、自分の背後にいる男に向かって告げた。
「そうか……」
何故か満足したかのように小さな声でそう呟いた男は、
やっとその長い足を動かし、コツコツと靴音を鳴らしながら、ゆったりとした足取りで部屋の中央へ向かう。
「ちょっ……セシアをどうする気?」
ファティマと名乗った男が、セシアを軽々と抱き上げて踵を返したからだ。
一瞬慌てる俺に、肩越しに振り返ると、
「私の主が、貴方様に確かめたいことがあるそうです」
(……確かめたいこと?)
思いあたる節もなく、首を傾げる俺の顔をジッと見つめながら言葉を続ける。
「少々無理難題を言うかもしれませんが、付き合ってあげて下さいませ」
まるで自愛の満ちたように優しい表情に戻っている男が、俺の戸惑いに気が付いたらしい。
「そうそう、いいことを教えて差し上げましょう」
と付け加えるように口にしたのは、ユリアスという名。
―――どうやら、それがこの男のいう「主」の名前らしい……。
「呼んで差し上げると、きっと喜びますよ」
ね?と諭すような表情で、意味不明な言葉を吐きながら、
「その間、彼女には別室でお休みして頂きます」
抱きかかえているセシアの顔に視線を流しそう言うと、男の方へ一旦顔を向ける。
「あまり時間を差し上げられませんので」
と、いつの間にか寝台に上がり、重ねたクッションを背もたれにしている男に言い残し、足早に廊下の方へ消えていった。