「誰か」
▼月刊「創」11月号(10月9日発売)http://www.tsukuru.co.jp/
「光市母子裁判~元少年の主張は『一変』したのか」文・綿井健陽
多くのメディアは「前提」をこう伝える。「一・二審では起訴事実を争わず…」「被告の元少年は一・二審とは主張を一変させ…」。では、彼は一・二審で何を話していたのだろうか。以前の法廷では何を認めて、何を否認していたのだろうか。(本文より抜粋)
※公判後の弁護団記者会見の模様は、「YAHOO動画ニュース」サイトにて6月・7月公判分を配信中。まもなく9月分をアップしますが以下のサイトをご覧ください。http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00348/v01642/
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10月7日、ビルマで殺害された長井健司さんのお通夜に参列した。最初は翌日の葬儀に出席しようと思ったが、葬儀の方には「誰か」たくさんの人が来るだろうし、恐らくゆっくり話もできないと思って急遽変更した。APF通信社代表の山路さんや長井さんをよく知る人たちとも久しぶりに再会。取材現場以外で会うことが実際少ないわけだが、長井さんも含めてこんな場での「再会」になることは何ともやり切れない。
後から気づいたが10月7日は、昨年ロシアで殺害された女性記者ポリトコフスカヤさんの命日だった。長井さんが生前言っていたという言葉「誰も行かない所に、誰かが行かなければならない」とは、まさしく彼女のような人だろう。http://www.tvac.or.jp/di/8574.html(注=昨年の集会)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%A4
先日のビルマ情勢緊急集会の場でも触れたが、「国境なき記者団」の調べでは今年はすでに世界で75人の記者・カメラマンが殺害されている(助手・アシスタントを含めれば計86人)。そのうちの半数以上はイラクで43人(同52人)。彼らの名前を見ればわかるが、ほとんど地元のイラク人記者・カメラマンたちだ。http://www.rsf.org/rubrique.php3?id_rubrique=113 世界全体で見ても02年の25人、03年の40人から激増しているわけだが、イラクの占める割合は尋常ではない。ただ、戦闘や銃撃戦に巻き込まれて死亡するケースよりも、イラクのほかにもロシアやフィリピンなどの暗殺・誘拐・拘束・脅迫などの方がより深刻な状況といえる。
外国人や日本人の場合だけ大きくメディアで扱われるが、実際に最も危険な場所でずっと取材活動をしているのは地元メディアの「誰か」であることはこれまでも何度も強調してきた。長井さんの殺害前後の映像をとらえたいくつかの映像も、それはメディアの映像ではなく、「誰か」地元の人たちが撮影した映像だった。
北朝鮮やビルマなどの独裁政権も、いまのイラクもそうだが外国メディアの外国人ジャーナリストたちの出番は本当に苦しい。「誰か」の映像・写真を入手して流すことは、「NGO・支援活動」「メディア・報道機関」にとって伝達の一つの選択肢かもしれない。だが、ジャーナリストやカメラマンの場合は最終的に自分の目や耳、手や足、肌感覚、知識・経験などを総動員した現場での自分の身体感覚しか頼れるものはない。「誰か」ではなく、結局「私が」「俺が」でしかありえない。そして自分が向かう現場が見えてくる。
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綿井健陽 WATAI Takeharu
Homepage [綿井健陽 Web Journal]
http://www1.odn.ne.jp/watai
映画「Little Birds~イラク戦火の家族たち」
公式HP http://www.littlebirds.net/
DVD発売・各地で上映中
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