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社説2 国民の感覚を映した死刑判決(4/23)

 無期懲役では刑が「甚だしく不当に」軽いとして最高裁が審理のやり直しを命じた光市母子殺害事件で、広島高裁は死刑判決を言い渡した。

 裁判で事実認定された犯行のありさまは、まったく非道、残忍極まる。にもかかわらず、差し戻し前の1、2審とも死刑を避けたのは、被告人が犯行当時18歳になったばかりだったのを重視したからだ。

 少年法は、少年は大人に比べて更生の可能性が大きいと考え、18歳未満の者には死刑を科さないと定めている。この条文の趣旨を酌んで裁判所は18歳以上であっても未成年者を死刑にするのには極めて慎重である。最高裁が1983年の判例で示した「死刑選択の許される基準」でも「犯人の年齢」は考慮すべき要素の1つになっている。

 昨年報告書が出た、司法研修所による「量刑に関する国民と裁判官の意識についての研究」に次のようなアンケート結果があった。

 被告人が未成年者だったら刑を重くすべきか軽くすべきか、を尋ねたところ、一般国民の回答者はほぼ半数が「どちらでもない」を選び、裁判官の常識とは逆の「重くする」「やや重くする」が合わせて25%あった。裁判官で重くする方向の回答はゼロ。「軽くする」「やや軽くする」が計91%である。

 また殺人事件の判決を一般国民はどうみているかを調べると「重い」は3%「妥当」は17%しかなく、「軽い」が80%に達した。

 光市事件のような未成年者が犯した殺人では裁判官と一般国民の考える「適正な処罰」に相当大きな差がある、と推測できる調査結果だ。

 死刑は憲法が禁止する「残虐な刑罰」にはあたらない、との判断を初めて下した48年の最高裁大法廷判決には「ある刑罰が残虐であるかどうかの判断は国民感情によって定まる」との補足意見がついている。

 これを敷衍(ふえん)すれば、死刑適用を判断するには、裁判官は専門家の「量刑の適正感」でなく、国民の「何が適正な刑罰か」の感覚をくむべき、といえよう。さらに刑罰全般についても専門家の「適正感」が妥当か一般国民の感覚と常に照らし合わせる必要がある。裁判員制度を始める理由の1つがそこにある。

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