後期高齢者(長寿)医療制度の悪評、極まった感がある。それにしても制度導入と同時の洪水報道だ。以前はニュースにならなかった。なぜか。伝える側が問題の大きさをつかみきれなかった。他の大ニュースにかき消された面もある。
× × ×
高齢化社会に合わせ、医療費を抑制する行政の萌芽(ほうが)は1983年、社会保険旬報に載った当時の厚生省保険局長・吉村仁の論文「医療費亡国論」に見えるという。いま世間を騒がせている新制度の直接の出発点は98年の医療保険福祉審議会・制度企画部会の意見書であり、これをベースに02年12月、厚生労働省が公表したA、B両論併記の改革試案である。
収入や地位によって差別されず、誰でも、どこでも、一定水準の医療を受けられる。それが医療保険であり、四つの大きな健康保険制度がある。国民健康保険(自営業者、零細企業、年金生活者)▽政管健保(中小企業)▽健保組合(大企業)▽公務員共済--だ。
医療費のかかる高齢者が急増し、このシステムは今や崩壊寸前。だから各グループの相互支援でしのぐというのがA案だが、抵抗があった。相対的に高齢者が多い国保と政管健保は助かるが、健保組合と公務員は一方的に失う。割を食う側が猛反発し、日本医師会も「非現実的だ」と批判して葬られた。
代わって選ばれたB案が、いまボコボコたたかれている新制度だ。75歳以上の国民をひとくくりにして別枠に移し、保険料で1割負担を求める。世代間の連帯を重視する公的保険の精神にもとるが、国民皆保険の骨格は残る。圧力団体の抵抗が少なく、政治的に進めやすいと判断したのだろう。
厚労省案を伝える02年12月17日毎日新聞夕刊の見出しは1面左端4段抜き。閣議決定を伝える03年3月28日夕刊は1面下4段。83年の老人保健法施行以来四半世紀ぶりの大改革にしては地味だが、理由は明確だ。イラク戦争である。3月20日の開戦をはさみ、メディアはイラク報道一色だった。
06年6月、報道の次の山場が訪れる。医療制度改革法成立を伝える同月14日毎日夕刊の扱いは1面下3段(朝日、読売は同4段)。各紙とも06年10月からの窓口負担引き上げを重視、08年改革の説明は薄い。
当時、メディアを席巻した話題は村上ファンド代表・村上世彰(よしあき)逮捕と秋田・連続児童殺害の畠山鈴香逮捕。小泉純一郎の引退間近で政策論戦は後景に去り、安倍晋三と福田康夫の後継争いが注目されていた。
× × ×
先週15日夕、自民党衆院議員の「励ます会」に駆けつけた厚労相・舛添要一は「後始末専門の大臣です」と切り出して笑わせ、「(改革せずに)国民皆保険をつぶしていいんですか。アメリカのような制度にはしたくない」と訴えた。
07年参院選惨敗であわてた与党は08年改革の見直しを決めた。公費1500億円を投じ、最初の1年間、窓口負担や保険料の一部を政府が肩代わりするというのだが、複雑な話がますますややこしくなった。
必要な後始末は泥縄式の小細工ではない。改革の基本について国民の理解を深め、必要な修正を加えて納得を引き出すことだ。が、与党は言い訳がましく、厚労省には気迫がない。野党は混乱に乗じ、メディアは混乱の表面しか見ない。攻守とも大局観を取り戻さねば、不安の連鎖を断ち切れない。(敬称略)(毎週月曜日掲載)
毎日新聞 2008年4月21日 東京朝刊