いま、ポエジーのある歌が聴きたい!
大野修平著 『わが心のシャンソン 〜 そして詩人の魂をめぐって』

平凡社刊 定価:1575円[税込]全国の書店で好評発売中。

大野修平が出会った歌手とシャンソンたち。原詞と対訳を掲げてその魅力を探る。
〈収録アーティスト〉シャルル・トレネ/イヴ・モンタン/フランシス・ルマルク/レオ・フェレ/コラ・ヴォケール/セルジュ・ゲンズブール/ジャンヌ・モロー/ジャック・ブレル/ジョルジュ・ブラッサンス/ピエール・バルー/ジュリエット・グレコ/ジョルジュ・ムスタキ/ジルベール・ベコー/エディット・ピアフ/シャルル・アズナヴール そして21世紀のシャンソン歌手たち。


大野修平、最新の書き下ろしが刊行されました。
どうぞ書店でお手に取ってご覧下さい。

『哀愁と歓びのシャンソンの名曲20選〔CD付〕』
(中経出版)¥1,800

シャンソン関連のコラム、シャンソンゆかりの場所を示した
パリのイラスト地図も入ってます。
よろしかったらご感想やご意見をメールなどでお寄せ下さい。

◇ お 知 ら せ ◇
 大野修平が講師を担当する「シャンソン de フランス語」が始まりました。インターネットでフランス語のレッスンができます。ご利用には料金がかかりませんのでお気軽にどうぞ。
動画レッスンURL:http://www.unself.jp/
トップページから「語学」の項目をクリックしてお入り下さい。
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「お別れの会」に出席した  2月29日(金)晴れ

   

〔お詫び 月曜日・水曜日と「ひとりごと」をお休みしてしまったことをお詫びいたします。お世話になった安宅さんが急逝された知らせを受けて、悲しい気分に浸されておりました。27日(水)に行なわれる「送る会」に出席して、そこで感じたことを書こうと思ったのです。以下、その報告をさせていただきます。〕

 27日(水)午後5時から、東京プリンスホテル2階マグノリア・ホールで、「故 安宅克洋 お別れの会」が催された。
 定刻のおよそ30分ほど前にホテルに着く。エスカレーターで2階に上がる。記帳をして、見知った顔を探す。残念ながら知らない顔の方が多い。安宅さんのつき合いの広さをいまさらのように思い知らされる。

 しばらく会場の外で待った。やがて日音のTさん、元東芝EMIのディレクターでいまは芸団協に勤務しているジュニアさん、カンバセーション社長のHさんが相次いで姿を見せた。

 会場内には花をふんだんにあしらった祭壇が設けられ、大きな遺影が掲げられている。帽子をかぶり、ステッキを片手にして椅子に腰かけてこちらを見ているポーズ。入口で配られた式次第の表紙を飾っているのと同じ写真だ。

「故 安宅克洋 お別れの会」式次第表紙

 祭壇に一礼。その右脇には故人が愛用した品々が展示されていた。マフラー、着物、パイプなど。いろいろなタイプの帽子も数点。なかでも白地に濃紺のリボンが巻かれたボルサリーノが、いかにもお洒落な安宅さんを偲ばせるように僕には思えた。

 「お別れの会」は黙祷から始まった。続いて、女性司会者が故人のプロフィルを披露した。シャルル・アズナヴールの「ラ・ボエーム」がバックに流れる。
 僕などが知っているのは、何といってもプロモーターとしての安宅さんだ。“ゴスペルの女王”マハリア・ジャクソンを招聘し、皇居内の桃華楽堂で皇室の方々を前にコンサートを開き、当時の美智子妃殿下から感謝された話も出た。大阪万博の際にジルベール・ベコーを呼んでいる。アズナヴールも同じ時期に日本に紹介した。この二人は以後、安宅さんの会社I.A.B.の看板スター歌手となる。アズナヴールとは家族ぐるみのつき合いもしていた。

 前回にも触れたように、安宅さんの会社は後にマジェスティ・ミュージックと改称する。1978年、僕がこの世界に入るきっかけとなったベコーのツアー時はこの社名だった。
 1980年代に入ると安宅さんはプロモーター業から手を引いてしまう。僕はシャンソン・フランセーズの仕事を続けることを心に決めていたから、安宅さんとの距離は次第に離れていった。
 とはいえ、安宅さんが最初に僕にチャンスをくれたということを忘れた日はない。

 解剖学の分野に手を広げ、「人体の不思議展」を開催するようになったのは50代前半のことだったという。60代に入ると趣味の骨董収集が高じて、東京国際フォーラムで「大江戸骨董市」を主催。
 中国の北京や上海で開かれる医学のセミナーのブレーンとしても活躍しておられたとの説明があった。

 プロフィル紹介の後、3名の来賓挨拶が続く。
 江藤一洋さんはこの1月、安宅さんと北京に行ったご友人。16日にホテルで急に倒れた安宅さんを入院させ、最後までつききりで世話をされた。
 100キロを超える偉丈夫の安宅さんの命を奪ったのは、敗血症。何らかの細菌が体内に入ったものと思われる。

 続いて北村公宏さんが、大阪サンケイホールのプロデューサーだった頃の話をされた。また、レコード会社に移ってからも、安宅さんが招聘するアーティストのために協賛金を支出させられたことなどもユーモアを交えて話された。

 もうお一方の森亘さんは東大名誉教授。主に安宅さんとは医学関連の分野でのおつき合いをされていたという。僕たちの知らない安宅さんの側面が語られた。ほんと、幅広い活動歴の持ち主だ。

 弔電も読み上げられた後、佐藤修さんのご発声による献杯。突然に親しい友人を失ってしまった悲しみから途中で声を詰まらされた。
 それから食事タイムに移った。僕たちも会場内を歩き、皿に少しずつ気に入った料理を取り分けて食べた。

 祭壇には安宅さんが生前に選んでおいたという骨壷が置かれていた。きっと並々ならぬ鑑識眼によって選び抜かれた品物なのだろう。あの大きな身体がこの焼物のなかに収められていると思うと、少し不思議な感じがする。

 食事の合間、友人たちが思い出話を語る場面もあった。どなたも個人への追慕の念が深い。涙ぐむ人もいた。

 喪主である奥様の秀子さんが娘さん、息子さんと前に進み、挨拶を述べられた。こみ上げる悲しみを抑えながら、最後のフレーズまでしっかりと参会者たちに語りかけられる姿が印象に残った。

 午後7時、「お別れの会」は閉幕した。
 何となくそのまま帰る気になれない。ジュニアさんやTさんも同じ思いだった。誰言うともなく、「どこかで一杯やろう」ということになった。

 地下鉄都営三田線で内幸町に出て、虎ノ門の居酒屋へ。
 日本酒の盃を傾けながら、安宅さんの想い出を語り合った。
 Tさん、ジュニアさんはI.A.B.時代にアルバイトを経験している。捨て看と呼ばれる、電柱にくくりつける形式の看板を設置しに夜の街に繰り出した話。ツアーの宿泊先で酔っ払って繰り返した蛮行など、いまではちょっと信じられないような面白おかしい体験談が聞けた。
 僕がお世話になったマジェスティ・ミュージックの頃には、さほど過激なことはなかったなぁ。

 シャルル・トレネをはじめとするアーティストの資料や写真をただで僕にくれた。同社を閉じる決意を固めた頃だったのだと思う。安宅さんが積み重ねてこられたそれら財産の一部をありがたく頂戴したことは言うまでもない。
 「イヴ・モンタンの本があるからコピーしに来いよ」と、四ツ谷に移った事務所に僕を招いてくれたことがあった。その時も、遠慮なくお言葉に甘えさせて貰った。

 朗らかで恰幅のいい安宅さんが66歳の若さで逝ってしまうなんて思いも寄らなかった。それが居酒屋に流れた三人に共通した偽らざる思いだった。
 気がつけば、三人とも50代後半にさしかかっている。それぞれ肉体的にも問題がないわけではない。
 元気だった安宅さんは、「お前たちも健康に気をつけろよ」と注意を促してくれているのかもしれない。

 招聘した外国人アーティストたちからフレッドという愛称で呼ばれていた安宅さん。「お別れの会」式次第の裏表紙に愛用の帽子が掲げられ、そこに"FRED" と記されている。
アズナヴールがその死を知ったら何と言うだろうか。

「故 安宅克洋 お別れの会」裏表紙

 そこには次の言葉も見える。

「日々努力し、いつも走っていた。昨日より今日を探すために…」。

 さらに大きな書体でこの言葉が印刷されている。

「また、逢おう」。

 1980年、他社が呼んだジャクリーヌ・フランソワを成田空港へ一緒に見送りに行った帰り、銀座で中華料理をご馳走になった。別れ際に安宅さんが発した言葉がこれだった。「また、逢おう」。
 あの人懐こい声が、いまも耳の奥にこだましている。

   


   

またひとつ、悲報が…  2月22日(金)晴れ

   

 昨日、メールの受信トレイに久しぶりに見る名前があった。
 日音のTさんからで、件名には「ご無沙汰です」。ひょっとしてまた仕事の以来かな、なんて欲の皮が突っ張ったような思いで封を開く。

 書き出しを読んで、そんな調子のいい考えは瞬時に吹き飛んだ。
 「元IABの安宅さんが急死されたという連絡をHさんからいただきました」。
 Hさんとは、昨年シャルル・アズナヴールを招聘したカンバセーションの社長のこと。27日に東京プリンスホテルで送る会が催されるという。「詳細がわかり次第またご連絡します」と、Tさんのメールは締めくくられていた。
 信じられないような思いにとらわれてしまった。元気だったあの安宅さんが…。

 IABは1970年代に安宅さんが社長を務めていたプロモーター、いわゆる外タレ(外国人タレント)の呼び屋の社名。後にマジェスティミュージックと改称した。
 HさんもTさんも、このIABでアルバイトをした経験の持ち主だ。東芝EMIのディレクターとなった菊地ジュニアさんもここに身を置いたことがある。

 赤坂ストークビルにオフィスを構えたマジェスティミュージックに、僕も何度かお邪魔したことがある。1978年、この会社がジルベール・ベコーを呼んだ折に初めて通訳として使って貰った。

 その頃、僕は「あべっく る・たん」というシャンソン・フランセーズのミニコミ誌を仲間たちと発行していた。
 レコード会社やプロモーターから情報を仕入れるためにあちこちに顔を出しているうちに、「じゃあベコーのミュージシャンやテクニカル・スタッフの通訳をやってみるか」と声をかけてくれたのが、マジェスティミュージックで舞台監督をしていた文雄ちゃんこと、照屋文雄さんだった。彼のお姉さんが安宅さんの奥方。

 安宅さんはちょっと見は怖い感じがした。がっしりした体格で恰幅もいい。黙っている時には威圧感さえあった。でも、まだまるで素人の僕にも気さくに話しかけてくれた。意外に思えたし、嬉しくもあった。

 そして、海のものとも山のものとも知れないこの僕を10日間ほどに及ぶベコー日本公演ツアーの通訳として雇ってくれた。その英断(蛮勇か?)がなかったら、いまの僕もあり得なかったろう。思い返す度に感謝の念が湧いてくる。

 1978年11月のベコー日本公演ツアーは、東京の郵便貯金ホール(現メルパルクホール)で幕を開けた。5日間連続だった。
 それから名古屋、大阪、札幌、室蘭、仙台と各地を巡演した。安宅さんは大阪まで僕たちと一緒に行動を共にされたと記憶している。

 名古屋のインターナショナルホテルで、僕は安宅さんと同室だった。ひよっ子の僕を目の届く所に置いておこうという考えだったのかもしれない。
 公演の後、東芝EMIのディレクター、ジュニアと飲みに行った。ステージ関係者はおっかない感じで他に心を許せる人もいなかったし、年齢も近いこともあって、彼とは馬が合った。

 で、居酒屋でしたたか飲んだ後、同じホテルの彼の部屋に行ってさらに飲み続けた。話は深夜に及び、僕たちの呵々大笑は廊下にまで洩れていた。電話のベルが鳴った。フロントからだった。「他の部屋のお客様から話し声がうるさいと苦情が出ております」。おっと、いけねぇ。しばらくの間、二人は小声で喋った。

 しかし、さらにグラスを重ねるうちにまた声は大きくなった。と、誰かがドアをノックした。ボーイだった。もう一度さっきと同じことを注意された。平謝りした。
 もう午前2時を過ぎていたと思う。ジュニアに暇乞いして自室に戻った。

 なるべく音を立てないようになかに入る。安宅さんは隣のベッドですでに熟睡していた。
これで当面は叱られる心配はない。さっさと眠ってしまおう。
 朝、何気ない顔で「おはようございます」と挨拶。安宅さんいわく「お前のいびき、うるせえなぁ」。失礼しました。飲むと余計にいびきが大きくなるもんで…。

 酒飲みでない安宅さんにしてみれば、きつい仕事が終わった後に酔うほど飲むなんて気が知れないというところだろう。雷を落とされるのを覚悟してうなだれていたけれど、それ以上のお咎めはなかった。安堵。
 安宅さんは大阪まで僕たちと一緒だった。しかし、安宅さんは二度と僕と同じ部屋で眠ろうとしなかった。これもある種の罰なんだろうか。それとも好意だったんだろうか。

 いずれにせよ、その後僕はシングルルームを与えられることになった。さらに日本人スタッフのみんなと夜ごと居酒屋に出入りする自由を手に入れたことだけは確かだ。
 そして安宅さんは大阪公演が終わると東京に帰って行った。部屋を替えただけではまだ足りなかったんだろうか。

 頑丈な身体つきの安宅さん。元気に起き上がってくれるなら、もう一度僕のうるさいいびきでも何でも聞かせて差し上げたいんだけれど。
 27日には久しぶりに顔を合わせる人たちが集まる。寂しい再会になりそうだ。

   


   

『モンテーニュ通りのカフェ』を観た  2月20日(水)晴れ

   

 一昨日、シアターN渋谷と同じビルにある試写室で行なわれた試写会に行った。映画のタイトルは『モンテーニュ通りのカフェ』。
 原題は≪Fauteuil d'Orchestre≫(フォートゥイユ・ドルケストル)。「オーケストラ・シート」を意味するこの映画は、フランスでは2005年に公開されている。

 「ベコーのシャンソンが使われているから」と誘ってくれたのはRieちゃん。ジルベール・ベコー来日公演ツアーの際、彼の通訳をしていた女性だ。“ムッシュ10万ボルト”ベコーと日本にやって来た、照明・音響スタッフやミュージシャンたちの通訳を務めた僕の仕事仲間。

 すでにRieちゃんは自分のサイト、フランスネット(http://www.france-jp.net/)で、ダニエル・トンプソンが脚本と監督を担当したこの映画を紹介している。トンプソン監督とのインタヴューなどもあるのでご参照いただきたい。

 ストーリーが展開される場はパリ第8区、モンテーニュ通り。シャンゼリゼ大通りにほど近い、パリでもとびきりシックで高級店が立ち並ぶ地区だ。
 画面にも出てくるプラザ・アテネホテルは四ツ星クラス。2006年11月、「徹子の部屋」のためにシャルル・アズナヴールとのインタヴューがここで行なわれた。この時、通訳を仰せつかったのはいい想い出として残っている。

『モンテーニュ通りのカフェ』フランスでのポスター。タイトル上部にジェシカ役のセシル・ド・フランスの顔が見える。

 ソーヌ=エ=ロワール県の県庁所在地マコンから、ジェシカという名の女の子がパリに出て来る。自分の夢に向かって無邪気に生きるその女の子を明るく演じているのは、セシル・ド・フランス。祖母のマダム・ルーを演じるシュザンヌ・フロンは、元エディット・ピアフの秘書だったという。フロンはこの撮影を終えた2005年6月15日、87歳で他界した。
 本作は彼女に捧げられている。

 その祖母はセレブに憧れながら、やっとの思いで見つけた仕事はホテル・リッツの清掃係だった。それでも、豪奢な雰囲気のなかで働くことが彼女には嬉しかった。ジェシカはそんな祖母の思いを聞いて育った。

 モンテーニュ通りに面して〈テアトル・デ・シャンゼリゼ〉がある。シャルル・トレネは1987年9月26日、ここでリサイタルを開いた。あのライヴ盤も素晴らしい。
 その向かいにある〈カフェ・ド・テアトル〉は由緒ある店で、ギャルソン(男の給仕)しかいない。そこを頼み込んで、ジェシカは臨時雇いの職を得る。

 例外が認められたのには理由があった。17日、このカフェは大勢の客でごった返すからだ。この日、芝居の公演、ピアノリサイタル、美術品のオークションが同時開催され、猫の手も借りたいという忙しさになるのだ。

 フェドーの芝居に出演している女優カトリーヌに扮するのは、歌手でもあり、映画監督もこなすヴァレリー・ルメルシエ。カトリーヌはTVドラマが人気を博している女優なのだが、もっと知的な映画に出たいと切望している。が、なかなかチャンスに恵まれない。
 ちょうどパリに来ているアメリカ人映画監督ゾビンスキー(シドニー・ポラック)に自分を売り込むことに成功し、シモーヌ・ド・ボーヴォワール役を勝ち取る。

 天才的ピアニスト、ジャン=フランソワ・ルフォールを演じるのはアルベール・デュポンテル。妻のヴァランテティーヌ(ラウラ・モランテ)がスケジュール一切を取り仕切っているのに息苦しさを覚えている。彼にはクラシック音楽など知らない、無垢な観客のために演奏したいという夢がある。
 17日、リサイタルの途中で彼は演奏をやめて立ち上がる。堅苦しい燕尾服を脱ぎ捨て、Tシャツ姿でピアノを弾く。

 クロード・ブラッスール演じる資産家のグランベール氏は、美術品コレクターでもあった。若い恋人もいる。しかし、余命が残り少ないことを知り、収集品をオークションで売り捌くことを決意する。
 彼には息子フレデリック(クリストファー・トンプソン)がいるのだが、互いにしっくりいっていない。僕にも身に覚えがあるけれど、父親と息子って、どうして素直に理解し合えないんだろう。
 それでも、〈カフェ・ド・テアトル〉で偶然に顔を合わせたこの父子は率直に会話を交わす。

 歌手としても活躍するダニが演じているクローディーヌは、劇場の管理人役。仕事の合間にはしょっちゅうiPodでジルベール・ベコーのシャンソンを聴いている。
 クローディーヌは〈オランピア劇場〉に30年間務めたという設定で、管理人室には実際にベコーが使った椅子なども置いてある。というわけで、ベコーの"La solitude ca n'existe pas"「孤独なんかない」、"Je reviens te chercher"「君を迎えに」が本人の声で聴ける。

 クローディーヌのいる管理人室には、カトリーヌが忙しい女優家業の合間にやって来てはしばしの憩いの時を過ごす。
 ジェシカにとってもここは安息の場だ。

 この映画では他に、シャルル・アズナヴールの「コメディアン」"Les comdiens" 、ジュリエット・グレコの「娘さんそのつもりでも」"Si tu t'imagine" も挿入歌として使われている。
 女優カトリーヌが持ち歩いている携帯電話から、ビージーズの「ナイト・フィーヴァー」"Night fever" が派手に鳴り響く。上に挙げたシャンソンとのコントラストがおかしい。

 これらの登場人物たちは仕事で成功を収め、モンテーニュ通りに出入りしている。人々から羨望のまなざしを向けられる存在に見える。
 しかし、彼らはいまの自分に満足してはいない。悩んだり、苦しんだりしながら理想的な自分に近づきたいともがいているのだということが明かされてゆく。

 そんな彼らが出くわしたり、すれ違ったりするのが〈カフェ・ド・テアトル〉。様々な人生がそこで交差する。
 いろいろな人たちの暮らしを垣間見ながらそのカフェで働くジェシカは、グランベール氏の息子、フレデリックとの愛をそこで噛み締めることになる…。

 女優、ピアニスト、資産家もカフェの席に腰を下ろす。その時、彼らは自分の人生の主役であると同時に、他者の人生を眺める観客になることもできる。
 他者を見る自分は、他者から見られる存在でもある。ジャン=ポール・サルトルの言う「まなざしの地獄」にさらされることには、恐怖と快感が入り混じっているように僕には思われる。
 他者とのそんな相互関係に気づかされるのも、カフェの楽しみのひとつだ。
 その時、カフェの椅子は「オーケストラ・シート」であるのかもしれない。

   


   

Au revoir Monsieur Henri...  2月18日(月)晴れ

   

 アンリ・サルヴァドールが逝ってしまった悲しみはいまも続いている。
 TV局フランス2(http://jt.france2.fr/)が葬儀の様子を流しているのを繰り返し見た。彼のシャンソンを愛し、冥福を祈りたい方は見てほしい。
〔*フランス2のニュースを見るには → トップページ、タイトルの右下に"VIDEO" というコーナーがある。そこに"8h"、"13h"、"20h" というニュース番組のタイトルが並んでいる。
 そのうちの"13h(トレーズ・ウール)" か"20h(ヴァン・トウール)" をクリック。画面が変わったら、一番下にある"Les editions precedentes"(既報版)から「2月16日」の日付を選び、"Les obseques d"Henri Salvador"(アンリ・サルヴァドールの葬儀)をクリックする。"13h" では葬儀の始まる前の様子が、"20h" ではその後の模様を見ることができる。〕

 ローラン・ドラウース Laurent Delahosse 記者 が案内役を務める"20h"。ニュースは、葬儀が営まれたマドレーヌ寺院から棺が出て来るシーンから始まる。
 ニコラ・サルコジ大統領、モナコ公国のアルベール大公のほか、歌手仲間のエディ・ミッチェル、フランソワーズ・アルディ、リーヌ・ルノー、ミレイユ・マチュー、ローラン・ヴールズィ、ベナバールらの顔も見える。

 インタヴューに答える歌手もいれば、黙って立ち去る歌手もいる。答えたのにTV局の都合でカットされたのかもしれない。
 サルコジ大統領は足早に寺院を後にした。「結婚したばかりの女性歌手カルラ・ブルーニは一緒じゃないんですか」なんていう質問を投げかけられるのは嫌だ、という気持ちなんだろうか。

 「バラを探せ」"Cherche la rose" や「優しい歌」 "Chanson douce"など、アンリ・サルヴァドールのヒット曲がマドレーヌ寺院前の広場に流れている。ミレイユ・マチューリポーターのはマイクに向かって言った。「ほら、何て素敵な声でしょう。彼はいま、天使と一緒に歌ってるのよ」。

 「狼、雌鹿、騎士さん」"Le loup, la biche et le chevalier" というタイトルでも親しまれている「優しい歌」。「ママンが歌ってくれていた/優しい歌/親指をしゃぶって/眠りにつきながら聴いたものだ」と始まる。
 広場に集まった多くのファンのなかに、このシャンソンが好きだという女性がいた。隣にいる母親をチラッと見ながら「ママンが歌ってくれたから。それにたくさんの想い出が背後にあるしね」と、好きな理由を語っているのも印象に残る。

 数多くの花束に覆われた棺を乗せた霊柩車が、ペール・ラシェーズ墓地の門を入って行く。「エディット・ピアフのそばに埋葬された」とコメントがあった。お参りする墓がまたひとつ増えた。

 前回の本欄でアンリ・サルヴァドールの自伝≪Attention ma vie≫(JCLattes, 1994)の表紙写真を掲載した。
 そのなかの記述をいくつかを紹介しながら、彼のシャンソンの数々と人柄を偲んでみたい。

 アンリ・サルヴァドールのステージ衣裳といえば、白のスーツがまず思い浮かぶ。第二次世界大戦の間に所属していたレイ・ヴァンテュラ楽団のメンバーが着用に及んだもの。その想い出を大切にして、その後もステージで着ていたのだそうだ。

 2004年に行なわれたパレ・デ・コングレのライヴ・アルバム≪Bonsoir amis≫は僕の好きなディスクのひとつ。このジャケットでも、ムッシュ・アンリは白のスーツ姿だ。

Henri Salvador≪Bonsoir amis Le live de Palais des Congres 2004≫(SOURCE Disque promotionnel

 以下、アトランダムに自伝から拾い出してみよう。いずれもアンリ・サルヴァドールならではのエスプリに富んだ言葉だ。

面白おかしい庶民だと、あいつはからかい好きだと言われる。ブルジョワだと、あいつにはユーモアがあると言われる。

Qunad un homme du populo est drole, on dit qu'il a de la gouaille. Quand c'est un bourgeois, on dit qu'il a de l'humour. ("Comment je suis tombe fou amoureux de Paname" p.57)

音楽には他のあらゆる芸術と同じように国境などない。あらゆる場所からやって来る影響でみずからを養うものだ。そして私にはたったひとつの判断基準しかない。すなわち、クオリティだ。

La musique, comme tous les arts, n'a pas de frontiere, se nourit des influences venues de toutes parts et je n'ai qu'un critere de jugement : la qualite. ("Mon amour de la langue franccaise " p.128)

 なるほど、ジャズやロックンロール、ボサノヴァなど、いろいろなスタイルを取り入れて自分の音楽を作ったアンリ・サルヴァドールらしい考えだ。

 では、歌に関してはどんな意見を持っているのだろうか。

ひとつのシャンソン(歌)はメロディーだけでできているのではなく、
歌詞でもできている。最良の場合、人はそれを詩と呼ぶのだ。

Une chanson, ce n'est pas seulement une melodie, mais aussi et a part egale, un texte que, dans le meilleur cas, on appelle poeme.

そしてポエジー(詩)は音楽とは異なり、さすらいの魂を持ってはいない。唯一の風景しか持ち合わせていないのだ。すなわち、みずからの国の言葉だ。

Et la poesie, contrairement a la musique, n'a pas une ame voyageuse, est capable d'un seul paysage : la langue de son pays.("Mon amour de la langue franccaise" p.130)

 アンリ・サルヴァドールは英語、ポルトガル語も堪能だった。しかし、フランス語を愛していることは、上に挙げた章のタイトル「フランス語への私の愛」"Mon amour de la langue francaise" からも分ろうというもの。

 もうひとつ、同じ箇所から引用しておこう。

フランスは確かに言葉遊びが最も好きで、シャンソンの歌詞が国民的な文学の重要な一部を成している国だ。そして人々は、この言語はあまりに古くて現代の音楽のリズムには合わない、アメリカ英語のイディオムに席を明け渡すべきだと私たちに信じ込ませようとしている。

La France est surement le pays ou l'on aime le plus jouer avec les mots et les textes des chansons sont une partie importante de la litterature nationale. Et on essaie de nous faire croire que cette langue est trop vieille, qu'elle ne s'adapte pas aux rythmes des musiques actuelles, qu'elle doit laisser la place aux idiomes americaines.

 ジャズのスウィング感を体得しているアンリ・サルヴァドールだけれど、フランス語で歌うというスタイルを最後まで貫いた。その心意気やよし、である。

 生と死についても、こんな省察を残している。

生とは死からの許可にほかならない。毎朝、愛想良く私たちにその延長をしてくれることに感謝しなければならない。私たちの肉体は私たちのものではない。神が私たちに貸し与えられ、ご自分に都合のいい時に取り戻されるのだ。

La vie n'est qu'une permission de la mort et chaque matin, il faut la remerecier de nous accorder gracieusement une prolongation. Notre corps ne nous appartient pas. Dieu nous le prete et le reprend bon lui semble.("Comment j'ai fait la manche dans les cafes" p.85)

 死に関して、もうひとつ言及がある。

死は他のあらゆる瞬間と同じように、人生のひとつの瞬間にすぎない。ただひとつ褒め称えるべき点は、それが最後にやって来るということだ。

La mort n'est qu'un moment de la vie, pareil a tous les autres, et son seul merite est d'etre le dernier.
("Mon amour de la langue francaise" p.125)

 僕の浅薄な言葉を付け加える必要もないだろう。最後の瞬間を迎えたアンリ・サルヴァドールを想いながら、素晴らしいシャンソンの数々に耳を傾けてその美味を味わいたい。「この命の果てるまで」"Jusqu'a la fin de ma vie"("Une chanson douce")。

 Au revoir, Monsieur Henri...(ムッシュ・アンリ、さようなら…)

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エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜
配給:ムービーアイ 今秋、有楽座ほか全国ロードショー!

エディット・ピアフを彷彿とせるマリオン・コティヤール

ムービーアイ エンタテインメント(株) 映画配給部
〒104-0061 東京都中央区銀座6丁目1-2 ダヴィンチ銀座ビル4F 
TEL:03-5537-0151 FAX:03-5537-0853
http://www.movie-eye.com
http://www.piaf.jp

(C)2007 LEGENDE-TF1 INTERNATIONAL-TF1 FILMS PRODUCTION
OKKO PRODUCTION s.r.o.- SONGBIRD PICTURES LIMITED

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『シャルル・アズナヴール/ベスト・ソングス&ライヴ』
      (東芝EMI TOCP-70188/89 2枚組)

CD1:ベスト・オブ・スタジオ
〈曲目〉1.コメディアン 2.希望に満ちて 3.想い出をみつめて 4.遠い想い出 5.昔気質の恋 6.フォー・ミー、フォルミダブル 7.ラ・マンマ 8.悲しみのヴェニス 9.ラ・ボエーム 10.これからは 11.人々の言うように 12.誰 13.想い出の瞳 14.時 15.私は旅する 16.生ける屍〜『言論犯罪』〜 17.きみが僕を愛する時 18.ユー・メイク・ミー・ソー・ヤング(フランク・シナトラとのデュエット曲) 19.少年がいた 20.世界の果てに

CD2: ベスト・オブ・ライヴ・オランピア
〈曲目〉1.それがわかれば 2.八月のパリ 3.すべては終わり 4.青春という宝〜帰り来ぬ青春 5.僕は戻ってくる 6.愚かな恋 7.燃えつきて 8.僕の肩でお泣き 9.ジャム・セッションのために 10.愛のあとで 11.生命をかけて 12.青春の思い出 13.二つのギター 14.戦いの前に 15.生きる喜び 16.声のない恋 17.きみの思い出 18.灯りを消して 19.のらくらもの 20.アヴェ・マリア

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お  知  ら  せ

詳細は10月25日付本欄をご参照願います。

イングリッド・ベタンクールかけポスター

 国際イングリッド・ベタンクール連盟委員会が全世界的に幅広い支援を呼びかけています。詳細はサイトhttp://www.educweb.org/Ingrid/をご覧下さい。日本語でも読むことができます。

 サイトhttp://www.ingridbetancourt-idf.com/otages/にも注目して下さい。画面右にある"Telechargement"(テレシャルジュマン=ダウンロード)から、イングリッドのポスターをダウンロードできるようになっています。この「お知らせ」欄に掲げた写真と同じものです。

 同じページを下方へスクロールしていくと、左側に写真が縦に並べられています。いろいろなドキュメントを見ることができます。
 上から5番目に"Allumez une bougie"「ローソクを灯して」という項目があります。写真をクリックすると、多くのローソクが並ぶ画面になります。一番下にあるローソクの絵をクリックしてみましょう。その絵が動いてすでに光を放っている列に向かって進んで行きます。
 これで、ヴァーチャルなローソクを1本灯したことになるのです。

イングリッド・ベタンクール解放を訴えるシャンソンたち

 囚われの身となっているイングリッドやその他の人々の解放を歌うことを通して呼びかけているアーティストたちがいます。

 ☆ルノー Renaud 《Dans la jungle》「ジャングルのなかで」(EMI 09463 494690 2)
サイトhttp://www.educweb.org/Ingrid/ からインストゥルメンタル・ヴァージョンをダウンロードできます。

 ☆セシレム Cecilem ピアノを弾きながら歌う女性歌手セシレムが"Chanson pour Ingrid" を歌っています。Emexのサイトからmp3形式でダウンロードできます。

http://emex-music.com/cecilem/

http://www.emex-music.com

歌を聴きながら、イングリッドと人質の方々を支援しましょう。


♪Petites annonces♪

☆『ディア・ピアフ ベスト・オブ・エディット・ピアフ』
(東芝EMI TOCP-67296)

ピアフを敬愛するアーティストたちがセレクトした11曲を含む珠玉のベスト・アルバム。
「恋人が一輪の花をくれた」石井好子 撰/「バラ色の人生」椎名林檎 撰/「パリの空の下」小野リサ 撰/「いつかの二人」クレモンティーヌ 撰/「水に流して」中島みゆき 撰 他全20曲、【解説】大野修平。


♪Petites annonces♪
おすすめシャンソン・フランセーズCD&DVD
(対訳または解説:大野修平)
   
東芝EMI
BMGファンハウス
『シャンソン名曲大全集』
Le florilege de la Chanson Francaise
(GSD-13601〜10/BCD-0094 CD10枚組)
『魅惑のシャンソン名曲集
 〜Vive la Chanson!〜』
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ユニバーサル・ミュージック・ジャパン
オーマガトキ

ジャック・ブレル
『ベスト・オブ・ジャック・ブレル Brel Infiniment Jacques Brel』
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アンリ・サルヴァドール
『ベスト・オブ・アンリ・サルヴァドール』
Henri Salvador Henri Salvador
(CD2枚組 UICY-1258/9)

『アコーデオン』
(DVD OMBX-1004)
[監督]ピエール・バルー
[出演]リシャール・ガリアーノ/タラフ・ドゥ・ハイドゥークス/クロポルト/ダニエル・ミル/モーリス・ヴァンデール/シブーカ/クロード・ヌガロ/coba/続木力/深川和美/まや他