So-netSo-net blog

「最初の人」

▼月刊「創」9・10月号(発売中)
http://www.tsukuru.co.jp/gekkan/saisin.html
「これでいいのか!?光市母子殺害裁判報道」文・綿井健陽

※公判後の弁護団記者会見の模様を、
「アジアプレス・ネットワーク」と「YAHOO動画ニュース」サイトにて掲載しています。
http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00348/v01642/

前々回6月の公判からいくつかに分けて順番にアップされています。まもなく前回7月公判後の会見もアップされる予定。

---------------------------------------------------------------

「最初の人」という言葉が好きだ。そんな「最初の人」二人のことを、とても遅くなったが忘れないように記しておきたい。

そのメールが届いたのは、いま日付を確認するとちょうど一年前だった。映画「リトルバーズ」の宣伝・配給を担当するバイオタイドを経由して、以下のような問い合わせだった。

----- Original Message -----
Sent: Tuesday, August 22, 2006 10:21 AM
Subject: 『リトルバーズ』の米国劇場公開に関するお問い合わせがありました

> 安岡様
> 綿井様
>
> お疲れさまです。
>
> 昨日、『リトルバーズ』の米国劇場公開に関するお問い合わせがバイオタイドにきましたのでその旨お伝えいたします。
> 電話は中島通子法律事務所の中島通子様からで、「この作品は是非米国で劇場公開してほしいで
>す。」とのことです。また、「イラク戦争の研究をしているアメリカの大学教授などの友人もいるので米国>での劇場公開の可能性について詳しくお聞きしたく、一度お電話を頂けると幸いです。」とのことです。
>

今年は年明けから何度か米国で上映する機会があったが、この米国での上映のいわば「最初の人」ともいえる方が中島さんだった。それまでも何度か米国在住の方から作品に関する「問い合わせ」こそあったものの、実際に上映までこぎつけたことはなかった。それがこの中島さんからの問い合わせをきっかけに様々な方へ広がっていった。

文中にあるアメリカの大学教授は作家でもあるノーマ・フィールドさんだった。さらに彼女からシカゴの別の大学の先生にも学内での上映を相談していただいた。その後、サンフランシスコやニューヨークなどでも合わせて上映しようという動きになったのが今年1~2月の米国上映だった。http://www.littlebirds.net/eng/screening.html

それから半年、7月下旬に新聞に掲載された小さな記事を見て絶句した。
http://mfeed.asahi.com/obituaries/update/0731/TKY200707310195.html

中島さんと直接話せたのは、生前に電話での一度だけだった。メールと同じような内容の話を短くしただけだ。米国での上映終了後もメールで御礼を送ったが、結局会えないままだった。でも、その「最初の人」中島さんから始まった動きはまだ続いている。9月上旬にサンフランシスコでまた上映があり、僕はシンポジウムにも出席する。http://japansocietyofnortherncalifornia.myshopify.com/products/in-search-of-peace-the-peace-movement-in-japan-and-the-us  

もう一人の「最初の人」も忘れられない人だ。

それは僕の母校の日本大学の校友会の会報に掲載されていた。校友会の会報は大阪の実家に年に何度か送られてくるのだが、これまでその会報を読んだことはほとんどない。ところが、先月になって実家から遅く転送されてきたその会報を何気なく見ていると、その名前の欄に目を疑った。

「香原勝文先生、ご逝去」

芸術学部放送学科の教授として長年教鞭をとられた香原先生は、世界情勢や戦争の歴史のことを直に教えてくれた「最初の人」だった。正直、大学にはほとんど通わなかった僕だが、先生の授業時間だけはちゃんと出席して聞いていた。東京新聞記者としてベトナム戦争取材の経験がある先生は、92年にちょうどカンボジアPKOが始まって自衛隊が派遣されたころの授業でも、それから授業が終わった後も何度か駅前の喫茶店で、ベトナムやカンボジアの話をしてくれた。当時の僕の同級生の親友の苔縄君が先生のゼミ生で、故・近藤紘一さん(当時サンケイ新聞サイゴン特派員)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%97%A4%E7%B4%98%E4%B8%80のファンだったこともあり、彼らの影響を多大に受けて僕は大学時代にベトナム戦争の本や写真集を図書館でたくさん読んで、そしてインドシナ半島を長く旅した。

今頃になって後悔しても遅いが僕は先生のゼミ生ではなかった。だが、メディア界では先生のゼミのOB生がたくさんいる。今日知ったが、朝のニュース番組などに出ているこの人もそうらしい。http://ameblo.jp/nakada-aki/entry-10024393711.html 

もし中島さん、香原先生、苔縄君(しばらく会ってないが、彼は今も元気なはず)に出会わなければ……これまでの僕も、これからの僕も、僕の周りで起きたことも、これから起きることも、また違った道になっていただろう。僕を導いてくれた「最初の人」たちだった。ほかにもたくさんいる。そもそも、あらゆる出会いも出来事も取材もすべては「最初の人」から始まる。先日は広島拘置所で光市裁判の被告の元少年と初めて面会した。彼にとって僕が「最初の人」かはわからない。だが、僕にとっては彼もまた間違いなく「最初の人」だ。

沢木耕太郎のエッセイ、「最初の人」。掲載された日本経済新聞(99年6月27日付)文化欄のコピーが僕の手元にある。いまはネット上で全文が公開されている。http://www.ynu.ac.jp/ynu/press/katuyaku/ka_6.html

…………………………………………………
綿井健陽 WATAI Takeharu
Homepage [綿井健陽 Web Journal]
http://www1.odn.ne.jp/watai

映画「Little Birds~イラク戦火の家族たち」
公式HP http://www.littlebirds.net/
DVD発売・各地で上映中
…………………………………………………


2007-08-19 06:02 
Powered by So-net blog