2000年10月11日、記

★全同教高知大会をめぐって


 理性的だろうか
 高知で全同教研究大会が11月末に開催される。簡単にいいたくはないけど、名称も全国同和・人権研究集会とかに変わった。分科会名も「人権」が謳われ、「部落解放」の文字は表看板から読めなくなった。それにともなう変化を後退とみなした古くからの同和教育に取り組んでいた人々が、自分の想いとのズレで、例えば司会などを辞退し、「同和」校勤務でもない私にまで、全国大会の分科会司会の役がまわってきた。
 大阪で共に同和教育を取り組んできた仲間も今は意識的に「もう参加しない」という者がほとんどだ。20年前の課題が同様な形で報告される。進歩がないとも思える。鋭い課題意識の報告も姿を見せない。ここ数年はカタカナばかりで、総合的学習に乗ったかのような報告も多く、マス的で、現在を生きる子どもや親の生活より、「あれもあれも選択して楽しく、マイナス的でないようにしました」という表層の報告がほとんどだ。魂を打つ叫びもない。この変貌は情けなくてやりきれない。
 時代が変化し、人々の生活も変わった。しかし現在の部落差別、部落問題は生み出されていないのだろうか。被差別部落とは、特別措置法で線を引いた「地区」を単に指しているのではない。線を引けなかった曖昧な部分、そして隠された人々もいた。さらにそれは「地区」の問題で完結するのではなく、今なお人間の値打ちの差をつけたり、いじめという形で「仲間外し」「社会外」を生み出しつづけている日本社会の現在の問題も照らしている。
 その意味でも、私は全同教の大会には今なお参加しつづけている。
 批判したいことはいっぱいある。しかし、そこはまだ人権や社会のあり方を、部落差別問題を底流にして語り合うことまで消え去ったわけではない。いや、こういう言い方をするので誤解されるのであろうか。少なくとも抑圧された人々が現存し、それは「地区」指定いされた人々だけではなく、日本の侵略の歴史を背負された人々や「役に立つ」かどうかで排除されている障害者でもあり、そういう人々の生活と今の自分や子どもたちの生活を見つめ、未来を切り開く主体を育成するということを語り合う場として参加している。
 大阪堺市で勤務しているときもそうだったが、「同和教育」と聞いたとたんに「押し付け」と顔をそむける教職員の多さにいまさらながら残念に思う。全同教という組織はさまざまな団体や組織からの影響を受けているということを能天気にノーというつもりはない。しかし、拠って立つのは同和教育、差別のない社会をつくろうと思って日々取り組んでいる個々の教職員である。その個々と無縁な、見えないところで全国組織があるから、構成員という自覚は持てないというのも分る。しかし、それは多くの場合普通ではないだろうか。決してそれが正しいと言っているわけではないし、誤りや批判が届かない場面があったのも頷く。しかし、全同教大会でどのような意見が出て、どのような討議が行われているのか、「押し付け」と顔をそむける人は知らないのではないだろうか。政治的な対応としか思えない。残念だ。他の場面でそういう対応を取っているのを見たことがない。市全体として取り組んでいる「市教研」などでも「参加したくない」と明言して、参加しないということはあまりない。それは反権力的な教職員でもそうだ。部落解放を旗印にした運動体への反発であろうか。なにかしらそれへの反発は、国家主義的なことを押し付ける権力への反発より強いような気さえする。組みやすしということなんだろうか。少なくとも共に歩んできた日々があったのに。感情的・政治的対応より、全国の諸地域での取り組みやさまざまな人の声の中から、あらたな差別のない社会づくりを考えることが教育的というものではなかろうか。
 理性的な響きのない「とにかく嫌だから参加したくない」という言葉に情けなく思っている。