光市母子殺害事件について。
被告というのは一人殺害で最低8年の懲役。一人以上だと無期懲役か死刑かもしれない。
マサドルフの蔵書『無知の涙』(悔恨詩や散文)の著者・永山則夫は19歳の時の4人殺害で死刑。
判決は個別の詳細丁寧正確な事情による。
ある程度な『聞く耳』持っているのが法治国家なのか。
論理優先か情緒(感情)配慮か。
犯罪論理しかり犯罪情緒しかり。
犯罪以外の本当の悪は損得俗欲シュフのなかに。
昔は世界中のあちこちで大勢を殺しても罪にならなかったり軽い罪や全くな濡れ衣で死刑になったり。
殺すにあたいする人物とか。
謀反とか。
ああ踏み絵とかもあったなあ。
監視社会は北朝鮮っぽいけど。
光市の被告の場合犯行時の1.18歳と年齢と。2.2人の殺害。ということで死刑確定とは事情を知らないと重い判決な印象だ。
昔の与那国島では人口減らしのために突然農民を招集しておいて遅れた来たひとを何人殺すとか妊婦を3メートルはなれた岩と岩の間でジャンプさせる儀式。という事がおこなわれていた。その場所その時代の社会正義の趣味で人殺しも。普遍的な善悪決定なんかはくやしいけど曖昧さ。道徳も流動。
さてシュフというのは
1.おしかけ
2.自称もうしこまれ
3.できちゃた婚か互いの任意
である。
シュフ本人からどういう申告があっても的確な対応はなかなかむつかしい。
なんら尊敬や感心の範疇にないことだけはたしかだ。
しかしまったく興味ないというわけでもない。やはりそういうか。またまた。というオトナ的上辺繕いな観念の確認はできる。オシカケであってもなぜかウヤムヤにされがち。事実はキチンと浮き彫りにして光を当てたい。いややめる。どうでもいい。
光市の事件の場合
一番えげつないのは母親主婦への『屍姦』である。
はじめて知った。
強烈に拒絶しなければ殺される事はなかったのか。
自分の問題としてのこれからとして
1.このような性的倒錯者の対応やいかに
シュフの武器は女肉股間であり。しかしピストルなどの武器とはちがって『愛の流刑地』を参考とすれば貞操観念みたいなものもあるようである。結婚後の恋人への身捧観念で夫を拒む事例はよく耳にする。
現実の身近な問題として足フェチ関連の人には充分用心する必要がある。
性的倒錯には犯罪に近い好ましくない異常性をかんじる。
つぎにその殺人に計画性があったか。
これはいつも問われる。
計画性がある方が罪が重いみたい。殺人か傷害致死か。傷害致死なら禁固8年以下かもしれない。
7人くらいいた光市事件の弁護団は『被害者の首に右手でしめられた後がないから故意な殺人とは立証できない』。みたいに言っていた。左手だけでほんのはずみで。みたいな。
しかし被告を死刑にする弁護ならだれでもできる。マサドルフさえも大リーグで三振できる。
まあとにかく裁判の法律用語は駆使難解ではある。慣れてないとスルスル言葉は出ない。
法律用語を的確に使用して真実や正確な内面を冷静に述べる事が重要。
多くの人々を正義風な観念で納得させねばなるまい。
18歳の元少年は母親がなく赤ちゃんを抱く母親を見て甘えたくなったなどと弁護団は。
おそらくやつは・・・・。とか憶測妄想は最もいけない。絶対にいけない。理性なきシュフがやりそうなことだ。
とにかく配管工。配管工を突然家に入れちゃったんだオクサン。
きのうこの家にも電気のブレーカーみせてくれ。という電気会社の人が突然きた。もにょもによ ゆってたら家の中には入って来ないで帰った。突然じゃやはり。こっちの服装とか部屋のそうぢとか。その日突然女紹介しろもマイル。楽しいわけない。
とにかくのぞかれたくはない。のぞきたいのがシュフのひとたちなんで実際にのぞいてしまうひとたちなんですが。
突然の配管工は家に入れるのは危険です。
それにどうも山口県光市という地方都市の田舎的油断があったのか。
地方都市はケダルイ。緊張がない。
そうだ。
裁判はマスコミも張り付いてスンゴイ注目と緊張空間です。
一方犯罪の実際の犯行現場は被告・被害者とも『油断』があったのではないか。
なんでも排他的なのはよくないが。日常的油断ぼんやり倦怠の中でうっすらと犯罪や犯意は。
地方都市の油断。シュフの屍姦。
遺族の本村洋氏の活動により被害者の権利向上は大変躍進した。そのことは社会正義に貢献。
マサドルフは心理面的な方向から。こういう発言をしては非常にマズイかもしれないが。
女肉使用で生き延びるシュフ独特な貞操観念による大胆な拒絶が殺意を。
まあ拒絶こそがあたりまえなんだけど。
マサドルフは今のところあえて死刑賛成でも反対でもない。
えん罪の死刑確定執行こそをとてもおそれる。
元少年の配管工は死刑になる。緊張した裁判を経て日本中の注目の中での死だ。
たぶんコワイだろう。
一方犯罪被害者はダレモ見ていないところで油断な日常の中であっけなく殺されている。
赤ちゃんも。あやしててうっかり落としたのか殺すつもりで床に放り投げたのかはわからない。傷を法医が判断するしかないのだろう。司法解剖か。
被告の愛なき乾ききった精神と犯罪との結びつきは実はわからなくもない。善悪とかもうすべてがめんどくさいような冷めたさめきった感情とか。社会正義全部がインチキに思え自身の渇望のみが赤裸々に切実。どいつもコイツも感とか。アニメやファンタジーへの傾倒も危険。
18歳という年齢もある。
必死で女肉使用で子産みで生きのびようとするシュフこそはこずるい。というかアマリにおおすぎて興味ある心理描写とはなり得ず。シュフというのは明治ではなく現代にあっては卑劣な職業。納税もない。地球人口は増えすぎ。シュフは減らして労働者人口をふやさないと高齢化に対応できない。
マサドルフは社会正義とか公益に尽くすとか言うだけは言ってみたい。
おきてしまった犯罪の弁護はしたくない。
ただ犯罪な気持ちをおこさせないようなけだるくない地方都市にしてほしいしシュフはいくらふだんラクしてても日常的に油断してはいけないしシュフがもしカミュの『異邦人』が最も好きな小説だったら。
2人殺して死刑とか厳罰化による犯罪防止期待なんかはなんかギスギスしてまあああああすーーーー。
裁判や法なんかになるべく依存しない普段からの全員の緊張と。
シュフべらし。母性なシュフは道あるいてても尻倦怠ゆるみっぱなしだ。
社会正義。
われわれは被害者にはあっけなくなりやすく死刑囚になるのはとってもこわい。
のぞきたいんだろうがのぞかれたくはない。
光市の事件の場合『屍姦』とはだんせーのお腹の事情なようなので文学にはなりにくいし共感不能。
わかりようもない。
だんせーのおなかも女肉シュフもとても俗っぽい。
社会正義のためにこそいつも緊張。油断だめ。