岡山県の南米訪問団に同行し、ブラジルを訪れたことがある。六年前のことだ。サンパウロでは日系社会最大の祭りがあった。各県人会が郷土の食べ物や芸能を披露し、そのパワーとともに出身県への強い古里意識を感じた。
サンパウロから三百キロも離れたグァタパラ移住地では、岡山県出身の家族たちが歓待してくれた。「晴れの村がここにあることを、心の隅においていただければ幸いです」。岡山の代名詞といえる「晴れの国」を引用した代表者のあいさつは心に染みた。
日本人移住者七百八十一人を乗せた笠戸丸が、神戸港を出港したのは一九〇八年四月二十八日だ。ブラジルへの日本からの移民船の第一号である。あれから百年。ブラジルの日系社会は百五十万人を擁する。
百周年の今年、両国政府は「日本ブラジル交流年」とし、経済、文化など幅広い分野で記念事業を展開している。二十四日には日本政府主催の記念式典が東京都内であり、節目を祝った。
日本とは地球の反対側に位置する「最も遠い国」だが、百年のきずなは強い。今や日本が出稼ぎの二世、三世を受け入れる側となり、その数は約三十万人とされる。
中国やインドと並ぶ新興国であり、資源大国ブラジルとの交流は、ますます重要だろう。日・ブラジルの新たな世紀が始まる。