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2008年2月29日 (金)

記憶喰う怪物

貧しさ故、生まれたばかりの赤子を捨ててしまった母親。母親は自分の大切な赤子を捨てなければいけなかった現実が辛く、泣いて泣いて、こんなに辛い思いをするならいっそ赤子の事を忘れてしまいたいと思いました。ある山に・・自分の頭の中にある自分が一番大切に想っている人の記憶だけを喰べてしまう怪物がいました。その怪物の噂を聞きつけた母親は、その怪物が棲む山へと向かいました。自分が一番大切に想っている赤子の事を自分の記憶から消して楽になってしまいたかったのです。山へ入った母親の目の前にまもなく恐ろしい怪物が現れ、大きな口を開けて、こちらを睨んでいました。次の瞬間、怪物は飛び掛ってきて母親をぺロリと喰べましたが、体をすり抜けたような感覚、母親の体に傷はあらず無事です。怪物は山の奥へと帰っていきました・・・そして次の瞬間、母親は自分が誰だかわからなくなってしまったのです。  (おしまい)

空き時間があったので、ボケーッと考えていました。自分の頭の中にある自分が一番大切に想っている人の記憶を食べる怪物に頼った、自分を一番大切に想っていた母親のお話です。忘れないうちにココへつらつらと綴っておきました。もちろんパッと考えた話なので、今現在これをどこかで形にしようとは思ってはいませんが、何年か先にもしかしたらこの話がかなり形を変えて作品となる日が来るかもしれません。来ない確立の方が高いけどね。

それでも、そんな日がもし来たら、今日の文章を思い出してください。

2008年2月28日 (木)

僕の春

あと何日かすれば春からのキングコングの動きが発表できるようになるから、本当はそれがあってからの今日の文章だと思うんだけど、それでも今強く思っているので今書いちゃいます。

足を踏み外すかもしれないし、前に進むということはとても不安なことだと思う。僕自身、「春から不安がないか?」と聞かれればそうでもない。一体どう転ぶのかがわからないから、恐いと思ってしまう自分がいる。それでも、これはここ何年かで強く思ったことなんだけど、僕は生き延びたいわけでもないし、大金持ちになりたいわけでもない。僕は僕がしたいことをしたいんだ。僕がしたいことだけを。それはとてもリスクの高いことなのかもしれないけど、そんなことないのかもしれないとも思うようになったよ。皆さんがどんな人生を歩んで、どんな壁にぶつかって、どんなことに情熱を注いだとか、そういった事はわからないけど、だから直接当てはまらない事なのかもしれないけど・・

僕は僕のしたい事に僕の全てでぶつかっていって、そんで負けちゃったことがあるんだ。そのブザマな姿は大勢に観られたよ。

その夜はボロ雑巾みたいにワンワン泣いて、どうしていいかわからなくなって、酒呑んで泣いて疲れて寝た。そして一夜明けてからは、もうブザマなその自分の姿を曝け出そうと思った。情けない自分を見て、それで笑ってもらえたら本望。芸人なんて元来ブザマな生き物だ。でも、やっぱりどこかに負けた事に対するひっかかりはあって、それは時間が経った今でもキッチリ残っているんだけど、今そんなブザマな僕が言える事は、全力でぶつかっていったことに1㎜の後悔もないということ。それだけは自信を持って言える。結果を出せなかったのにおかしな話だ。

それはきっと、僕は僕のしたい事で全力でぶつかっていったからだと思う。

その方法に「やりたくないなぁ」なんて気持ちが少しでも乗っかっていたら、結果が出なかった時に「ほら、こんなだ」という、やりきれない気持ちになると思う。自分のしたい事でぶつかれば、その結果がどうであれ清々しい気持ちになれるという、それはとてもキレイ事で、ベタな歌詞みたいで、誰だって知っている単純な事なんだけど、でも実際そうなんだ。もう高校球児ですよ。

僕は僕のしたい事をすると決めたんだ。

もうすぐ春です。

2008年2月27日 (水)

喋るだけ喋って酒呑んでブッ倒れて幸せ

自分の仕事は、そりゃ自分の成長を願うものでもありますので、やはり多少なりともそこに枷がかかっているものでありたいと思うわけです。独演会なんかはまさにソレで、独りで全ての責任を取るという事の重圧ときたら、まぁなかなかなもんなわけです。自分のやっている番組収録もスタジオに入った時にピリリッと背筋が伸びるわけで、そこには「せっかく来てくれたゲストを殺すわけにはいかない」とか「今からの収録を何千万人が観るのだ」そんな思いが乗っかってくるわけです。僕の仕事はコンビのラジオを除けば、本番前に少し思う事があるものが多いです。

2年くらい前にこのブログでも書いた事を記憶していますが・・・僕は前々から、そんな仕事内容の中、仲のいい芸人達と何も考えずフラッと舞台に出て行くライブをしたいと考えていました。自分の成長に繋がるとも言えない内容のライブです。吉本の偉いさんが観たら怒るんじゃないか、そんな内容のライブです。

『ろくでもない夜』がそれです。

夜な夜な芸人が集まって、ひたすら喋るだけのライブです。企画なんかも用意されているのですが、僕には聞かされていないので、フラッと舞台に出て行くというよりも厳密に言えば気持ちの準備のしようがないというのが本音です。本番前に芸人達と楽屋でひたすら喋って、そのまま舞台に出て行ってひたすら喋ります。そしてそのまま朝まで喋ります。「趣味がない」と以前書きましたが、もしかしたらコレが僕の趣味かもしれません。皆がゴルフやダーツをやっているのと似たような感覚なので、考えてみれば内容を偉いさんに怒られる筋合いもありません。お客さんの首根っこ捕まえて無理矢理に観させているわけではありませんので。それを良しとしてくれる人達だけで朝まで過ごし、朝まで酒を呑み交わします。新宿ロフトプラスワンで行われた先輩のトークライブを観て、僕はこの小屋でライブをすると決めたので、3月24日のろくでもない夜にこの小屋でどうしようもない連中とどうしようもないお喋りをしようと思います。

僕が精子をぶっかけた先輩、アッハー小泉さんも出演されるみたいです。

2008年2月26日 (火)

ネタ合わせのこと

左側に引っ張るとまだまだ簡単に抜けそうな右腕を振り回して今日も漫才漫才。出番前、出番合間に梶原とネタ合わせ。そこでいつも思うことは、ネタ合わせというものがコンビを続けていく上で非常に健全な作業だということ。僕達は生まれも育ちも現在の生活環境も違うわけだから、やはりそこにはズレが出てくるんだけど、ネタ合わせをすることで微調整ができるというか、コンビ間が大きくズレる前に手を打っている、そんな感じがする。ネタ合わせをしていると僕はなんだか安心するんです。そしてこれは意外な事なのかもしれないけど、僕達キングコングは練習というのが嫌いです。もっとわかりやすく言えば反復練習。それは昔から嫌い。理由は一つ、楽しくないから。だけど、ネタ合わせは頻繁にしています。それはつまり練習ではないからです。毎回そこには何か新しいネタを入れようと頭をヒネっている二人がいて、その作業が楽しくてネタ合わせをやっているわけです。つまりキングコングはネタ合わせといっても黙っている時間の方が圧倒的に長い。練習とネタ合わせの違いがそこだと思う。

今年の最初にバババッと新ネタを数本おろして、内一つは自分達の中でもお気に入りのやつができたので今はもう表に出さず置いてあるんだけど、今日やったネタも7割くらい仕上がってきて、こいつはあと少しで好きになれそうな気がする。そうなってくると、次の新しいやつでネタ合わせがしたくなってくるので、出番終わりで吉本本社に車を飛ばした。新ネタを書くんだ。新ネタを書くとネタ合わせが楽しくなるのです。

会議室をとってもらって、春からの打ち合わせがモロモロ終わり、僕はパソコンを開いて会議室内を一人ウロウロする。「女の子はオッパイのサイズをかなり誤魔化しているらしいぜ」というネタを2時間かけて書いたが、見直すとまったく面白くない。ボケが一つもない男二人の井戸端会議だ。書いている最中は楽しかったんだけどなぁ。

新しいネタというか、新しいネタの形を今日も探したんだけど、その後2時間考えても思いつかなかった。諦めて、すごすごと家に帰る途中、僕は梶原を待たせてしまっているような気がして、このふがいない脳ミソをブッ飛ばしたくなったのです。

2008年2月25日 (月)

僕の気持ち

僕はやりたい事だけをやりたいと考えています。これはワガママではないのです。この事については甘っちょろい事を言っているのは重々承知ですが、それでも僕はそういう事だと思ってお笑いの世界に入ったので、僕は僕の未来をそういう事にしていきたいと思っているのです。

「春から少し動きがある」とは先日お伝えしましたが、それは少しだけ僕の理想の未来に近づけそうな、そんな活動です。

今はまわりを固めている最中なので多くはいえませんが、情報解禁になった時に皆さんに感じてほしいことは、その情報のそれは西野がずっとやりたかった事だということ。「西野はコレがしたかったんだ」そう受け取っていただけると幸いです。

もっともっとお笑いに絞って僕は生きたい。お笑いだけをして生きたい。

お笑いを志した時から1ミリもズレたことがない、これが僕の気持ちです。

2008年2月24日 (日)

絵本のことをつらつらと

「絵本を描こう」と思ったのはもうずっと昔の話、それこそ僕が子供の頃。その時の僕は「なんで流れ星は流れるんやろか?」「夢のストーリーは誰が考えてるんやろか?」そんなことばかり考えていて、それを絵本に求めたんだけど、その答えとなる絵本がなくて・・「じゃあ、自分で描こう」と思うも上手くストーリーが考えられず、そのまま僕はお笑い芸人になって、それでもどこかに絵本のつっかかりがずっと残っていたんだ。そして今から3年前だったか4年前だったか、いつかは忘れたけど、「よし、描こう」と袖をまくった。

子供の頃からずっと不思議に思っていたこと。「僕は眠ると夢を見るけど、夢のストーリーは自分の意思とは関係なく出来上がっていて、そんな夢をもう何百種類と見てきた。子供の僕にこんなに何百種類ものストーリーが書けるわけがない」

だから今描いているのは、世界の奥の奥の奥に世界中の人々が見る夢の脚本を書く大忙しの脚本家さんの、「夢作家さん」のお話。これが子供の頃の僕への答え。そしてその夢作家さんにまつわるストーリーを4部構成で作り上げようと思った。

ストーリーを書くのに何ヶ月か費やして、それから絵にとりかかった。最初の1ページを書くのに1ヶ月かかってしまったもんだから、ペースを上げた。2ページ目を描き終えた時に、今回のコレは相当やっかいな仕事になる事は容易に想像できた。

絵本制作が始まって1年、絵を描きだしてから数ヶ月経った頃、僕の描いた『音楽戦士』の舞台セットを観たらしく、「お前は絵を描きなさい」と言ってきたのがタモリさん。「実は今、絵本を描いているんですよ」と絵を見せて、二人でベロベロに酔っ払いながら何時間も今回の絵本の話をした。事実、第2部のお話の街並みなんかはかなりタモリさんのアドバイスを受けた景色となっている。それから二人で呑む時はいつも絵本の話となった。

そして絵本制作が2年は経とうかとした頃だtぅたか、「出版社はどうする?」マネージャーさんとそんな話になって、こんな事を言うと今の人に失礼になってしまうかもしれないけど、僕はもう最初に話をくれたところすることを決めていたんだ。それは僕が自分のヒキに絶対の自信があって、なんだか最初の人が絶対に素敵な人だと思ったんだ。そして最初の出版社の方と逢うことになって、本当に素敵な人達だったから僕は今回の絵本を、僕の何年かをこの人達に預けようと思った。マネージャーさんからすればたくさんの出版社さんから条件を提示してもらってだナンダのビジネス的なかけ引きがしたかったと思うんだけど、僕はそんな事よりも僕のカンの方が正しいと思っているし、事実お逢いした人は本当に素敵な人だったので、マネージャーさんには申し訳ないが、かけ引きはストップしてもらった。絵本制作は第2部に入っていた。

その頃から、よく発狂するようになった。本社の会議室で暴れたり、呑み屋の便所で大声で叫んだり、本当にいろんな人に気を使わせてしまっているのはわかっているんだけど、作業の進みがあまりにも遅い事に耐えられなくなってきてしまって、そして僕の本業はお笑いだから、「なんで絵本で苦しんでんだ」という葛藤で余計に苦しくなってしまって、もうどうしようもない時期がやってきた。つけくわえてM-1に出る事を決めた年でもあったから、M-1で結果を出さないと「いよいよ優先順位が間違ってきてしまうぞ」という重圧もあった。

絵本制作は2008年2月24日現在、第3部の8ページを描き終えたところ。1部につき約18ページあって、つまり今は44ページを描き終えた。あと28ページ。1ページを描くのに今じゃもう60時間はかかる。目標は今年中に仕上げてしまいたいんだけど、もしかしたら年が明けてしまうかも・・でも急いだ結果にクオリティーを下げるのは違うと思うので、質を優先する方向で今後の作業に取り組みたいと思う。皆さんにお見せできるのはまだ先になります。月並みな言葉で申し訳ないですが、一生懸命頑張ります。

そして絵本が完成したら僕は海に行こうと思います。何も考えずプカプカ浮かびたいのです。

2008年2月23日 (土)

キングコングと西野亮廣

咳は止まらないわ、唾吐けば血が混じるわで、風邪をこじらせまくった僕はいよいよ病院に行ってきて、「もうチョット早く来いボケ」と先生様に叱られた。お薬を処方していただいたので、もう治ったようなもんだと思います。先生、いつもごめんなさい。

ダラダラ書くのも面倒クサイので、さっそく言ってしまうと、コンビの活動と個人の活動の両方をしている僕は、両方やるからにはもちろん棲み分けをした方がいいと考えておりまして、でないと活動を分ける必要がないとも思っておりまして・・そのそれぞれのイメージなんだけど、なんとなくコンビの方は「カタカナ」で個人の方は「漢字」、漠然とそんな感じです。

やはりキングコングというコンビはとことんポップであって欲しいと思っていて、そこで表現できない事やすべきでない事、そこで溜まったガス抜きなどを西野亮廣名義でできればいいなと思う。となると個人活動の雰囲気がなんだか「漢字」という少しお堅いイメージになってしまうのも自然なのかな、とそんなふうに思います。

何故そんな事を突然言い出したのか、それは今日キングコングの春からの活動の打ち合わせの中で表に出すデザインに「ピンク色」を使う事に決まり、そこに違和感を感じなかったからです。「まさか独演会でピンク色は使わないなぁ」そんな事を思いながら、話を進めました。その点ではコンビがポップ、個人がそうでないというのは、なかなかいいバランスでできているのかなと。

キングコングと西野亮廣、今日はそんな事を考えました。

2008年2月22日 (金)

それは連ドラの脚本家のような

連続ドラマの脚本家さんは本当に大変だと思う。これはあくまで僕の予想で、実際は違うかもしれないが・・・まず最初に自分が思い描いていたストーリがあって、そこからドラマがスタートして、途中から人気が出てくる役者さんの登場回数を増やしたり、誰かのワガママが入ったり、さらには視聴率なんかも考慮しつつ脚本を書き直したり、それでいて最後にはキチンと完結させるわけだ。最初に自分が思い描いていた通りにいくケースなんて少ないのではないだろうか。それでも脚本家さんはストーリーを書き続けるわけだ。

僕はね、このように生きたいと思いますよ。

思い通りにいかなかった後なんかは特に、「じゃあ、この状況からどうやってストーリを組み立てましょうか」「どう組み立てれば素晴らしいストーリーになるのか」そんな事ばかり考える。

思い通りにならなかった瞬間、皆、途中で書くことをやめてしまいがち。とたん、処世術がどうのこうので現実的で理屈的でクソ面白くない。どんな状況からでもストーリは書ける。絵本の主人公にお姫様もいればマッチ売りの少女もいるように。どの角度からでも書けるんだ。この世界で生きようとする僕達はきっとその作業をやめちゃいけないんだ。大谷さんも言ってたよ、「物語があるほうが面白い」って。ごもっともだ、あたりまえだ。ストーリーのない本なんて読む気しないもん。そんなんで「僕を見て下さい」と思っていること自体がナンセンス。バカげてるよ。僕は「僕を見て下さい」と思いますよ。

だから僕はストーリーを書くんだ。どんな状況でも。

もちろん僕が主人公の。

2008年2月21日 (木)

セックスの事を真剣に考えた

7時起床。日課である10kmジョギング。「自分の体力があるうちに東京マラソンにでも出てみようかしら」そんな事を思いながら、昨晩の酒を抜く。外は寒い、早く出て来いつくしんぼう。

家に戻りシャワーを浴び、携帯がワンコールだけ鳴って切れた。受信履歴には妖怪ちんぷんかんぷんの名前。もしや寝坊を気にしてくれたか、と思い「起きてるよ」とメールを打つも返信あらず、何のこっちゃ?適当に準備をして、少しゆとりをもって家を出る。今日は『たべごろマンマ』、集合場所である東京駅八重洲口までタクシーが走る。

渋滞。マズイ。

普段なら20分もあれば十分着くのに、もう40分以上タクシーの中。新幹線の時間を聞けば乗れるか乗れないかギリギリ。「時間がギリギリになりそう」という電話を妖怪ちんぷんかんぷんに入れると「すみません、今起きました」さすが。こいつは圧倒的な遅刻だ。期待を裏切らない。そして朝のワンコールは完全に寝ボケていたんだな。

結局、スタッフさんの判断でチケットの乗車変更の事もあり、20分後の新幹線『こだま』で向かう事に。この『こだま』への乗り換えが実は大きい事をスタッフさんから知らされる。僕が今から乗る『こだま』は各駅停車。乗る予定だった『ひかり』はそこそこ駅を飛ばしてくれるもんだから、行き先の浜松まで30分近い時間差が生まれる。つまり僕が浜松に着くのは皆よりも50分遅れという・・・・・ん?あれ?ひかり??『ひかり』に乗る予定だったのか!ちょいと待ってくれ、『ひかり』ならば品川に止まるではないか。僕の家から品川までは5分。僕は40分以上かけて東京駅に向かい乗り遅れ、一本後の『こだま』に。そして走り出した『こだま』はまだ品川に着いていない。なんなんだ、まったく。 

車中。なんともやりきりない気持ちになったので、僕はセックスの事を真剣に考えることにした。僕のセックスは上手いのかどうか。気持ちいいのか否か。という辺りを重点的に考えた。

自慢じゃないが僕はセックス中に女の子を「考えられないぃ~!」と叫ばせた事がある。その子は一流大学に通い、いろんな事を考えられる賢い子だったので、その言葉はよっぽどの事だと思われる。僕はその瞬間に自分のテクニックが神の域まで達したと思っていたのだが、風の噂で「女性は8割演技している」と聞いた。なんたることか。

だとすれば、僕の「考えられないぃ~!」も演技の可能性が大いにあるわけで、何の参考資料にもならない。となると自分のセックステクニックは何で測れるのだろうか。

日本中の男を片っ端からヤッて、セックスの順位をつけてくれる大王ヤリマンがいてくれれば話は早いんだけど、そんな奴はいないし、基本的に『大王ヤリマン』が言いたかっただけだし。

大王ヤリマンはいないし、女性は演技をするというし、こうなりゃ自分で測るしかない。

僕のセックスを僕が受けて、他の男のセックスも僕が受ければ、僕のテクニックがどれくらいに位置しているかわかるわけだが、「僕のセックスを僕が受ける」というのは物理的に不可能。ならばハンドテクニック、つまりセックスの際の手の技術にスポットをあてて、「乳首をイジる」という共通の競技で競ってしまおう。それならば僕の手の技術を僕が受けてしまう事が可能になるし、芸人仲間に頼んで本番さながらに僕の乳首をイジってもらい、一般男子のレベルも測れる。自分の手の技術がどれくらいに位置しているかが知れる。

ただ、問題は自分で自分のをイジっている間は攻め手と受け手、両方の思考があるわけで、他人にイジられている時ほど純粋に受け手に集中できない。これだと厳正な審査にならない。どうしたものか。

僕は本当に悩んで、売り子さんからお菓子を買って、再び真剣に考えた挙句、一つの結論に達した。

弟子をとって自分の乳首イジりテクニックを徹底的に叩き込む、僕とまったく違わない動きができるまで徹底的に。その僕の分身に僕の乳首をイジってもらうという算段だ。これなら僕は受け手に集中でき、正しい審査もできようぞ。これだ。

僕のセックステクニックを知るための第一歩は「弟子をとること」。スッキリした。

それから僕は他にもセックスにまつわるいろんな事を考えた。オッパイの事も。男がオッパイを求めるのは「隠しているモノが見たい」というS心からか、「元々は乳児で、求める方が自然」という原点回帰か。後者のソレだと象やキリンなんかの動物も大人になっても求めていないとオカシイような気もしたり、でも少し納得もできたり・・・とにかくいろいろ考えている間に浜松に着いた。

駅からオープニング現場まではすぐで、ギリギリでオープニングに間に合うも私服。皆からイジられ、その中で「車中で寝てたやろ」と梶原。「なんで?」と尋ねたら、僕の口元を指差し「ヨダレ流した跡がある」と。そうか、ヨダレが流れていたか・・。

ただ、梶原よ。

俺がヨダレを流したのは寝ていたからではない。

セックスの事を真剣に考えていたからだ!

2008年2月20日 (水)

今日の俺はウンコを食べるべきだ

番組をやらさせてもらう上で、強く考えなければいけない一つとして「続ける」という事が僕は大事だと思っています。「面白い」というのはもちろんの事で、自分に任せられた番組をいかに長く続けるか。それが目先の結果を番組が求めてしまいだした時に僕は本当に恐くなる。目先の結果が自分達の首を絞める形となり、終わってしまうんじゃないかな、と。僕は番組が終わるのは嫌だ。その理由は寂しいからです。

何故こんな事を書き出したかと言いますと、今日の収録、それも僕らの番組で、なんだかその匂いを感じてしまう瞬間があって、僕は収録終りに慌ててプロデューサーさんや、総合演出さん、ディレクターさんを集めて、喋ったんだ。

「今日みたいな事をやっちゃうと、それは結果、自分達の首を絞める事になると思うんです」

今日のブログの本題はここからです。

僕は27歳。スタッフさんは皆、僕より年上。僕は喋りながら「俺は何を偉そうに言っとんねん」と思ったんです。でも言っておきたい事は言っておきたいし・・要は言い方だと思うんだけど、そこそこ熱も込もっていたので、上手に言う事ができず・・・。年上のスタッフさんが反省している顔をした時に僕はもう本当に自分が嫌になったのです。スタッフさんだって「面白いモノにしよう」と思っての判断だったと思うし、こればかりは考え方で僕が100%正解とは限らないし、でも僕は思っている事を言いたくて、その伝え方というのが本当に難しい。パファーマンスで偉そうにするのと、実際に偉そうなのはワケが違う。こんな時は、どうしたらいいんだろう。

帰りのタクシーで落ち込んで、今夜はどうも気持ちが優れないです。明日から切り替えよう。だけど、きっと今日の感じは忘れてはいけないから、ここにキチンと綴っておこうと思います。

今日の僕はウンコ野郎でした。

2008年2月19日 (火)

春よ来い

何がどう文章がくっついたのかはわからないが、ニュース曰く、僕はリンダリンダを歌って肩を脱臼した事になっていると収録現場でスタッフさんに告げられる。そんなわきゃない。脱臼は朝方酔っ払ってのジョギング中での出来事、階段からズッコケたんだ。まぁ、それを書いていなかった僕のミスなんだけど、今度出るジョギングの雑誌でその話をしちゃったからさ、その内容をその前にブログで言ってしまうというのも・・・。結局、言っちゃった。というわけで、今日の現場は「リンダリンダで肩を脱臼した男」としてイジられたわけだ。結果、オイシイぜ。もう、いっそ、そういう事にしてしまおうか。

前々から言っておりますが、この春は少し動きがあります。まだココで詳しくは言えないけど、一つは珍しく後輩と仕事をする事になりそうです。今日は寒空の下、その第一歩を踏んだ。はたしてコレがどう転ぶか、僕は非常に楽しみにしておるのです。

そして先ほど神保町花月の親玉から連絡があり、何やらまた『日の出アパートの青春』の新しい動きがありそうな予感。もし実現したら、こいつの働きっぷりたら。一昨年の暮れに書いた脚本がもう一働きしそうな、そんな春になるかもです。もちろんDVDの方も。

そして着々と着々と進めております、キングコング。言っておくと、そんなに大人しいコンビじゃないのです。あの年末から僕達キングコングが本気で向き合っているものを、春にはお見せできるのではないかと思います。もう僕は死ぬ気です。

『独演会』も『ろくでもない夜』も、スケジュールが許す限り月1でやろうと思います。そして、まだどこかに隙間があれば、昨日の鶴瓶師匠のライブの形を真似たトークライブ、『俺に喋らせろ』も入れようと思います。毎月1人のゲストを招いてのタイマントークライブです。コンビの場合でも一人です。僕には話したい先輩方や後輩達、もちろん同期も、たくさんいるので、狭い小屋でじっくり話したいと思います。

もちろん絵本制作も同時に進めてはいますが、完成はまだまだ先。この春も制作です。

時間がまったく足りないんだけど、絵本制作に時間を割いた時は以上に目が疲れて痛くなって、僕は眠くなってしまうんだ。コレが本当に悔しい。

今日は我が家のちゃぶ台がコタツだった事に気づいた。そういえば買った時、そうだった。コタツ布団が無いので寝る時の毛布をかけてみたら、長方形だったので変な隙間ができて、コタツに入れた僕の足はたまにスースーする。

春よ来い。はやく来い。

2008年2月18日 (月)

板の上で死んだろかい

シークレットゲストという事だったので黙っていたんだけど、今日は鶴瓶師匠のライブに呼ばれたんだ。満席70人のお客さんに対し、我々キングコングを含む3人で2時間強のトークライブ。

劇場に入ると鶴瓶師匠の第一声「ブログ炎上させまくってるらしいなぁ。お前、面白いなぁ~」、そりゃ嬉しいよ。「面白い」僕の中の絶対正義、それを貰えたんだもの。そして炎上させてニュースになった時の内容も僕は自分の気持ちに何一つ嘘をついていないんだ。2ちゃんねる自体は趣味の範囲もあるから否定はしないけど、その中でも人のあげ足を取る事に自分の人生を捧げている奴は本当にバカだと僕は思っているので、それを言ったまで。もっとも、ナイフでも持って僕の所に来るのなら幾分面白いけど、そんな根性も持ち合わせていないウンコ野郎には誰かがキチンと「前を向け」と言ってやらないとイカンのです。これは面白い事だと僕は思うのです。

ライブの最初は鶴瓶師匠の一人喋り。いつもは30分くらいあるらしいけど、「今日は見せたいモノがあるから」という事で10分でバトンを受ける。キングコング登場で5分の新ネタを披露後、イスに座ってトーク。冒頭で鶴瓶師匠が僕の実家をアポなしで訪れたVTRが流れる。鶴瓶師匠と僕の父ちゃんが話す映像はとても新鮮でとても面白かった。それから残り1時間半はお喋り合戦、もちろんの事、「持っていかれてたまるか」という気持ちもあり、逆に鶴瓶師匠の話を聞きたい気持ちもあり、とにかく楽しい。「マネージャーがおかしいんですよ」と言えば、「ウチのもおかしいよ、お互い一つずつ話していこうか」という、あからさまなぶつかり合いも。僕はこの人がたまらなく好きだと思った。ずっと話していたかったけど、2時間はあっという間にすぎて、最後は「先日、新ネタが地獄的にスベッた」と話から、まさかのスベッた漫才披露。「2度とするものか」と決めてきたキングコング史上最もスベッたネタ「若者たち」の替え歌。楽しかった、本当に楽しかった。

ライブ終わりはスタッフの皆さんとお食事。そこでも師匠のおバカな話は続いた。僕には目標があって、それは自分の劇場を造ること。いつでも自分の都合のいい時にライブができる、自分の劇場。今日、「無学の会」というライブが行われた小屋はまさに鶴瓶師匠のそれであり、そしてTVをキチンとやりながら板に立つ姿といい、僕が描いている理想の姿を師匠は体現されて、とても羨ましく思った。僕も必ず形にしようと思う。

もう一つ言えば、今回のライブの形がとてもいいと思ったという事。3月の23日に新潟で「独演会」、これは僕一人。翌日24日は東京で「ろくでもない夜」、これは芸人数名でワイワイと。僕は僕のしたい事、僕の勉強になる事を、ライブという媒体で行っているんだけど、そういえばゲストを招いてタイマンでトークというものをやっていない。これもきっと自分の力になるはずだし、きっと自分が楽しめるはずだ。なので「鶴瓶師匠のライブの形、パクッていいですか?」と断りを入れたんだ。「そんなもん、やったらええねん」と師匠。案の定の答え。

僕のもう一つのライフワークとして、そういった試みも考え中です。いいかげん首が絞まってきたけど、僕はリスクの先にしか成長はないと思っているので、悩んだ時は辛い方だ。やろう。

しかしカッコ良かったなぁ、鶴瓶師匠。

2008年2月17日 (日)

僕達は楽しむ為に生きてるんだぜ

僕の右肩は簡単な脱臼をしていたみたいで、病院でカコンッとハメてもらって、後はシップを貼って2週間安静との事。痛さは残っていますが、右腕は少し動くようになりました。

さて、『日の出アパートの青春』のDVDの特典映像の仮編集が終わったみたいで、今日それが僕の手元にやってまいりました。舞台の裏側を撮ったその映像は僕の知らない事もあったりなんかして、舞台と向き合う演者さんの姿が微笑ましくもあり羨ましくもあり、そういったメンバーに演じてもらったこの脚本はきっと幸せ者だと思う。

M-1の事もあったし、絵本制作の事もあったし、それをその時だけは『日の出アパートの青春』の脚本書きに集中して、その時の僕は「大丈夫かな?」と少し思った事もあったけど、今の僕はこの脚本を書いて良かったと思っている。そう思えるのは、やはり多くの人達の協力の元、本当に素晴らしい作品に成長してくれたからだと思う。

DVD完成までもう少し。皆さんの元へ届くのは春頃になると思います。

そして実はね・・僕はもう、次の話を作ったんだ。

2008年2月16日 (土)

リンダリンダ

夜中。エレキコミックのやついさんのイベントに誘われて、酒が呑めるっていうもんだから僕は新宿ロフトへ。現場は人、人、人、そして大音量の音楽。普段なかなか馴染みのない場で、僕は立ち振る舞い方がわからず後輩とライブハウスの隅っこでビールを呑んだ。やついさんが『メランコリ二スタ』や『パーフェクトスタイル』といった僕の好きな曲をかけてくれたので楽しくてビールが進んだ。スピードワゴンの小沢さんも来られて、M-1の話や舞台の話なんかをしてたら、小沢さんも今日ここでDJをやるらしく、「西野歌いなよ」と爆弾発言。オンチだし、声はガラガラだし、とてもじゃないけど人前でなんて・・そんな事を思ったけど、「歌った方が面白いよ」と言われたら、もうしかたがない。僕は僕の為に生きてるワケじゃないんだもの。だから芸人になった。

舞台に呼ばれてガラガラ声で『リンダリンダ』を歌った。僕が一番好きな歌。メチャクチャ恥ずかしかったけど、楽しかった。お客でノリノリの男をとっ捕まえて舞台に引っ張り上げてチューをした。なんで男とチューしたかは自分でもよくわからないけど、とても自然な感じだった。

歌い終わり、定位置である隅っこで、DJをする小沢さんを見ながら酒を呑んだ。小沢さん、やついさん、2丁拳銃の小堀さん、他にも多くの音楽好きのお笑い芸人が本当に楽しそうに音楽を流していて、僕はとても羨ましくなった。

僕には趣味がない。

小学校の頃からお笑いが好きで、他に何も見つからず、そのままお笑い芸人になった。人に合わせていろいろやってはみるけど、「コレをやるくらいなら、会議室でキャッキャ言ってネタを作っている方が楽しい」と思ってしまって・・・食にも興味がないし、是が非でもセックスがしたいという人間でもなくなった。「僕はお笑いが趣味」、それもカッコイイわけではなく、そう言うしか方法がないというか、「趣味は何ですか?と聞かれた時に、他の答えがないからしかたなく、といった感じでの「お笑いが趣味」。

お笑いをやっていて、お笑いを「ビジネス」という奴はクソだ。そりゃソコにお金は発生しているんだけど、僕はそんな奴が大嫌い。僕の「唯一」に向かってそんな事を言う奴が僕は許せなくて、一昨日の焼く肉屋で喧嘩になった。でも言っちゃダメだと思う。理由は、そんな事を言う奴のお笑いは面白くないからです。でも喧嘩はしたくなかった。そして、その一昨日の喧嘩を思い出しながら先輩方の音楽を楽しんでいる姿を見たので、泣きそうになった。ブザマですよ、僕は。

現場に堤下(先輩)もいて、酒がまわっていたのもあって、珍しく二人で真面目に話をした。『はねるのトびら』の話。僕はずっと「ゴメンね、ゴメンね」と言っていた。

僕は酔いつぶれて、その辺でブッ倒れた。後輩の房野がタクシーまで運んでくれて、先輩方にキチンと挨拶ができないまま会場を後にしてしまったので、後で連絡しようと思う。なんだか、いろんな事を思った夜だった。

朝、起きたら、とりあえず右手がまったく動かないので今から病院に行ってきます。

2008年2月15日 (金)

それはM-1が繋いでくれたんだ

劇場でトータルテンボスさんと一緒になる。お二人と会うと必ず漫才の話、僕は勝手に戦友のように思っているのです。先日、収録した『キンコンヒルズ』のゲストもトータルテンボスさん、オープニングで繰り広げた、サンドウィッチマンさんを妬む2組の見苦しいカラミは必見です。トータルテンボスさんは漫才が大好きなので僕はとても嬉しくなるのです。舞台袖から僕達の漫才を観てもらった中、新ネタが爆発的にスベリました。死んでやろかと思うくらい恥ずかしかったです。舞台を観に来られた方はご存知、「若者たち」の替え歌です。二度としません。トータルテンボスさんとは出番終わりにも少し話して、アドバイスをいただいた。今年のM-1は勝手ながらトータルテンボスさんの気持ちを一つ背負って出ようと思ったのです。頑張ります。

もろもろ仕事をして、夜は梶原とスタッフさんの3人で呑んだ。春からの仕事の話に始まり、途中は口論になる場面もあり、最後は「頑張ろう」で話がまとまる。結局いつも同じ事を話しているような気がする。でも楽しい。

そういえば梶原と呑みに行くようになったなぁ。

2007年の頭に「M-1に出ようか」という話で呑んでからとういうもの。最初は漫才の話ばかりだったけど、いつからかTVの相談やライブの相談なんかもするようになって、なんだか僕達は呑みに行くようになった。先日、ルミネの楽屋で梶原とは喧嘩したばかり、その時はどうしようもなくムカついたんだけど、今こうやって待ち合わせをして呑みに来ている。なんだコレ?でも、あたりまえの話だけど、コンビで話し合える事は素晴らしい事なのかな、と。まぁ、人には見られたくないけど。恥ずかしいから。今のキングコングはこんな間柄です。

僕は去年のM-1グランプリで負けちゃったんだけど、コンビ間然り先輩然り、なんだか太い繋がりもできたんだ。「出てよかった」と、今はそのように思います。

2008年2月14日 (木)

2月15日の友達 

虻ちゃんの『はねるのトびら』内での告白企画、告白に向かう前に僕は総合演出に呼び出された。14日のバレンタインデーの前日の放送、TVを観ている女の子で明日告白しようと思っている子に向け、少しでも勇気になれば、そんな内容だった。そしてその撮影現場で総合演出に言われた言葉。

「上手くいけばそれが一番いい。でも上手くいかない事だってある。その時に、上手くいかなかった女の子の周りにいる友達がどう立ち振る舞えば女の子は救われるか。フラれてしまった女の子が、それでも次の日に学校に行こうと思える友達、西野はその友達の見本になりなさい」

とてもいい言葉だと思ったのです。

一緒に泣いてやるのか?バカにしてやるのか?方法はいくつかある。「アイツがいるから、きっとなんとかしてくれるし、明日は学校に行こう」、フラれてしまった女の子がそう思える事が正解だという事。僕はやっぱり男だし、女心の全てはわからないけど、それでも僕は2月15日の友達の見本になろうと心がけました。そして自分で言ってしまうのは気持ち悪いかもしれませんが、なんだか自分の仕事をとても誇らしく思えたりもしたのです。

2月14日は女の子が頑張ったので、2月15日は女の子の友達が頑張る番です。

ひとつ勉強になりました。

あと、一つだけ。今回のバレンタインデーで告白した女の子へ。結果は様々、だけど、言えることは、「あなた方はカッコイイ」という事です。お疲れ様。

2008年2月13日 (水)

恐怖!妖怪ちんぷんかんぷん

楽屋の扉を開け、廊下からキングコングに向けスケジュールを伝える織田君。

「失礼します。スケジュールの確認なんですが、本日・・・」

楽屋の扉が閉まりだす。

「13時から音楽戦士の収録がありまして・・」

楽屋の扉が完全に閉まる。

「・・・・」

僕達は目を疑った。楽屋の扉が閉まると同時に話すのをやめた織田君。恐る恐る僕達キングコングは立ち上がり、扉を開けるとそこに織田君、直立不動。

「えっと・・なんで話すのやめたの?」

「扉が閉まったので」

「閉まる扉を押さえてみるとかは?」

「あっ」

この調子だ。今日は織田君改め、妖怪ちんぷんかんぷんのお話。

遅刻してきた妖怪が謝る前に言い訳をしたので、僕は「理由は知らんけど、まず一言目はすみませんでした、でしょ?」という内容を早口で説教すれば、聞き取りにくかったのか、「その言葉、もう一度繰り返して下さい」たぶん妖怪はそんな事を言いたかったと思うんだけど、妖怪の口から出た言葉は「その言葉お返しします」だ。まさかの注意返し。「お前も気をつけろ」ということか。

幻冬舎という会社に用事があって、その会社の前で妖怪と待ち合わせをしたんだけど、なんせ初めて行く場所だった為、地図だけではどうにもこうにも辿り着けなかった僕は妖怪に電話をした。「今、どこおる?」「もう着いてますよ」「そっか。いや、俺ちょっと道に迷ってしまってさぁ」「大丈夫ですか?」「近くに何が見える?」「幻冬舎が見えます」ときた。ノーヒントだ。

大阪の吉本興業本社の前の割烹料理屋の店先にある水槽にへばりついている妖怪を発見。しばらく見ていると何やら水槽の上に手を伸ばして、指をサワサワ動かしている。我慢できす僕は話しかけた「どうした?織田君」「あ、西野さん。いや、こうやって餌をあげる素振りをすると魚が寄ってくるんですよぉ~ウフフゥ」・・・もうダメかもしれない。会社の前だぜ。

独演会で当日券の販売をしていた妖怪がお客さんのお金を片手でグシャっとワシ掴みにしたので、隣に居合わせた妖怪の上司が「お客様のお金はキチンと両手で受け取りなさい」と注意をすれば、「僕のやり方でいいですか!」と、まさかの反論。誰が予想できたでしょうか。ワイルドすぎるじゃないか。

『笑っていいとも』のゲストにブラックマヨネーズさんが来られた時、本番前にお二人と談笑した後、一旦楽屋に戻った僕に話しかけてくる妖怪。「西野さん」「何?」「小杉さんは今、メイクをされています」・・・僕は何を思えばいいのだろう?何て言えばいいのだろう?

6時間という劇的な遅刻をかまして、一番最初にウトウトしたのが妖怪さ。

スーツの破れた部分をガムテープで補修しているのが妖怪さ。

僕が話しかけても簡単にシカトしちゃうのが妖怪さ。

毎日ドジしちゃうし、会話が徹底的に噛み合わないし、人の話を無視するし、まわりの人達をしょっちゅう怒らすし、たまに本当にブッ飛ばしてやろうかと思うくらい腹が立つ事もあるんだけど、

漫才中。舞台袖を見るとニコニコ笑ってキングコングの漫才を観ている妖怪が、まぁ可愛かったりもするんだ。

2008年2月12日 (火)

僕は君をハラハラさせたいんだぜ

春からの準備を着々と進めております。とにかく言ってしまうと僕はもう皆を驚かしたいという気持ちやハラハラさせたいという気持ちで一杯なわけです。ここだけは学生時代からあまり成長していないところなのです。

「TVの規制が厳しくなった」という言葉をよく耳にします。確かにそうかもしれません。付け加えて最近では謝罪させたがる風潮、いやそりゃ謝罪をしなければいけない場合もありますが、ソレはチョット・・というのも正直あります。「ソレはチョット」の場合のソレの時が僕はあまり好きではありません。謝らせる事でストレスを発散させている匂いが少しするからです。やり返す事や吊るし上げる事を気持ちよがってはいけないように思うのです。もちろん皆がそうだとは思いません。まっとうな言い分もあるでしょうし。でも大事なのは解決に向かうこと、終わらせる事だと僕は思います。社会問題に首を突っ込むのはここまでにします。少し話しがそれました。

まぁ、そんなこんなで、表現者からすればもしかすると非常に動きにくい時代なのかもしれません。でも僕は嘆くのは嫌いです。時代のせいにするのなんて最低です。その時代に生まれたのだからその時代のやり方があるはずだと思うのです。ブログなんてその一つじゃないでしょうか?当時は無かったワケですから。ブログに規制なんてありませんし、やりたい放題です。それで一人でも多くの人をハラハラさせられたら僕はそれを成功と言います。ブログはこの時代に生まれた表現者の一つの可能性として使えるのでは?僕はそのように思います。

どうやら僕はこの時代に生まれたのです。ここで僕が、この時代に生まれた芸人が嘆いてしまい止まってしまうと、この時代に生まれたお笑いファンがとても不幸です。僕は「僕を応援するのが楽しい」そういう芸人でありたいと思います。「アイツ、次は何するんだ?」みたいなね。

しでかしてやろうと思います。この時代に生きる芸人のやり方で。仕掛けていきますよ僕は。

先程、織田君に「微糖コーヒーを買ってきて」頼んだら、「微糖ですね?」と確認をとられた挙句、ブラックコーヒーを買ってこられました。妖怪ちんぷんかんぷんが今日も暴れております。

2008年2月11日 (月)

第22回 西野亮廣独演会in徳島を終えて

徳島に着いた一行はタクシーのおじさんに聞いたラーメン屋の牛肉入りのラーメンを食す。独演会の楽しみの一つでもある「旅」を存分に味わったのだ。

ラーメンを食べた後、駅前で買い物をして、少し早めに会場に入る。いつも楽しみにしているのが舞台の形。行ったこともない会場なので、舞台や客席がどんな感じか、それが知りたくて舞台まで走る僕。舞台に立って、とても綺麗な形だとわかり、僕はとても嬉しい。客席に下りて、いろんな席に座って、そこから舞台を見る。それを何度も繰り返す僕。

第22回 西野亮廣独演会in徳島が始まる。

会場アナウンスが流れ、妖怪ちんぷんかんぷんことマネージャー織田君による湘南の風斉唱。会場のボルテージも最高潮にはもちろん上がる事もなく、僕は舞台へ飛び出したんだ。

喋った。織田君の事、母ちゃんの事、沖縄旅行の事、番組の事、ドイツロケの事・・今回は酔っ払いに邪魔される事もなく、赤ちゃんを連れてきていたお母さんもおらず。そういえば一通のお手紙を頂きました。「赤ちゃんを連れて行くのは悪い事ですか?」というお怒りの内容の手紙をお母さんから。僕は悪い事だと思いますよ。電車やバスと違い、お笑いライブは公共の場ではないからです。恋人にフラれてどうしようもない奴や、仕事に疲れた奴や、友人関係が上手くいかなくて悩んでいる奴、「笑いたい」という、一種の救いを求めて来ている人がお客さんの中にはいるわけです。それを邪魔するのは僕は違うと思います。それで赤ちゃんを盾にするのは違うと思います。我が子がカワイイのはわかりますが「周りを見ろバカ野郎」というのが手紙をくれたお母さんに対する僕の返事です。ちなみに群馬のお母さんはバツが悪い感じで自分から出て行ってくれましたよ。あと酔っ払って暴れるは問題外です。アホです。

スタッフさんの心配なんのその、とてもいいお客さんに囲まれて1時間半喋った。楽しい、楽しい。もう毎日でもやりたいぐらい。独演会は、僕は僕が芸人である事を確認できるんだ。だから嬉しいし、楽しいんだと思う。

もちろん呑みに行った。ライブに来ていたお客さんが「ウチの店に来て下さい」と店の名刺をくれたのでそこへ行った。『もも』という名の、料理がとてもおいしくて、店の皆さんがとても温かい店。家族でやられているお店らしく、なんだか流れでそこの娘さんと一緒に呑んだ。たまにお母さんとお父さんも入ってきた。独演会スタッフと『もも』の家族、変なメンバーで呑んだ。「このお酒呑みやすいですね」と言いながら織田君はゲロを吐いて、僕達は死ぬほど笑った。呑みつかれて僕は眠った。起きたら毛布がかかっていた。お母さんがかけてくれたらしい。ありがとうございます。また遊びに行きます。

バカみたいに喋って、バカみたいに呑んで、いつも通りの独演会の風景で嬉しかった。

そんな徳島の夜でした。

2008年2月10日 (日)

独演会前夜

絵本制作は10時間を越えたところで頭がヤラレそうになったので終了。荷物をまとめて会社を出ると大雪、こりゃマズイ。急いで愛車ムスタングの元へ走ると、彼の体に雪、雪、雪。半世紀を生きたお爺ちゃん車にこの寒さは堪える。案の定、皇居前でプスンッと止まる始末。愛おしいぜ。

家に着いたのが23時、帰り道に買ったキャベツをかじって、コレを夜御飯とする。明日は朝が早いので、日課である「おはようジョギング」ができないので、夜のうちに、と。ジョギングウェアに着替え外へ出ると、死ぬほど寒い。いつもは公園を5週走るんだけど、今日はサボって3週くらいになりそうだったので、急遽コース変更。短縮できないコースを走ることに。ジョギングを短縮できない、サボれないようにするのはとても簡単。一直線にひたすら走ればいい。バテた所で折り返して引き返す。近道しようにも来た道を戻るしか方法がないので、結局走らなければいけない。近道の誘惑と隣り合わせで走るよりも、この方が楽。10km走った。

家に着き、録画しておいた番組なんかを観て、時間は午前2時。朝は5時に家を出なければいけない。寝る時間もないな、とブログ更新を試みて、ここまで書いてデーターが消える。どれだけイジっても書いた文章が帰ってこない。これだからコンピューターは嫌いだ。

一人部屋で怒り狂い暴れまわってから、シコシコぶっこいて、くたばった。

そんで一日ロケをして、家に帰ってきて今。再び文章を書いているわけで・・

さてさて明日はお騒がせしております独演会、『第22回 西野亮廣独演会in徳島』。最近はどこへ行っても、酔っ払いと赤ちゃんを帰した話を聞かれる。今回の目標はたくさん笑わせる事と問題を起こさないこと。問題を起こすと会社の人がそこそこ大変らしいです。僕は会社の人が好きなので、なるべく大人しくしておこうと心がけます。会場の場所を聞けば「文化の森総合公園内徳島県立21世紀館イベントホール」という名前。なんだかとても面白そうだ。普段、お笑いライブとかをやっているような匂いがしない。国立劇場からライブハウスから21世紀館まで、本当にいろんな場所でやらさせてもらって感謝です。

独演会の楽しみは実はもう一つある。入り口で僕のおふざけデビューシングル『逢いたくて五反田』を販売しているんだけど、悪フザケでやっているうちに、もうすぐ売り上げ一万枚を突破するらしく、あまりにバカバカしいから、いっその事突破しちゃおうという事で。一万枚突破したら、また「ろくでもない夜~逢いたくて五反田一万枚突破パーティー~」を企画しよう。通るかな?とにかく独演会にはそんなフザけた目標も付録であったりするわけで、独演会を続けるのが僕は楽しみなんだ。

早く明日にならんかね。

2008年2月 9日 (土)

素晴らしい人生

『はねるのトびら』のロケ。虻ちゃんのバレンタインデー企画。ここで話すのはまた放送が終わってからにするけど、腹がちぎれるほど笑って、「お笑い」の事をまた考えさせられた内容となった。深夜にロケが終わり、板さんと二人で呑みに行く。

お互い制作中のものがあって、その話を肴に酒を呑む。ゴリさんにしても、中田にしても、何かモノを作っている人とのこういった酒の呑み方が僕は好きだ。板さんのアイデアは本当に見事で、ぜひ形にしてもらいたい。焦らずに納得のいく形に。

さぁ、負けられないぞ。

朝、起きて、今日は『はねるのトびら』の収録が休み。こんな日を利用しない手はない。神保町本社へと車を飛ばし、DVDのパッケージ撮影。皆さんの協力の元、満足のいく写真が撮れた。

撮影後は本社会議室で絵本制作。5時間ぶっ通しで描いてみたが進まない。慣れてるけどさ。

ペンを走らせていると、スタッフさんがDVDを持ってきた。『日の出アパートの青春』の舞台映像。仮の編集が終わったものを渡され、「チェックお願いします」とのこと。とうとうきた。早く観たい。仕上がりに向け着々と進んでいるのを確認できて、絵本もこうであれば、と思う男である。

そんで今、ブログを更新しております。早いもので夕方です。

僕は最近思う。それはとても単純は事なんだけど、「もっと好きな事を、したい事をしてもいいんじゃないか」という事。いつの間にか僕の中でTVが絶対的なものになってしまっていて、それが自分のステータスにすり替わっていて・・それが少し違うような気がしてきたわけです。

好きな事をしたくて、好きな事ができると思って、この世界に入ったんだもの。

だったら好きな事をしないと。好きな事ばかりできるように汗を流さないと。

TVはとても好きだけど、TVだけでスケジュールが埋まってしまうのは僕の場合は嫌だ。

モノを作るのです。だって、今朝のDVDのパッケージ撮影・・メッチャ楽しかったもん。

僕はモノを作るのが好きなので、モノを作るのです。モノを作る人生にしてしまうのです。

今はそんな事を想う。

2008年2月 8日 (金)

私生活が終わっている男

ボクシングの内藤大助選手と対談後にお食事に誘われ、世界戦の事、M-1GPの事を語り合った昨晩。世界チャンピオンに本当にいい刺激をいただいて、男はもうやってやろうと思っておるわけです。

来週の11日月曜日はお騒がせしております独演会、『第22回 西野亮廣独演会in徳島』。

来月の3月23日は『第23回 西野亮廣田独演会in新潟』。

そして正式に決めました。新潟独演会の翌日、3月24日の夜からはロフトプラスワンでオールナイトトークライブ『ろくでもない夜~クソ芸人西野亮廣を追放せよ』、酒も呑めるってよ。ただ酔いつぶれない程度にお願いしますよ。なぜなら騒いだら帰すからです。あしからず。

スケジュールが決まり次第、キチンと発表しますが、もちろん水面下でキングコングのライブも進めております。だって僕はキングコングの西野亮廣なんですもの。

今日は朝から『はねるのトびら』のロケ。バレンタインデー企画、主役は虻ちゃん。ゲストに来ていただいた方を含め、ここぞとばかりに暴れる芸人をこんなに近くで見られる幸せ、僕は芸人をやっていて良かったぜバカ野郎。

ロケの合間にメールが入る。ダイノジさんが今日と明後日、川崎でやっているイベントに冗談半分で花を出したら、笑ってくれた。「笑ったよ」というメールがダイノジのお二人から。嬉しいに決まってるでしょ、笑ってもらったんだもの、面白がられたんだもの。もうソレ、ソレに尽きる。

ブッ倒れたくないけど、ブッ倒れるまで、ぶつかっていってやろうという所存です。

絵本制作に時間が割けていないなぁ・・・いやいや言い訳はイカン。起きればいいだけの話です。絵本もキチンと完成させますので。

同時進行で『日の出アパートの青春』のDVDも進めております、春には皆さんの元へ.

言いたい事がいっぱいあって、日にちを分けて書くのも面倒クサイので、まとめてダダダッと書いてしまった為、まとまりの悪い内容になってしまい申し訳ありません。

男、西野亮廣。「やったるぞ」という、要約すれば、まぁ今日のはそんな内容です。

冷蔵庫にクリスマスケーキが入っていました。1ヶ月以上冷蔵庫を開けていませんでしたよ。

何処かにいる綺麗で世話好きなお姉さん・・・たすけて。

2008年2月 7日 (木)

さらばcasTY、そして約束だぜ。

更新が滞っていたワケではなくてですね、ブログの会社が変わったみたいです。

私、コンピューターが苦手でして、詳しい事はよくわからないのですが、もうココでは僕の書いた文章は見られないようです。

 

「ラフブロ」という所へ引っ越したのです。

そこで、あいかわらずウンコみたいな文章を書いておるので、見てもらったり、興味がなければ見ていただかなくても・・とりあえず報告ですわ。ここでの報告が遅くなってゴメンなさい。

 

そして、ありがとうキャスティー。あなたにはお世話になりました。

いろいろ問題も起こしてしまいご迷惑をおかけしましたが、僕はあなたが大好きです。

 

次の場所でもフザけてやろうと、僕はあなたにそんな約束をして、ここを発ちます。

さらば。

ろくでもない夜に逢いましょう

地上最強生物は何なのかの論争や、日本一周旅行NO.1コーディネートのプレゼン大会や、チンポコ見えかけの取っ組み合いだとか、ライブ自体は2時間に及んだものの、おそらく7、8分に集約できるろくでもない内容、『ろくでもない夜』があった。

寒い雪の中、集まってくれたお客さんはとても温かい。独演会で慣れているお客さんがいればビックリしたかも。登場でわずかだが「キャー」という歓声が上がったんだもの。嘘じゃないよ。たまにはこういったライブがあってもいいと思った。

僕はもう嬉しくて終始デレデレ。

ライブの進行も後輩にまかせていたので、中身は何をするかまったく知らないまま本番へ。しかし、それはそれでドキドキ。何の保険もないのだもの。ただ、だから面白い。

流れが生まれて、皆でオチをつけて、また流れが生まれて、なんとか皆でオチをつけて、その繰り返し。何もないところからのスタート。独演会のエピソードの羅列とはまた違った楽しさ。こりゃハマってしまう。

ライブ終わりはもちろん呑みに行った。芸人10人くらいで呑んだ、呑んだ。内容は舞台の延長戦。ミニコント万歳だ。カラオケなんかもしてさ、朝まで笑って・・僕は守らなければいけないものがわかったんだ。

ずっと前にロフトプラスワンでライブをする事を僕はここで約束した。なので今回の続編となる、『ろくでもない夜~クソ芸人西野亮廣を追放せよ』を3月にロフトプラスワンでやる事をさっそく決めた。興味のある方はお越しくださいよ、どうしようもないライブですよ。くだらない。

舞台が好きだ。もう死ぬほど好きだ。本番前の高揚感が好きで、舞台袖で控えている時のしんとした感じも好きで、笑い声がぶつかってきた時が好きで、お客さんが帰った後の舞台の寂しさも好き。生涯、舞台に足つけて生きてやるぞクソッタレ。

あぁ、楽しかった。泣きそうだ。

劇場の表に張られていた張り紙。こんかいの舞台のゲス作家が書いたんですわ。

「本日はろくでもない夜ライブにお越しいただき誠にありがとうございます。当公演では西野亮廣の機嫌がすこぶる悪くなりますが故、『酔っ払い』『赤ちゃん』のご入場を固くお断りしております。ご了承お願い申し上げます」

こんな感じです。

2008年2月 6日 (水)

攻めやすい環境

帰る場所があるうちに勝負をしておくべきなんだと最近は強く思う。負けても負けた事をキチンとイジれる場所があることは本当に恵まれている。帰る場所はいつ無くなるかわからない。無くなってしまったその時は勝負が全てで、勝負にかかってくる比重が増えるわけだ。これは「現状に甘んじない」というカッチョイイ事ではなく、「帰る場所がある」という現状は実はとても勝負しやすい環境なんだという事。

「なんでM-1に出たの?」とよく言われる。『すべらない話』の時もよく言われた。そりゃ「ここでも勝負したるぞ」というプライドもある、見返したい気持ちもある。そんな時によくひきあいに出されたのが「リスク」という言葉。最初は僕も思った、「負けたら痛いぞ」と。でもね、実は負けても痛くない・・いや痛いけど、それほど痛くない。それは今が負けても痛くない期間だからだ。負けたら負けたことをネタにしてしまえる環境があるわけで、僕はソレを思ったのです。

そしてそこまで思っておいて、勝負しない奴はただのウンコです。

今攻めないでどうするよ?といったところです。

春からどんどん仕掛けていこうと思いますよ。あしからず。

2008年2月 5日 (火)

楽しもうと思うこと

今日も気持ち良く仕事ができましたよ。番組さえ違えど収録現場がサンドウィッチマンさんと一緒だったので、M-1以来キチンと挨拶もできていなかったのもあり、楽屋へ挨拶に行った。本当に優しいお二人に甘えて、僕は「これからもサンドウィッチマンのアホ~って言っていいですか?」そんなお願いをしたわけです。芸人さんの関係というのはあいかわらず楽しい。

そんで夜は後輩と呑みに行った。

呑みに行く前に、以前僕から「お前は映像をやりな」と言った奴が映像を作ってきたので、我が家で鑑賞会。素敵な映像をだったので、それはやっぱり嬉しい。「じゃあ、テメェは何様だ?」と返されるのも嫌なので、次も負けないように圧倒してやろうと思う。僕は強いぜ、負けないぜ、と。酒を呑んで、明日のライブの話と、その次のライブの話をした。

畜生・・・新しいブログになってから改行が気持ち良くいかない。何か方法はあるのかね?

まぁ、とにかく僕達は呑みながらそんなライブの事を熱をもって話し込んだわけだ。売れてようが売れてまいが、金があろうがなかろうが、結局その過程を楽しまないといけないぞ、と。これって結構大事なことなんじゃないかな?「楽しむ」ということ。だったら楽しめるライブをどんどん打っていきましょう。そんな話をした。

テンションが上がった僕達はそのままアダルトビデオ屋へ直行。それぞれお気に入りの作品を手に、レジに並ぶ。お互いが選んだビデオを批評し合う。本当にバカな時間、だけど楽しい。会計後、家に帰るのが楽しみでしかたがないクソお笑い芸人達。AV女優さん、そして関係者スタッフの皆さんに「ありがとうございます」と叫びたい。よし、今夜はとりあえずシコシコして、それからライブの事でも考えよう。

帰り道に流れ星を見た。東京で見たのはきっと初めて。一瞬の事なんで願いごとなんてできなかったけど、なんだかいい事があるような気がした。

僕は楽しもうと思いますよ。

2008年2月 4日 (月)

連中の酒の肴に生きる

「面白いやん西野、やってまえ」僕の周りの連中は心底イカレタ糞野郎ばかり。そこそこリスクが高い所へ僕を放り込んで、連中は少し下がった場所でキャッキャッ笑っている。いつも僕で遊んでるんだ。僕がニュースになろうもんなら、さらにウキャキャと。「こっちは大変なんすけど」、そんな主張ももちろん連中からすればこの上ない酒の肴で、いつもより旨そうにビールをグビグビいきやがる。

でもね・・連中が僕をバカにして笑っているという事実は何よりも確かなもので、それは先日の取材でも訊かれたんだけど「ライブと違ってお客さんが目の前にいないTV番組というのは何を対象としているのですか?」という質問に、やっぱり僕はTVの前の人を笑わしたいけど、その確認なんて絶対にできない事だから、より確かなものというところでカメラさんや音声さんといった撮影スタッフを対象とする節がある。そこの笑い声しか確認できないもの。

つまりは目の前の人、連中が面白がってくれさえすれば僕はそれまでの結構な事がクリアになるんだ。

明後日にあるライブ『ろくでもない夜』のチンポ作家は早くも次のライブを企画中らしく、聞けばタイトルは『ろくでもない夜番外編~クソ芸人西野亮廣を追放せよ~』だとよ。内容はYahoo!ニュースなどに取り上げられた僕の悪態を皆で一つずつ検証していき、僕を反省させるというもの。「ふざけんなよ、そもそも、お前が面白がるからやろ!」と言いつつも、全力で協力したいと思う僕がいるわけで・・・僕はそのライブをとても楽しみにしているわけです。まったく、連中の思う壺です。

次から次へ、僕は何かバカな事をしでかしたいと思うんだ。ハラハラさせたい、学生時代みたく。それを呑みの席で連中に笑われて、それが幸せ。話題を作るんだ、話題になるんだ、「芸人」だから・・いや、「芸人ごとき」だから。いつからか僕はそういうふうに生きようと決めた。それは僕達が絶対に忘れてはいけない遊び心ですよ。

さて、次は何をしようか。

2008年2月 3日 (日)

3度目の春になるなぁ

漫才を書いている時は本当に楽しいんだ。そりゃまぁ苦悩もあるんだけど、作り始めから最初に評価される場所、つまり舞台での初おろしまでのストロークの短さに助けられている部分が往往にしてあるわけです。そこからまた反応を見ながら練り直してという作業に入るんだけど、そこらへんまで行けば、ボケを足したりカットしたりと、モノ作りが進んでいる様が如実に現れるので心地が良いもので・・、もしコレが書き始めから舞台での初おろしまでに何年もかかるような、漫才がそのようなモノであれば僕は途中でとても不安になったり、フラストレーションが溜まったりするのだと思う。漫才を手放しで「楽しい」とは言えないと思う。

今、それが絵本制作だったりする。

スケッチブックを開いてペンを持って・・・それから一筆も進まない時がある。今から集中して7時間ぶっ通しで描いても何も進まない事を知っているからだ。そしてもう一つ僕が知っている事は、こんな所にこんな事を書いても何の解決にもならない事。何をやってるんだ、俺は。

夢でもいいから、一度絵本が完成した時の夢を見たい。そこにはどんな気持ちになる僕がいるのだろうか?知りたい。

制作を始めて、もう3度目の春が来る。何年もかかって一つのモノを作るというのは本当に難しいことだ。体力的にも、それ以上に精神的にも。さっきもペンを持ってみたんだけど、30分くらい何も動きがなかったから一旦中断して、今こうやってブログを書いている。こんな日があと何日あんのかな?苦しいなぁ。

でも、やるっきゃないな。やり終えるしか僕を助ける方法がないんだもの。

だから完成させたら、チョットでいいんで褒めて下さい。

2008年2月 2日 (土)

笑う夜

ブログの会社なのか何なのかよく分からないけど、それが変わったらしく、まだ更新に慣れない僕は死ぬ程面倒クサイ思いに潰されて今は髪の毛を引きちぎりたい気分なのです。 新しい作業が面倒クサイからブログを辞めようと思ったけど、「30歳まで続ける」と言ってしまった手前もあるので踏ん張るしかないようです。やります。

書きたい事がいくつかあるなぁ・・

とりあえずは、まぁ、収録現場に置いてあったフライデーに載っていた「50人以上の芸人とヤッた」と言って、ツーショット写真やメールのやりとりを公開していた女が非常にムカつくという事です。

暴露本なんかを出すクソ野郎と同じ理由であの女が嫌いです。人の不幸で飯を食う人間にだけはなりたくないです。

昨日、一昨日と芸人さんと呑みました。

一昨日は本社で作業をしている時に神保町花月の親玉の新田さんか電話があって、NONSTYLEの井上と3人で本社近くの呑み屋さんで呑みました。僕が到着した頃にはもう二人の熱は上がっていて、口論になったりする場面もあり、それはそれでなかなか楽しいものでありました。きっと前向きな口論だったからだと思います。

口論の挙句、行き着いた場所は「お笑いって楽しいもんだ」という毎度のゴール。微笑ましい。

二人は結構酔っていたので0時には解散。なんだか呑み足りない気分だし、そういえばずっと口論の仲裁的な立場だったので、喋り足りない気分でもある僕は、もう先輩に甘えてしまおうと家城さんに電話。後輩の若月の徹ちゃんもちょうど仕事が終わったという事だったので一緒に呑みに連れて行ってもらった。ザ・パンチの浜崎さんとも合流して何杯か呑んだ後、場所を家城さんの家に移してまた呑んだ。

いろんな話をした。家城さんには『日の出アパートの青春』に出演していただいたのもあり、僕が舞台に想う事をずっと聞いてもらいました。浜崎さんは張飛に憧れてお酒を呑んでいるらしい。「この人はバカなんだ」と思いました。徹ちゃんはバカなくらい真面目に考えるから、それもとても愛おしいです。

昨日は仕事終わりに僕の家の近くの行き着けの呑み屋さんで芸人10人くらいで呑みました。

10時開始で朝の5時まで、終始ミニコントです。南海キャンディーズの山ちゃんが急遽用事が入ってしまって来れなくなって残念だったんだけど、人数が一人でも減って良かったかもしれません。芸人が10人も集まるとうるささは最低です。

相槌芸人オオカミ少年片岡の心ないヨイショが皆からツッコまれて、「ハゲてないのに笑いが取れる皆さんは神です」発言のトレンディエンジェル斉藤はハゲている事をすぐ忘れてしまってカッコつけるし、それで笑いが起こったら真っ先に妬むのがオッパイ顔のブロードキャスト房野。ゲラの糞ズルムケチンポ作家のトンボが簡単に笑うせいで、ふくろとじのてっちゃんがノープランで走り出して毎回コケる。平成ノブシコブシ吉村は髪は黒いわメガネかけているわ後輩には優しいわで破天荒の欠片もない。一番真面目なのでは?という噂です。エハラマサヒロはムカつくくらい器用だし、ロシアンモンキー川口が後輩のシマシマのセーターを見てのツッコミ「シマウマか!」、芸暦を重ねた芸人とは思えないその低俗な例えに、僕は彼に急いで芸人を辞めて欲しいと思ったのだ。

僕はずっと笑っていました。そんな時は泣きそうになります。

頑張っていれば、ずっとこんな夜が過ごせるわけだ。僕は頑張ろうと思う、こんな夜を失うのが嫌だからだ。

ブランキージェットシティの『水色』が聴きたい気分ですな。                                   

2008年2月 1日 (金)

今の僕が想うことです

毎日毎日クソ真面目にブログなんてのを更新して、毎日そこでお笑いの事を真剣に1時間位考えて、そんで今の僕が思っている事、つまりは今までで考えた事柄の今のところの答えは、「お笑いは楽しいものだ」ということ。

お笑いは楽しいもので、楽しがるものだということ。

今のところはもうコレに尽きるよ。

ネタ作りだとか、ネタ合わせだとか、本番だとか、将来設計だとか、「コレを楽しめなくなったらマズイぞ」と。だって「お笑い」だもの。

 

僕達は全ての事柄を笑い飛ばすんだ。

ニュースだとか、失恋だとか、コンプレックスだとか・・・。

そして最後は僕の全ての事柄を笑ってもらうんだ。クソ人間だもの。

もうね、僕はそんな事を想うよ。

 

面白がりたいし、楽しみたい。全ての事柄に。

だから、その為の汗ならいくらでも流すよ。

そのかわり、ソレを邪魔する奴は徹底的に排除しますよ。

 

僕はね、

お笑いが、

楽しい事がしたいんだ。

今はそれだけを想います。

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