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中国“A女”の悲劇

第6回 欧米人夫妻にもらわれていく中国の女児たち

<A女>の出現が女児遺棄を防ぐという皮肉

 今回の話題は、一見、<A女>物語とは関係ないように思われるかもしれない。しかし、<A女>が脚光を浴びるようになったことの意味の大きさをご理解いただくには、中国社会に深い男尊女卑の視点が潜んでいることをまずお知らせする方がいいのではないかと思う。

 <A女>は一見、都市化の進むいくつもの先進国で見られる姿であり、社会問題と言うよりも、「苦笑を誘う」くらいの話、とさらっと受け止められやすい。だが、我々が暮らす日本と中国とは、良い悪いは別にして、社会のさまざまな前提が大きく異なっている。日本と同じ目線で理解しようとすると、さらっとした感覚のまま誤解してしまう危険がないではない。それを避け、中国社会の中での<A女>の相対的位置付けを知っていただくために、あえてこのテーマに切り込んでみた。

 一方で、個別具体的な<A女>のお話ももちろん重要だ。「中国動漫新人類」からおつき合いいただいた方はご存じと思うが、私は直接一次情報に当たらないと納得できない質でもある。そして実は最近、ようやく中国で<A女>の取材に成功し、彼女たちの切々たる思いと悲哀を知ることができた。そちらは次回以降にお話ししよう。

中国に行くたびに見る不思議な光景

 私は1年に平均して数回は中国に行っているが、そのたびにハッとする光景がある。一週間ほど滞在していると、必ずと言っていいほど、ホテルに乳母車を押した欧米系の中年夫妻が大挙して現われるのだ。乳母車の中にいるのは、どこから見ても中国人としか思えない女の子。1歳から3歳程度が多い。

 ときには、もう、愛おしくてたまらないという表情で中国人の赤ちゃんを押し抱いている40代がらみの欧米人女性を見かけることもある。それは長年子供を渇望し、ようやく母性が求めてやまない温もりを胸にした瞬間に持つ、涙ぐむような輝きをたたえた表情だ。隣に立っている夫も、喜びを隠しきれず、赤ちゃんの首を支えるような手つきで、女性の胸深く抱かれている赤ちゃんの頭の後ろあたりに、そっと手を差し伸べていた。

 私が乗ろうとしたエレベーターのドアが開いた瞬間に見たあの二人の姿を、私は忘れることができない。

 こういう姿を数多く見るようになったのは、1990年代の末ごろからだっただろうか。以来、私の脳裏には、「なぜ…?」という、聞いてはならないように思える疑問が消えたことがなかった。

 しかも北京だけでなく、上海だろうと、西安だろうと、昆明だろうと広東だろうと、はたまた長春、大連のような北国だろうと、どこに行っても五つ星級の大きなホテルなら、必ずといっていいほど、でくわすのである。多いときには100名ほど、つまり50組くらいの中年の欧米系の夫婦が集団で中国人の子供を連れている。

 何か不吉なものを感じたのは、そのほとんどが女の子だということである。
 反射的に思うのは、「一人っ子政策」だろう。

不吉さの影にある「重男軽女」の概念

 中国には「重男軽女」(男尊女卑)という、伝統的な感覚がある。社会主義国家になって、男女平等を標榜し、事実、女性も男性と対等に働いてきたが、「重男軽女」という概念が、人々の脳裏から消えたわけではない。特に農村ではこの固定観念が強い。

 2008年4月13日、中国の中央電視台(中央テレビ局)が放映した「奪命鋼針」というタイトルのドキュメンタリーは衝撃的だった。

 1979年、生まれたばかりの自分の子供に、その子が女であるが故に全身に縫い針を26針も刺して殺そうとしたのだが、その女児は奇跡的に死なず、今日まで生き延びた。4年前にX線検査で体内に26本も縫い針が刺し込まれていたことが分かり、今年2月に多くの人々の善意により、ついに最後の一本まで摘出することに成功した、という物語だ。無料で高額の手術を行った病院側の善意が伝わる一方で、そこまで農村部の男尊女卑は激しく根深いのだ、と私は痛感した(この事件の詳細は、さすがに本連載の目的とするところではないので、ここでは省く)。

 中華人民共和国が誕生した1949年以来、男女平等が叫ばれるようになり、たしかに都会では女性も男性と同じように社会に進出して仕事をするということが当たり前のようになっているが、一方ではまた、改革開放とともに、封建的な男尊女卑の感覚が復活し、「何でもお金で買える」という考え方は、逆に性の商品化を産んでしまうような傾向さえある。

 そんな中、子供は一人しか持ってはならないという一人っ子政策が平行したものだから、誰もが、「どうせ一人しか持ってはならないのなら、男の子がいい」と思うようになった。

 その結果、女の子が生まれると、昔は間引きし、その後は遺棄するようになったのである。

 一人っ子政策が実施され始めた初期のころは、二人目の子供を身ごもった場合は、(少数民族以外は)強引に病院に連行して強制堕胎が行われてきた。私はそのころ、中国のバイオテクノロジーの実態調査を行ったことがあり、胎児の臍帯血に含まれる幹細胞の提供に、中国は不足しないという事実にぶつかって、ギョッとしたことがある。しかも、私が調査した中国人民解放軍の軍医系統の大学病院とバイオ基地はつながっていた。

民衆の不満で一人っ子政策は緩和されたが

 このあまりの非人間的な施策には中国の庶民からの不満が集中し、今ではいくらか緩和されるようになっている。農村では第一子が女の子の場合に限って、第二子まで生んでよいとされる地域が増え、また都市によっては(最近では一部の田舎でも)性別にかかわらず、高額な罰金を支払えば第二子を産生むことを許すなど、その地域の事情によって適宜緩和策が講じられるようにはなってきた。

 しかし全体として、一人っ子政策は厳然と存在し、一人っ子を完遂した家庭には「独生子女父母光栄賞」(独生子女とは、一人っ子という意味の中国語)なるものが授与され、さまざまな優遇策が与えられる等の措置もある。一人っ子を実行するということは非常に名誉なことで、政府から讃えられるのである。そこで、一人しか持ってはならないなら男の子を、という願望から、「女の子が生まれたら捨てる」ということが横行するようになったわけだ。

 中国語では「養子(養女)にもらう」ことを「収養」あるいは「領養」というが、1991年12月29日に第7回の全国人民代表大会(全人代)において中華人民共和国主席令(七期第54号)として「中華人民共和国収養法」が成立し、1992年4月1日から実施された。

 これが海外に対して中国人孤児を養子(女)として貰い受けてもいいですよ、ということを宣言した最初の日である。

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このコラムについて

中国“A女”の悲劇

中国にも「負け犬」はいた。自らの力で高い社会地位を勝ち得、年収も男に負けない。容貌も美しい。そんな隙がない彼女=「A女」たちには、なぜか結婚相手が見つからないのだ。悩みは深く、自慢の娘に結婚相手を探そうと、数千人の父母たちが、日本で言うところの「釣書」を持って公園に集まるほど。この現象の背景にはなにがあるのか。大好評の連載『中国動漫新人類』に続き、遠藤誉博士が中国社会にふたたび挑む。

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著者プロフィール

遠藤 誉(えんどう・ほまれ)

1941年、中国長春市生まれ。京都精華大学国際交流担当顧問、筑波大学名誉教授、帝京大学グループ顧問(国際交流担当)、理学博士。中国国務院西部開発弁公室人材開発法規組人材開発顧問。著書に『チャーズ』(読売新聞社、文春文庫)、『中国大学総覧』(第一法規)、『中国大学全覧2007』(厚有出版)、『茉莉花』(読売新聞社)、『中国教育革命が描く世界戦略』(厚有出版)、『中国がシリコンバレーとつながるとき』『中国動漫新人類〜日本のアニメと漫画が中国を動かす』(日経BP社) ほか多数。当サイトの連載「中国動漫新人類」と「中国“A女”の悲劇」が大きな注目を集めている。「動漫」の連載を始めた詳しい経緯は、こちらの同連載第1回に。二児の母、孫二人。

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