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中国のチベット自治区の事件はマスコミの伝え方が非常に表層的な感じがする。元々チベットは山岳地帯の厳しい環境の中、インドで始まった仏教が独自に発達しそれがチベット民族の文化の根幹になっていて独立国であっても不思議でない国だ。それを中国が前王朝清に版図が最大限に広がった時の領土を自分達の都合が良いからと採用し、軍事力にものを言わせて侵略し中国の領土に組み込み、同化政策と言いチベットの文化などを否定してきた。こういう状況で独立を訴える側と、それを死刑なども含めた刑罰で罰し押さえつける側とではどちらが正しいかなど火を見るより明らかだ。それなのにテレビの報道は「チベットのラサで暴動が起きました」「中国が軍隊を使って弾圧しました」「それによる死者の数が双方違ってます」等、そんな表面で起きていることしか報道しない。その上で毒入り餃子の時のように、報道に割く時間を短縮して国民が忘れることを望んでいるのだろうか。
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痴漢冤罪事件について、女性が実行犯なのに犯罪者として実名などが公表されないのはいかがなものか。このようなことがまかり通るならば、女性はいつでも事件をでっち上げることができるではないか。犯罪者は犯罪者としてしっかりと社会的責任を負わせるべきだと思う。
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マスコミは石原都知事の新銀行東京への400億円追加出資案のみにスポットを当て報道している。報道に深みがない。新銀行東京の今までの事業を検証し、400億円を追加出資後の計画を検証する能力はないのか?石原都知事は定例会見をずっと行ってきたにも拘らず、マスコミの記者たちは新銀行東京の事業について質問することがなかったのか。記者会見の発表報道しかしないマスコミの姿勢にはあきれる。記者たちは結局、都民の税金の使われ方に興味がないのだろう。会見で発表された内容を記事にするだけなら東京都に記者会見原稿をデータでもらえば良い。400億円追加出資案の後に新銀行東京の焦げ付き金額の報道が続くとは情けない。マスコミは自戒すべきだ。
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沖縄少女暴行事件は少女側の告訴取り下げにより不起訴処分とされた。法律上は不起訴でも、沖縄県青少年保護育成条例には接触するはずだ。取材した記者達は警察発表でその事に対してなぜ何の質問もしないのか?不起訴処分になる前のテレビ報道は、米兵に対して人権侵害とも思えるような報道を行っていたように思える。
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最近のテレビ報道で、気になっている事が二つある。一つはイージス艦と漁船の衝突事故で、海上での捜索が打ち切られたタイミングについて、各局ともその時期が適正であるかどうかの検証を行わなかった点である。漁協が捜索を継続するにはいろいろと制約もあっただろうが、海上保安庁、自衛隊が海上での捜索を打ち切ったのは時期尚早ではなかったか。漁船の行動の正当性を検証せず、あれほどイージス艦の責任を一方的に報道していたテレビ各社が、捜索打ち切りに疑問を呈しなかったのが不思議である。もう一点は、殺人容疑で米国に起訴された元社長がサイパンで逮捕され、アメリカ本土への移送が論じられているのに、それを日本のメディアとして批判しないことである。カリフォルニアにはそれを決めた州法があるのかも知れないが、邦人が他国の領土内で法的な不利益を被っているのに、安易にそれを認めてしまって批判追及しようとする報道姿勢が見られないのはおかしいと思う。まるで「一事不再理」の原則などどうでもよくて、元社長の逮捕の今後を期待しているように感じられる。
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大阪地検特捜部が、相続税法違反で大阪市生野区の姉妹2人を逮捕したニュースを不適切な表現で伝えていた。長女の会社役員と四女の会社役員が亡父の遺産を隠し、相続税では過去最高の28億6千万円を脱税した事件で、民放各局は韓国名で報道していたが、NHKは日本での通名で伝えていた。このような伝え方は、日本人姉妹の犯罪との誤解を与えかねない。報道機関は外国人の犯罪の場合、通常は本名で伝えているが、今回は余りにも在日韓国人に配慮した報道姿勢だ。局に意見を伝えたが「局のガイドラインに沿って総合的に判断した」との応対だけで具体的な根拠についての説明はなかった。
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茨城の連続殺傷事件の報道で、「ゲームに影響を受けた」と解説しながら殺傷事件の現場をまるでシューティングゲームのような映像を使いゲーム感覚で紹介していた。画面を見ていると非常にリアルな感じを受ける。この事件に限らず、過去にもひとつの事件報道後に類似した事件が起こっている。これはマスコミが事件の詳細までを伝えるせいではないかと思う。事件の報道に効果音やシミュレーション的なものはいらない。淡々と伝えていただきたい。
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土浦の8人殺傷事件や岡山の突き落とし事件などの報道に関して、ゲームやマンガが原因であるかのような報道が繰り返されている点に問題を感じている。土浦事件は「家庭内での会話すらほとんどなかった」、岡山事件は「経済的な事情で大学進学を諦めた」「就職活動が難航していた」という背景も報道されたが、ワイドショーなどでは「ゲームやマンガの影響」ばかりがクローズアップされていた。このような偏った報道はゲーム愛好者やマンガ読者などを心理的に圧迫し、またそれらの人々に対する偏見を助長して社会的排除状況を生み、さらに状況を悪化させてしまうのではないか?また、ゲームなどが犯罪の主因でなかった場合、本当の主因が見過ごされ社会的に改善されることなく放置され、第二、第三の事件が起きるのではないか?公平なニュース報道がされることを期待する。
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「悪徳リフォーム」について間違った認識の番組が数多く放送されている。先日も「本来は釘を打ってはいけない所に釘を打ったためにヒビが入った」と伝えていたが、指摘された場所は大きなヒビ割れを防ぐために釘で「背割れ」を入れる所である。また、同行していた建築家が「床下の換気扇は必要だ」といったにも拘らず、その後のナレーションで「不要な換気扇を付けられた」と伝えていた。家庭訪問で勧誘する悪徳リフォーム業者が多いのは事実だが、このように誤解を与える報道が、我々リフォーム業界に深刻な影響を与えている。
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“春の企画”で宮崎の大手のタクシー会社の乗務員がインタビューされていたが、「今の会社は潰れるかもしれない」と発言し、会社名も放送された。この会社は今、民事再生中であり再建している状態で、このような発言が放送されることにより風評被害を受ける危険がある。実際、この会社に電話をしたが、「問合せがあり返答に困っている」とのことだった。この番組は録画であり、編集の段階で調整できたはずだ。社名を出す必要があったのか疑問に思う。
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3月12日、主婦である私の娘が江東区で買い物中にテレビ局の取材を受けた。番組名は聞かなかったが、「食の安全」に関する消費者の動きを探るのが狙いらしい。担当者は娘の自転車のかごの中の品物に気付くや、「ああ、これは○○ですね」「おや、△△も買ったのですね」等と言いながら娘が制止する間もなく、品物をどんどん買い物袋から取り出した。非常識な態度に呆れた娘はそれ以上取材を受け続ける気も失せ、話の途中で逃げるように帰って来た。他人の買った商品を勝手に取り出し、カメラに向かってそれらを見せるとはどういう神経の持ち主なのか?まともな社会人のすることとは到底思えない。テレビ局に電話で抗議したところ、応対者は丁重に謝ってくれたが、「番組名が分からなければ担当者を特定することは不可能」と言われた。悔しいが仕方がない。今回のような取材を二度と繰り返さないよう強く求める。
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新聞のラ・テ欄の番組紹介に「恐怖のアポなし訪問者(女性歌手)の今晩泊めろよコノヤロー!」とのタイトルが告知されていた。この礼儀を失した表現の酷さに番組を見る気も失せ局に苦情を伝えたが、驚いたことに「担当の者は今日はいません」「制作会社に苦情を伝えてください」と制作会社の電話番号を教えられた。つまり、局は制作会社から番組を買って放送しただけで、道義的責任は制作会社にあるという応対だった。各放送局には放送基準が定められていると聞いている。どのような番組であれ、そのタイトルや内容については、最終的にはその番組を放送した放送局の問題だと認識すべきである。
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世界卓球選手権大会の放送で、ライブ放送ではないのにライブ放送と思わせる字幕を画面に表示していた。試合の区切りや合間に、日本にいるキャスターと女性アナがつなぎのおしゃべりをして放送を煽っていた。その時の画面右上に、実際の試合は既に終了しているのに【LIVE】という字幕表示を出している。試合のビデオが始まると、【LIVE】という字幕表示は消している。実に巧妙なダマシである。インターネットやニュースで試合結果が発表されていたので分かった。数日間は自分も騙されていた。厳重に警告してほしい。
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土曜日夜の“新たなお笑いスターを生み出す”ことを売りにしている番組の出演者の芸がひどかった。皇后さまと同じ「みちこ」を名乗り、巫女さんの扮装をして神道を徹底的に侮辱するものだった。その異常な振る舞いにはユーモア精神は全く感じられず、芸とは呼べないものだった。信教を茶化すコントは昔からあったが、それでも信教に対する畏敬の念がどこかに感じられたからこそ笑えたのであり、彼女の芸のように、皇室を含め日本人の心の拠りどころを踏みにじるような内容では誰も笑ってくれない。
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回転寿司の皿は何枚あるかを100人の芸人達が店の寿司を食べ尽くして調べるというバカな大食い企画をまたまたやっていた。貴重な食料を意味もなくむだに消費する大食い番組は止めろとこれまで再三抗議してきたが、一体いつになったら分かるんだ。テレビ局の人間にはプライドがないのか。こんなバカ企画ばかりを繰り返さず、もっと頭を使って優れた企画を立案し、世のためになるような番組を放送してくれ。それからもう1点、最近は、こんな下らない番組を提供しているスポンサーはどこかと興味を持ってチェックしている。視聴者の番組批判はいずれスポンサー批判につながることを番組を提供する企業は認識すべきだ。
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タレント出身の2知事は47人の都道府県知事の一人となったのだから、テレビを始めとするメディアはタレント同様の扱いをして騒ぐのをやめるべきだ。他の知事達は全国放送の番組に出ることもなく地道に職務に専念している。その一方で元々有名人である二人の知事だけを特別扱いするのは公平ではない。これでは「我が県の知事も何が何でも有名人を!」と考える県民が増え、日本中タレント知事ばかりになっても不思議ではない。
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「どうして潰れないのか不思議な店」シリーズについて、これは侮辱罪が成立すると思われる。その商売にかかわる何の罪もない人々を侮辱したタイトルと内容。人を侮辱し、しかも公共の電波を使って面白おかしくみんなで笑い者にしているこの状況は、現在、社会問題となっている「いじめ」と何ら変わりない。この番組は倫理的に問題はないのか。
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“カラダの謎を科学で解明”などともっともらしい謳い文句の番組で、体の不思議と言いつつ女性の身体部位をやたらと映しているが、今回は特に不健全だった。ブーツの話で女の子が白いビキニ姿になる必要があるのか。ルームサイクルを白いビキニとブーツ姿で漕がせたり、ブーツのニオイを嗅ぐ男性ソムリエに「ワインに例えると?」というコメントを求める。受信料を使った公共放送で一体何をやっているのか。この番組だけでなく、水曜日夜8時の暮らしの健康法を追求する番組も豆腐のテーマでビキニの女の子数人にお湯に浸からせる。金曜夜10時30分のバラエティーは下ネタばかり。セクハラだらけの“サラリーマンをターゲット(?)”としたバラエティー番組。NHKは根本的に改革が必要だ。
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毎週日曜日の昼間に放送されているいわゆる闇金、違法金融業者の話は犯罪者を英雄的に扱っている内容である。日本民間放送連盟放送基準及び同社放送基準には、「第10章 犯罪表現(66) 犯罪を肯定したり犯罪者を英雄扱いしたりしてはならない。(67)犯罪の手口を表現する時は、模倣の気持ちを起こさせないように注意する。」とある。関西のテレビ局が制作しているわけではないが、この映画、Vシネマを放送することを決定したのは関西のテレビ局である。放送基準の「犯罪者を英雄扱いしたりしてはならない」などの犯罪についての放送基準に大いに抵触しているので即刻、放送をやめるべきである。番組審議会でも闇金業者の英雄的映画を放送すべきかどうか検討してもらいたい。
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「大統領は私が撃った!!JFK事件45年目の衝撃」と謳った番組で“世界未公開映像”と紹介していたことについて週刊誌で批判されている。米現代史研究家が「告白VTRはDVD化されて販売され、日本からネット販売でも買えます。何が、世界未公開映像なのでしょう」と痛烈に批判している。当初この映像に強い興味を示しその信頼性について言及したジャーナリストでかつてキャスターも務めたゲストは最終的に「映像自体や表現は視聴者へのミスリードになる」と困惑していたが、この番組は過去にも問題になった経緯がある。
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「ふざけるな!ばかやろう」という台詞の“企画コラム”のラジオ番組の宣伝を数多く流している。番組は時間が決まっているので聞かなければいいが、番宣はいつどこで流れるかわからない。この件で局に電話をしたが、「番宣が始まったらラジオを消すか耳をふさげばいいだろう。東京キー局がプッシュしている番組だから番宣も多く流す」と言われた。ラジオが好きで40年近く聴取しているのだが、選択の余地のない番組宣伝で聞くに堪えない言葉遣いは止めて頂きたい。
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法律を扱う番組のレギュラーの弁護士は、「コラ」「バカ」などと言葉遣いが乱暴で態度も悪い。不愉快だ。こんな男は出演させるべきではない。また司会のタレントのバカな無駄話が多すぎる。
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関西のテレビ局の日曜午後の番組で、元教師の出演者が特定の職種(派遣)に対し「派遣はいつでも休める」と差別的な発言をした。私もつい最近まで派遣で働いていたが、公休日しか休めず公休日に社員が休む為に派遣が代わりに出て代休はなかった。自由に休めるのはろくに仕事をせず派遣に仕事を押付ける正社員のほうだ。企業の姿勢に問題があるし、社会全体も差別意識がまだまだ強い。
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3月27日(木)午後7時からの番組は余りにも人間を馬鹿にしている。こんな簡単に数百万円も貰えれば、誰もまじめに日々働かなくなるぞ。この番組プロデューサーの品格・人間的資質と、メディアで働く上での適性・才能を疑う。ネット難民、派遣社員などが溢れている昨今、もう少し番組制作に責任を持てと言いたい ! 見ていて腹立たしい。
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お笑い芸人や芸能人が馬鹿騒ぎする番組は要らないし、マンネリ番組も要らない。過剰な報道や放送で注目を集めようと奔走する局、視聴率の為に手段を選ばない局も要らない。
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「平成のゴッドハンド〜」として紹介していた柔道整復師は、あたかも患者に自分を医師だと思ってもらいたいかのように自らを「医院長」と呼んでいる。また、整骨院での施術内容は通常の柔道整復の範囲を超えた医師法違反すれすれと思われる行為である。この整骨院のウェブサイトをみると、本来医業の補助的行為を行うべき柔道整復師が「セカンドオピニオン」と称し、医療機関に通院する患者に対して意見を述べたりしており、違法行為である可能性が濃厚だ。このような柔道整復師を番組で「ゴッドハンド」などと持ち上げるのは、全く常軌を逸している。
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各地のテレビ局で放送されているアニメ番組で人間同士が岩などで殴りあい、最終的に人間をバラバラにして食べているというシーンがあった。本編では「○○ボケ」になっている人に暴力をふるい、突っ込みを入れるという、正常な人間が見るとは思えない内容で理解不能。凶悪犯罪に発展しかねないと思う。たまたま見てしまい、大変、傷ついた。すぐに放送をやめて欲しい。
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報道番組やバラエティー番組でよく見られるが、根拠もなく人間の性質を出身地で分けようとしている。関西地方や大阪府在住の人間を特別視するかのような番組がある。こういった放送は単なる遊びを超え差別を助長している。きちんとした資料や統計を示した上で各地方の取材を行なって欲しい。私の住む大阪府で例えて言えば、食い倒れ人形、万博公園、阪神タイガース、たこ焼き、道頓堀などが取り沙汰されるが、こんなものが大阪府の特徴にされると堪らない気持ちになる。他の都道府県と同様に素晴らしい文化があるのに、関西地方だけ「汚い」や「下品だ」という発言をお笑いタレントやアナウンサーがしている。
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東京大空襲をテーマにしたドラマが3月10日、17日、18日に2つの東京キー局で放送された。このような、戦争がいかに悲惨で無意味で愚かなことであることを伝える真摯な番組が民放で放送されたことをとてもありがたいと思う。これからは戦争について学べる番組が増えることを期待する。各局がやらせや捏造など放送倫理を無視して視聴率至上主義の番組作りをしている今のテレビ界を批判的に見ている。一般視聴者を無視した芸能人の内輪話や共演者の罵倒、大食いなどのバラエティー番組や未成年の母、性同一性障害、できちゃった婚など過激な設定のドラマ番組が多い中でこのような良質な番組も制作されている。これからは各局が放送倫理を遵守し良心的番組を制作してくれることを期待する。
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3月9日(日)午後の番組で救急医療を取り上げた際、静観できない発言があった。救急医療は、不採算・多忙・控訴等から医師が燃え尽き、救急車受け入れが不能など社会問題となり、多面的討論が必要な問題だ。しかし、司会者が「社会の変化に対応できていない病院が悪い。コンビニ化すべし」と発言。今の政府の医療費削減政策の中では不可能だ。「医者不足は開業する医師が増えたからだ。楽に儲ける開業を制限すべき」に関しては、開業医も充足されていない地域は日本には非常にたくさんある。「結局、医師のモラルの問題だ」に至っては、医師のみならず劣悪な環境下で医療に従事する医療従事者全員に対する冒涜だ。また、彼は“町医者”という不適切な言葉を使っている。
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平日午前中のワイド番組の司会が「中国の一部である台湾は云々」と発言した。本心からそう言ったのであれば中国側に立った考え方であり「台湾と中国は別の国」という世界共通の認識に反する。日本人のコメンテーターとしてそのような発言は不適切かつ無責任だと思いテレビ局に訂正を求めた。すると「司会者は『台湾は中国文化圏の一部』との意味であのように発言したのではないか?」と苦しい言い訳をされた。近代史に疎い若者の中には、番組を見て「台湾は中国の一地方」と誤解した人もいるのではないだろうか?その点も心配だ。
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裁判員制度ありきの議論は困る。公共放送のラジオで裁判員制度の話題の放送をしていたが、裁判員制度はいかに良いかを語っていた。リスナーからの意見も肯定ばかりで「一部の反対派には腹がたつ」とのひどい意見まで紹介していた。裁判員制度について、反対派の意見はメディアでは展開されないのは何故か不思議だ。本では多く見るが、テレビやラジオは積極的に制度の欠陥や賛否をもっと議論すべきだ。これは多くいる反対派を封殺するだけだ。
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先日行われた名古屋国際女子マラソンについて、女性歌手の担当するラジオ番組で「高橋尚子選手を勝たせるために有力な選手をあまり招待しなかった」「無理をして出場したのは大金を受け取ったからだろう」と発言。この大会はオリンピックの選考試合であり注目し応援していたので耳を疑った。事実ならスポーツマンシップに反する行為だと思い、日本陸上競技連盟とラジオ局に事実確認の電話をした。ラジオ局は「担当者がいないので分かりかねる」とのことだが、日本陸連では「全くそんな事実はない」との事。どうやら女性歌手による単なる誹謗中傷らしい。公共の電波を何だと思っているのか?何の根拠も証拠もないのに「金銭疑惑」や「不正」があったかのように発言するなど、大会当事者や全ての関係者に対して失礼だし名誉毀損ともいえる。ラジオ局はつい最近も「羊水発言」で失言を放送したばかりだ。今回の発言は故意の悪口のようなので、失言より悪質ではないか?
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最近の民放のテレビは「報道」と「ショー」の区別が曖昧になっている。報道番組においてあるニュースを伝えるか否かのポイントは、その話題の持つ「重要性」「普遍性」「緊急性」等だと思うが、実際はむしろ面白さが重視されがちだ。例えば、「福井県の小浜市が米大統領候補者選びの最中にあるオバマ氏を応援している」というナンセンスな話題をニュースとして大々的に取り上げているが、これはおかしい。この程度のことはワイドショーの最後あたりで軽く触れれば十分である。報道番組と名乗る以上は取り上げるニュースをもっと厳選し、単に「面白いから」という理由だけで下らないことを大袈裟に騒いで伝えるようなことは慎んで欲しい。
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「全然」という言葉は、「全然〜ない」というように「否定」に使う言葉だが、最近では放送でも「全然大丈夫」というような「肯定」の意味での使い方をよく聞き、何か違和感を覚える。また、「すごい頑張っている」もよく聞くが、「すごく頑張っている」が正しい使い方ではないのか?
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ラジオのファンでいつも聴いているが、最近、どの局も「時刻告知」が少なくなって不便している。視覚障害を持つ方々にとってはラジオでの時刻告知はありがたいものだが、健常者でも時計を見られない状況と言うのは結構あるので、頻繁に時刻告知をして欲しい。生放送だけでなく録音番組であっても工夫次第で時刻告知が出来るのではないかと思う。また最近、ラジオで間違ったことを放送をした後で、訂正や謝罪がないことが多く気になっている。テレビでは直ぐに訂正や謝罪が入るのに、ラジオではそれがないのは何故だろうか。
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私は視覚障害者。ラジオだけでなくテレビも音声で楽しんでいる。ところが番組に対する「お便り」や「テーマ別の投稿」を呼びかける際、ほぼ全てと言って良いほどFAXかEメールでの送信を指定している。視覚障害者にとってそれは他人の介助を要する高いハードルであり、その時点でテレビ・ラジオから疎外されたような気持ちになってしまう。何とか我々が気楽に番組に参加する方法を工夫してもらいたいものだ。
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我々高齢者が見る番組がない。この歳になると足腰が弱くなり、会合や毎日の散歩も辛くついついテレビにかじり付くことになるが、民放は朝から晩まで馬鹿なお笑い芸人や、殺人ドラマを放送している。以前はNHKを中心に見ていたが、最近はNHKも民放と同じ馬鹿芸人が出演するようになり困惑している。ニュース以外見るものがなくなってしまった。
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月曜夜の放送で「薬剤師は病名を知らないので間違った服薬指導をする」と、薬剤師の仕事に対する不適切な発言がありました。調剤薬局の薬剤師は確かにカルテを見ることはできず病名を知ることができませんが、その分患者さまとコミュニケーションを図りながら、間違った服薬指導のないよう心がけています。それを番組では一医師の意見で全てを否定されてしまいました。そのような番組を制作し、放送前に事前のチェックもしないテレビ局の制作者に、自分の番組が薬剤師にどれだけの被害を与えたかを実感して欲しいと思います。そしてきちんと裏付けを取ったうえで訂正と謝罪を求めます。
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日曜日午前中の討論番組で「グレーゾーン金利撤廃は是か非か?」というコーナーが、あからさまなサラ金業者側を擁護する番組構成になっていた。特に放送時間終了間際に、多重債務者救済側の弁護士に対して「儲けすぎ」などの悪印象を植え付ける攻撃をし、反論の時間を与えることなく番組を終了したのは問題だ。この番組構成はあらかじめ周到にサラ金業者側の代弁を意図したものに違いない。サラ金業者はテレビのスポンサーでもあるが、社会的害悪の大きい多重債務問題については公正な番組作りを強く望みたい。
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民放各局が視聴率最優先で番組を作っていることは知られているが、視聴者は冷めた目で番組を見ている。距離を置き冷静にテレビを見ると、取るに足らない話題をアナウンサーたちが騒ぎ立てたりしているのが滑稽に見えるし、制作者の狙いも手に取るように分かるので面白い。昔ならすごいと思えたテレビだが、視点を変えると何だか馬鹿馬鹿しく映る。
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放送局のネット記事やテレビの字幕スーパーを見ると誤字が多く見受けられる。幾つか例を挙げると「北の湖理事長」が「北の海理事長」となっていたり、「痴漢で逮捕」が「ちかんで逮捕」と表示されていたり、時津風部屋事件で部屋の若い衆を「○○関(本来十両以上の関取のみに許される尊称)」と表示したりとムチャクチャになっている。いずれも準備段階で気がついて訂正は可能であったはずだが訂正された形跡すらない。メディアはもう少し緊張感を持つべきではないのか。