医師になりたてのころ、手の施しようのない難病患者を前に無力感を感じた。「なぜ医師になったのか」。自問の末、救命救急医の道を選んだ。107人が死亡、562人が負傷したJR福知山線脱線事故の惨状をテレビで見て駆け付け、救護に当たった経験が転機となった。災害医療を見直す活動を続ける。
事故当時は「救助と医療がうまくかみ合った」と思っていた。だが欧米の救助事情を知るほど、問題点が浮かび上がった。大破した車によりガソリン臭が充満し、引火や崩落の恐れがあったマンション駐車場の現場。安全を確保してから救助に入るという意識は薄く、2次災害時の国の補償制度もなかった。
「このままでは救助中に誰かが死ぬ」。昨春、賛同する医師約10人とともに「特殊災害救助医療研究会」を結成し、救出技術の向上と救助する側の安全確保を目指す活動を始めた。兵庫県三木市にある日本最大級のがれき救助訓練施設で訓練したり、警察や消防の訓練にも参加。「横の連携」を強く訴えている。
JR事故で最初に手当てした女性(33)は重い脳挫傷で「99%助からない」と思った。だが意識が戻ったと聞き、同県西宮市の自宅を何度も訪ね、交流を続けている。「関係者の間に『変わらなければ』という思いがある。未来は明るい」<文と写真・津久井達>
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■人物略歴
山口県出身。事故当時は済生会滋賀県病院に勤務。今月、東大病院から岩手医大病院に赴任した。
毎日新聞 2008年4月25日 東京朝刊