雀 (スズメ)
スズメはスズメ目ハタオリドリ科の小鳥で、スズメ類は世界で14種知られ、うち7種はアフリカにしか住まない。日本ではスズメとニュウナイスズメの2種が住む。人の住む所にはどにでもおり、人間にとって最も身近な鳥で、「記紀」にも登場する。「枕草子」に飼育が行われたことが見える。古くから物語や昔話にあらわれ、歌や俳句にも詠まれている。
ただ、留鳥とされてきたスズメも定着生活するグループと繁殖と越冬のため都市部と農村部を移動する渡り鳥のようなグループのいることもわかってきている。
スズメは1シーズンにおよそ2回繁殖する。1回に産む卵の数は4〜7個、12日間温められて孵化しヒナは2週間,親に育てられ巣立ってゆく。巣立ちする数は産卵数の55〜60%といわれる。スズメの寿命は2〜3年、高い死亡率や短命には、多産でのり越えていると言える。
「雀百まで踊り忘れず」
スズメは死ぬまで跳びはね、小踊りするのをやめない。ところでそれと同じように、人も幼いときからの習慣は年老いても抜け切れない。
このことから、人間も若い時に身につけた道楽や浮気の癖は、年をとっても直らないという意に使われることが多い。
ご存知のように鳥の歩き方は2種類ある。スズメのように、両足をそろえてはねるように進んでいくホッピング型と人間とおなじように歩くウォーキング型で、前者はスズメのほかツグミ、ホオジロ、シジュウガラ、オナガ、カケス、後者は鳩、ムクドリ、セキレイ、キジ、カモなどである。
ちなみに「カラスはどっち?」。
カラスは器用で両方の歩き方ができる。
「雀の小躍り」
スズメの歩き方は小きざみに飛び上がって前に進む。それが踊るようだと見立てたもの。
「雀躍」ともいい、「欣喜雀躍」のことばがある。
「雀の糠よろこび」
スズメが糠を見つけ、そこに米もあると喜んだが、糠ばかりで米はなくがっかりした。そこからせっかく喜んだのは無駄だった、ということのたとえとなった。
スズメは米が好きで、刈り入れ前の田んぼにやってきて稲穂をついばんだりする。
稲作文化を築いてきた日本人はイネといえば、鳥はただちにスズメを連想する。これはスズメによるイネの食害が、イネの栽培技術が未熟で収穫量も少なかった過去の時代では今よりずっと深刻だったからで、鳴子によるスズメおどしや案山子が今も秋の風物詩になっている、
ただ稲作に始まった日本の農業も時代とともに栽培作物の多様化、スズメの生態などの調査、研究が進めにつれ、スズメによる鳥害に対する見方も変ってきている。
農商務省(今の農水省)の長野県内で1922年の2617羽のスズメの月別の食性調査によると、食物の年間の全体の総量では植物質が88%である。このうち穀物(米、麦、ソバ等)は46%であるが、月別には意外にも1月から4月が多くなっている。穀物を除く植物質は多くは田畑の雑草類の種子で6月から12月にかけて多く食べられていた。一方動物質の主なるものはいわゆる農作物の害虫といわれる昆虫で、特にスズメの繁殖最盛期の5,6月には食物量の40%を占めている。また、他のある観察によると、6羽の雛に親鳥が運ぶ虫を回数は1時間当たり約40回だったそうで、毎日12時間の活動時間で巣立ちまでの2週間、その後10日間1回に1匹の虫を運んだとすると1回の繁殖で雛に与える虫の数は11520匹になる。スズメは1年に2,3回は繁殖するので、日本全国で食べる量は天文学的な数字になる。
250年ほど前、プロシャのフリードリヒ大王が好物のサクランボがスズメに食い荒らされるので怒り、2年ほど毎年38万羽のスズメを捕らえ、今年こそは豊作と待ち望んでいたが、毛虫が大発生しサクラの木はまる裸になってしまったと言う。
同じような話がおとなり中国にもある。
中国では国家発展のためにネズミ・スズメ・ハエ・カの四害追放運動が展開された。2400余隊、総勢8万人の青少年からなるスズメ捕り突撃隊が編成され、1954年冬から翌年の初夏にかけて北京だけでも約11億羽(?)のスズメが捕獲されたという。
しかし、その後まもなく中国は凶作に見舞われた。スズメの捕りすぎによる農作物の害虫も大きな原因とされ、1960年4月スズメは四害からはずされ、代わりにナンキンムシが指定された。
「江戸雀」
江戸に住み江戸の噂などに詳しい人を、うるさいスズメに見立てたことば。「京雀」ともいう。
「楽屋雀」
楽屋に出入りして芝居や役者の内部事情につうじている人。そこから,その社会の内部のことをよくしっていて、軽々しく話しまわる人の意
「雀の頼母子」
「頼母子」は頼母子講(互助的な金融組合。定期的な集会としてのおしゃべりの場でもあった)のこと。人々がにぎやかにしゃべっているさまのたとえ。さわがしいさま。
雀のさえずるよう
口々に勝手なことを言ってやかましい様子。
「雀の酒盛り」
小さなさかもり。にぎやかでうるさいことのたとえ。
「雀一寸の糞ひらず」
スズメが一寸ほどのもあるくそをするわけがない。物にはそれぞれにふさわしい大きさがあるものだということ。
昔、敵の将軍が暗夜ひそかに敵前に兵をやって糞を太い竹筒につめさせ、それをそちこちに押し出させておいたところ、夜が明けてこれを見た敵軍は大男が攻めてきたと恐れをなして、囲みを解いて逃げ去ったという。
「雀おどして鶴失う」
スズメを捕らえようとして鶴をにがす。細部にかかずらって,全体をだめにしてしまうたとえ。
「雀網で雁」
スズメを捕る網で雁を捕らえる。
思いがけぬ幸運のたとえ。
また、あるはずのないことのたとえ。
「雀に鞠」
スズメにまりを与えても何の反応も示さない。何も感じないことのたとえ。また、価値のわからない者には何の役にも立たないたとえ。
「雀の角」
スズメの頭に角が生える。しかし恐れるほどのことではない。
「雀の涙」
小さなスズメの眼から出る涙。ほんのわずかなたとえ。「蚊の涙」も同じ意味。
ところで、スズメの涙は何グラム?
これは、乾燥をふせぐためにせいぜい目をしめらす程度で少量過ぎて量りようがない。
「雀の三里」
「三里」は、ひざの下の灸をすえるつぼ。
背の低いことのたとえ。
「先の雁より手前の雀」
良いものでも不確かなものをあてにするより、多少、劣るものでも確実のものを選ぶほうが良いの意。
面白いことに、東欧、北欧あたりに「雀」のことわざが多い。このことわざでも、同じことをいうものに
「手の中の雀は森の中の鹿より良い」(リトアニア)、
「手の中のスズメの方が屋根の上のハトよりまし」(エストニア)、
「枝の上のハトより手の中の雀」(セルビア)
などがある。
「雀の脛から血を絞るよう」
スズメのすねから血を絞り取るように、弱い者からきびしく金品を絞り取ることのたとえ。
「雀の子に針」
弱いものを残酷に扱うことのたとえ。動物愛護にもとる行為。弱い者いじめ。
「闘う雀人を恐れず」
スズメのような小さく弱い鳥でも戦っているときは、人が近づいても逃げないということ。
スズメには「雀の涙」「雀の角」「雀の三里」のように取るに足りない、僅かなことのたとえに登場するが、これは繁殖期のスズメがテリトリーを争って闘うときの様子を見事にとらえている。
人の世界でも争いの当事者たちが周囲を全く見えなくなってしまうのは鳥と同じだ。
「雀の色事でちょいのせじゃ」
「のせる」はだますの意。スズメの交尾の時間が短いように。一寸だけのせる。ほんのちょっとだけだの意。心がけもよくない下品なことわざながら、掛け言葉が面白い。
「雀の踊った足跡のよう」
スズメの踊った足跡は乱れている。字が下手ことのたとえ。かなくぎ。
「雀の巣も搆うに溜まる」
「搆(く)う」は巣を作るの意。スズメがわずかなものをくわえて運んでいてもついには巣を作りあげるように少しのものも積もり積もれば多くなる。
「雀の千声、鶴の一声」
つまらぬ者ががやがや言うよりも、しつかりした人が一声言えば、それで収まるという意。
「一週間、雀でいるより一日、鷹でいる方がいい」 (ルーマニア)
「より強いもの、人の上に立つのをよし」とすること。どこにもこんな考えがあるものだ。
「千雀万鳩、鷂と仇を為す」
「鷂(よう)」はワシタカ科の小形のタカのハシタカ。千羽はスズメ、万羽の鳩がいたとしても、ハシタカにはかなわない。弱い者が大勢いても強い者にはかなわないという意。
「隋珠をもって雀を弾(う)つ」
「隋珠」は、隋侯の持っていた宝の珠。
損失・損害が大きく、得るところは少ないことのたとえ。「詩経」召南行露篇にある。
「雀を大砲でうつ」(ロシア)
こちらは無駄骨のこと
「古雀は籾がらにはだまされない」(ロシア)
老練な人はまがいものにだまされないの意か。
このことわざを見ると、あまり人を恐れないスズメの様子が見えてくる。人間のすむところにはどこでもいるスズメなのに、日本ではとても警戒心が強くて少しもなれない。前によほどは人間に恐ろしい仕打ちをうけたのだろう。
ヨーロッパの都会や町など人家の近く澄んでいるのはスズメでなくイエスズメだ。スズメは人家のそばでなく村はずれの林の中にいる。
イエスズメは体がスズメより少し大きくくちばしも大きい。昔、このふたつが巣の場所や餌を争った結果、イエスズメがスズメを追い払ってしまったと考えられている。
アメリカでは150年くらい前に移民者によってイエスズメが放されたが、それは25年ほどで全米全土に広がり、アメリカの農業に大きな影響をおよぼす害鳥になってしまつた。
繁殖力の強いいこのイエスズメが日本に上陸すればスズメのとって代わることも十分考えられる。日本のスズメはスズメのままでいてほしいものだ。
「雀角鼠牙(じゃっかくそが)の争い」
スズメに角があるかどうか、鼠に牙があるかどうかについて論争する。人と訴訟すること。
「雀の上の鷹、猫の下の鼠」
危険が身近に迫っていてさけがたいこと。
「雀の鷹の巣に近づけるが如し」
スズメが鷹の巣に近づけば、危険が迫ることになる。恐れおののくさま。
「雀原に礫打つ」
スズメの群れている原へ石を投げ込む。ぴたりと鳴きやむたとえ。「蛙原へ石」も同じ意味。
「目を掩うて雀を捕らう」
スズメが逃げるのを恐れ、自分の目を隠して捕らえようとする。小手先のつまらぬ策を弄するたとえ。
「勧学院の雀は蒙求をさえずる」
「勧学院」は、藤原冬嗣が建てた藤原氏一門の弟子のための学校。「蒙求(もうぎゅう)」は唐の李瀚の著で、古代から南北朝に至る有名な人物の言行を記した歴史教訓書。勧学院にすんでいるスズメは、日ごろ学生の読む「蒙求」を聞き覚えて、これをさえずる。平生見なれ聞きなれていることは自然に覚えるたとえ。
「門前の小僧習わぬ経を読む」も同じ意味。
「門前雀羅を張る」
「雀羅」はスズメを捕らえるための網。訪れる人がなく、家の門前にスズメが群れている。網を張って捕らえるほどである。人の訪れがなく、ひっそりしている様子。
「雀海中に入って蛤となる」
古くから中国で信じられていた俗信で、雀が晩秋に海辺に群れて騒ぐところから、蛤になるものと考えたものという。物がよく変化することのたとえとして用いられる。
蛇足ながらスズメの語源は(1)スズは鳴き声から、メは小鳥の義〔幸田露伴〕、(2)もとはチュンチュンと小さく鳴く小鳥の総称であったもの〔柳田国男〕とされている。要するに「すず」は擬声語。鳴き声のチュンチュンに同じ。「め」は鳥をしめす接尾語ということである。ただ現代人の私たちには鳴き声が何故「すず」なのか疑問が残る。これについては「チ」にみられる音が過去から未来にかけて変わるという日本語の変化があつたと音声学から説明されている。
柳田國男は著書「野鳥雑記」の中でスズメの名前について他にもいろいろ触れている。
なお、この「野鳥雑記」は日本民俗学の創始者として科学と詩人の目で野鳥と日本人の心を描いた名エッセイで、一読に値する書と考える。
つちくれの動くはどれも初雀(神蔵 器)
はらはらと来てや飛び立つ初雀(石田 妙)