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くっぱのブログ

2008-04-25

無断リンク禁止」に対する喩えで忘れられがちなこと

無断駐リン禁止 - takoponsの意味

を読んで、コメント欄でのお仲間たちたちと楽しげに和気藹々としている雰囲気に水を差すようで気が引けないわけではないのですけど、

弟:となると、「断りのないリンクはお断りします」と主張してる人って、いろいろ間違ってる?

兄:そうかもね。自分が間違っているかもしれない、という視点に立てないこと。これが一番の問題ぢゃないかな?

無断駐リン禁止 - takoponsの意味

この手の結論を導くような喩えにおいて、考慮することを無視されがちな特性が「無断リンク禁止」には含まれているような気がします。それは、無断リンクをされる側がしようと思えばいつでも、自分の書いたものを変更したり削除できるという点です。つまり、「無断リンク禁止」を宣言している人が、「リンクをされる前に自分の書いたものを変更したり削除したりするかどうかを判断したい」と考えている可能性です。

踏み切りの手前で立っていたら突然他人から背中を突き飛ばされて線路に躍り出てしまったら、ちょっとたまらんですよね。その行為が法律で禁じられているいないに関係なく、突き飛ばした相手に「お前なんで無断で突き飛ばすんだよゴルァ」と詰め寄りたくなるのは自然なことと思います。つまり、事前に「お前がそこに立つなら後ろから突き飛ばすよ、伝えたからな」と通達があれば、その場に立つのを諦めたり、背中を誰かに警護してもらう手はずを整えることもできるわけです。言い換えると、「突き飛ばすなゴルァ」(これは法律を根拠に主張できる嫌悪感)とは独立に、「無断でするなゴルァ」があるわけです。

たまたま踏み切りと自分の間に人が立っていることはあるでしょう。だからといって、その人の背中を突き飛ばさなければ、その突き飛ばしが原因でその人が線路に躍り出てしまうことはありません。自分が突き飛ばさなくても、他の人が突き飛ばすかもしれません。しかし、そのことと自分が突き飛ばすことはまったくの別物です。同様に、あるサイトをたまたま目にすることはあるでしょう。だからといって、そのサイトにリンクを張らなければ、そのリンクが原因でそのサイトが他人からの目に晒されることはありません。自分がリンクを張らなくても、他の人がリンクを張るかもしれません。しかし、そのことと自分がリンクを張ることはまったくの別物です。

さて、踏み切りで無断で背中を突き飛ばされることを個人として許容する人はいるでしょうか。ほとんどいないのではないでしょうか。ならば、「無断突き飛ばし禁止」をわざわざ宣言しなくても、無断で突き飛ばされたときに「無断で突き飛ばされるのを嫌がっていない奴がいったいどこにいるんだよ?」との根拠のもとに「無断でするなゴルァ」を主張できるでしょう。一方、無断リンクについては、それをされるのを個人として許容する人はいくらでもいます。ならば、「無断リンク禁止」を宣言しないと、無断でリンクをされて「無断でするなゴルァ」を主張したとしても、相手から「無断でリンクされるのを嫌がっているなんて知らんかったもん」と困られてしまうわけです。だからこその(「リンクするなゴルァ」を主張する目的ではなく、あくまでも「無断でするなゴルァ」を主張するための)「無断リンク禁止」宣言である可能性は否定されていないのではないでしょうか。

さて、この「無断でするなゴルァ」を加味した形で、どのような喩えを用いると、

弟:となると、「断りのないリンクはお断りします」と主張してる人って、いろいろ間違ってる?

兄:そうかもね。自分が間違っているかもしれない、という視点に立てないこと。これが一番の問題ぢゃないかな?

無断駐リン禁止 - takoponsの意味

という結論が得られるでしょうか。どのような喩えが繰り出されるのか、ちょっと興味があります。

lastlinelastline 2008/04/25 11:20 突き飛ばしの話が意味不明です。

突き飛ばされて、「お前なんで”無断で”突き飛ばすんだよゴルァ」とは言わないですよ。”無断”なんて言わない。
事前に通告しようが、しまいが線路に突き飛ばしたら突き飛ばした方が悪いです。
また、「お前がそこに立つなら後ろから突き飛ばすよ、伝えたからな」は意図によっては脅迫ですよ。
無断だろうが、無断じゃなかろうが「突き飛ばし」はしてはいけません。悪意が無かろうが、故意で無く過失であっても線路に突き飛ばしたら責任を問われますよ。

踏み切りで”無断で”背中を突き飛ばされることを個人として許容する以前に、突き飛ばしを許容する人がいません。「無断」以前の問題です。
つまり、「リンク」を「突き飛ばし」にたとえる方が無理ですよ。

kofunkofun 2008/04/25 14:59 盛大なあほを久しぶりに見た

quppaquppa 2008/04/26 00:34 >事前に通告しようが、しまいが線路に突き飛ばしたら突き飛ばした方が悪いです。

たとえ「突き飛ばした方が悪いっ!」といくら叫んだとしても、轢かれてしまったら、轢かれた人は自分自身で轢かれたという事実を自分自身に納得させざるを得ない(突き飛ばした人も国家も轢かれたという事実を取り除いてはくれない)わけですから、そのような事態に陥らないように対処するための猶予が与えられるか否かという意味で、突き飛ばされる可能性のある人にとって事前の通告の有無は決定的と言ってもいいほどに違いがあるように思えますけど。

lastlineさんとしては、事前の通告に基づいて回避するのも、通告なしに突き飛ばされるも、同じようなものとお考えなのでしょうか。

mm 2008/04/26 07:19 何かの物事を考えるときはどうしてもある程度の一般化は必要だと思います。あらゆる可能性を考えていたらいつまでも議論が終了しないからです。
くっぱさんの様々な可能性を考慮する姿勢は大切なものではありますが、それにこだわりすぎると話がいつまでも前に進まないだけではないのでしょうか。
あえてその瑣末にだけ取り組むのだとしても一般論としては不適切なので特殊な状況下での論である旨は記述必須ですが。

あと、そのたとえ話にこそわりとすぐ思いつくのに無視されている可能性が潜んでいるのでたとえ話としてはかなり不完全に感じられます。
人間が何か行動を起こす場合は、なんとなく感情にまかせてであるか明確な理由があるかはさておいて、なにかしらの「理由」が存在します。
その理由がどういったものであるかはともかく、相手の中で(それがたとえ世間一般的にめちゃくちゃな理由でも)譲れない確固たる理由があれば、たとえ事前に宣言しようが相手が突き飛ばしを回避しようが相手は執拗に相手を突き飛ばそうとしてくると思われます。
ですがくっぱさんは相手が行動を回避しようとしてもなお突き飛ばそうとしてくる可能性を無視されています。
仮にそれが突き飛ばしでなく代価行為として別の殺人行為や相手に怪我を負わせる行為へと代わったとしても、普通はそれは回避したいと願うものです。

同じように、リンクフリー原理主義者の一部、それこそ無断リンク禁止サイトに無断リンクをするような人は無断リンク禁止という一文があればたとえ移転しようとリンクするわけです。(ここではその行為についての善悪については無視します。それこそ場合によると考えているので)
それを回避するために無断リンク禁止という文面を削除したなら「無断でするなゴルァ」などとはもういえないわけでそのような主張は後だしになってしまいますので意味がなくなってしまいますし。
しかも相手がいくら逃げようと執拗に探して無断リンクをしてくる可能性もあるわけですから(アクセス制限はできてもリンク事態は防ぐことができない)そういう意味での「事前に告知すれば回避ができる」は確実ではありません。回避できる可能性が増えるだけです。

猶予が与えられても、その間に最善の対処をしたとしても完全なる否定ができるわけではないのでそのような行為をしてくること自体が問題視されることもありえる(そしてその場合はそもそも相手が突き飛ばして、リンクしてこなければ回避などしなくても被害をこうむる自体は避けられるという主張が続く)わけですが、それを無視しては議論になどなりえないのではないでしょうか。

mm 2008/04/26 07:26 告知すれば回避できるのあたりのくだりが不完全だったので少し補足します。
相手の宣言が相手に回避を与えるものではなく「これから自分はこういう行動を取るので逃げるなよ、まあ逃げたって無駄だけどな」というつもりでなされた宣言であり逃げようが何しようが相手が己の目的を叶えるために行動し続けるのであれば、回避などできないということです。
事前に相手に対して自分の行動だけでなくその行動を回避する方法も与えるという前提は自分がしたいことを前もって宣言することには含まれてはいないので、宣言されたら回避できるというわけではないので「宣言を事前に聞いても何も対処が出来ない可能性」を無視して論を進めるのはおかしいのではないかということです。

quppaquppa 2008/04/26 09:48 あのー、せっかく長々と書いていただいたのに申し訳ないのですけど、別に踏切での突き飛ばしの話にこだわらなくても、「無断で俺のすぐそばでゲップをするの禁止」宣言をあえてしている人のそばで事前の通告なしにわざとゲップをする行為の話でもいいのですけど。

とにかく、どんな喩えをもってすれば「相手が事前の通告なしに自分に対してなす行為に対して『無断でするなゴルァ』と主張することが間違いであり、自分が間違っているかもしれない、という視点に立てていない」という結論を導けるのかを問うているわけです。

lastlinelastline 2008/04/26 12:00 >別に踏切での突き飛ばしの話にこだわらなくても
そうですか。それなら、たとえ話にこだわる必要が無いと思いますけど。

ですが、
>事前の通告に基づいて回避するのも、通告なしに突き飛ばされるも、同じようなもの
一応、こちらには回答しておきますね。

踏み切りに突き飛ばした側をA、突き飛ばされた側をBとしましょう。
Bが怪我して一命は取り留めたとしましょう。
くっぱさんは
>轢かれた人は自分自身で轢かれたという事実を自分自身に納得させざるを得ない
と書かれてますが、納得できないならBは民事で損害賠償を請求できます。また、BはAに突き飛ばされる理由がないですし、実際に怪我しているのでBは傷害として刑事責任も問われるでしょう。
窃盗罪なども、たとえ盗んだものを返しても窃盗の罪は消えません。つまり、怪我をしたという事実を取り除けてもBがAに怪我負わせたという事実は消えません。仮に、轢かれたという事実を取り除けても突き飛ばして傷害として刑事責任を問われます。


さて、事前に通告するか否かですが場合分けがあるでしょう。
1.事前に通告しなかった場合
2.事前に通告した場合意

1.事前に通告した場合は、先に述べたように刑事、民事上で責任を問われます。
2.事前に通告した場合は、Bが無視した場合、抵抗した場合、同意した場合で微妙に変わってきますが、突き飛ばして怪我を負わせたという結果は同じなので刑事責任を問われるでしょう。また、通告は脅迫あるいは殺意が明確だった=殺人未遂と取られる可能性もあるので、事前に通告しなかった場合よりも罪が重いかもしれません。
先ず、無視した場合は仮にBが事前に突き飛ばされないような回避策をとらなくても、そもそもBはAに突き飛ばされる謂れはないのですから突き飛ばしに同意したとはみなされないでしょう。
次に、Bが抵抗した場合は、Bが嫌がっているのが明確ですから、無視した場合よりも罪が重いでしょう。
最後に、Bが同意した場合ですが、たとえBが同意していても怪我を負わせたという結果は同じですから、その責任を負わねばなりません。
民事についてはBが突き飛ばされたことに納得できなければ、Aに損害賠償を請求できます。納得しているなら民事裁判を起こさないでしょう。

いずれにしても、AはBを突き飛ばして生じさせた結果を刑事上で責任を負わねばなりませんし、Bが納得できないならAに損害賠償を請求できます。また、Bに通告した方が罪が重い可能性があります。
また、これはBが死んだ場合も同様。

lastlinelastline 2008/04/26 12:02 >「相手が事前の通告なしに自分に対してなす行為に対して『無断でするなゴルァ』と主張することが間違いであり、自分が間違っているかもしれない、という視点に立てていない」という結論を導けるのかを
それは場合によるのではないですか?
「無断にやっても良い」と自由が認められる行為を無断でやった人に「無断でするな」と主張することは間違いです。
一方「無断でやってはいけない」と制限が加えられた自由なら「無断でするな」と主張することができます。
また、「やってはいけない」ことは無断か否かに関わらず行う自由がありません。


で、「無断でするな」と言ったことが「自分が間違っているかもしれない、という視点」に立っているか否かですが。
「無断にやっても良い」と自由が認められる行為をした人に対して、「無断でするな」と言うことが間違いかもしれないと思いながら「無断でするな」と言った場合。無断にしても良い行為に「無断でするな」と言ってしまった結果は同じですから、第三者からは「自分が間違っているという視点に立っていない」と判断されるでしょう。心の中で「無断でするな」と言うことは間違いかもしれないと思っていても、言ってしまった事実は変わりません。


ちなみに、踏切での突き飛ばしの件は「やってはいけない」ことに分類されるでしょう。ゲップは場合によって「やってはいけない」ことか「無断でやってはいけない」ことに分類されるでしょう。リンクは「無断でやっても良い」ことです。

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