◎マイカー通勤禁止 街のにぎわい生む一助にも
金沢市が職員のマイカー通勤を原則禁止にしたのは、公共交通の利用や通勤時パーク&
ライドの促進を後押しする狙いが込められている。バス利用を呼び掛ける市の職員がマイカー通勤をしていたのでは、説得力に乏しい。まず率先垂範することが重要であり、そうした覚悟を示したという点を評価したい。
マイカー通勤は、家と職場を往復するだけになりがちだが、路線バスを使えば、街なか
に滞留する時間は確実に増える。本屋や美術館などに立ち寄ったり、赤ちょうちんで一献傾ける機会も多くなるだろう。そうしたバス通勤者が千人、二千人と増えていけば、街ににぎわいを生み、金沢のナイトライフの魅力をさらに高めるはずだ。公共交通の利用を市中心部の企業にも広げていきたい。
金沢市内の路線バス利用者数は一昨年、実に十年ぶりに増加に転じた。これは、市のコ
ミュニティバス「金沢ふらっとバス」の投入効果が大きい。最近では金大周辺での百円バスの運行や金沢市中心部とJR金沢駅前を結ぶ「まちバス」を午後九時半まで運行させるなど、利便性アップに向けた取り組みは目覚ましいものがある。
北陸新幹線の開業に向けて、金沢駅からの二次交通整備が大きな課題になっている。市
は新金沢交通戦略を立案し、市内バス路線の運賃低減策を打ち出しているが、バス運賃は安くないと、利用者は増えない。たとえば百円玉一枚で気軽に乗れる公共交通機関が網の目のように発達した都市が理想だろう。
重要なのは、利用者を増やす努力である。利用者が増えれば、バス路線はますます便利
になり、また利用者が増える。そんな好循環を生むために、マイカー通勤を減らす意味はある。
マイカーに頼らずに、快適に暮らせる街づくりは、本格化する超高齢者化社会の要請で
ある。特に道が狭い金沢の旧市街地では、車は「招かれざる客」であり、主役は歩行者であってほしい。先の見えぬ原油価格の高騰や地球温暖化、飲酒運転の厳罰化などを思うと、マイカーを持たずに暮らすライフスタイルが地方都市でも見直されてくるのではないか。
◎光市母子殺害で死刑 「少年」を過剰評価せず
山口県光市の母子殺害事件で元少年に死刑を言い渡した広島高裁判決は、「死刑相当」
事件では「少年」であることを過剰評価しないという司法の強い意思を示したと受け止めることができる。それは審理を高裁に差し戻した最高裁の意思でもある。
少年法は十八歳未満には死刑を科さないと定めている。一、二審の無期懲役判決では、
被告が犯行時、十八歳一カ月という死刑適用基準をわずかに超える年齢だったことが量刑判断に影響を与えた。だが、最高裁は「斟酌できる特段の事情がない限り死刑を回避すべきでない」とし、高裁もそれに沿って判断した。少年法の原則をむしろ「十八歳以上なら死刑を科すことができる」と積極的に適用したことの意味は大きい。
少年事件であれば、人格に影響を与えた成育状況や更生の可能性などを慎重に検討する
必要があるが、犯行の背景ばかりに目を奪われると罪と罰の間に不均衡が生じかねない。今回の判決は近年の厳罰化や被害者感情を重視する流れと無関係ではないだろう。
死刑とその次に重い無期懲役には天と地ほどの差がある。命をもって償う死刑に対し、
無期懲役は服役後に社会復帰があり、十年以上たつと仮出所になるケースもある。バランスのとれた刑罰の仕組みは今後の課題としても、現状では判例を重ねて合理的な死刑適用基準を定着させていくほかないだろう。一年後に迫った裁判員制度を考えればなおさらである。
死刑言い渡しは最高裁が差し戻しを命じた段階で予測できたことだが、今回の判決で注
目すべきは刑事弁護の在り方に一石を投じたことである。被告側は差し戻し控訴審で強姦目的や殺意の否認に転じ、事実認定を争った。その点については法廷外でも感情的な批判が渦巻いたが、広島高裁は事実関係を慎重に吟味したうえで「死刑を免れることを企図し、虚偽の弁解をろうしている」と断じた。
判決も認めた新供述の「荒唐無稽な発想」で真実が見えにくくなり、そのことが被告に
不利に働いた結果をみれば弁護団の法廷戦術にはやはり疑問が残る。