ようこそ! 釧路教会へ 2008年4月22日(火) 22:28 JST
週報に孝進様が小学校2年生の時に書かれた絵を載せてありますが、ご子女様たちで紙飛行機を飛ばして遊んでいる様子でしょうか。遠くの方には小さく本物の飛行機が飛んでいるようにも描かれています。1970年代は御父母様は米国に行かれていました。韓国に残された孝進様は弟、妹たちの面倒を見ながら、米国にいらっしゃる御父母様のもとに飛んでいけーと紙飛行機を天高く飛ばしているような風景が浮かんできます。
2005年、北海道に来られたとき、「皆さん、天国はいつできるのでしょうか。私は100年経っても出来ないかもしれないと思ってしまう。それは私が失敗したからです。」と語られました。それを聞いてとても胸が苦しくなりました。何でも率直に語られる孝進様でした。
3月22日の大母様の御言によると、昇華の3日後、孝進様が清平に来られたそうです。そして霊界を見てきた感想として、地獄がとても大きく天国はまだまだ小さかった。これから霊界全体を調査し、そのあと興進様と共に清平役事を手伝いますと。
真のご家庭は5人のご子女様が昇華されていますが、それぞれに摂理的な深い意味があります。興進様の時は1945~1985年までの40年荒野路程を全うするための最後の3年間の2年目、お父様の韓国8大都市勝共大会の最中、お父様の身代わりとして祭物となられました。榮進様の時は1993年から始まった成約時代の2000年までの7年路程が終了する前の年、1999年、天一国時代を出発させるための祭物として昇華されました。そして孝進様は2001年から始まった天一国時代の第2次4年路程の最後の年2008年、長成期完成級を越えようとする時であり、天一国の実体的出発を為すための祭物として、ハワイでの大会の1周年記念の日に昇華されたわけです。
今回誰がいちばん大変だったかといえば、実際は御父母様がいちばん大変でした。長男として生まれた孝進様に対する御父母様の特別な思いがあったはずです。お母様もサングラスをしていらっしゃいましたが、目が真っ赤にはれていたそうです。若い孝進様が一瞬にして霊界に行くのに、90歳になろうとするお父様が、今この時間に霊界に行かれてもおかしくない、そういう心をお父様ご自身が抱きながら、いまだ天一国の形もできていないことにますます急がれ、ゆっくりすることの出来ないお父様ではないだろうか。そんな思いでハワイに行かれたお父様を今元気づけられるのは日本しかありません。お父様は今回の昇華を通して、ご子女様たちが、統一家全体が、そしてアベル・カインUNまでもが1つになるようにと語られました。
1つはっきりしていることは、孝進様は命を犠牲にして下さったということです。先ほどの孝進様の歌を聞いていると、孝進様はお父様のために、必要とあらばいつでも命を捧げる覚悟を持っていらっしゃったんじゃないだろうかということを感じます。それに応えるために私たちも命がけの歩みをしていかなければなりません。私たちは責任を果たせたり果たせなかったりすることがあっても今までそのまま通り過ぎてきましたが、真の御家庭はそのまま通り過ぎるということができないのです。昇華という内容を通過していかなければならない、最もかわいそうな御家庭です。私たちは今回を出発の為の摂理として、本気で2012年までの御旨に向かっていかなければならない、そして天一国を早く創らなければならない。
お父様は孝進様に書かれた揮毫を各家庭にも掲げなさい。そして「万事亨通」、今は願ったことが成る時代とも語られました。善悪交叉の3月度、そして孝進様が昇華された2008年3月を私たちの個人・家庭の信仰路程においても忘れることのできないような孝進様との因縁をしっかり結ぶことの出来る歩みを残していきましょう。
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