人間を経済的状態等の外的条件によって分類するのは適切ではないが、適齢期の男女の結婚対象という価値観から見たときに分類されている「D男」あるいは「C男」たちは、永遠に独身のまま切り捨てられていくことになろう。激しい貧富の格差がもたらす、「貧困にあえぎ、社会的蔑視に遭い、自尊心を傷つけられて生きていく」ことを余儀なくされている男性群が、それゆえに、生涯、結婚することも許されないとすれば、これは中華人民共和国が誕生する原動力となった「農奴の憤怒」と同じエネルギーを潜ませていることになりはしないか。
今の社会主義国家、中国を誕生させたのは、まさにこの、牛馬のように過酷な労働を担わされ生涯結婚することさえできない境遇に喘いでいた「農奴」の群集の怒りだった。社会主義国家が市場経済的競争を許した今日、今度は結婚できない数千万の「D男」あるいは「C男」たちが、社会の不安定要素として中国政府の脅威となっていくであろうことは、誰の目にも明らかだ。政府転覆というところまで、そのエネルギーが高まる前に政府が抑圧すれば、何のために革命を起こして、中華人民共和国という社会主義国家を誕生させたか分からなくなる、ということにつながる。<A女>物語を深く極めていくと、そんな中国の根幹に関わる問題にまで突き当たってしまうのである。
救われるのは、というべきか、救われない複雑な気持ちになるのは、というべきか、実は、この<A女>の存在が、女児遺棄に微妙な歯止めをかけ始めているという。
<A女>の存在が、男尊女卑の歯止めになるという皮肉
女でも、高い社会的地位をゲットし、収入も高い。もちろん結婚しないで子孫がそこで絶えるのは恐ろしいことだが、しかし市場経済の熾烈な競争の中で生き残り、サクセスストーリーを駆け抜けていく<A女>が増えていったということは、「女の子だっていいじゃないか」という気持ちを、若い夫婦たちに抱かせるようになったわけだ。
中国が経済発展するのは、悪いことではない。しかしその結果、「金こそが全て」という拝金主義的風潮が、価値観を物質的充足に傾かせていることは否めない。
だから女の子であったとしても遺棄しなくなった、あるいは堕胎しなくなったというのは何とも哀しい。中国の庶民の中には人情に篤い者がかなりいるのだが、しかし、自分が生んだ子を捨てることができる心情と、「女性だって成功し金持ちになれるから女児を捨てなくなった」という、この変化を、どう受け止めればいいだろう。
女児遺棄が少なくなった理由は、もちろん<A女>の出現ばかりとは限らず、たとえば現在、出産適齢期にある年齢の夫妻たちが、改革開放後に生まれた「80后」(1980年以降に生まれた人たち。80後)、あるいはその頃に物心ついた「70后」(70後)であるため、都市部にはセレブな者が多く、自分の老後の心配をしない者が多くなったということもあるだろう。
また、日本動漫で育った世代でもあるため、多様な価値観を持ち、「重男軽女」(男尊女卑)といった中国の伝統的な価値観の中にドップリ浸かっているという者も少なくなっている。また、農村では第一子が女児なら第二子を生んでも良いことになったので、農村でも女児を遺棄する割合が昔よりは少なくなったせいもあるかもしれない。
<A女>の出現以外に、もろもろの因子はあるだろうとは思うが、いずれにしても女児の遺棄が少なくなったことだけは確かだ。ということは捨て子全体が少なくなったことを意味し、孤児院に収容されるべき孤児が少なくなったことを意味する。
一人っ子政策を停止できるだろうか
そこで中国収養センター(CCAA)は、2006年12月、「中国では孤児が少なくなった」ということを理由に、欧米(特にアメリカ)の養父母に対する資格要件を厳しくする規定を出した。
その規制内容があまりに厳しすぎるので、アメリカ側から不満の声が上がっているものの、それでも孤児が、すなわち捨て子が少なくなったというのは、好ましいことではある。
そうでなくとも、結婚できない<A女>や結婚しない「セレブ族」やらが増え始め、次世代は減少していくばかりだ。最近では結婚してもDINKS(Double Income No Kids)を通す都会っ子夫妻が増え始めているため、地方人民政府独自の「計画生育条例」によって第二子をもうける条件を緩和する都市もあるが、しかし、それも焼け石に水。このままいけば、老人ばかりの社会がやってくるのは必然であり、それは目の前に迫っている。
2007年3月、中国政治協商会議委員であり中国科学院の研究員でもある葉廷芳等、29名からなる「29名委員聯盟」は、一人っ子政策の弊害が余りに多くなり始めたことに限界を覚え、「一人っ子政策を停止せよ」という提案を出し、庶民に熱烈な歓迎を受けている。
一人っ子世代の結婚問題や離婚問題、職場における忍耐力あるいは親の「すねかじり族」等、一人っ子政策がもたらした災禍は別途じっくり見ていくとして、中国が一人っ子政策見直しに踏み切るのか否か、しばらくは、そのゆくえを静観したい。
「たかがマンガ、たかがアニメ」が中国の若者たちを変え、民主化を促す−−? 日本製の動漫(アニメ・漫画)が中国で大流行。その影響力は中国青少年の生き方を変え、中国政府もあわてて自国動漫産業を確立しようとやっきになっているほど。もはや世界を変えるのは、政治的革命ではなく、サブカルチャーの普及による民衆の生活意識の変化なのだ。しかも、それを手助けするのはたやすく手に入る「悪名高き」海賊版なのである!
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(日経ビジネスオンライン編集部)