死刑廃止論
死刑廃止論 第六版/団藤重光著/有斐閣 2900円
昨年、私は、突如として「死刑廃止論」者となった。だれかの意見に触発されたわけでもない。それは、次のようなことをふと思ったからだ。
90年代以降、人の命がこれほどまでに軽いものかと思わせる凶悪事件が相次いだ。坂本弁護士一家殺害事件、地下鉄サリン事件などをひき起こしたオウム真理教事件。神戸市須磨区連続児童殺傷事件、所謂「酒鬼薔薇聖斗」事件。世田谷一家4人殺害事件。大阪教育大学附属池田小学校児童8名殺害事件。このような凄惨な事件が相次げば、世論はどうしても「死刑存続」に賛成する。私自身、少なくとも昨年の今頃までは、「死刑を絶対に廃止すべきではない」と考えていた。
それが、突如、「死刑廃止論」に考えが180度転向したのは、昨年の4月に米国のマサチューセッツ工科大学で発生した銃乱射事件と、8月に中国で日本人2名が死刑判決を受けたという報道がきっかけだった。マサチューセッツの事件は、米国の銃乱射事件でも最悪の被害(学生、教員合わせて32名が死亡。犯人の韓国人学生は、直後に自殺。)となり、世界に衝撃を与えた。事件後、犯人の韓国人学生が、犯行前に撮影した犯行声明ともいえるビデオテープが公開された。彼は、迷彩服に身を包み、両手には銃を構え、自分に対するいじめや人種差別についての恨みつらみを語っていた。その顔は無表情で、これから人を殺すことについて何のためらいもない様子であった。自分の武装した姿に酔った狂気のナルシズム。精神のひ弱さの反動から来る残虐性と自己中心的性格。自暴自棄。わたしは、この背筋の寒くなるようなビデオを見た時に、おそらく、このような犯人には、「死刑は、全く抑止効果は持たないだろう」と思った。(昨年末、日本の佐世保で、この事件の模倣とも思える猟銃マニア男のスポーツジム乱射事件が発生した。男女2名を射殺し、子どもを含む6名が負傷した。犯人は、マサチューセッツの犯人同様、迷彩服を着て、散弾銃、サバイバルナイフなどを所持し完全武装状態で犯行におよび、翌朝自殺。)私は、また池田小学校事件の宅間守を思い出した。彼は、8人もの無抵抗な子どもの命を奪っておきながら、遺族へ対してろくに謝罪の弁もなく、自ら死刑を希望して、控訴せず、むしろ、喜んで死刑台の露と消えてしまった。死刑確定から1年後のスピード処刑となったわけだが、反省もしないまま宅間が死刑になったところで、遺族の悲しみが癒えるどころか、むしろ、その憎しみや憤りが行き場をなくしてしまったのではないだろうか。犯人が死刑になって「ああ、よかった。これで犠牲者も少しは浮かばれた。」とは思えない、全くやりきれない気持ちだったことを思い出したのだ。
こうして、私は、死刑の「犯罪の抑止・予防効果」について疑問をいだいた。アムネスティ・インターナショナルのサイトで死刑廃止の動向について調べてみた。そして、愕然とした。東欧諸国を含むヨーロッパ諸国は、ベラルーシなどを除いてほぼすべての国が死刑を廃止している。世界の2/3の国が、法律上又は事実上の死刑廃止国である。先進国と言われる国で死刑を存置しているのは、米国と日本だけである。その他の存置国は、悪名高い中国やサウジアラビアなどアジア、中東、アフリカ諸国がほとんどだ。わが国は、恥ずべきことに、そういう国の仲間入りをしているわけだ。他国が廃止しているから日本も廃止すべきだなどどいうつもりはない。しかしながら、このデータを見れば、少なくとも「死刑廃止」というのは、一つの「考え(廃止論)」という次元ではなくて、もはや国際的な常識(常識という言葉が嫌なら、多数派といえば否定はできまい。)といってもいい状況になっている。
昨年、中国で、日本人2名が麻薬密輸疑惑で死刑判決を受けたという報道を聞いた。中国は、一説では、年間千人以上の死刑が執行されているという国だ。「麻薬」所持、密輸という犯罪が、死刑に値するものなのか、はなはだ疑問がある。しかし、日本政府は、中国政府に抗議する権利はない。日本だって、死刑存置国家なのだから。その時、中国を野蛮な全体主義国家だと非難できない自分に気がついた。死刑廃止を確信した。
私自身、大学の法学部で刑法を専攻していたこともあって、著名な刑法学者であり、最高裁判事を務めた団藤重光氏をもちろん知っていたが、氏が1990年以降、熱心な死刑廃止論を主張されていたことは、恥ずかしいことに全く知らなかった。死刑廃止に関心がなければ、私は、書店でこの本の背表紙に目が止まることはなかっただろう。氏の「死刑廃止論」は、既に何度も改訂され、「第六版」となっていた。しかし、この本は2900円という値段で、決して安くない本であり、一般的な読者には縁遠い装丁になっていることは非常に残念だ。しかし、本書は、平易な口語体で書かれており、一般国民に死刑廃止を訴える熱意に満ちあふれている。死刑賛成派から廃止派へ転向するのは、人それぞれの経験があるようだが、団藤氏の場合は、自らの裁判官時代のある経験がきっかけだった。氏が携わったある殺人事件の上告審において、誤判の可能性を否定できないまま、しかし、現行法制度上では、控訴審での死刑判決を棄却する理由がなかったため、刑が確定した。しかし、その判決の直後、傍聴席から「人殺し!」と罵声を浴びせられたという。氏は、その経験から、人間が人間を裁く以上、「誤判」の可能性は否定できず、他の刑罰と違って、死刑の場合は、無実の人間を死刑にしてしまっては、取り返しがつかないと説く。最高裁判事として、このような発言をするのは、非常に勇気があることだと思うし、また説得力がある。
死刑を廃止へのアプローチはいろいろあるが、私は前に述べたように、「死刑はもはや、犯罪の予防、抑止効果はない。」と確信するに至っている。愛する人を失った遺族としては、その犯人を「殺してやりたい。」と憎しみの感情を抱くのは人間として当然だ。遺族でなくても、冷血な殺人犯に対してはそういう思いがある。しかし、これは、「私憤をはらす目的=復讐心」だと思う。「暴力」で「暴力」の連鎖は断ち切れないのではないだろうか。国家が犯罪者に刑罰を課するのは、犯罪の予防という社会全体の安定を維持するという目的がある。その効果がない死刑を今後も存続するのは、私的な復讐を国家が代理しているだけにすぎなくなる。国家は、崇高な理想や理念のために、法制度を健全なものにするべきなのだ。ソクラテスは、言った。「愚か者は、気分や感情でのみ考える。賢者は、理性で考える」と。われわれは、憎しみを乗り越え、理性的にならねばならない。団藤氏の「死刑廃止論」から、私が最も重要と思う論点が書かれた部分を抜き書きする。
「「人を殺すなかれ」という規範を法が掲げるのは、世の中に殺人が行われないようにするためです。それなのに法じしんが死刑によって人を殺すことを規定したのでは、法がみずから規範を破ることになりはしないか。むしろ、法が自ら悪い手本を示すことになりはしないか。」(204ページ) 「人を殺してはいけない。」ということを法が、国家がまず、お手本を示すべきだということです。 1991年に死刑を廃止したフランスでは、当時国民の62%が死刑存続に賛成していたにもかかわらず、時のミッテラン政権の法務大臣バダンテール氏は、死刑廃止を実現した。彼は、このように言っていたそうです。 「民主主義と世論調査を混同してはいけない。民主主義は世論に追従することではありません.市民の意思を尊重することです。国会議員たちは、自分たちの政治的見解をはっきりと打ち出し、選出された上で突き進むことが必要です。逆に自分の政治的見解を世論に追従させるのは、デモクラシーではなくて、デマゴジーです。」(43ページ) 国連が採択した「死刑廃止条約」の批准を日本政府は、米国と一緒になって拒否し続けている。こんな国の政治家に「民主主義」や「人権」ということを理解させることは、並大抵のことではないとないと思う。フランスのバダンデールのような政治家が、早く登場してくれることを願う。死刑存置国家としては、日本は、中国やサウジアラビア同様に世界から見られていることをわれわれ日本人は自省しなければならない。
おすすめ度 ★★★★☆
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改めて 死刑存廃について (1)
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51895139.html からの続き) 国連総会の 死刑執行停止を求める決議は、日本を筆頭とする 死刑存続国に対して、 国際世論の多数派が 異議を唱えたことになります。 現在、死刑を廃止・停止しているのは 133ヶ国
2008/1/4(金) 午前 0:29 [ 「境界に生きた心子」 ]
はじめまして、サトルです。団藤氏の死刑廃止論第6版は絶版みたいですね。あちらこちらの古本屋で探しまわっているんですが、どこにもなくてまいっています。
こちらの記事を拝見し、内容を知ることができて、とても嬉しいです。
最近、駒村圭吾教授の論考で死刑存置派が活気づいているようですが、駒村氏の「自然人が有する報復権を国家が代理行使する」という考えについて管理人様はどのように思われますか。ぜひ、うかがいたいです。
私の考え:
http://blogs.yahoo.co.jp/satorukurodawin/folder/176027.html
2008/1/3(木) 午前 7:17 [ satorukurodawin ]
サトル様、真摯なご質問をいただきありがとうございます。貴殿のブログの私見を拝読いたしました。私もまったく同感です。ご質問への返事をまとめているうちに長文になってしまったため、あらたに記事をたてましたので、おそれいりますが、そちらをご覧ください。
[http://blogs.yahoo.co.jp/fctokyo1964/39349194.html]
サトルさんのように、私の意見に同調してくださる方がいてくださって、本当によかったです。貴殿のブログもいろいろと勉強させてもらうことが多いようです。あとでゆっくり拝見させていただきます。
2008/1/5(土) 午前 10:02 [ fctokyo1964 ]
やあ、死刑反対論者は少数派でしょう。私はまったくあなたの考えに賛成です。なぜ、それなりの結論的な解釈にいたらないままで、即死刑にするのか、日本という国は、未成熟の国、野蛮な国、歯に歯を、目には目を!という報復的な昔のあだ討ちの残存する国、実に嘆かわしい国だと私は思っています。犯人は最後まで罪を償うように、終身刑にすべきです。一瞬にして死ぬよりも、そのほうがずーっと命の重みがあります。良かった。あなたのブログに出会えて、良かったと思います。ありがとうございました。
2008/2/6(水) 午後 10:07 [ solitude7solitude ]