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【社説】

地裁所長襲撃 もう冤罪は明らかだ

2008年4月19日

 二〇〇四年二月の大阪地裁所長襲撃事件の控訴審で、成人被告二人が一審に続き無罪となった。同じ事件の少年審判も長引いているが、冤罪(えんざい)は明らかだ。警察と検察は初めから出直せ。

 警察と検察は事件に成人二人と少年三人が関与とし、少年の自白により成人二人を逮捕、起訴したが、少年は公判で自白を翻し、ひどい取り調べを訴えた。一審はその信用性を否定、現場付近の防犯ビデオ映像や少年のアリバイの検討から二被告を無罪とした。

 大阪高裁の控訴審で検察は新しい立証として、ビデオ映像の再鑑定や警察官による現場再現DVDを提出、「犯人の身長や体格は被告らと矛盾しない」と主張した。だがこんなことで、「合理的な疑いをいれない程度に立証された」とは言えまい。

 顔の判別ができない不鮮明な映像で、たまたま身長や体格が似ていたように映るだけで犯人とされては、「疑わしきは罰する」になる。控訴審が検察のこじつけを顧みなかったのは当然だ。

 この事件では、十六歳(当時)の少年が少年院送致、退院後に処分取り消し、十四歳(同)の少年がいったん少年院送致となったがすぐに執行停止、その後に不処分となった。いずれも成人の無罪に当たる。家庭裁判所の少年審判もぶれが激しい。

 しかも家裁が“無罪”を決めると、検察が抗告して差し戻しとなるなど、少年らは五回、六回と審理を受けねばならない。十六歳の少年の場合は、家裁が「早く少年を手続きから解放したい」と検察に抗告しないよう要望した。それを振り切っての抗告である。なぜこんなことを続けるのか。

 国民の常識で判断すると、被告と少年の冤罪は明らかだ。検察は無理に無理を重ね、被告らを解放しようとしないのは、裁判所長が被害者だったからか。昨年から問題になった富山の強姦(ごうかん)冤罪事件、鹿児島のでっちあげ選挙違反捜査などへの反省は、口先だけだったのか。

 司法が無実の人を罪に陥れた場合、二重の責めを負わねばならない。罪なき人の人生に取り返しのつかない傷を負わせると同時に、真犯人を野放しにしたままになるからである。

 これ以上、被告や少年らを法の手続きで苦しめることは許されない。警察と検察は虚心に原点に返り、真犯人の捜査に全力を挙げて取り組むべきであろう。

 

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