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No.33 Contents essay1      
2005.2.14 update


ホリエモンの戦略
Written by Akira Suzuki

  ライブドアの堀江社長がニッポン放送の発行済み株式の30%以上を買い付けるという「事件」が起こった。ちょうどフジテレビがニッポン放送の株式の公開買い付け(TOB〈Take Over Bid〉)に打って出ている時だったので、この「敵対的買収」が大きな話題になったわけだ。
 私にとって、こうした企業買収を巡る暗闘は人ごとではない。私が以前勤めていた就職情報会社「文化放送ブレーン(BHB)」は、株式公開直後から激しい株転がしとM&Aがらみの暗闘に巻き込まれ、複数の企業間を子会社として転々とさせられたあげく、最後はボロボロにされて跡形もなく消滅させられてしまった。その経緯を企業内部から見ていた私にとって、今回の「事件」はまったく人ごとではないのである。
 
 私が入社した1988年当時のBHBは社員数40人ほどの零細企業で、売上高も40億円弱だったと思う。というのも、入社翌年の新年の挨拶で、当時の社長が「今期の売り上げ目標50億円!」とぶち上げたのを記憶しているからだ。ところが、それからバブル景気の波に乗ったBHBの売上高はあれよあれよという間に膨れあがり、2年後にはなんと130億円を突破、社員数も200名近くに膨れあがり、株式の店頭公開まで射程に入れるほどの成長を遂げたのである。そんな美味しい会社を周りが指をくわえてみているはずがない。この頃からBHBの企業としての命運は、マネーゲームの恰好の対象として激しく翻弄されていくのである。
 BHBは文化放送の100%子会社で、フジテレビやニッポン放送が構成するフジサンケイグループの一員だったこともあるので、私としてはよけいに今回の話が生々しく感じられるのだが、ここで話を見えやすくしておくために、フジサンケイグループのそもそもの成り立ちを俯瞰しておこう。
 
 文化放送の前身は「財団法人セントポール放送協会」といい、1953(昭和28)年に、カトリック修道会がマスメディアによるカトリックの布教を目的に設置した放送局である。現在四谷にある文化放送の建物が、まるで教会のような外観をしているのはそのためだ。
 「財団法人セントポール放送協会」は開局のためにNHKのレッドパージ組を大量採用した。そのため、放送開始直後から常に労働争議が途切れることなく、ついにはそれがもとで経営状態が悪化し、結局、聖パウロ修道会は開局後間もなく経営から手を引くことになる。代わって経営に乗りだしたのが東急電鉄や旺文社などで、この保守的財界・出版界の出資によって1956年に株式会社文化放送が設立され、「財団法人セントポール放送協会」から放送事業が引き継がれたのである。その時に文化放送の筆頭株主となったのが旺文社で、そのため、文化放送の番組には民放には珍しい「百万人の英語」や「大学受験ラジオ講座」などの教育番組が多かったのだ。
 一方のニッポン放送は、財界のマスコミ対策として設立され、当時財界の「青年将校」と呼ばれた経団連専務理事の鹿内信隆が実務の中心となって開局したラジオ局である。そのニッポン放送と文化放送が共同出資して設立したのがフジテレビで、つまり、ニッポン放送と文化放送はフジテレビの設立母体であり、親会社なのである。
 
 こうした関係を念頭においた上で、これからの私が語るBHBの運命の物語を聞いて欲しい。
 まず文化放送がほぼ100%持っていたBHBの株は、文化放送の親会社である旺文社に売られることになった。この時点ではまだBHBの株式は店頭公開されていないので、二束三文の値段である。
 その後、店頭公開を経て莫大なキャピタルゲインを得た旺文社は(というより、旺文社の創業家である赤尾家は)、その株を旺文社の子会社間で転売を繰り返し、値をつり上げた後、フジテレビに売却する。フジテレビがこんなポロ株を引き受けたのは、たぶん文化放送の所有するフジテレビ株とセットで取り引きされたからだろう。
 こうしてフジテレビの子会社としてフジサンケイグループの一員になり、それなりに経営も安定したかに見えたBHBだったが、この頃にはバブル経済もも崩壊し、売上高は激減、5年連続の赤字経営が続くという完全なお荷物会社と化していた。
 お荷物会社をグループ内に抱え込みたくないフジテレビは、すぐにBHBの株を週刊賃貸ニュース社に売ってしまう。賃貸ニュース社にとってみれば、当時BHBが持っていた「メガジョブ」という就職情報サイトが持つ学生のデータベースが魅力的だったのである。なにしろ、就職が決まった学生が次に手をつけるのは、新たな部屋探しなのだから。
 賃貸ニュース社の子会社として新たなスタートを切るかに見えたBHBだが、そう簡単には問屋が降ろさなかった。賃貸ニュース社がBHBの株式を買い付けたのとほぼ同時期に、ソフトバンクが賃貸ニュース社の株式を買い付けてしまったのである。
 創業者である前オーナーから、株式は絶対に手放さないように強く言い渡されていたという現オーナーは、ソフトバンクに渡った自社株を取り戻すため、ソフトバンクが所有する自社株とBHB株のバーター取り引きに応ずることにした。
 こうしてソフトバンクの支配下におかれたBHBは社名を「ブレーンドットコム」と変えられ、就職情報会社からインターネットコンテンツ会社へとその業態を変更させられた。
 私がBHBに見切りをつけて退社したのはちょうどこの頃のことである。
 ところが、その業態変更宣言の舌の根も乾かぬうちに、インターネットコンテンツだけでは利益が出ないと見たソフトバンクは、ブレーンドットコムとディジットというフリーペーパー発行会社を合併させてディジットブレーンと名前を変え、もう一度就職情報会社に業態を戻すことを宣言したのである。
 しかし、そんなにコロコロと業態や名前を変える企業を、いったいどんなクライアントが信用するというのだろう。
 まるで坂道を転げ落ちるように業績を悪化させ、陸続と社員が退社する中、ディジットの主導していた事業は事実上破綻し、ディジットブレーンは再び三度メガブレーンと社名を変更、単独企業として再生を試みたのであるが、今年の1月、遂に刀折れ矢つき、採用業務からの完全撤退を表明し、僅かに残っていた旧ブレーンの残党社員は全員解雇となり、BHBの歴史は遂にその幕を閉じたのである。
 
 思えば、すべての悪夢はBHB株の店頭公開によって始まった。事業内容や社員の思惑、意志とは関係なく、株価だけが独り歩きを始めたのが、株式の店頭公開の日であった。
 株式を公開せず、閉じていれば「コクド」のような前近代的な閉鎖体質を招く。とすれば株式は公平に公開され、市場に棲む「神の手」に委ねられるべきだ。しかし、市場に棲む「神の手」は、時として悪魔に変心することもある。
 それを食い止める唯一の方法は、経済活動による利潤を個人の手の中に取り込もうとするのではなく、限りなく公共財として社会に還元していこうとする「プロテスタンティズム」にあるのかもしれない。
 
 堀江氏の狙いと真意がどこにあるのか、最後まで目を離さずに注視していきたいと思う。


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