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ブレイディの教訓 少年よ、人権派に触るな

[2000年10月14日 ]

 民主党のクリントン政権が生まれて二年目の一九九四年、全米にあふれかえっている銃を規制する法案が成立した。

 もっとも、「銃を買っても引き渡しは一週間後」という、あまり実効は期待できない内容だけれども、初めての規制法であることには間違いはなかった。

 面白いのは、この法案の成立にもっとも尽力し、世間を説得したのは生粋の共和党員であり、銃規制に一番反対してきた全米ライフル協会(NRA)の会員だったジム・ブレイディだった。

 彼はレーガン大統領の広報官をしていた八一年、大統領を狙撃したジョン・ヒンクリーの流れ弾で頭を撃ち抜かれ、下半身麻痺の重傷を負っている。

 別名「ブレイディ法案」と呼ばれるこの銃規制法にクリントン大統領が署名する場に車いすで現れた彼は、法案成立にこぎつけた喜びをこう語った。「私はあの事件が起きるまで銃の規制にはまったく関心がなかった。しかし、自分がその銃の犠牲になって、そういう人たちの立場がはっきりと分かってきた…」

                 ◇ 

 今から三年前、元日弁連副会長の岡村勲弁護士(七一)の自宅で、夫人の真苗さん=当時(六三)=が訪れた男に殺された。

 犯人(六六)は山一証券との株取引で損をし、そのうらみから同証券での交渉相手だった岡村弁護士宅を訪ね、応対に出た夫人を用意したナイフで刺し殺した。

 岡村弁護士は犯罪の被害者になって初めて「司法と被害者の距離を実感した」という。

 男が捕まって裁判にかけられても、その言い逃れに被害者の岡村弁護士は一言も反論できず、「じっと唇をかんで」黙っているだけだった。「なぜ、ここまで被害者が捨て置かれるのか」

 やっと法廷で証言する機会を得た岡村氏は「(犯人を)極刑にしていただきたい」と訴えた。被害者としては当然の思いだった。

 そして昨年夏、東京地裁で判決が下された。「主文、被告人を無期懲役に処す」

 彼の証言は聞き流された。というか、日本の法廷には長年積み上げられたパターンがあって、それに外れる、例えば被害者の声を反映するといったことはマニュアルにはなかった。

 どういうパターンかというと、「一人殺しただけでは死刑にはしない」「判決は求刑の八掛け」「相手が少年ならうんと減刑して『更生して罪を償うように』と付け加える」「刑罰を厳しくしても犯罪は減らないというせりふも折に触れて挿入する」等々だ。

 教養もいらない、常識もいらない。ただ司法試験をパスするだけで裁判官になれる日本の法曹界では、はっきりいって頭を使う判決は無理がある。

 だから、こういう事件はこう、ああいうのはどうというパターンにはめこむ方式が最も無難な方策として取られてきた。

 この判決も「一人殺しただけでは死刑にしない」慣例と、「判決は求刑の八掛け」に従った模範主文で、締めの言葉も何度も使われた「自分の犯した罪に向き合って生きるように」だった。「被害者の気持ち」を斟酌するパターンはもともとなかったのだ。

 岡村氏は怒り、それは大きな波紋を呼んだ。なぜなら彼は一般人ではなく同じ司法試験を通った身内で、なにより人権に一番うるさい日弁連の元副会長だった。

 これは過去にはなかった例で、それで裁判所も検察庁も考え直した。まず検察庁。求刑の八掛けで無期なら慣例通りだが、あえて控訴した。「身内が被害者の場合、一人殺しても死刑にしようではないか」というわけだ。

 裁判所も思い直した。岡村弁護士の、殺された妻の遺影の法廷持ち込みを認めようじゃないか。

 たとえばこの三月、山口県光市で起きた母子殺害事件の判決公判では、一般市民である夫が殺された二人の遺影を持ち込みたいというのを「被告に心理的な圧迫をかけるから」と禁止していた。日弁連の人権派弁護士の要求に沿ったしきたりによるものだ。

 それが身内の弁護士が被害者になったとたん、コペルニクス的転換を示したわけだ。ブレイディと同じに、ヒトはその痛みが分かれば大きく変わるものである。

 岡村弁護士は東京高裁での初公判で被告に向け遺影を高々と掲げた。そのおかげで光市の母子殺害事件控訴審でも、夫に「被告に見えないように」という条件で遺影を持ち込むことが認められた。大いなる進歩である。

                 ◇ 

 少年法の改正案が今国会に持ち出されている。刑事罰適用を十六歳から「十四歳に引き下げる」というのが骨子だ。

 それでも社民党や日弁連は「厳罰にしても少年犯罪は減らない」と妙な異論を出している。別に犯罪の抑止をやろうというのではなく、やった罪にふさわしい罰を与えるためのものということが彼らには分からないらしい。

 で、犯罪少年に忠告したい。絶対に弁護士や社民党議員の家族にさわってはいけない。さわれば彼らの論調はすぐに変わる。痛みが分かってないから、君たちに優しく、そして野放しにしてくれているのだから。