瀬戸内市牛窓町の実家に、先日帰った時の私と母の会話です。「今度のデスクノートで朝鮮通信使のことを書こうと思うとんじゃけど」「そりゃええが。通信使が宿泊した御茶屋(おちゃや)跡に、あんたのおじいさんが将棋の大山名人を招待して、私がそれこそお茶をたてたんよ」「へえー!」
牛窓は江戸時代、朝鮮通信使が立ち寄った港町。御茶屋というのは、岡山藩主の別館でした。母の話は、私がまだ生まれる前の昭和二十年代のこと。今は亡き祖父は無類の将棋好きだったのですが、わが家にそんなエピソードがあったとは…。御茶屋跡にはその時、特別に入らせていただいたようです。
実は三月初め、岡山県立博物館で開かれていた特別展「朝鮮通信使と岡山」を見て、この使節が日韓両国の国家的行事であることをあらためて知ったので、久しぶりにゆかりの場所を散策してみたくなったのです。
通信使が使ったといわれる井戸、御茶屋より以前に宿泊場所になっていた本蓮寺あたりを歩き、通信使関連の資料が展示されている「海遊文化館」を見学しました。数百人にも上る通信使一行、異国の先進文化を摂取しようと各地からやって来た知識人たち、そして接待にあたる人々…。街のそこかしこからざわめきが聞こえてくるような気がしました。
日韓交流の歴史が今も息づく牛窓。そんな古里を誇りに思います。私が「冬のソナタ」をはじめとする韓国ドラマが好きなのも、こんなところに遠因があったのだと納得した次第です。
(読者室・下谷博志)