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ひとインタビュー子宮を失ってからわかった 生きて本当にやりたいこと 第四十三回 洞口依子さん

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子宮喪失を乗り越えて

その独特の存在感で、篠山紀信、黒沢清、伊丹十三など巨匠たちをひきつけ、見る人の脳裏に忘れられない印象を残してきた女優、洞口依子。38歳の冬に子宮がんが発覚し、子宮、卵巣ともに全摘出するという試練を経た。その喪失感と心身の不調に苦しみもがいた数年間の思いのすべてを著書に書き下ろすことで、再生への道を歩み出した彼女が、思うところを語ってくれた。
(取材・文/田中亜紀子 写真/小山昭人)

――お元気そうでよかったです。このたび出されたご著書「子宮会議」は、題名もドキっとしますが、内容もとても赤裸々ですね

ありがとうございます。今はようやく船出できた喜びでいっぱいです。自分の書いたものが人の心を立ち止まらせることはとても難しいと思いますが、この本はぜひそういうものにしたかったので、子宮がんの発覚から闘病中の精神状態、夫婦の問題までかなりリアルに書きました。思い出しながら書くことで、もう一度つらかった日々を体験したので、書きながら吐いたり泣いたり。夫は私の執筆中の鬼気迫る背中が怖かったみたいです(笑い)。

――そんなにつらいのにどうしてそこまでして書いたんですか?

どうにもならない苦しい思いが私の中で膨らんできて、吐露(とろ)せずにはいられなかったのが直接のきっかけです。また、人の経験は何事にも代えがたいので、私が勇気を出して立ち上がることで、同じ病気を抱える人はもちろん多くの人の参考になれればと。私自身病気になってから、同じ病気の経験者のサイトや本は心の支えでした。そして読者に、あなたやあなたの大切な人に置き換えて考えてみて、と問いかけることで、自分の体や大切な人への「愛」を感じて欲しいと思いました。

――これを読むと体が少しでもおかしければ病院に行きますよ

そうなって欲しい。私のようになかなか医者に行かずに病気が重くなることがないように。自分の体の声を聴くことはとても大切だと思うんです。もう年かな、と思いつつ無理する人は多いけれど、なかなか自分の体と対話する時間を作らないでしょう? 私も当時体の声を聴く余裕がなくて、病院に行った時は即手術しなければならない状況でした。結局、子宮と卵巣の全摘。さらにリンパ節の摘出と転移防止の化学療法で約2カ月間入院を余儀なくされました。

人一倍カッコつけてたのに

――助かったのは本当によかったけどがんは退院後も辛いそうですね

そこからが本番です。入院中は病院という環境に任せられるけれど、日常に戻れば自分がやらなければなりませんから。自分では元の体に戻ろうとがんばっても、元の通りにはなれない。私の場合、末梢(まっしょう)神経がしびれて歩けなくなったり、ホルモンバランスが狂い太ったり。心のバランスが崩れて、うつやパニック症状が出たり。本当につらかったです。それに、手術で足のつけ根のリンパ節をとったのでリンパ浮腫や化学治療による後遺症などにも悩まされます。恥ずかしい話ですが、排泄(はいせつ)のコントロールがしばらく難しかったんですよ。

――そういうことは、本当につらいですよね。特に女優さんですし

そんなこと人に言えないから、撮影や取材中など脂汗をかいていました。人一倍カッコつけて生きてきたのに、気がつけば下着はデカパン、しかも粗相なんて、本当にこれがアタシ?って情けなかったですね。それでも体の後遺症は時間が解決します。私の場合は子宮を失った喪失感が大きかった。「人」として生きるために手術を受けたのに、いざ子宮をなくすとこれから「女」としてどうやって生きればいいのかと自分を追いつめてばかりいた。さらに病気の不安や仕事への焦りが募り、お酒に逃げて不摂生な生活をしていました。ある日、足が体を支えられず足首を骨折し、病院に行ったら何と体重が20キロも増えていたんです。

――そんな状況から、どうやって脱したのですか

前から好きだった沖縄で療養しました。結局何度も出かけましたが、最初は友達の家に約1カ月お世話になったんです。沖縄の自然も人も流れる時間のペースも本当に良かった。東京にいると焦るし、やはり女優だから人目が気になるのですが、向こうでは皆が放っておいてくれましたから。なんら構えずに、ご飯を食べて、海で泳いで散歩して。最初に誰もいない海にぽっかり浮いた時、青い空と水平線が見え、自分もこの大自然の一部だと感じ、ここに共存している命の奇跡に涙があふれました。

(写真)洞口依子さんプロフィール

どうぐち・よりこ。1965年東京都生まれ。中学3年生の時に「週刊朝日」の表紙モデルに抜擢(ばってき)される。その後、篠山紀信氏の人気グラビア、「GORO」の激写シリーズに出るなど、グラビアアイドルとして活躍し、19歳の時、黒沢清監督の「ドレミファ娘の血が騒ぐ」にて女優デビュー。その後、伊丹十三監督の「タンポポ」「マルサの女2」などにも出演。テレビでは「愛という名のもとに」「ふぞろいの林檎たちIV」、久世光彦演出の向田邦子ドラマシリーズなど人気ドラマに出演。33歳でテレビ局のディレクターと結婚し、公私ともに充実していた38歳の冬、子宮がんが発覚し手術。退院後苦しみながらも女優として復活し、2006年にはネットシネマ「探偵事務所5 マクガフィン」にて映画にも復帰。今年4月には以前から組むウクレレユニット「パイティティ」のライブも経験。6月には初めての著書「子宮会議」を上梓(じょうし)するなど意欲的に活動を広げている。

お知らせ

6月1日、洞口さんの初めての著書「子宮会議」が小学館より刊行されました。癌(がん)で子宮と卵巣を全摘出した女優が、女として妻として人間として、自らの子宮に問いかけながらつづった、愛と勇気と再生のドキュメント。第1章は病気が発覚し、手術に至る過程を生々しい筆致で。第2章は、子宮が語り手となり、洞口さんの幼少の頃から現在までを振り返るというユニークな形式。第3章は、手術が終わってから、後遺症や精神的不安と闘いながら再生に向かう彼女の姿が描かれています。

洞口さんの公式サイト
「のら猫万華鏡」

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