1999年に山口県光市で本村洋さんの奥さんと娘さんが殺害された事件は、広島高等裁判所で大きな山場を迎えました。主文を後回しにして朗読する形が採られた22日の差し戻し控訴審で、裁判長は当時18歳で現在27歳のA被告に死刑判決を言い渡しました。
これにより、法廷外から本村さんが求めていた「極刑」がようやく宣告されたことになりますが、「一方的」「感情的」との批判が避けられないだろうこれまでのメディア報道などを割り引いても、今回の差し戻し控訴審は本村さんペースで進み、少年法では数えるほどしかない死刑判決が下され、本村さんの“作戦勝ち”で一区切りを迎えたと言えそうです。 事件当時の特異性などから注目された母子殺害事件。事件当日、ご家族を唐突に失う悲哀を味わった本村さんは、ご自身の著書で映画化もされた「天国からのラブレター」など、ここ数年間はメディアや講演などを通じて、積極的に事件の不当性を訴えて来られました。 ある時は山口地方検察庁の検事に対してご自身の言葉で直接働きかけ、ある時は記者会見で「無罪にして欲しい。釈放されたら自分でA被告を殺す」と語るなど、さまざまな形で裁判での「勝利」を模索してきた本村さんは、背景の思想はともかく、多くの人々の支持を集めさせ、注目させることに全力投球なさったような気がします。 こうした全力投球の結果、広島高裁はA被告に死刑判決を与えました。今にして思えば、この事件に注目した多くの市民は、本村さんがメディアを巧みに利用し、自ら望む判決を得たような気がしてならないと思うんです。 今回、「死刑」という最も厳しい結果を受け止める事態となったA被告とその弁護団の主張にも、私は一定の理解を示していましたが、A被告の供述差し替えが最高裁による差し戻し後だったことを考えると、「出方が遅すぎた」としか言いようがありません。 死刑廃止への世論が流動的な今、A被告に残された道は、いずれにしても可能性が極端に限られることになったと言えそうです。今回の裁判は、我が国の裁判や少年犯罪の歴史や記録、そして記憶にも残るものとなりました。ただ、本村さんがメディアを積極的に利用して「判決を勝ち取った」ことは、裁判が終わっても今後議論を呼ぶことになるでしょう。 ※ちなみに私はこれまで、本村さんを「被害者のAさん」としてきました。が、死刑判決に伴い事実上裁判に勝ったことを踏まえ、ご本人については実名に切り替えさせて頂きました。また、これまでA被告は単に加害者としてきましたが、同じ理由で切り替えます。
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