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9条のある国に生きていてよかった 自衛隊イラク派兵は違憲 名古屋高裁判決

上野数馬2008/04/18
17日午後、名古屋高裁は「自衛隊イラク派兵差止請求控訴事件」で原告・実質勝訴とする判決を言い渡した。法廷から走り出た若手弁護士が示す垂れ幕に、降り続く雨の中、1号大法廷に入りきれず、法廷外で待っていた100人を超える関係者から、腹の底から響き渡る歓声が湧き上がりバンザイ、バンザイの声がしばし鳴りやまなかった。
イラク 裁判 NA_テーマ2

9条のある国に生きていてよかった 自衛隊イラク派兵は違憲 名古屋高裁判決 | <center>入廷する原告・弁護団。
前列左から内河弁護団長、池住会長、天木元大使。以下17日筆者撮影</center>
入廷する原告・弁護団。 前列左から内河弁護団長、池住会長、天木元大使。以下17日筆者撮影
 17日午後、名古屋高裁「自衛隊イラク派兵差止請求控訴事件」で、原告側を実質勝訴とする判決が出た。法廷から走り出た若手弁護士が示す垂れ幕に、降り続く雨の中、1号大法廷に入りきれず、法廷外で待っていた100人を超える関係者から、腹の底から響き渡る歓声が湧き上がり、バンザイ、バンザイの声が鳴りやまなかった。多くの関係者が涙ぐみ、なかには地面に伏せて喜びの涙にむせぶ原告すらいた。

 04年2月の1次提訴から5次まで3,251名の1審原告の中から控訴した原告と、1審途中で分離した天木直人元レバノン大使、そして第6次・7名の、合計1,122名の原告による3つの控訴審に対し、民事3部部青山邦夫裁判長ら3裁判官が下した一括採決の主文は「1、本件控訴をいずれも棄却する 2、控訴費用は控訴人らの負担とする」というものだった。

9条のある国に生きていてよかった 自衛隊イラク派兵は違憲 名古屋高裁判決 | <center>走り出てきた弁護士が掲げた垂れ幕。あらゆる場合を想定して6本用意したという。</center>
走り出てきた弁護士が掲げた垂れ幕。あらゆる場合を想定して6本用意したという。
 「イラクおよびその周辺地域への派兵禁止と、その行為の違憲確認を求めた」訴訟は全国で初めて04年1月28日に元郵政大臣・箕輪登氏(故人)が提訴して以来、全国で12件に上り、原告総数約5,800名、弁護団は800名を超えている。今回の名古屋高裁判決は形式的に原告敗訴ではあるが、内容で実質勝訴となっていることから原告側は上告しないため、このまま判決が確定する。

 判決後、中区桜華会館で開かれた原告団集会では報告する原告、弁護士、支援者、いずれも1人の例外もなく涙ぐみ「日本の司法の良心が示された」「9条がある国に生きていてよかった」「戦後61年、初めて憲法違反の判決が出た」などと喜びの渦に沸きかえっていた。

 集会の最後に川口創弁護士が読み上げた声明に基づき、判決が結論として控訴人の請求を退けたものの、憲法9条と平和主義を確認した「実質的な勝訴」と判断した根拠となる「判決文の一部要旨」と原告団見解を以下に引用する。

 「自衛隊が現在行っている米兵等の輸送活動は、他国による武力行使と一体化したものであり、イラク特措法2条2項、同3項、かつ憲法9条1項に違反する」と判決文にあり、これは自衛隊のイラクでの活動が違憲であると司法判断を下したものである。加えて「平和的生存権は全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基本的権利である」とあり、平和的生存権の具体的権利性を正面から認めた。

 また声明で「憲法と良心に従い、憲法を守り平和と人権を守るという役割を認識し、勇気をもって裁判官の職責を全うした名古屋高裁・青山邦夫、坪井宣幸、上杉英司の諸氏に敬意を表するものである。同時に、本判決が我が国憲政史上、高く評価される歴史的判決として長く記憶されことになるであろう」と述べている。

9条のある国に生きていてよかった 自衛隊イラク派兵は違憲 名古屋高裁判決 | <center>集会の最後、撮影の要請に応じ「笑顔の原告と代理人代表たち」18日に上京し政府に申し入れをするという。</center>
集会の最後、撮影の要請に応じ「笑顔の原告と代理人代表たち」18日に上京し政府に申し入れをするという。
 集会で弁護団長の内河弁護士は「裁判の判決では四日市公害裁判のとき以来、初めて法廷で涙を流しました。よくぞここまで踏み込んだと…。司法はまだ生きているとしみじみ痛感しました。3裁判官は命を懸け、職を賭して、あの判決を書いたと思います」

 「自衛隊イラク派兵差止訴訟の会」の池住会長:「私の人生のなかで誇りを持って語れる日です。生きているものの1人として誇りを持って語れる判決がでました。全国の人々に訴え続けて4年2ヶ月。原告の方、弁護団の皆さん、そして支援者の方々、本当に多くの皆さんの声がうねりとなり、力となって戦い続けた結果がこの判決です。この違憲判決を元に、後は実質的に政治を動かすこと。これから本当のわれわれの行動が始まります」

 「憲法9条は生きている。力があると認めた画期的な判決です」と述べた川口弁護士が、会場のほぼ全員が涙ぐみ、そして笑顔がこぼれるなかで、閉会を告げた。参加者の拍手はいつまでも鳴り止まなかった。平和を求める多くの国民の訴えは見事に通じ、4月17日は憲法9条再生の日となった。

◇ ◇ ◇

ご意見板

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[33882] ハッキリさせてください
名前:別府有光
日時:2008/04/22 11:00
山口さん
日本人の銃の所持の自由に賛成かどうかあなたの考えをハッキリさせてください。
私の考えをハッキリさせよう。
私は機関銃が欲しい。
毛沢東が教えている、我々は武器をなくすことに賛成である、しかしそのためには我々の手にしっかりと武器を握らねばならぬ。
ゲバラもこう言っている、もし私が倒れても、私の機関銃を拾い上げて、戦いを続けるものがいる限り、私はいつ死んでも本望だ、と。
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[33872] 松山の講演会
名前:別府有光
日時:2008/04/21 19:49
山口さんへ
先日、浪本先生に松山へ来ていただき、新しい学習指導要領の話をしてもらいました。
その内容ははしょって、その席に教科書裁判を支える会のアドバイザーの弁護士の生田さんもおられました。生田さんは高裁判事だったひとで、今、弁護士をしています。
その時に生田弁護士が今回の判決のことをこのように話していました。青山君は同期で親友だ。国を勝たせて上告できないようにしてから違憲判決を出すというやり方でうまくやったと思う。しかし、もう裁判所にはおられないから依願退職だ。
もう一人の親友で、やはり同期の裁判官で、大阪の住基ネット訴訟で違憲判決を出した人は、その直後、自殺している。
山口さん
日本の裁判所の現実はこうです。青山判決の裏を読んでください。
それから日本人は信用できないけど日本軍は信用できるというほうが、はるかに暴論だと思うけど?
最後に、9条はただの憲法の条文ではなくて、国際公約なんですよ。過去の戦争に対する反省のない日本の平和主義者なんて!
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[33871] 小林さんへ
名前:山口一男
日時:2008/04/21 18:42
小林さん
  非常に考え深いコメントをありがとう。小林さんの言っていることはわかります。とても重要なことです。日本では私の意見は意図と違う結果をもたらすかもしれないという警告であると思います。日本の民主主義の質の問題にも関わっています、私自身、日本を離れて30年以上、日本の「空気」がわかっていないと言われれば、そうかもしれない、と思います。
  でも、法に対する世の中の考え方が、日本でも変化しつつあると私は外から見て感じています。過去は日本の法改正は常に「問題対処型」でした。現行法で何か対処できない問題があると、そこだけ現実主義的に対処し、現行法を部分的に改正したりつぎはぎして、対処するという考え方です。現実主義的対策ですから、理念はありません。憲法9条の場合は、憲法は国民の反対が大きいからという理由で、いじらずに現実的な見地から、第2項と矛盾する自衛隊を作り、それを強大な軍隊に仕上げ、抑止力の名の下にクラスター爆弾などの無差別殺戮兵器を保有し、核保有の議論まで起こりかねない状態です。第1項の国際平和主義まで、空文化されかねない状態です。つまり法という物が常に現実対処的であれば、新しい理念は生まれず、法は、憲法も含めて、たとえ改正されなくても形骸化されるのです。
  欧米でのアメリカでの法改正は全く違います。まず、理念が先に来る、そこから体型としての法を見直すようになる。もちろん現行法との両立の有無もより総合的に考える。我が国には残念ながらそのような思考は法律専門官にも、一般にも少ない。だから理論は現実論対現状維持論になってしまう。そうすればたいてい現実論が勝ちます。しかし、我が国でも変化の兆しはあるのです。男女共同参画社会基本法がそうです。基本法である分、理念をきちんとうたい、あるべき社会の姿を示しているだけでなく、方向性を打ち出しています。まだ具体性では不十分奈面もありけれど、ともかく大きな前進です。また、こちらは未だ基本法ではないが、最近のワーク・ライフ・バランス憲章もそうです。あるべき社会の姿の理念を示し、この場合は行動指針まで示している。日本社会の法についての考えも新しい理念を出し、具体化する道に向かってきていると感じます。私は9条の場合、第一項の基本理念は全く古くなく現在も全く正しい理念と思います。しかしその達成手段に関わるが具体化に関する理念が古くなっており、現実に第2項は反古にされ、またそれに代わる、基本理念実現の具体策の理念が示されていないのは、欠陥です。法を理念に即して整合的にすることは、それを形骸化させないために重要なのです。改悪反対というだけでは、基本理念を守ることが難しくなりますん。
  小林さん。私はね、9条をいじることが、結果として保守的な考えが勝つリスクがあるとしても、やはり平和主義の理念の達成を、自衛隊の存在を前提として、具体的に議論することが今非常に大切だと思うのです。日本は民主主義の国です。人々の選択の良識を信じるしかありません。もしかりに大多数が「滅びの道を」選ぶのなら、それは結局われわれが戦後それだけの民主主義しか作れなかったということではないですか。だがもし平和主義の原則を、例えば非戦闘員殺戮兵器の非所有と国際的廃絶の訴え、を憲法で明文化できるなどの動きで示すことができれば、アジア諸国も日本に対する政治的警戒を弱めるでしょう。これは現実的考えだと思います。
  もちろん、これは私見で、たたき台です。私はJANJAN書き込みで、できるだけたたき台を提供しているつもりです。既成の観念からは何も生まれないし、社会は我々が議論を戦わせながら、生み出していかねばならないと考えるからです。これは在米の私なりの日本の市民社会促進参加なのです。



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[33870] 山口さん 全面的に賛成ですが
名前:小林光長
日時:2008/04/21 15:36
山口さんのおっしゃること100%同意します。
問題はここが日本という他の先進国と違ったレトリックで動いている国であるということです。
戦後ほぼ一貫して自民党という政党が政権を独占してきました。
別項での佐藤さんのおっしゃるとおりソフトな独裁国家で、国民自身独裁国家に生きていることを忘れるほど政治がマイルドにコーチング
されています。この党は一貫して憲法改正を党是にしています。
この改正という意味合いの根底は山口さんの言われる中身とは反対の内容です。
その流れの中で、小泉氏は首相として靖国に参拝し続け、又戦犯であった岸元首相の孫で戦後最も若い首相であった安倍前首相は、戦前回帰を理想に国を変えようとしましたが、心半ばで自ら引き下がってしまいました。未だに慰安婦問題はなかったと政権が答弁し、また沖縄における集団自殺に軍は関わっていなかったと言い、天皇家の世継ぎは男で無いと駄目と皆が言う国です。
残念ながら、日本の政治を独裁的に司ってきた自民党という政党が戦前、多大の血を(アジア及び日本で)流して勝ち取った憲法ならびに9条を何とか変えようとしてきた流れの中では、反対党は、反対する以上、”絶対反対”という形でしか反対ないしは抵抗ができなかったのではと解釈できます。
私自身は政権党が自民党であろうが民主党であろうが、共産党、社民党であろうがどこでも良いのです。
唯一私が拘るのは、民主主義と国民の自由及び基本的人権を最優先にし、強者にではなく弱者を優先していたわる社会をつくり、国際的には世界平和を心がけた外交を心がけるという政党が政権を担う ということです。こんなことは現憲法に書かれていることでしょうが、現実的には常に本音と建前があり、かつ国民より公が(実質的な官僚支配)圧倒的に優先された法、行政の執行がある日本では、山口さんの言われる当たり前の憲法改正も、下手に手を付けると、とんでもない改正に(ないしは実行面で日本人得意の拡大解釈という方法で)なってしまうことを実際問題として心配します。
日本の国民が本当に自分の意思で、政権交代を何度かなしえて初めて山口さんの言われる当然の改正がなされる時だと私は考えます。果たしていつそんな時がやってくるのか私には全く分かりませんが。いつ日本人が政治的に成熟するのかという問題です。
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[33867] 別府さんへの返答
名前:山口一男
日時:2008/04/21 11:20
別府さん
   コメントをありがとう。しかし私の意見はこういう趣旨です。第9条の第1項は明確です。おっしゃるとおり平易な文章です。 国際平和主義の原則および「国際紛争を解決する手段としての武力の行使はしない」こと。しかし第2項に「前項の目的を達するため」という前置きで、いかなる戦力の保持も否定している。しかし事実上これは反古にされています。自衛隊は国際的にはどの国からみても紛れもない戦力だからです。これが第一点。これは異論はないですか? だから、憲法9条を守れと言う人が、自衛隊は違憲であり、非武装中立にせよというのなら一貫している。しかし、今回の青山裁判長の判決は私は画期的で勇気あるものだ思いますが、自衛隊を憲法違反ともそのイラク派遣を違憲だとも言ったわけでもない。自衛隊の特定行為が9条1項に違反すると言ったのです。この点は私もそう思います。

   しかし、第2項が事実上反古になり、それに代わる「前項の目的を達するため、自衛隊を保有するが、自衛隊はこれこれの目的のにためには使わない」と第一項の「国際紛争を解決手段」とはいかなる物で、また平和主義の基での武力の保有の意味が明確にされたほうが、手段についての原則を具体化しないよりは、青山裁判長のように自衛隊の活動について「どれこれの行為は第1項で禁止されている」という判断の国民的合意を生む上で良いし、第一項までがなし崩し的に空文化されないようにするために良いと考えたまでです。もちろん私見で別府さんや他の人が異なる意見とそれは自由です。

   それから、批判は歓迎ですが、何を意味するかわからない言い方は避けていただきたい。私には

>最後に日本の「平和主義者」が昇天するために、自分の耳を自分で引っ張らないと言って非難するのは止めてもらいたい。

という貴方の批判の意味がさっぱりわかりません。わかるのは非難をするのは止めろと言う点だけです。要は問答無用ということでしょうか。 

>武谷三男博士が、自分の国は自分で守れというなら、各家庭に機関銃を配れとおっしゃっていました。

  という引用の意味もわかりません。軍隊は入らないという趣旨の遠回しないいかたなのでしょうが。軍隊はいわゆる公共財と考えられています。もちろん軍隊が、国民の利益をきちんと守るために存在しており、権力者の乱用が許されていない制度を持つという前提での話です。ちなみに私自身は、日本と異なり国際紛争解決手段としての武力の行使を禁じていないアメリカでは、今回のイラク戦争のように、ブッシュ大統領らの政治的目的のために、多くのイラク国民だけでなく、多くのアメリカ国民も犠牲になり、その点で我が国の9条第一項を守ることは極めて重要と思っています。そこは別府さんとあまり変わらないのではないかと思います。

公共財という意味は国民にとって必要だが個人が自主的に提供する物ではないというものです。失礼ながら、武谷先生のおっしゃったことは、公共財と私財との混同があると思います。そういう論理で軍隊を否定することが成り立つなら、「自分の家の安全は自分で守れと言うなら、警察を廃止して各家庭に武器を配れ」「自分の家の火災は自分で守れと言うなら、消防隊を廃止して、各家庭に消防器具を配れ」ということになりませんか? もちろん、これらば暴論であることは明らかでしょう。私は残念ながら非武装中立も、交際情勢や歴史を考えると、非現実的であると思います。平和を望むことは人後に落ちないと思いますが。

それから

>その勢力が北朝鮮の核の脅威について騒ぎましたが、彼らが北の核を本当に脅威に感じているなら、とっくに日本を逃げ出していますよ!

と書いていますが。まさか。どんな政治的立場の中にも人格者もいれば、そうでない人もいます。自分たちは道徳的に正しく、反対者は道徳的に腐敗しているという考えは、独善に結びつきやすい物です。自戒もこめて。

もちろん、これらは別府さんの意図の誤った解釈にもとづいているかもしれません。 それを避けるためにも批判は論旨を明確にして欲しいとおもいます。 、   
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[33863] 立ち位置が重要
名前:別府有光
日時:2008/04/21 09:25
裁判批評は必要である。
問題はその批評に筋が通っているかどうかだ。
裁判は、良心に従い、独立して行われるべきだ。
良心に従いは積極的、独立しては消極的。
国民が監視しなければ、裁判官は良心に従わなくなるのだ。
権力を持ってない国民の批評と政治家の批評は区別すべき。
お分かり?
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[33856] 感想もろもろ
名前:忍野タカユキ
日時:2008/04/21 01:09
「自衛隊イラク派遣は違憲」をいう判断を判事がしたことに関しては歓迎したい。
いままで“戯言”扱いされてきた主張に「そういう主張もあり得る」という公的な担保をいただいたということだと思います。
ただ、依然としてイラク派遣が完全否定されたわけではありません。

今後の展開でお願いしたいのはこの判断を日本国(≠自民党)のために有効に活かして欲しい。
今回の判断を振りかざして「日本政府バカヤロー!」という祭りに終始したら全てがぶちこわしです(お願いしますよ、社民党系の支持者)。
「この違憲判断を実行しろ」と自民党政権に押し付けても受け入れるわけがない。
自衛隊の派遣・撤退を決めるのは国会です。そして国会議員を選ぶ選挙です。
今回担保を得た“違憲”と、既存の“合憲”との四つに組んだ議論・選挙を期待します。

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中山成彬議員の発言は司法を否定する見過ごせない発言です。

残念なことにJANJAN記者のなかにも気に入らない判決を下した判事をこき下ろす輩が後を絶ちません。
立ち位置が違えど同じ穴のムジナです。
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[33853] 品格の無いコメント
名前:平田和子
日時:2008/04/20 23:05
元文部科学相の中山成彬衆院議員は4月18日夜、宮崎市内の講演で、名古屋高裁判決について「問題のある裁判長で、変な判決だった。3月末で辞め『最後っぺ』(おなら)を出したようなものだ」などと語ったそうです。

裁判官を辞職してでも9条を守ってくれた青山裁判長に対して、中山議員のコメントは冗談でも言ってはいけない言葉だと思いました。

青山裁判長、憲法9条を守ってくれて有難うございました。
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[33845] 内から見た意見
名前:別府有光
日時:2008/04/20 15:25
山口さん
象徴とはなんぞや?主権者と象徴の関係や如何?
これはもう神学論争ですが、9条はきわめて平易、明解な日本語の文章ですよ。
その「解釈」に「曖昧」なところはありません。
その点アメリカ憲法13条修正(奴隷制廃止)は英文としても筋が通っていませんね。奴隷制は歴史的、法律的に鍛えられた言葉です。なにも回りくどい言い方をしなくったって奴隷制を廃止すると簡単に書けばいいじゃないですか?共産主義者が資本主義を賃金奴隷制と呼んでいるのを気にしすぎたのかな?
戦後日本にもこれと同じような事情がありました。自由主義に反対し、民主主義に反対し、平和主義に反対する勢力が政府を牛耳っていたのです。
その勢力は「原則」も「道徳律」も守る気がありません。
さきごろ、その勢力が北朝鮮の核の脅威について騒ぎましたが、彼らが北の核を本当に脅威に感じているなら、とっくに日本を逃げ出していますよ!
それから、この問題に「専門家」なんていません。みんな「素人」の当事者ですよ。
武谷三男博士が、自分の国は自分で守れというなら、各家庭に機関銃を配れとおっしゃっていました。
日本のマスコミはアメリカで銃の乱射事件が起こると、ヒステリーのように、銃の規制を主張しますよね。銃は自由と書くのにね。
最後に日本の「平和主義者」が昇天するために、自分の耳を自分で引っ張らないと言って非難するのは止めてもらいたい。
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[33841] 外から見た感想
名前:山口一男
日時:2008/04/20 12:23
   私も議論に参加したいと思います。ただ私は過去30年日本を離れてアメリカでずっと暮らしていました。もちろん短期的にはほぼ毎年日本に来るのですが、多くの日本人が感じ方とずれてしまっているかもしれません。
  私は、今回の高裁判決は画期的で勇気あるものであったと思います。それは憲法9条がいまだ我が国で原則であり、単なる希望や建前ではないと、言うことを示した判決と思えるからです。
  憲法は本来守るべき原則を示した物です。バイブルのような、ただ望ましい道徳律を示した物ではありません。ですから9条も当然原則であり、第1項はその原則の精神を、第2項は第1項の原則の達成の手段として特に、「陸、海、空軍その他の戦力はこれを保持しない」と規定していました。しかし、戦後自衛隊ができたときこの第2項は事実上反古にされました。ところで、私自身は平和主義者ですが、非武装中立論者ではありません。だから、自衛隊ができ現在も大きな戦力として存在すること自体に反対するものではありません。しかし、第2項と矛盾する自衛隊ができたのにもかかわらず、第2項が改正されず、第一項の平和主義を達成するための、自衛隊のあり方は、どのような物であるか、つまり戦力非保持に変わる、新しい平和追求の手段に就いての原則を、憲法で明らかにしまいまま、現実主義の名の元に、なし崩し的に我が国の戦力保持のあり方や、自衛隊の活動範囲が拡大され、第9条の第1項までが反古にされかねない状態に至っていることを非常に危惧します。私も現実主義を尊重しまた北朝鮮の核の脅威など大きな現実問題と思いますが、それも原則あってのことで、平和主義を上位に置くことという原則を重視します。今回の判決は、少なくとも第9条の第1項は未だ原則であるということを示した上で画期的でした。しかし、手段についての第2項が事実上未だ何もなく、建前上戦力非保有のままになっていることで、第1項の解釈までが具体性を欠く上で曖昧になり、かえって平和主義を弱めており、そのせいで今回の判決に疑念を呈する人が出てきてもおかしくないと思ってます。
  これは、日本の感覚からずれてしまったかもしれない私の私見ですが、私はなぜ日本の平和主義者が「憲法9条を守ること」だけに固執するのか理解できません。もちろん、非武装中立が良いと考えておられる方ならそれはそれで一貫しています。でも基本的に自衛隊の存在を認める場合はおかしいです。なぜ9条について第1項は現在のままとし、第2項で第1項の精神と矛盾しない自衛隊のあり方を規定しようとする運動にならないのでしょうか。私はこの分野の素人で、専門家ならもっと深いお考えもあると思いますが、例えば、自衛隊の保有については平和主義の原則と矛盾しない、専守防衛、シビリアンコントロール、非戦闘員殺戮を目的とする核兵器、化学兵器、クラスター爆弾(我が国は現在保有しています)その他の大量殺戮兵器いっさいの兵器の保有の禁止と共に、このような兵器の国際的廃絶の促進や、また今回の判決で強調された「平和的生存権」なども、具体的に盛り込むことが考えられると思います。
  平和主義を貫き、平和を守る、ことは国民大多数の願いだと思います。もしそうなら、どうしてそのための手段を両立する自衛隊のあり方、我が国のあり方を、憲法に明記し、国際的にも我が国はこういうこういう平和主義の国なのだから、国連の一員であっても、日米同盟があっても、こういうことはできるがこういうことはできないと、はっきり言える国になろうとしないのでしょうか。当然国民のために、そういった役割を果たす自衛隊であれば、彼らのレジティマシーもより高まると思います。現在の形では、第一項で精神的な原則が示されていても、第2項で示されるべきその手段が、現実の制度と矛盾するため、手段についての判断基準が実効上何もなくいいかげんなものになってしまっています。
  戦後、9条問題について矛盾に矛盾を、詭弁に詭弁を重ねてきたのは、第9条を反古にしてきた人たちばかりではないと思います。反古になってしまった第2項に変わる新しい平和主義原則の下での戦力保持のあり方を、憲法で明記しようという運動をしてこなかった「平和勢力」のほうにもあったのではないでしょうか。
  今回の判決を機会に、実効性のある原則としての第9条のあり方が、多くの人々の関心となり、議論されることを望みます。







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