目 次
(P.1)
◆1975年に発足したが……
◆健康な長寿のために不可欠
◆「病院に来るな。医者に診てもらうな」という健康指導
◆「欠勤の自由」を勝ちとる
◆漢方以外の薬も絶つ
◆自己流リハビリに成功
◆「医辞連」精神で健康で長生き
(P.2)
◆「制度化」の弊害
◆独学のススメ
◆独学の成果
◆高級推理パズルにすぎない受験勉強
◆「優秀だ」という錯覚
◆鴎外が指摘した「駆け抜ける人生」
◆病院依存は不健康な長寿
◆厚生官僚のお粗末さは別立てで
◆1975年に発足したが……
「医療辞退連盟(以下・<医辞連>と表記する)」をご存じだろうか。「70歳を超えたら、いたずらに生命を引き延ばすような過剰な医療を自主的に辞退しよう」という考え方の団体で、順天堂大医学部教授だった守屋博氏(1990年7月、86歳で死去)が、75年に提唱した。「保険同人」を主宰していた医事評論家、大渡順二氏(89年6月、84歳で死去)らも賛同していたはずだ。
私自身も医辞連について知っているわけではない。インターネットで調べてみて、75年10月9日に「連盟」発足という資料が出てきたが、じっさいにどの程度の会員がいたか、活動はどうだったか、などは不明だ。会員が多く、活動が活発だったなら「不明」なんてことはないはずで、おそらく守屋氏の呼びかけにもかかわらず、「笛吹けど踊らず」で、賛同者は少数にとどまったのではなかろうか。
◆健康な長寿のために不可欠
私自身はいま65歳。前々から、老後は「医辞連」の精神で生きていきたいと考えていた。あくまで自分自身の問題として考えていただけだが、後期高齢者医療制度をめぐる大騒ぎで考え方を変えた。21世紀版医辞連を結成しなければいけないと考えるようになったのである。
いまの大騒ぎは、高齢者の金銭的負担をテーマとしているだけで、高齢者の健康と医療の問題はそっちのけになってしまっている。どうしたら70歳以降も[
健康で](この[ ]で囲んだ字句は、ゴチックで印刷するという気分)長生きできるのかを、きちんと考えたい。そのためには、医辞連という考え方は不可欠だと思っているのである。
◆「病院に来るな。医者に診てもらうな」という健康指導
私自身の私的な体験だが、20歳ごろ以降、「医者に行かない。薬を飲まない」を健康法にして生きている。そのきっかけは名を知ることもなかった一人の医師のアドバイスだった。
19歳のときだが、体調が悪くなり、大学の診療所に行った。そのときまで私は、初期の結核だと言われたり、心臓弁膜症だと言われたりしていた。高校のときは、毎年晩秋から初春にかけて病院通いを強いられていた。そんなことを訴えると大学病院に回された。私は東京大学の学生だったから、大学病院は東大病院ということになる。
いろいろ検査した上で、主治医格の医師が「君の場合は、病気を気にしすぎだ。以後、病院に行かない、医者に診てもらわない、ということを健康法にしなさい。それでいいということを私が保証する」と言ってくれた。例えば心臓については、何人もの医師が聴診器で心音を聞いてくれた。心電図も何人もの医師が見て検討したのだという。そういう作業を経て、「病気ではない」というのだから説得力がある。しかも「権威」の固まりのような東大病院である。
私はそのアドバイスを信じることにした。学生時代、そのとおりやってみて、けっこう健康に暮らせることがわかった。新聞記者という肉体的にハードな職業を選ぶことができたのも、この医師のアドバイスのおかげだといえる。
◆「欠勤の自由」を勝ちとる
記者時代は、体調が悪いときにはすぐに欠勤することを心がけた。体調不良はたいてい風邪ひきである。会社に電話して休み、酒でも呑んで1日中寝ていると治る。すぐ翌日出勤してキャップにあたる人に、「昨日はすみませんでした。おかげですぐに治りました」と謝っておく。そのうち酒でも呑んだとき、「体調が悪いとき頑張るのもいいが、風邪をこじらせて3日も4日も休むのでは同僚に大きな迷惑をかけることになる。だから私はすぐに休ませてもらうんです」というようなことを言っておく。これで「1日休みの自由」は確保できた。
◆漢方以外の薬も絶つ
30歳になったばかりのとき、兄が白血病で入院、200日近くの闘病生活の後に死亡した。骨髄移植が定着する以前で、大量の抗ガン剤を注入する以外の治療法はなかった。がん細胞となっている白血球が消え、治癒したという時期は来るのだが、大量の薬物によって肝臓が冒され、ボロボロになっている。結局、肝臓がダメになって死んでしまうのである。
酒を飲んで、この経験を話すと、「私の知り合いもそうだった」と言う知人が多数いた。「薬は異物だから、肝臓を冒す」ということを強く印象づけられた。以後、漢方薬以外の薬はのまないことを厳重に守っている。
ある時期、メニエル氏症候群にかかってしまった。市立病院に行って病名を告知されて、安心した。心因性の病気であることは自分の知識として知っていたからだ。それでも4、5種類の薬を出された。その薬はすべて捨てて、会社で遠慮することをやめ、先輩に対しても「言いたいことは言う」姿勢に切り替えた。短期間で治った。
◆自己流リハビリに成功
14年前、脳こうそくで倒れ、1カ月半入院したということはあったが、それ以外はおおむね健康な生活を送っている。このときはリハビリに成功し、後遺症はおおむねゼロと言えるところまで回復した。
その経験は
「私の脳卒中体験―自己流リハビリは楽しかった」(同時代社1995年9月)
に書いた。ほとんど医師や理学療法士の世話にならず、自分でリハビリに成功したのである。
「後期高齢者医療制度」に関する厚生労働省のリーフレットより
◆「医辞連」精神で健康で長生き
その体験から考えて、「老い」を克服するためには、意識的なリハビリが必要だという結論を導き出していた。70歳代以降となれば、全身のさまざまな機能が衰えてくる。その衰えを鈍化させ、健康な日常生活を維持するためには、意識的な努力が必要になるという意味である。全身の機能を維持するため、自分自身で努力することが必要不可欠なはずだ。
「健康な老後のためには、医者にかかる必要がある」というのが、後期高齢者医療制度について騒いでいる人たちの言い分だろう。それは全く違う。医師たちは「不健康で長生き」の老人たちを大量生産するだけだ。逆に「健康で長生き」を目指すためには医辞連の考え方が必要なのだ。
高齢期の健康づくりは、病院や医師に依存してできるものではない。脳卒中のリハビリなどと同様、一人ひとりの個人が、自分で努力して築き上げる必要があるのだ。