Hatena::Diary

くっぱのブログ

2007-10-19

ウェブそもそも論(の謎×13)

無限ループ」はブックマークコメントにてそれに陥る可能性を何回かに渡って繰り返し指摘してくださった方がいらっしゃったので、そうならないように細心の注意を払えているのかについての自分自身への確認みたいなものだったわけですが、

「どのような人であってもウェブを『このサイトからはリンクをされたくない』という立場で使用してはならない」なんてことはありません。

ウェブそもそも論(の謎×12) - 妄想日記

ならば、そのような立場でウェブを使っても不当とは言えないのではないでしょうか。だとしたら、

仮に、「情報を互いに公開するけどリンクは許可制」という場所(そういう目的で作られている場所)なんだけどシステムに不備があり許可のないリンクが出来てしまう場所があったとする。そのような場所は「自由なリンクを制限する機能を備えていない」けど、でも許可を得ないリンクは不当です。

World Wide Web 6 - 妄想日記

の喩えを導入した意図が謎めいてしまうような気がします。

「そのような立場で使用することは禁止されていないから自分の責任ではない」と主張する人は、責任感が欠如しています。

ウェブそもそも論(の謎×12) - 妄想日記

リンクをされてそれまで自分のサイトの存在を知らなかった人がその存在を知ってしまったということを発端にリンクされた側にとって嫌なことが生じた場合に、リンクをされた側はその事実を是非もなく受け入れざるを得ないわけで、それを無責任に放棄する選択肢はリンクされた側には残されていないような気がします。殺された人は殺されたという事実を無責任に放棄できないのと同じ意味で、自己が負うべき責任は自動的に負っていることになっていると言えないでしょうか。

リンクした人の主張が不当なものであったなら、反論すればいいのです。

ウェブそもそも論(の謎×12) - 妄想日記

なので、リンクされた側からの「リンクするな」は、リンクした側の「あなたは私があなたのサイトにリンクをすることを納得しています」という無言の主張に対して「あなたは私のサイトにリンクをすることに対して、私が納得できるだけの説明をまだしていません。あなたがもしも無責任な態度をとることを自分自身に納得させていないのならば、リンクをするのを止めるか、あるいは私が納得できるような説明をするかのどちらかをしてください。」という反論なわけですけど。

「相手に納得してもらえる説明をする立場にあるのはリンクをした側」という主張が正しいなら、「相手が納得しなければリンクしてはならない」ということになり、すなわち「リンクは許可制」と同じになってしまいます。

ウェブそもそも論(の謎×12) - 妄想日記

それは早合点ではないでしょうか。リンクをする側は相手を納得させることなくリンクをするという無責任な態度をとる自由も制限されていないような気がします。

ブックマークコメントへのレス

リンクする理由は「言及行為を行うため」で十分じゃないだろうか。逆にリンクされることを拒否する理由を、リンクする側が納得できる文言で説明をしてもらいたい。「イヤだから」以外の。

はてなブックマーク - ekkenのB! / 2007年10月19日

物を奪われた人が奪った人に「納得できない、返せ」と言ったら、「欲しいから奪ったんだよ。(逆に奪われることを拒否する理由を説明してもらいたい、嫌だから以外の)」と言われたとして、奪われた人は納得できるものなのでしょうか。もちろん、相手を納得させることなく物を奪う自由も物理的には制限されていないでしょうけれど。

「物を奪われた人が奪った人に」同意もせずに他人の所有物を奪えば犯罪。嫌がらせとかそういう以前。リンクは犯罪なの?例えがいつもほんの1面しかあってない極例過ぎ。例えなしで議論できないの?

はてなブックマーク - fjskのブックマーク / 2007年10月20日

ならば、奪うことが犯罪ではない国家においてその行為をするのは無条件にOKということなのでしょうか。極端な例を出すのは、「OKとなる境目がどこにあるのかをローカルではない形では誰も言い得ていないのではないか」、つまり「リンク行為はOK、強奪はダメとするのはあくまでもローカルな価値観に基づく境目であって、リンク行為がOKであることを一般性をもって言い得ているわけではないのではないか」ということを主張しているわけです。

匿名希望さんからの質問に答えられないくっぱさん。 不利な質問には質問で返すくっぱさん。 質問をはぐらかし、「興味がない」と言って逃げるくっぱさん。

はてなブックマーク - ぽんすノート / 2007年10月22日

その人はどうやら本エントリーの反論とは別の目的でコメントを書いてくださっていたらしく、うかつにその質問に答えていたら議論が別の方向に発散して無駄に泥沼化する可能性があったわけですが、罠にはまることなくうまく対処できたと思っています。その質問が私にとって「不利な質問」であったというのは、もしかしてtakoponsさん個人の単なる憶測ですか。

匿名希望匿名希望 2007/10/19 14:00 さて、クッパさんは、
>リンクをする側は相手を納得させることなくリンクをするという無責任な態度
ではなく相手を納得させた上で、sci98さんのところにリンクしたものと推察されますが、それはいつどのようにして行ったのでしょうか?

匿名希望匿名希望 2007/10/19 14:01 あれっ?ご挨拶の部分が抜けてました。
はじめましてよろしくです。

quppaquppa 2007/10/19 21:34 最初にいただいたコメントについて、おっしゃりたい意味がよく解らないので、もう少し詳しく筋道を立てて説明したうえでご質問いただけませんでしょうか。

匿名希望匿名希望 2007/10/19 23:43 【リンクをする側は相手を納得させることなくリンクをするという無責任な態度をとる自由も制限されていないような気がします。】

これはquppaさんの発言ですね。


quppaさんはリンクする場合に自ら進んで【相手を納得させることなくリンクをするという無責任な態度をとる】ことは無いわけですよね?

であるならば、リンクをする以前に相手を納得させることが必要になりませんか?当然そのやり取りがあったと思うのですが、しなかったのですか?

quppaquppa 2007/10/20 06:53 えっと、匿名希望さんは何をするためにコメントを書いてくださっているのでしょうか。もしも本エントリーの論に反論をする目的があるのでしたら、ご質問に対して私がどのように答えた場合にどのように本エントリーの論に対する反論につながることになるのか、そのあたりの説明をもう少し詳しくお願いします。

横からすいません横からすいません 2007/10/20 09:46 「言ってることとやってることが違うのでは?」
というご指摘かと思いますが。

quppaquppa 2007/10/20 10:48 私がどのようなことをすると言っていたとおっしゃりたいのでしょうか。

匿名希望匿名希望 2007/10/20 11:17 実に単純に聞いてみたかったからコメントしたのですが?

quppaquppa 2007/10/20 12:06 本エントリーの論(の最新のエントリーに矛盾しない部分)に対して反論する意図がないのでしたら、また別の機会にご質問ください。というのも、あまり反論と関係のない話をしていると、反論の本筋とは違う筋の議論を執拗にふっかけてきたり、議論というよりも言質による揚げ足取りの言葉遊びに興じることを目的とした人が現れないとも限りませんので。何卒ご理解ください。

匿名希望匿名希望 2007/10/20 13:47 quppa さんの自説は自分自身では実行を伴わないものなのですか?

という疑問が湧き上がり質問しました。

そしてその疑問に対するquppa さんの答え如何によっては反論することも当然ありうるわけです。

決して揚げ足取りではありません。

quppaquppa 2007/10/20 21:43 えっと、本エントリーの論とは無関係に私の回答に対して反論をするということでしょうか、それとも私の回答から本エントリーの論に対する反論を導くということでしょうか。もし後者ならば、いただいた質問と本エントリーの論とのつながりが私自身としてはよく理解できていないので、例えば私がどのような回答をした場合に本エントリーの論にどのような反論がなされることになるのかについて、想定されている論理の道筋を教えていただけますでしょうか。

匿名希望匿名希望 2007/10/21 00:17 ひとつづつ行きましょうか。

【本エントリーの論とは無関係に】と断定したのはどのような思考を経たのか先ず教えていただけますか?

quppaquppa 2007/10/21 07:39 私がそれをどこで断定しているのかよく解らないのですが、よかったらもう少し詳しく説明してください。また、もし仮に私がどこかで断定をしていたとして、その断定へと至った論理の道筋がどのように本エントリーの論に対する反論につながるのかについてもよく理解できません。もしよろしければ、そのあたりについてもお教えていただけませんでしょうか。

匿名希望さんは本エントリーの論に反論をするためにコメントをしてくださっているのでしょうか、それとも何か他の目的があってコメントをしてくださっているのでしょうか。

匿名希望匿名希望 2007/10/21 14:42 【本エントリーの論とは無関係に】
とquppa さんが自分で書いていることをコピペしただけですよ。

quppa さんは答えに窮すると

【質問と本エントリーの論とのつながり】を他のエントリでもコメント者によく持ち出してますね。

しかし私の質問はquppa さんが正にこのエントリで発言した内容そのもの【リンクをする側は相手を納得させることなくリンクをするという無責任な態度をとる自由も制限されていないような気がします。】に基づいたものでありこれを【本エントリーの論とは無関係に】とするとは笑止千万。

更にquppa さんは
【例えば私がどのような回答をした場合に】と言っていますが、
およそ通常人では予想することが困難である相手方の回答の予想のひとつを前提とした質問を為すことは逃げるための詭弁以外に受け取る人はお目出度いというべきでしょうね。

従って
【想定されている論理の道筋を教えていただけますでしょうか】
の如き、前述の逃走用詭弁前提の後のこのような質問は失当であり、回答不能だということです。



もう一度質問します。実にシンプルです。

quppaさんはリンクする場合に自ら進んで【相手を納得させることなくリンクをするという無責任な態度をとる】ことは無いわけですよね?

であるならば、リンクをする以前に相手を納得させることが必要になりませんか?当然そのやり取りがあったと思うのですが、しなかったのですか?』

sci98sci98 2007/10/21 20:49 こういう質問って、私が答えてもいいんでしょうか?くっぱさんがはぐらかして答えない状態では、答えられる人間は私しかいないんですが。というか、あったかなかったか二択で答えられる質問なんですから、くっぱさんは堂々と答えればいいと思います。

quppaquppa 2007/10/21 22:37
匿名希望さん

>【本エントリーの論とは無関係に】とquppa さんが自分で書いていることをコピペしただけですよ。

は、匿名希望さんがおっしゃる「反論することも」が「本エントリーの論に反論することとは無関係に私の回答に対して反論をすることも」「私の回答を根拠に本エントリーの論に対する反論をすることも」のどちらなのかを尋ねた文の中に出てきているものであって、

>私がそれをどこで断定しているのかよく解らないのですが、

のお返事になっていないような気がします。どこで断定したのか理解できてない私が

>【本エントリーの論とは無関係に】と断定したのはどのような思考を経たのか先ず教えていただけますか?

というご質問にどのようにお答えしたらよいのでしょう。また、

>quppa さんは答えに窮すると

これも意味がよく解りません。なぜ私が答えに窮していると言い得るのでしょうか。もしかして単なる憶測ですか。

>【質問と本エントリーの論とのつながり】を他のエントリでもコメント者によく持ち出してますね。

当然です。本エントリーの論に対する反論には興味があるけれど、それ以外のことにはあまり興味がないからです。なので、もしも匿名希望さんが本エントリーの論の反論をするのとは別の何かを目的にコメントを書いてくださっているのならば、私としてはそのコメントにはあまり興味はありません。

>しかし私の質問はquppa さんが正にこのエントリで発言した内容そのもの【リンクをする側は相手を納得させることなくリンクをするという無責任な態度をとる自由も制限されていないような気がします。】に基づいたものでありこれを【本エントリーの論とは無関係に】とするとは笑止千万。

不思議なところでお笑いになる方なのですね。基づいてはいるけれど、それがどのように本エントリーの論に対する反論につながるのかというあたりが謎深いと言っているのですけど。

>【例えば私がどのような回答をした場合に】と言っていますが、およそ通常人では予想することが困難である相手方の回答の予想のひとつを前提とした質問を為すことは逃げるための詭弁以外に受け取る人はお目出度いというべきでしょうね。

私がこの回答をした場合にこのような反論が可能であるというアイデアを何か一つでもお持ちで、私がその回答をした場合に反論をする予定でいるのか、それ以外の何か、例えば、現在は何もアイデアは持ち合わせていなくて、とりあえず私の回答を聞いてたまたまアイデアがひらめいたら反論をしてやろうと考えているだけなのか、どちらなのかと問うているわけです。もし前者ならば、その反論のアイデアには興味がありますが、後者の場合のコメントにはあまり興味はありません。

>【想定されている論理の道筋を教えていただけますでしょうか】の如き、前述の逃走用詭弁前提の後のこのような質問は失当であり、回答不能だということです。

話がずいぶん先まで進んでいらっしゃるように思います。

>quppaさんはリンクする場合に自ら進んで【相手を納得させることなくリンクをするという無責任な態度をとる】ことは無いわけですよね?

何らかの理屈があってこのご質問をされていると思うのですが、本エントリーの論からどのような論理の道筋をたどると、このご質問に書かれている「quppaさんはリンクする場合に自ら進んで【相手を納得させることなくリンクをするという無責任な態度をとる】ことは無い」という発想に到達できるのでしょうか。もしよろしければお教えください。

sci98さん

>というか、あったかなかったか二択で答えられる質問なんですから、くっぱさんは堂々と答えればいいと思います。

そのように思うのはご自由ですけど、匿名希望さんへのお返事に書いた通り、私としては現状ではその質問に答えることに興味はなくて、興味がわくかどうかは匿名希望さん次第です。

ところで、sci98さんは匿名希望さんがどのような目的でコメントを書かれていると思われますか。また、もしも匿名希望さんが本エントリーの論に反論をすることを目的にコメントを書かれているとするならば、どのような論法による反論になると思われますか。

匿名希望匿名希望 2007/10/21 22:45 へへ、ところでquppaさん。

実はね、上でquppaさんがコメントしたことはこういう感じになるんだろうなと大体予想してました^^。

quppaさんの以前のエントリも性懲りも無く同じような

【詭弁つき無限ループふう論旨主題移動独りよがり】

に明け暮れていたことから容易に導き出されるからね^^。

コメントさんも呆れて、そして誰もいなくなった状態だったんだね。


さて、これにて
【詭弁つき無限ループふう論旨主題移動独りよがり】

の晒しの任務完了にて、チャオ!

quppaquppa 2007/10/21 22:53 お疲れさまでした、さようなら。

pingu98pingu98 2007/10/22 03:27 超能力者じゃないんですから、他人に影響を与える何かをするとき他人が納得するかどうかは説明してみないとわかりません。また、事前に納得するか尋ねようとしても、尋ねられることに相手が納得するかどうかも分からない。
あらゆる秩序を前提としない場合に、「相手を納得させる」ことが責任を果たすための条件だとすれば、他人に影響を及ぼす様なことは何ひとつ出来なくなります。

社会は人が人に影響を与えないと成り立ちません。従ってそのような社会では全ての人が常に無責任な態度で振舞うしかありません。

「無責任な態度」とは、無責任ではない態度が存在し得て初めて意味を持つわけですが、それには何がしかの秩序が前提として必要です。
ローカルではない絶対的な秩序の存在なんて説明できたらノーベル賞ものなのであって、だとすれば、「無責任な態度」という言葉にはquppaさんの論理において本来なんら意味はありません。

結局今回も、読者の価値規範を利用したレトリックを用いて、ごく当たり前の事に何かの意味があるようにみせかける手法というわけですね。

quppaquppa 2007/10/22 07:35 責任、無責任に関する私の主張の意味については、本エントリーより後に書かれたエントリーに説明されているので、そのことを前提にお返事します。

>社会は人が人に影響を与えないと成り立ちません。従ってそのような社会では全ての人が常に無責任な態度で振舞うしかありません。

という言い訳のもとに

-それをしない自由が制限されていないにもかかわらず、「その人を納得させることなくその人の希望を打ち砕く行為をしても構わない」と自分の価値観に基づいて一方的に判断し、それを実行している

という事実を生じさせることについて自分自身を納得させることができるのならば、それはそれでよろしいのではないでしょうか。

>結局今回も、読者の価値規範を利用したレトリックを用いて、ごく当たり前の事に何かの意味があるようにみせかける手法というわけですね。

ある価値規範を絶対的であるかのように前提としている論(に基づいて他人をネガティブに評価したり、ある行為をするべきだと押し付けたりする行為)において、どのように論理によってその価値規範が絶対的であると言い得ると主張しているのかというあたりに疑問を感じているわけですけど。

pingu98pingu98 2007/10/22 08:18 >>社会は人が人に影響を与えないと成り立ちません。従ってそのような社会では全ての人が常に無責任な態度で振舞うしかありません。
>という言い訳のもとに

言い訳???何に対して言い訳をする必要があるのでしょう。無責任な態度=悪という善悪判断無しにしてそれが言い訳となり得る論拠を示してください。でなければ、上記は言い訳になり得ません。

>ある価値規範を絶対的であるかのように前提としている論において

このブログのコメント欄はかなり読んでますが、およそその様な論を唱えている人は見当たりませんでしたが…。一般論=絶対論として扱っているのはあなただけですよ。

sci98sci98 2007/10/22 10:01 匿名希望さん、くっぱさんが答えないので私が替わりに答えます。『そのようなやり取りはありませんでした』尚、これは匿名希望さんの質問に対する回答をすること以外のなんの意図もないことを明記しておきます。

quppaquppa 2007/10/23 00:14
pingu98さん

>言い訳???何に対して言い訳をする必要があるのでしょう。

引用していただいた部分をもう少し読み進めていただくと、

>という事実を生じさせることについて自分自身を納得させる

とある通り、自分自身に対してする言い訳なのですけど。

>無責任な態度=悪という善悪判断無しにしてそれが言い訳となり得る論拠を示してください。でなければ、上記は言い訳になり得ません。

何だかよく解らないのですけれど、ご自身の中で話がかなり先のほうまで進んではいないでしょうか。

>一般論=絶対論として扱っているのはあなただけですよ。

私が使う「一般」は「(個人の価値観に基づく)ローカル」に対するのもとして「一般には言い得ない」「一般性はない」の意味で使っているので、「ローカルな価値観ではない」ならば「絶対的な価値観」ということになります。

pingu98pingu98 2007/10/23 02:03
>自分自身に対してする言い訳なのですけど。

難しい読解じゃないと思うんですが………つくづく疲れますね。
あのね、私が言ってるのは「(自分自身の)何に対して言い訳をする必要があるのか」つーことなんですよ。

<読解のヒント!>
国語的な説明をすれば、上記問いは、「何に対しての言い訳か」と「何故言い訳をする必要がある(と言える)のか」の二つの問いから構成されてるんですよ。

<解答例>
「幸福でありたければ無責任な態度はとるべきでない」という倫理観を持つ人が、幸福の追求を目的とした自己の行為が人倫に反するという矛盾に対して行う言い訳。
幸福でありたいという希望に対して相反する「ある行為をすること」と「無責任な態度をとること」について、そのままでは自己矛盾が生じる為、言い訳をする事により、幸福の追求という目的に対する矛盾を解消する必要がある。

はい。もちろん上記解答例は、無責任な態度=悪という価値規範を前提として初めて言えることです。あなたは、絶対的秩序しか前提に取り入れないと宣言していますし、善悪については言及しないと言っているのですから、個人的な価値観の前提を置かずに以下の事実命題が言い訳であると言い得る論拠を示してください。

・社会は人が人に影響を与えないと成り立たたない。
・無責任でない態度をとるためには相手を納得させなければならないような社会では全ての人が常に無責任な態度で振舞うしかない。

はい。出来ませんね。なぜなら、結局あなたは「無責任な態度=悪」というあなたのごく個人的な価値観を絶対論として他人に押し付けているだけだからです。(匿名希望さんの質問に答えられないのも多分同じ理由でしょう。)

quppaquppa 2007/10/23 06:42 自身の心の中で自分がその行為をすることを納得できさえすればいいのに(納得できないならその行為をしない自由も制限されていないのに)、また、「他人は他人、自分は自分」なのにもかかわらず、わざわざ

>社会は人が人に影響を与えないと成り立ちません。従ってそのような社会では全ての人が常に無責任な態度で振舞うしかありません。

みたいな「みんなも」テイストなものを披露されているので、言い訳でないなら何なのかと問うているのですけど。

pingu98pingu98 2007/10/23 15:13
>言い訳でないなら何なのかと問うているのですけど。

でた!(笑)quppa理論の十八番、自分の言った事に後から別の意味づけパターンですね。
残念ながら、あなたはそんなこと問うてませんでした。証拠↓
http://d.hatena.ne.jp/quppa/20071019/1192749888#c1193006104

a.社会は人が人に影響を与えないと成り立たたない。
b.無責任でない態度をとるためには相手を納得させなければならないような社会では全ての人が常に無責任な態度で振舞うしかない。

前回明記したとおり、上記は言うまでも無く、単なる事実命題です。この事実命題をあなたは「言い訳」だと断定していますのでその論拠を示してくださいと言っています(3回目)。問うているのは私です。
論拠を示してもらうにはまず、その「言い訳」がどのようなものなのか明らかにしてもらわないと話になりませんので、以下の質問をしています。

「(自分自身の)何に対して言い訳をする必要があるのか」

はい。答えられませんね。なぜなら、結局あなたは「無責任な態度=悪」というあなたのごく個人的な価値観を絶対論として他人に押し付けているだけだからです。

quppaquppa 2007/10/23 22:23
>でた!(笑)quppa理論の十八番、自分の言った事に後から別の意味づけパターンですね。

どのような論法で、私が「後から別の意味づけ」をしたと言い得るのでしょうか。もしかして、pingu98さん個人の単なる憶測でしょうか。

>残念ながら、あなたはそんなこと問うてませんでした。証拠↓

それが証拠になるという論理の流れがよく解らないのですけど。

>a.社会は人が人に影響を与えないと成り立たたない。

その行為をしない自由が制限されていないときには、その行為をしなければ相手に影響を与えずに済むような気がするのですが。

>b.無責任でない態度をとるためには相手を納得させなければならないような社会では全ての人が常に無責任な態度で振舞うしかない。

その行為をしない自由が制限されていない場合は、その行為をしないという方法で無責任な態度を回避することは可能であるような気がします。

>前回明記したとおり、上記は言うまでも無く、単なる事実命題です。

もしかして、本エントリーで扱っている行為が「それしない自由が制限されていない行為」であるということをうっかりされてはいませんか。

>以下の質問をしています。
>「(自分自身の)何に対して言い訳をする必要があるのか」

「その行為をしていいのかと問う心」に対してです。

>はい。答えられませんね。なぜなら、結局あなたは「無責任な態度=悪」というあなたのごく個人的な価値観を絶対論として他人に押し付けているだけだからです。

相変わらず話がかなり先まで進んでいらっしゃるようですけど、もしかして藁人形か何かと議論をされているのでしょうか。

pingu98pingu98 2007/10/24 00:03
>>a.社会は人が人に影響を与えないと成り立たたない。
>その行為をしない自由が制限されていないときには、その行為をしなければ相手に影響を与えずに済むような気がするのですが。
>>b.無責任でない態度をとるためには相手を納得させなければならないような社会では全ての人が常に無責任な態度で振舞うしかない。
>その行為をしない自由が制限されていない場合は、その行為をしないという方法で無責任な態度を回避することは可能であるような気がします。

もしかして、社会とは「生活空間を共有したり、相互に結びついたり、影響を与えあったりしている人々のまとまり」だという事をうっかりされてませんか?
ある人間が自らの意思で他人に影響を与えない様に生きることは論理的に可能でしょうが、それでは社会は成立しません。
従って、ここまでのquppaさんの論理においては、「無責任でない態度」で社会生活を送る人など存在し得ません。

>>以下の質問をしています。
>>「(自分自身の)何に対して言い訳をする必要があるのか」
>「その行為をしていいのかと問う心」に対してです。

ぁの〜、読解のヒントとして、私の問いは、「何に対しての言い訳か」と「何故言い訳をする必要がある(と言える)のか」の二つの問いから構成されてると解説したのに忘れちゃったんでしょうか。まあ、進めますが。
「その行為をしていいのかと問う心」即ち、自己の倫理規範に対する言い訳が必要だと断定できるのは、その行為がその人の倫理規範に反していると判明している場合だけです。

あなたは、私が(あるいは読者が)「その行為をしてはいけない」という価値観であるという前提で(あるいは思い込みで)ものを言っていたからこそ、相手の言動を「言い訳」と決め付けることが出来たわけです。

ちなみにこの「他人の価値観の決めつけ」は、「〜という事実を背負う」「自分を納得させる」という表現でも同様に共通しています。

ね。結局quppaさんの論理も絶対性を言い得ていないままに“ローカルでしかない価値観”を前提にしていたということです。

quppaquppa 2007/10/24 06:19
>ここまでのquppaさんの論理においては、「無責任でない態度」で社会生活を送る人など存在し得ません。

例えば、方便としての嘘をつかずに社会生活を送る人など存在し得ないのかもしれませんけど、そのことをもって、個々の場面において嘘をついてもいいことになるとは一概に言い得ないと思うのですけど。もしかして子供の屁理屈みたいになっているのではないかという意味で、pingu98さんが何をおっしゃろうとしているのかよく理解できません。

>自己の倫理規範に対する言い訳が必要だと断定できるのは、その行為がその人の倫理規範に反していると判明している場合だけです。

pingu98さんの脳内の論理体系は奥が深くて私にはついていけないことがよくあるのですが、その行為がその人の倫理規範に反しているかどうか「判明していない」場合にこそ言い訳が必要になるのではないでしょうか。明らかに反しているのならば、その行為をしない自由は制限されていないのだから、当然その行為をしないことを選ぶのではないかと思うのですけど。

pingu98pingu98 2007/10/24 22:42
>例えば、方便としての嘘をつかずに社会生活を送る人など存在し得ないのかもしれませんけど、そのことをもって、個々の場面において嘘をついてもいいことになるとは一概に言い得ないと思うのですけど。

嘘をつかずに社会生活を送る人が存在し得ないと何故言えるのでしょうか。論理的には不可能でないはずですし、実際問題としても、例えば幼いうちに亡くなる子の中には嘘をつかないまま人生を終えた人も沢山いるはずです。
しかし、「無責任でない態度」で社会生活を送る事は論理的に不可能だと言っているわけです。

>>自己の倫理規範に対する言い訳が必要だと断定できるのは、その行為がその人の倫理規範に反していると判明している場合だけです。
>pingu98 さんの脳内の論理体系は奥が深くて私にはついていけないことがよくあるのですが、その行為がその人の倫理規範に反しているかどうか「判明していない」場合にこそ言い訳が必要になるのではないでしょうか。明らかに反しているのならば、その行為をしない自由は制限されていないのだから、当然その行為をしないことを選ぶのではないかと思うのですけど。

すみません、「判明している場合」というのは第三者からみてその人がどういう価値観か判明している場合という意味です。

a.「その行為をしてはいけない」と考えている人はその行為をするに当たって「その行為をしていいのかと問う心」に対して言い訳が必要だと言えます。
b.「その行為をしてはいけない」と考えている人がその行為をしない場合は「その行為をしていいのかと問う心」に対して言い訳をし得ません。
c.「その行為をしてもよい」と考えている人はその行為をするに当たって「その行為をしていいのかと問う心」に対して言い訳をし得ません。
d.「その行為をしてもよい」と考えている人がその行為をしない場合は「その行為をしていいのかと問う心」に対して言い訳をし得ません。

上記の通り、「言い訳」が成立し得るのはaだけです。その人がaという価値観である事は全く不明であるにも関わらず、第三者が「言い訳だ」と断定すれば、それが価値観の押し付けである事は明白です。

つまり、quppaさんの論理も絶対性を言い得ていないままに“ローカルでしかない価値観”を前提にしていたということです。

quppaquppa 2007/10/25 06:43
>嘘をつかずに社会生活を送る人が存在し得ないと何故言えるのでしょうか。

単なる仮の話であって、論法が子供の屁理屈みたいになっているということの例示なのですけど。

>しかし、「無責任でない態度」で社会生活を送る事は論理的に不可能だと言っているわけです。

なぜ言えるのでしょうか。論理的には不可能でないはずですし、実際問題としても、例えば(言葉を理解できるようになる前の)幼いうちに亡くなる子の中には、他人を納得させるだけの説明を必要とされることなく人生を終えた人も沢山いるはずです。

わざわざこのようなやり取りをするために、例として取り上げた内容に反論を述べられたのでしょうか。しかし、それをしたとしても「子供の屁理屈みたいな論法になっている」という私の主張に対する反論にはなっていないような気がします。

>すみません、「判明している場合」というのは第三者からみてその人がどういう価値観か判明している場合という意味です。

この話になぜ第三者が登場するのかについて私としてはよく理解できていないのですが。

>b.「その行為をしてはいけない」と考えている人がその行為をしない場合は「その行為をしていいのかと問う心」に対して言い訳をし得ません。

もしかして、

-「その行為をしていはいけない」と考えている人

というのは、

-「その行為をしていはいけない」と考えていると第三者から見なされている人

という意味でしょうか。もし仮にそうであったとしても、その人本人が「その行為をしてはいけないかどうか判らない」と考えているならば、「その行為をしていいのかと問う心」に対して言い訳をし得ると思うのですけど。ご主張されたいことがよく理解できないので、もう少し詳しくご説明いただけませんでしょうか。

lastlinelastline 2007/10/25 16:31 「リンクする」のと「奪う」のは同等の行為なんでしょうか。

pingu98pingu98 2007/10/25 16:34 >ご主張されたいことがよく理解できないので、もう少し詳しくご説明いただけませんでしょうか。

ええと、今回のお返事を見る限り、全然伝わっていないみたいです。うーむ。

>>嘘をつかずに社会生活を送る人が存在し得ないと何故言えるのでしょうか。
>単なる仮の話であって、論法が子供の屁理屈みたいになっているということの例示なのですけど。

はいそうですね。「嘘をつかずに社会生活を送る人が存在しない」というのは、実際の大人の多くがきっとそうだろうという話であって、論理の話ではありません。従って、論理の話をしている時に、論理的に不可能と言い得ていない上記を持ち出すのであれば屁理屈です。

>>しかし、「無責任でない態度」で社会生活を送る事は論理的に不可能だと言っているわけです。
>なぜ言えるのでしょうか。

何故言えるのか、は説明済みです。
http://d.hatena.ne.jp/quppa/20071019/1192749888#c1192991222

>論理的には不可能でないはずですし、

ええと、あなたは私の「論理的に不可能」という説明に対して、「屁理屈」の例示を示しただけでまともな反論が出来ていませんし、論理的に可能なことも言い得ていません。

>実際問題としても、例えば(言葉を理解できるようになる前の)幼いうちに亡くなる子の中には、他人を納得させるだけの説明を必要とされることなく人生を終えた人も沢山いるはずです。

ええと、今回までのquppaさんの論理では「日本語が理解できる」人を対象とするということが前提として取り入れられていたはずです。私は「ここまでのquppaさんの論理において」と言っているので上記はこの条件を満たしません。従って論理的に可能であることの説明になっていません。

>わざわざこのようなやり取りをするために、例として取り上げた内容に反論を述べられたのでしょうか。しかし、それをしたとしても「子供の屁理屈みたいな論法になっている」という私の主張に対する反論にはなっていないような気がします。

ええと、整理してみましょうか。
○私の「無責任でない態度」で社会生活を送る人は存在し得ないという言説は、
 ・論理的に不可能である事を説明済み。
 ・これに対してまともな反論はされていない。
○quppさんの嘘をつかずに社会生活を送る人は存在し得ないという例示は、
 ・論理的に不可能である事を説明できていない。
 ・論理的に可能である事に矛盾しない実際例を提示済み。
そういうわけで、例示された屁理屈の論法にはなっていません。


>この話になぜ第三者が登場するのかについて私としてはよく理解できていないのですが。

その行為をしていいのかと問う人、それに答える人(自問自答なので同一人物)が当事者で、その行為をする人に対して「君は言い訳をしている」と断言する立場の人が第三者。つまり今回の例で言えば、他人に「それは言い訳だ」という前提でものを言ったquppaさんのことです。

>-「その行為をしてはいけない」と考えていると第三者から見なされている人という意味でしょうか。

いえ、違います。「その行為をしてはいけない」と考えている人です。

>その人本人が「その行為をしてはいけないかどうか判らない」と考えているならば、「その行為をしていいのかと問う心」に対して言い訳をし得ると思うのですけど。

うーん、仰りたいことはなんとなく分かる気がしますが、そこは正確にいきたいです。「その行為をしてはいけないか判らない」という人は「その行為をしていいのか」と自分自身に問うても「判らない」という答えしか出てきません。判らなければ言い訳が必要か不必要かも判らないはずです。
もし言い訳が必要だとすれば、「してよいか判らない行為をしてよいのかと問う心」に対しての言い訳であって、してよいか悪いか判っている場合の言い訳とは異なると思います。

いずれにしても、言い訳が必要かどうかはその人がどう考えているか分からない限り、その人にしか判らないことであって、第三者が初めからその人にとって言い訳が必要だという前提で話すのはおかしいという事です。

lastlinelastline 2007/10/25 18:12 「リンクする」のと「奪う」のは同等か否か以前に
「言及する」と「奪う」は同じなのかが問題ですね。

quppaquppa 2007/10/25 23:41
pingu98さん

仮に一度も「無責任な態度」をとることなく社会生活を送る人が存在しないと言い得たとしても、そのことをもって、個々の場面において「無責任な態度」をとってもいいことになるとは言い得ないと思うのですけど。この意味で、子供の屁理屈みたいになってはないでしょうか。

>つまり今回の例で言えば、他人に「それは言い訳だ」という前提でものを言ったquppaさんのことです。

もしかして、「言い訳」という言葉の解釈がお互いに違っているのでしょうか。私は、その行為をする人がその行為をすることについて自分自身を納得に至らせるために用いた「理屈」みたいな意味で用いています。例えば、無責任な態度をとる人が「みんなも無責任な態度をとることがあるのだから、俺も無責任な態度をとってもいい」というような理屈のもとに自分自身を納得させるに至ったならば、それをもって「言い訳」と言っています。

lastlineさん

>「言及する」と「奪う」は同じなのかが問題ですね。

それが同じかどうかの問題は、本エントリーの論とどのように関連しているのでしょう。

pingu98pingu98 2007/10/26 02:36 あの、、私の論理について来られないとか屁理屈だとか随分仰ってますが、原因は私の書いてる事をよく読んでないからじゃないでしょうか。勘弁してください。

>仮に一度も「無責任な態度」をとることなく社会生活を送る人が存在しないと言い得たとしても、そのことをもって、個々の場面において「無責任な態度」をとってもいいことになるとは言い得ないと思うのですけど。この意味で、子供の屁理屈みたいになってはないでしょうか。

いつどこの誰が「無責任な態度」をとることなく社会生活を送る人が存在しないと言い得たことを以って個々の場面において「無責任な態度」をとってもいいことになるとか、いいことにならないとか、言ってるんですか?んなこたぁ言ってません。
http://d.hatena.ne.jp/quppa/20071019/1192749888#c1192991222

>もしかして、「言い訳」という言葉の解釈がお互いに違っているのでしょうか。

予め特別な意味が提示されていない限り、辞書に載ってるような日本語通りの意味でしか私は解釈しません。ほんとに勘弁してください。…あ、でも続きを読んだらその意味で合ってます。一緒の解釈です。

>その行為をする人がその行為をすることについて自分自身を納得に至らせるために用いた「理屈」みたいな意味で用いています。例えば、無責任な態度をとる人が「みんなも無責任な態度をとることがあるのだから、俺も無責任な態度をとってもいい」というような理屈のもとに自分自身を納得させるに至ったならば、それをもって「言い訳」と言っています。

ということは、今回の返信全体を踏まえると、私が「無責任な態度をとる人が『みんなも無責任な態度をとることがあるのだから、俺も無責任な態度をとってもいい」というような理屈』を述べているんだと勘違いして、その様な理屈を述べるということは「その行為をしてはいけないと考えている」と推測し、言い訳だと評したわけですかね。
だとすればquppaさんの誤解というか早合点ですので、言い訳論議はもういいです。

繰り返しますが、私が言ってるのは「無責任な態度」が良いとか悪いとかではなく、何かの秩序を前提としない限り無意味だという事です。例えば影響を与え合うある二人の間で法律という秩序が共通して前提とされていれば、法律に則った説明により互いが納得する事が予め判りますが、あらゆる秩序が前提とされていない場合は「相手が納得するかどうか」は超能力でも使わない限り判りません。…あ、やっぱこれはもう説明済みですので、よく読んでください。
http://d.hatena.ne.jp/quppa/20071019/1192749888#c1192991222
また時間ができたら説明できるかも知れませんが、何かの秩序を前提としないと意味を成さない、という事は「責任」、「背負う」や「〜という事実」といった表現にも共通して言える事ですのでウェブそもそも論争の後にまとめをなさるのだと思いますが、その際よく注意したほうが良いと思います。

quppaquppa 2007/10/26 06:49
pingu98さんの

>社会は人が人に影響を与えないと成り立ちません。従ってそのような社会では全ての人が常に無責任な態度で振舞うしかありません。

という主張に対して、私はそのコメントの直後に

>責任、無責任に関する私の主張の意味については、本エントリーより後に書かれたエントリーに説明されているので、そのことを前提にお返事します。

と言っていて、この提案に対してpingu98さんからはこれまでに異議をいただいていないようなので、「無責任な態度」は定義が与えられたうえで議論が進んでいたと考えていたのですが、間違っていましたでしょうか。もし間違っていなかったとしたら、pingu98さんの主張の後ろに書かれていた説明はもはや意味が通じないものになっているような気がするのですけど。

>予め特別な意味が提示されていない限り、辞書に載ってるような日本語通りの意味でしか私は解釈しません。ほんとに勘弁してください。

というか、そのように解釈されることが原因で、ずいぶん先走った論理展開により結論をご披露されることが多々お見受けされるということなのでしょうか。

>と推測し、言い訳だと評したわけですかね。だとすればquppaさんの誤解というか早合点ですので、

例は例なので、私がそのように評したとするのはpingu98さんの早合点ではないかと思います。

pingu98pingu98 2007/10/26 10:24 >pingu98さんの
>>社会は人が人に影響を与えないと成り立ちません。従ってそのような社会では全ての人が常に無責任な態度で振舞うしかありません。
>という主張に対して、私はそのコメントの直後に
>>責任、無責任に関する私の主張の意味については、本エントリーより後に書かれたエントリーに説明されているので、そのことを前提にお返事します。
>と言っていて、この提案に対してpingu98さんからはこれまでに異議をいただいていないようなので、「無責任な態度」は定義が与えられたうえで議論が進んでいたと考えていたのですが、間違っていましたでしょうか。もし間違っていなかったとしたら、pingu98さんの主張の後ろに書かれていた説明はもはや意味が通じないものになっているような気がするのですけど。

もとより、このエントリーに書いた最初のコメントからこの後のエントリーでのquppaさんの説明を踏まえた上で書いてますが…どっか意味通じませんでした?

>>予め特別な意味が提示されていない限り、辞書に載ってるような日本語通りの意味でしか私は解釈しません。ほんとに勘弁してください。
>というか、そのように解釈されることが原因で、ずいぶん先走った論理展開により結論をご披露されることが多々お見受けされるということなのでしょうか。

およよ?披露するのは誰ですか?私?quppaさん?敬語と文末の疑問が矛盾していてよう分からんです。何にせよ、もっと以前にも言いましたが「予め特別な意味が提示されていない限り、辞書に載ってるような日本語通りの意味でしか私は解釈しません(というか出来ません)」ので、quppaさんもそういう前提で議論して欲しいです(希望)。

>>と推測し、言い訳だと評したわけですかね。だとすればquppaさんの誤解というか早合点ですので、
>例は例なので、私がそのように評したとするのはpingu98さんの早合点ではないかと思います。

えーーーー?全然伝わってないですね。徒労感にさいなまれています。例というのは嘘をつかずにうんぬんの話だと思いますが、あれは屁理屈の例でしょ?私が言ってるのはこれ↓

>>社会は人が人に影響を与えないと成り立ちません。従ってそのような社会では全ての人が常に無責任な態度で振舞うしかありません。
>という言い訳のもとに
>-それをしない自由が制限されていないにもかかわらず、「その人を納得させることなくその人の希望を打ち砕く行為をしても構わない」と自分の価値観に基づいて一方的に判断し、それを実行している
>という事実を生じさせることについて自分自身を納得させることができるのならば、それはそれでよろしいのではないでしょうか。

単なる事実命題を言い訳と評してるでしょ?あーここからるーぷがはじまるですか。

pingu98pingu98 2007/10/26 10:29 ちなみに、本件、もう知らん。この後のエントリーでまた最新版のまとめをするんでしょうから、またその時に指摘します。

quppaquppa 2007/10/26 23:53 お疲れさまでした。

lastlinelastline 2007/10/27 13:57 「言及する」と「奪う」は同じなのか」についてですが

quppa さんのブックメークコメントへのレスに関する指摘です。

ekken さんの
>リンクする理由は「言及行為を行うため」で十分じゃないだろうか。
に対して、quppa さんは

>物を奪われた人が奪った人に「納得できない、返せ」と言ったら、「欲しいから奪ったんだよ。(逆に奪われることを拒否する理由を説明してもらいたい、嫌だから以外の)」と言われたとして、奪われた人は納得できるものなのでしょうか
と返答されています。

quppa さんが、fsik さんのコメントを読んだ後に、ekken さん対するレスとして「奪う」を出したのか、quppa さん自らが「奪う」ことを例に出して説明したかは、僕にはquppa さんがどのような時系列でレスしたのか分からないので推測するしかありません。しかし、少なくともquppa さんは「リンクする」あるいは「言及する」と「奪う」が同じ、または似た行為であると考えたて、ekken さんにレスをしたのではないでしょうか。

「言及する」と「奪う」が同じ、あるいは喩えに出すほど適切なほど似ている行為ならば、ekken さんへの正しいレスになるでしょうが、僕はどうは思わないとのコメントです。

quppaquppa 2007/10/27 22:27
>しかし、少なくともquppa さんは「リンクする」あるいは「言及する」と「奪う」が同じ、または似た行為であると考えたて、ekken さんにレスをしたのではないでしょうか。

ちがいますけど。もしもekkenさんが奪う理由は「それを得るため」で十分だと考えるお方ならば、私の意図するレスになっていなかったということになりますが、もしも十分でないと考えるお方だったならば、私が意図するレスになっています。

lastlinelastline 2007/10/28 12:04 全然違わないと思いますけど。

WWW上で「言及する」には「リンクする」しかない。日常において「何かを得るため」の方法は「奪う」だけではありません。自分で作ったり、誰の所有物でないものを自分の物にしたり、物々交換したり、あるいは奪ったりと様々です。その中から態々「奪う」に着目し、「リンク」と「奪う」を結び付けない限り、quppa さんのekken さんへのレスは成り立ちません。

quppaquppa 2007/10/28 17:36
>日常において「何かを得るため」の方法は「奪う」だけではありません。自分で作ったり、誰の所有物でないものを自分の物にしたり、物々交換したり、あるいは奪ったりと様々です。

「それを得るため」は、「何かを得るため」ではなくて、「(相手の実際の所有物で本人が手放すことを納得してない)それを得るため」と解釈するとうまくいくかもしれません。

lastlinelastline 2007/10/28 21:58 「リンク」は参照でしかありません。相手の所有物を、相手の意思に沿わず自分の所有物にする行為ではありません。つまり、「奪う」に相当しません。

所有権が認められるならば、その人の所有物を勝手に奪ってはいけません。この時、「奪う」はやってはいけないことです。WWWは自由に「リンク」できるシステムです。つまり、「リンク」そのものはやってはいけないことではありません。その点においても「奪う」と一致しません。
むしろ、WWW上で「奪う」に相当する行為は「転載・転用・盗用」でしょう。

「(相手の実際の所有物で本人が手放すことを納得してない)それを得るため」と解釈した場、「所有物」=「コンテンツ」、「手放す」が「リンクされる」か「言及される」に、「得る」=「言及する」に相当するのでしょうか。
「リンクされる」か「言及される」ことに納得できないなら、自由に「リンク」や「言及」できるWWW上に公開しなければ良い話です。

つまり、「言及したいからリンクしたんだ」と「欲しいから奪ったんだ」は全然違う話です。
「奪う」と「リンク」が一致するのは、奪った場合は返せば、リンクした場合はリンクを外せば元に戻るという点のみです。その点のみをもって、たとえ話にするのは不適切です。つまり、ブックマークへのレスになりえていません。

quppaquppa 2007/10/28 23:23 ある人が「この違いがあるのだから『奪う』はダメだけれど『リンクする』はOK」と主張したとしても、それだけでは「その違いがダメな行為とOKな行為を分ける」という前提に基づく主張でしかないわけで、一般性は言い得ていないのではないでしょうか。

pingu98pingu98 2007/10/28 23:44 >ある人が「この違いがあるのだから『奪う』はダメだけれど『リンクする』はOK」と主張したとしても、それだけでは「その違いがダメな行為とOKな行為を分ける」という前提に基づく主張でしかないわけで、一般性は言い得ていないのではないでしょうか。

そうではなくて、あなたが指摘されてるのはどう見ても「喩えるに十分だという一般性を言い得た共通点を示さないままにたとえ話を返答とした事」なんですけど。

quppaquppa 2007/10/29 06:07 共通性を示さなくても、「言及行為を行うため」で十分であると一概に言い得ているわけではないことを指摘できるのではないかということなのですけど。

lastlinelastline 2007/10/29 13:03 >共通性を示さなくても、「言及行為を行うため」で十分であると一概に言い得ているわけではないことを指摘できるのではないかということなのですけど


それならば、態々「言及」に対して「奪う」で返答する意味が有りません。むしろ、余計な誤解を生むだけです。
書き手が「言及」と「奪う」に共通性が無いと認識しているなら書く意味がない。態々「奪う」という異なる行為を用いて説明する必要がない。それならば、始めから「言及行為を行うため」云々だけで説明すれば良い。
しかし、読み手は書き手が「言及」に関して「奪う」で説明したのだから、これらが共通点を持っているのだろうと読み解くでしょう。もちろん、読み解かない可能性だってある。しかし、二つの可能性で読み解かれる可能性があるならば尚更、読み手が一意的に解釈できる文章を書き手は書くべきです。

要するに

リンクされた人がリンクした人に「納得できない、リンクを外せ」と言ったら、「言及したいからリンクしたんだよ。(逆に、言及されることを拒否する理由を説明してもらいたい、嫌だから以外の)」と、言われたとして言及された人は納得できるものなのでしょうか。もちろん、相手を納得させること無くリンクする自由も制限されていないでしょうけど。

とでも最初から書けばよろしいのではないでしょうか?

言及されるのが嫌な人が「言及されることを拒否する理由を説明してもらいたい、嫌だから以外の」と言われたら、日本語が分かるならその「理由」を説明するものではないでしょうか。そもそも、「嫌だ」は理由になりません。

lastlinelastline 2007/10/29 13:11 もちろん、どれほどまで精密に書いても読み手が一意的に解釈できる文章を書くことはできません。しかし、一意的に解釈できる確率を上げることは可能ですから、書き手はそのような努力をすべきです。
お願いしてるか、命令してるのか、諭してるのかを読み手がきちんと解釈できる文章を書かないと、相手に伝わるものも伝わりません。

quppaquppa 2007/10/29 22:31
>リンクされた人がリンクした人に「納得できない、リンクを外せ」と言ったら、「言及したいからリンクしたんだよ。(逆に、言及されることを拒否する理由を説明してもらいたい、嫌だから以外の)」と、言われたとして言及された人は納得できるものなのでしょうか。

そのせりふと「奪われた人も納得できるとおっしゃるなら話は別ですが、もしそうでないならば、どのような行為なら納得できて、どのような行為ならば納得できないのかについての境界を明確に示さない限り、何も言えていないのではないでしょうか。」の間に挿入される部分を述べたわけです。

pingu98pingu98 2007/10/30 02:23 あらあら。何の話をしてるんだかさっぱりわからない。

quppaquppa 2007/10/30 07:58 何が?

lastlinelastline 2007/10/30 11:59 >どのような行為なら納得できて、どのような行為ならば納得できないのかについての境界を明確に示さない限り、何も言えていないのではないでしょうか
だったら、始めからそのようにおっしゃればよろしいのではないでしょうか?そんな意図は全くもって読み取れません。人に何かを提示するならば、一意的に伝わるように努力すべきです。

さて、根本的な勘違いをしてらっしゃるのでしょうけど
リンクした側が、「言及されることを拒否する理由を説明してもらいたい、嫌だから以外の」とリンクされた側に述べた場合、これは十分に交渉の余地がありますよという意味です。「嫌だ以外の納得できる理由」を提示し、リンクした側がこれに納得できればリンクを外しますよという譲歩です。

どのような行為なら納得できるかは様々シチュエーションが考えられますから、リンクされた側が明示し、個別に解決していくべき問題でしょう。また、リンクした側によっても同じ「リンクされたくない」理由を提示されても納得できる人と納得できない人がいるでしょう。ですから、リンクした場合、された場合であっても「どのような行為なら納得できて、どのような行為ならば納得できないのかについての境界を明確」することはできません。

しかし、「言及されるのが嫌だ」というのが理由ならば、ただの我侭なので納得することはできませんからリンクは外しません。もちろん、外す人もいるかもしれませんが。「嫌だ」だけでは感情論に過ぎず、論理的な説明ではないから納得できません。嫌ならWWW上にコンテンツをおかなければいいのです。それなのに、WWW上にコンテンツを置いているのは我侭です。

ゲスト


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