早朝に。
「お前のいる環境で感じる苦労なんてたいしたことない、甘えるな!バカタレ!」という批判にあえて耳をふさぎ、
私KONOなりの甘っちょろい世界の中で感じてきた想い。
振り返れば、色んな事を断念してきた。
楽しみにしてた予定もアキラメてきた。
「どこかに一緒に出掛けよう」という守れない約束を重ねてきた。
どこにも動けない日々の中で、どこかへ出掛ける友達に対しての羨ましい気持ちを必死に抑えながら、目の前の事に懸命に取り組んできた。
自分が背負っている「環境」が理由で「回り道」をしたとしても、そんな自分自身をミジメだと思うことだけはしないように、ツッパッてきた。
体調が思わしくない状態が続いてもそれを「ストレス」とは言いたくなかった。
そんな日々の中で、自分自身の喜怒哀楽を見つめながら、そのままを引き受け、受け入れようとした。
それしかなかった。
そんな自分の「情けなさ」に気づきながら、「自分の事として」仏教を学んできた。
でも、
何も理解しちゃいなかった。何も引き受けちゃいなかった。
だって、
今、
こんなふうに
愚痴っているから。
でもさぁ、
受け入れないままに、受け入れてるのかもしれないなぁ。
ココロは揺れまくっても、私という「存在」は一切を引き受けながら、おとずれる場面を生きているから。
枕経で「ご遺体」の前に座る。
横たわる姿が、
びくとも動かないその姿が、
ゴチャゴチャ愚痴る僕のそれまでのココロを一番黙らせてくれる。
無言の迫力が、ゴチャゴチャ愚痴る僕を一蹴する。
イレギュラーに、容赦なく入る「葬儀」は、やはり、そんな落ち着かない「私のため」にあるんだ。
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