私の見性(悟り)体験記
{始めに}
本文を書く前に先ず、先祖累代への報恩謝徳、故郷愛媛で暮らしている87歳の老母、これまでお付き合いして頂いた全ての友人の方々(善人も悪人も)、幼稚園から大学院まで私を導いてくれた全ての教師、私の体と心の健康のために尽力された全ての医師、また坐禅修行にアドバイス頂いた僧侶と師家の方々、別しては見性に至る直接的きっかけを作っていただいた玄侑宗久師等々、全ての袖摺りあった有縁の人々に心より感謝申し上げます。
私は平成20年(2008年)1月28日午後2時から始めた坐禅ののち忘我の法悦状態になり、翌日29日の午後7時に維新政党新風副代表の瀬戸弘幸氏と会談するまでの1日半の間、禅で言う「見性体験」、一般にいう「覚醒体験」、精神医学でいう「変性意識体験」を経験した。
こうしてパソコンのキーボードを叩いている今も、この体験による大激震の余波で脳髄がブルブルと震えている。
見性体験というのはなかなかあるものではなく、またあったとしても詳細な記録は(私の知る限りでは山田耕雲師のもの以外)非常に少ない。したがって、多くの菩提心ある人々の参考ために、この手記を出来る限り具体的に、私の長所も欠点も隠さず曝け出して書きたいと思う。
(前置きはいいから見性体験のみを手っ取り早く知りたいと思う読者は、{見性体験}からお読み下さい。但しそれのみを読んでも得るものは無いでしょうから、結局は最初から読むことになるはずです)
なお、私の見性は現在自分で検証してみる限りでは大悟徹底ではない。というのは徹底すると次のような神通力が備わると文献には書いてあるが、私の場合そこまでに至っていないからである。
@天眼通(全てが見える。死後の世界が見える)
A宿命通(前世が見える)
B他心通(人の心が読める。いわゆるテレパシー)
C天耳通(全ての言語が理解できる)
D神堺通(空を飛んだり、姿を消したりすることが出来る)
E漏尽通(輪廻の終わりを確認する)
実際、山本玄峰師は、足音を聞いただけで相手の心が読め、鳥の鳴き声が何を意味しているか分かる、と記しているし、また山本師の弟子・井上日召は、鳥とも蟻とも会話できると記している。
面白いことに、オウム真理教のような密教はこの神通力の獲得を修行のゴールとするのだが、禅はこれらを魔境と呼んでそこに執着しない。
ともかく、私はこの神通力は得ていないので、今後さらに一度、二度の見性を繰り返し、その間に徐々にこれらの力を得るものと想像する。ちなみに私は少年から青年時代にかけて、予知夢を含む様々な超常体験をしたので(「あなたは超常現象を信じますか」参照)、神通力がどこまで備わるか、今後の楽しみである。
さて、この体験記は菩提心ある全ての人の参照になるように、と書いたが、私は普通の人と比べるとちょっと特異な面がある。以下に記すように優れた身体能力と、極度に脆弱な神経と、異常な集中力を持っているのだ。その点について以下に明記しておく。
★{身体能力}
私は小学6年のときの身体測定で握力と背筋力は学年一位だった。中学時代は測定なし。
高校2年のときの結果は、握力、背筋力、垂直高飛びがそれぞれ学年一位。その他反復横飛びやソフトボール投げなども三位以内だった。後述するが、坐禅において背筋力が強いというのは大変有利なのである。
★{心の病}
私が鬱病と診断されたのは30代の後半だが、思い起こせば小学6年ごろから「意のままに体が動かない」という症状が現れ、高校時代には自宅学習が全く出来なくなった。当初はそういう性格、あるいは鈍重肝臓なのだろう、と思っていたが後で鬱病が原因だと分かった。現在まで投薬治療を続けて15年、その間カウンセリング治療を4年おこなった。
また現在は克服したものの、対人恐怖、狂気恐怖などの神経症歴もある。さらに中学1年のときから不眠症になり、現在でも晩酌のあとに睡眠薬と安定剤を飲まないと熟睡できない。
それに加え、精神病院の筆記テストと問診で、自己同一性拡散という精神障害に認定されたことがある。これは俗に「ピーターパン・シンドローム」とか「モラトリアム人間」とか称される社会的な自己同一性を決定できない人々を指す。しかし私の場合は鬱病と言わば合併症の状態にあり、本当の自分が分からないという深刻な、実存に関わる病理だった。心を覗くと、真っ暗な部屋から遠く離れた奥座敷に行灯で照らされた白い部屋がある。差し迫った原稿などを書くときには、必死に頑張って奥座敷の行灯の部屋の自分が出てくるが、普段は暗い部屋のほうに自分がいる。その二人の自分の距離が遠すぎて苦しむのである。
つまり自己同一性が曖昧で自意識が分裂していのである。通常ではただの病気にすぎないこの精神的特質は逆に禅定を強めるのに大変強い武器になった。詳細は後記する。
★{集中力}
書道は小学4年から始めて3年間で3段になった。剣道も同時期から始めて5年間で4段の腕前になった(「剣道上達のコツ」参照)。子供の頃から何においても熱中する癖があった。
普通の人と違うかもしれない、と思ったのが中学生のときだ。寮で暮らしていたので同室の生徒5人ぐらいが机を並べて夜の勉強をしていたとき、私は地図を見ていたのだが、どうやらそのときに寮内放送で私の名前が呼ばれたらしい。私は全く気付かず、教師が呼びに来てやっとその事実を知った。私は同室の連中に「なぜ教えてくれなかったんだ」と詰問したら、「わざと無視していると思った」と答えるので、「集中していたら音が聞こえなくなることなどザラにあるじゃないか」と言うと「天才でもあるまいし、嘘をつくな」と口論になったのである。
大学受験のときは鬱病のせいで、高校時代、浪人時代と全く学習意欲が湧かなかったが、ある同級生から侮辱されたことへの怒りがエネルギーになり、「3ヶ月だけ受験勉強をしよう」と決意して、受験地獄と言われた時代に競争率43倍の早大第一文学部に受かった。その学習方法も普通の人とはかなり変わっていた(「浪人時代・学生時代」を参照)。
学生時代も歌舞伎町のバッティングセンターにほぼ毎日2年ほど通い、何度も「月間ホームラン王」になって景品の腕時計を100個以上もらった。
また、私は釣りを始めるとほぼ毎日、数年間、夜になると車を飛ばして波止場に通い、宇和海では名人と呼ばれる腕前になったり、日曜大工に凝り始めると熱狂して、大工には一切頼まず(地面をコンクリートで塗り固めることから始めて)自宅に書斎を作り、また学習塾を開いたときも、柱を立て、壁を張り、さらに塾生80人分の椅子、机まで全部一人で作り上げた。
私の職業に関わる研究や読書に関しては言うまでもない。論文を書くときなど8時間ぐらいは一瞬に過ぎ、夢の中でも原稿の続きを書いていて、目覚めた後、夢で書いたままに原稿を書き継いだことも一度ならずある。
妻に「俺ってどこかおかしい?」と聞くと「凝り始めると憑き物が憑いたようになって、それを極めるまでやる」と答えた。自分でも自覚しているが、こういう面に関して私は少し狂っているのである。
こういう異常な集中力と凝り性という性格が坐禅に向けられたことで、見性体験に至ったことは間違いないと思う。
また、私の場合、最初の参禅から4年半、途中挫折したので実質2年と少しという短さで見性を得たが、その前段階として信仰体験があったことも述べておこう。
私が3歳のときに母が日蓮正宗創価学会に入信し、私は母の膝に乗せられて共に勤行をつとめ御書講義を聴くという体験から始まって、約11年の間はほぼ欠かさず日々の勤行と教学に励んだ。だから日蓮を通しての大乗仏教の理解は中学時代には完成していた(当時中学生で受けることの出来た教学試験の最高位に合格していた。尚、創価学会の宗門攻撃を機に脱会し、現在はアンチ創価学会である)。
さらにこれは宗教とは言えないが、前述したとおり小学4年から中学2年までの5年間剣道に集中したが、剣道では稽古のたびに「黙想」を行い無念無想になる訓練をする。また剣道の上達に従い、禅の修業と類似した精神力が備わる。
私が見性出来たのには以上のような前提があった。事実として記しておく。
{参禅の動機と修行}
私が禅に興味を持ったのは、右翼思想への傾倒からである。
右翼思想と言っても、私は別に国粋主義者ではない。現在の近隣諸国条項に従った被虐史観や朝日・毎日新聞といった左傾した情報に洗脳された人々の中では、事実を主張するだけで「右翼」と見られるだけで、私自身は中道思想のつもりである。
但し私は「要人テロ容認論者」である。ここでは詳細を述べる暇は無いが、「大化の改新」と「赤穂義士の討ち入り」と「桜田門外の変」の三つの事件を批判する歴史家は国内はおろか世界中にいないだろう。が、これらは全て要人テロなのである。だから私はまず「血盟団事件」の黒幕・井上日召の幻の自伝『一殺多生』を早稲田大学の図書館でやっと見つけ、全文コピーして熟読した。日蓮宗の僧・日召が師事したのが臨済宗の山本玄峰師であり、日召はそのもとで法華禅(題目を唱えて瞑想する)の方法で見性し、国家改革のために血盟団事件を起こしたのだった。
続けて戦後右翼の巨魁・田中清玄の自伝を読んだ。この人は、戦前は共産党の最高指導者だったが転向して天皇主義者になり、経済界、政界のフィクサーとなった人物であり、昭和天皇に全国巡幸を直言したのも田中である。その田中も山本玄峰師の弟子だった。
それで私は山本玄峰という人物に興味を持ち、評伝を読んで益々惹かれ、手にしたのが山本師の『無門関提唱』だった。無門関というのは臨済宗や黄檗宗で使う公案集で、公案というのは見性を目指すための、まあナゾナゾのようなもので、提唱というのはその解説である。
私は難解なこの本を一度目は熟読し、二度目は感動した部分に赤線を引き、三度目は赤線を引いた部分だけを読んだ。私は公案そのものにはほとんど興味を惹かれなかったが、提唱の中での言葉の端々に山本師の度胸と澄み切った心境を感じ取り、禅の修行をする決意がついた。
その時の消息はホームページに書いた「山本玄峰『無門関提唱』ほか禅関係の書籍」から引用する。
さて、この本を読んで、私は、どうしても見性したいものだ、と思い始めた。どうせ人間として生まれたからには悟った人生を送りたい、煩悩に悩まされ右往左往する人生よりも、ガラーっと悟ってみたい。
そう思いながら歩いていたら、自宅から6〜7分ぐらいのところに曹洞宗の禅寺があり、土曜日には座禅会を開いている、と書いてあった。なんとなく宿命じみたものを感じた。
さっそく、土曜に門を叩いてみた。参加者は5名程度。座禅を組むのは辛いものだと思い込んでいたが、集中力を保つために、普通、座禅は40〜50分で終わる。そして、呼吸を数えて(数息観という)、心を真っ白にして座っていたら、あっという間に終わる。(この数息観が非常に難しい。なるべくゆっくりと呼吸をするのがいいとされる。山本玄峰師ぐらいの達人になると30分に一度の呼吸で済むという)
座禅の後は、法話や質問で、最後に、ものすごく美味しい手打ちウドンを振舞われる。
なんのことはない、実に楽しい時間なのだ。
初めての座禅体験は、本当に心がスーッとして気持ちがいい、温泉に入って涼しい空気に当たったときのような感覚だった。
それで、週に一度の座禅ではもったいない、毎日やろうと決心して、家でも座禅を組むことにした。
座蒲団を折って座ってもいいのだが、仏具屋にいって座蒲(座布)という座禅専用の座蒲団を4千5百円出して買ってきた。高いなあ、女房に作らせたら原材料は千円で済む、と思ったが、これで悟れるなら、と思い奮発した。
そういうわけで、週に1度は寺で、残りの6日は家で座禅を組む生活が始まって、今日で10日目になる。
かなりの心境の変化があった。まず、私の鬱病の症状で一番苦しんでいた「原稿を書く前に逃避行動をする癖」がなくなった。まず、心が空白になるから苦痛が消えるし、体は「この世の借り物」という気が起きるから、正しいと思う方向へスッスと持っていける。これは大いに助かった。おかげでこの10日で40枚の論文を書いて恩師にメールで見せたら、「大変面白く読んだ」と、普段は絶対に褒めない恩師に生まれて初めて褒めてもらった。
次に、これは、いいことでもあり、悪いことでもあるのだが、自分の心境が高くなったために、キャバクラ嬢や他人が「動物のように見える」という現象が起こってきた。
キャバクラに行くと、ホステスたちや客たちが、鳥獣戯画のように動物に見えるのである。女はたいてい鳥のような顔をしている、男は堕落したタヌキのような顔をしている。気持ち悪くて仕方がない。ホステスと話していても、馬鹿馬鹿しくて喋るのも嫌になる。英語に夢中になっているホステスに「まず日本文化を勉強しなさい。馬鹿が英語が喋れるようになっても、英語の喋れる馬鹿でしかないよ」と本当のことを言ってしまって、嫌な沈黙が続いたりした。とにかく、馬鹿馬鹿しくて、話題がなくなるのだ。
それから、知り合いの女でNPOやらフェミニズムに打ち込んでいるオバサンがたまにメールをくれるのだが、そのメールを読むと心境の低さにげんなりしてしまう。文章の奥に潜む相手の心に、ブリキの洗面器に腐った水がたまっていて、ボウフラがその中に湧いている、というイメージが浮かぶのである。
そうそう、芸能人なども見ていられない。叶姉妹はもちろん、お笑い芸人やらタレントたちが「人間の顔をした亡者」に見えるのだ。田島陽子なんて女は絶対に悟れないだろうね。小泉首相も竹中も終わっている。
だから、この10日は、ほとんどキャバクラにも行かず、テレビも見ず、原稿執筆のための研究と、禅関係の本を読むことに集中している。
もっとも、こういう心境はいいようであり、実は、悟りの世界から見ると悪いのである。というのは、我は清く、人は穢れている、という差別観が生じているからで、本当に悟れば、一切衆生悉有仏性(どんな奴でも仏様)という心境になるのだ。だから、私の現在の心境は、昨日までの私よりはよほど上昇したが、悟りの立場から言えば、まだまだ低いものである。地獄に入ったら地獄の中で遊戯三昧、という心境でなければならないらしい。(でも、やっぱり馬鹿は馬鹿だね、と思うのだが・・・・・・)
それから、非常に重要な夢を一晩に二つ見た。一つは、私が池田大作になって講演している夢である。私は池田大作は国賊、仏敵だと思っていて、いつかは首を切り落としたいと祈っているほどに嫌いな人間だ。この夢はユングの言うところの究極の「影」の夢である。あの池田と調和したのだから、無意識の領域においては自己実現は完了したのではないか、と思う。
次いで、家が新築になり、庭の池の水が泥水から清流に一挙に変化している夢を見た。さらに、トイレで小便をしようとすると、トイレが消えて布団の上や居間に小便が流れてしまう。その度に小便を止めてトイレを探すという夢である。これまでの夢解釈の経験から、私の夢の中では、家は心の象徴だ。これまで無数の家の夢を見たが、いつも古く、ガタが来ていて、トイレの床などは今にも踏み抜きそうに腐っていた。また家の地下に秘密のクラブがあって、そこには酒をついでくれる不思議な顔をした女性たちがいる・・・・など、私の家は壊れかけていて、隠微だった。今度の夢は、生まれて初めて見た新築の頑丈な家である。心が生まれ変わったのだろう。さらに、トイレがない、というのも面白い。あまりに清浄な心になると、小便=性的排泄もできなくなるよ、家の中にトイレは残しておきなさい、とセルフがアドバイスしているのだろう。私はそう解釈した。いずれにしても劇的な変化である。
そういうわけで、この本は私の人生を変えた一冊である。
本当に全力を尽くして、私は毎日座禅を組んでいる。いつか「見性体験記」が書けるようになりたいものだ。
この文章を書いたのは2003年の8月である。2008年の2月、本当に見性体験記を書いているとは・・・実に感慨深い。
(引用文には書いてないが、生まれて初めて座禅を組んだ後、住職に「本当に坐禅は初めてですか?とても初体験の人とは思えない」と誉められた事実は記しておく)
いずれにせよ、最初の参禅から僅か10日でこのような劇的な体験をしたわけだ。自分でも読み直しながら、凄いなぁ、と思う。
特に夢で池田大作という「影」(最も嫌いな人物で、無意識に抑圧排除された否定的人格)と統合したというのは私にとって物凄いことである。ユングは影との統合により「個性化」(自己実現)に飛躍する、と書いている。僅か10日で無意識の有り様が180度変換したのだ。
また庭の池が泥水から清くなり、新築の家になった、というのも凄い。唯識論では、眼、耳、鼻、舌、身、意の六識の奥にマナ識とアラヤ識という無意識の領域があり、それはどうしようもない根本的な煩悩とエゴイズムから成り立っている、と説く(詳しく言えばアラヤ識は「真妄和合識」といい、煩悩と仏種が混在している)。その根本的な煩悩を浄化(転識得智)すれば悟るというのだが、唯識説ではその修行は気の遠くなるような期間を要し、この世では悟れないことになっている。それほど難しい無意識の変容を僅か10日で遂げているのである。
なお、引用文に「この数息観が非常に難しい。なるべくゆっくりと呼吸をするのがいいとされる。山本玄峰師ぐらいの達人になると30分に一度の呼吸で済むという」と書いているので一言解説を加えたい。私は数息観(呼吸の出入りを心で数える)も随息観(呼吸の出入りを見つめる)も一回目の指導で楽に出来た(後述するがこれは稀有のことらしい)。だからそれ自体は簡単だったのだが、『無門関提唱』に山本師が、一呼吸30分になる、と書いているのを真に受けて、せいぜい30秒ぐらいしか息が持たない自分の呼吸法を変えようと苦しんだのである。今思えば、そんなことは出来るはずもない。呼気が細くなると「息を吐きながら吸う」ことが出来るようになるので、おそらく玄峰師はその要領を掴んでいたのだと思う。
ともかくこういう事情で私は最初の坐禅で快感を得て約2年間その禅寺に通い、家でも坐禅を続けた。
その寺の住職によれば修行中の僧の読書は許されない、とのことだったが、私は熱心に禅に関わる本を買って読んだ。実は昨日まで「禅の本を20〜30冊は読んだはずだ」、と思っていたが、昨夜ある本を探すために本棚を整理していたら、禅関係の本が約80冊あった。
また、直接的な禅の本ではないが、縁起説や一念三千論を証明するための補強として読んだ脳科学、宇宙論、量子論の本も30冊を超えている。私は熱中すると周りが見えなくなるので、いつの間にかそれだけの本を読んでいたのである。
こういう風に知識を貪欲に取り入れて納得しながら理解を深めていくことを「理入」といい、もっぱら坐禅修行に打ち込む方法を「行入」という。理入を批判する人もいるようだが、納得しないと信じられないタイプの人間は大いに読書すべきだと私は思う。(特に私の場合、理論から納得する手立てとして『唯識のすすめ』(岡野守成)が大変に役立った)
もちろん書籍からだけでなくネット上の禅関係のサイトも片っ端から読んでいった。
それで参禅初体験から1ヶ月以内に面白いことが起こった。
住職の話を聞いても、どの本を読んでも、「我執」が良くないのだから、それを消して「無我」になれ、と書いてある。
それで座禅中に「本気で無我になろう」と決意して一座(40分前後)組んでみた。そうしたら確かに「我」は消えたが、逆に魂が抜けた亡霊のようになり、あるいは催眠術にかけられた人のように正気を失い、丸一日不快感に包まれてしまった。これはどうしたことだ、と思い、翌日師家さんに質問のメールを出した。
当時私はネットで探した在家禅のサイトを2つ「お気に入り」に登録していた。一つは曹洞宗系(ひたすら座るだけで公案を用いない)の「三宝教団」(外池禅雄師がアドバイザー)、もう一つは臨済系(公案を使う宗派)の「人間禅」(久保田師がアドバイザー)である。
どちらの師家にメールしたかは忘れてしまったが、その事情を報告すると「あなたには坐禅の才能があります。我執は消しても意識は凛然と保って、張り切った坐禅をしてください」とアドバイスをもらった。
師家さんが「才能がある」といったのは、魂が抜けるほど無我に集中できる資質を指したものと思えるが、これは前述した自己同一性拡散という病理と異常な集中力が坐禅において有利に働いているからだ。私の場合、自意識を自在に動かしたり消したりすることができるのである。
このアドバイスは有難かった。そうか、野球では打席に立つときに無我になれ、というが、文字通り無我になればバットを振ることすら出来ない。無我というのは「たとえ話」なのだ、と気付いた。しかし、我執や自意識を消したあとで、凛然として私を見ている者の主体は何と呼べばいいのだろうと苦しんだ。見性体験をした今は、それは「仏性である」と断言できるが、私の場合一つ一つに名前をつけて整理していかないと前に進めないので、この疑問は長く残った。
そんな具合で丸2年は自宅近くの曹洞宗の寺に通いながら自宅でも修行するという日々が続いた。
思い出したことがあるので書いておこう。
理入の過程で「クリティカル・ブッディズム」という学派と出会い、これは本当に修行の邪魔になった。袴谷憲昭とか松本史郎といった学者たちの唱える説である。結論から言えば、悟りの経験のない学者たちが、一切の神秘を信じず、ひたすら科学的合理主義で仏教を批判する、という前提そのものを間違えた立場に立ち、多くの論文を書いているのである。しかも困ったことに、彼らの主張は一種のブームになって現在では仏教学の主流になっているのだ。
彼らは、たとえば縁起説(全ての存在は条件と原因、因果律と同時性などの関係性の上に仮に姿を見せているだけであり、それは常に変化し続け、もの本来の自性などない、という仏教の根本思想)から見れば、如来蔵思想(人間は本来仏性を持っているという説)や天台本覚論(如来蔵思想が中古日本で発展したもので、極端な場合人間はそのままで仏=無作三身如来であると説く)は仏教ではない、と主張する。これはいわゆる大乗仏教の伝統的な理論を根本から否定するものであり、理の当然として原始仏教以外は認めないという傾向に陥る。
興味のある方は子細に研究すれば分かるのだが、この主張は「言葉の抽象化による意味論的曖昧さ」の上に成り立った妄説であり、縁起説を「無」「不定」と断定し、如来蔵思想を「有」「定」と粗雑に断定して、絵に描いたような二項対立の図式化をしてしまったための誤解である。真実というものは二項対立を超えたところにあるということが分かっておらず、所詮は「悟れなかった学者」たちのルサンチマンから生まれた愚論である。当然そういう学派は「永遠の生命」などせせら笑って否定する。もちろん永遠の生命を説かない宗教など宗教とは言えず、それはタダの哲学に堕する。
今は見性の後なのでこのような下らない学者の説に惑われることはないが、当時は苦しんだあげく「三宝教団」の外池師に質問のメールを出した。すると師はわざわざ手紙を寄こして頂き丁寧に答えてくれた。要約すれば、学者の説に惑わされてはならない、悟れば生命が永遠であることが分かる、釈迦は断見(死んだら魂は消えるという見方)も常見(死んだら魂が残る)も両方否定している、と書かれてあった。
私は何度も何度もその手紙を読み直し、つまり悟ってみないと何も分からないのだ、学者の説に惑わされずひたすら修行しよう、と誓った。
{坐禅会をやめ 坐禅から離れる}
ところが、2年目を過ぎてから坐禅会に行くのが面倒になった。
何故かと言うと、指導してくれる若住職の法話が長いのである。折角坐禅を組んで爽快感に溢れているのに、雑談混じりの法話が延々と続き、しかもそれが取りとめなく論理性が欠如している。このために折角の快感や充実感がダレてしまうのだ。
だから私は自宅のみで坐禅を組むようになった。
当時の私の坐禅の心境を簡単に説明しておこう。私は数息観を20分したあとに随息観を20分する。数息観の途中で三昧に入る。妄想や雑念に苦しんだことは一度もなく、無念無想の坐禅である。一座終わると喜びに包まれ、畳に両手をつき頭を垂れて3分ほど動けない。ちょうどサウナ風呂に入って汗をかいたあとに水風呂に飛び込むと最高に気持ちいいが、それとよく似た喜びの坐禅である。だから坐禅を組むことは楽しみであり、「安楽の法門」とは言い得て妙だと思ったものだ。
ここで私の家の間取りを説明しておこう。私は2DKのマンションを2部屋持っており、1部屋は書斎に、もう1部屋は家族の生活の場に用いている。道元をはじめとして多くの禅師たちが「坐禅を組むには静かで綺麗な場所で、暗過ぎず明る過ぎず」等々書いている。だから、私は書斎の一隅で坐禅を組んでいた。
ところが、私は本来重い鬱病なので徐々に書斎に行くのが億劫になり、坐禅を組まなくなってしまった。
何がきっかけなのか、今記憶を蘇らせてみると、おそらく某大学の選任教員募集に応募して落選したのが発端だったと思う。(ちなみに私の副業は大学の非常勤講師である。非常勤講師は週に1コマの授業を受け持って月収3万以下というワーキングプアなのだが、これが選任教員になると高給取りになる。同じ大学教員といっても天地の開きがあるのだ)
この冬の時代、そういう人気稼業は狭き門なので落ちたこと自体は大したショックではなかったが、そのアフターケアが酷かった。
その大学の教授の一人は、私の親しい知人で先輩後輩の間柄であり、大学院生のころは毎日のように喫茶店でお喋りした仲だった。それで彼にメールを出し、今後このような選任教師に応募するにはどういうことに気をつければいいか、もっと研究の幅を広げて積極的にアピールしたほうがいいか、などなどアドバイスを求めたのだった。
そうしたら彼から「メールで返事するのは面倒なので高田馬場まで来て欲しい」と電話があった。私は鬱病の症状として一番辛いのが電車に乗ることであり、八王子から高田馬場まで約一時間の距離を耐えるのは辛くて仕方なかったが、直接面談を求める限りは何か特別なアドバイスがあるのだろうと思い、無理をして出かけた。
夕方に会ったので、飲みながら話しますか、というと、そんな暇はない、と答えてセルフサービスのコーヒー店に入った。それで話を聞いてみると、なんと私に対する「難癖」と「嫌味」のオンパレードなのである。しかも話の途中で気付いたのだが、彼は私が応募要件に添って提出した主要論文等を「全く読んでもいない」ことが明らかに分かった。さらに「これからの映画教育」という小論文に私は「研究能力と教育能力は全く別の才能である。アカデミズム教育は大学院で行い、学部教育は学生の心に火をつける話術と魅力的人格が必要になる」と自説を書いていたが、それに反感を抱いたらしく「私はアカデミズム派ですから(そんな授業はしない)」と嫌味を言った。聞いてみると5つも6つも揚げ足取りの批判ばかりである。そもそも彼は私の得意とするアヴァンギャルド映画、実験映像が大嫌いな人物だったのだ。
なるほど、「メールで返事をするのは面倒」というのは、文字通り本当に面倒くさいので、この男は自分の都合で人を遠くから呼びつけておいて、ひたすら皮肉が言いたかったのである。「蛇は一寸出ればその大小を知る。人一言出ずるもその善悪を知る」とはよく言ったものだ。何という人物であろう。私は呆れ果てた。当たり前のことだが、先輩ならば、せめて「これこれこういうことに気をつけて、今後のチャンスを待ちなさい」と言うのが常識というものだろう。その常識すら持ち合わせていないのである。
私は講義のときに「教授教授と威張るな教授 教授オタクの成れの果て」とよく言う。
事実、オタクが教授になるのであり、この男レベルの幼稚な人物が威張っているのが研究の世界なのである。
わたしはこの体験で研究を続けることすら何だか馬鹿馬鹿しくなり、人間不信に陥った。研究者、大学教授といってもあのレベルかと思うと、人生の目標を失った気分になった。
自然と酒量が多くなり、また鬱症状も重くなり、色んな面でやる気を失った。
それで坐禅が組めなくなったのである。いや、正確にいうと、坐禅は楽しい体験なので本心では組みたいのだが、そのために隣の部屋の書斎まで移動することが辛くなったのだ。これは鬱病の人にしか分からないと思う。たとえば私は朝の洗顔が面倒で仕方なく、大抵午後の6時前後にまで延び延びになる。典型的な鬱病の症状である。普通の人ならどうってことのない簡単なことが物凄く億劫になるわけだ。
そういうわけで精神的にボロボロになって毎日のように飲み歩き、とうとう糖尿病になってしまい、心も体も最悪の状態に陥ってしまった。
それで、これではいけない、と思い、2年ぶりぐらいにまた坐禅会に出席してみた。
久しぶりの坐禅体験は素晴らしかったのだが、なんとその寺は宗旨を変えてしまい、以前と正反対の指導をするようになっていたのである。
具体的に言えば、私が坐禅会を欠席していた間にその寺の住職はスリランカの上座部仏教にのめり込み、スマナサーラ長老が率いるテーラワーダ協会に所属していた。瞑想法もヴィバッサナー瞑想という行動するたびにそれに名前をつけていく方法(ラベリング)を取り入れ、無念無想の坐禅と真逆に変わっていた。
それだけならまだいい。この住職は例の「クリティカル・ブッディズム」の信奉者になっていた。以前私が熱心に通っていた頃には「衆生本来仏なり。水と氷の如くにて、水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし」という白隠の『坐禅和賛』を教えたりして如来蔵思想・本覚思想を教えていたが、「世界は所業無常であり“本来”などということはありえない」と言い始めた。
私は2度その坐禅会に行き、これではどうしようもない、と見切りをつけた。人間は自分の心に仏性があると信じているからこそ修行に励めるのであり、なにもかも「所業無常」では救われない。この住職のような偏りを「空病」とか「沈空」という。煩悩の一つである。
それからどれぐらいの月日が流れただろう。
HPのあるサイトの師家さんにメールで質問したところ(その内容は忘れてしまった)、「坐禅を始めて2年や3年で数息観など出来るはずがありません。やっと姿勢が整う程度です」と書かれており、とすると私のこれまでの体験は全部偽物だったのではないか、あの無念無想の心境も法悦感も、本当の坐禅ではないのかもしれない、と思った記憶があるので、坐禅行はしていなくとも「理入」の勉強は続けていたようである。
そういう状態で去年(2007年)の夏、心も体も経済もどん底に落ちてしまった。特に87歳になり郷里で一人暮らしをしている母親を東京に呼んで同居したいのだが、経済的困難のためにどうにもならない。
迷いに迷ったあげく、ネットで霊能者を調べてみた。直感的に全てインチキ臭さを感じ、また料金もバカ高い。そんなことをしているうちに偶然北海道の日蓮系の寺が「無料人生相談」をしていたのでメールを出した。返事があり、また電話でも直接アドバイスを頂いた。それで、その寺のパソコンの手伝いをしている信者さんが非常に奇特な人で文字通り「菩薩行」を実践されており、その後も頻繁にメールでアフターケアをしてくれたうえに、曼荼羅と仏具一式をタダで送ってもらった。
曼荼羅は近くの日蓮宗の寺で開眼供養(入魂の祈祷)をするように、と言われたのでそれに従い、近所の日朝寺で入念に開眼してもらった。同じく人生相談をしている埼玉県川口市の実相寺にも出かけて素晴らしい助言をもらい、地元の日朝寺と七面堂という二つ寺の月例題目会にも参加するようになって、私はどん底の状態からまず日蓮宗の信徒になることで救われた。
(創価学会時代、会員は日蓮宗を“身延派”と呼んで軽蔑していたが、幾つもの日蓮宗の門を叩いた実体験からすると、全ての寺が「一家和楽」を実践しており、心も言葉も上品で、創価学会とは月とスッポンの違いがあることが分かった)
尚、母は創価学会を辞めた後、長い間内得信仰(団体活動をせず家でのみ信仰すること)を続けていたが、現在はアンチ創価学会の急先鋒である「顕正会」に所属している。私は新しく日蓮宗の信仰を始めたことで、日蓮教学の根本原理である「一念三千論」を極めたいと思い、日蓮遺文(御書)を読み直し、天台大師の『摩訶止観』を読み、またそれに関する種々の書籍を集め、ネット上の文献を印刷するなどして研鑽した。それは「母が生きているうちに日蓮教学の真髄を教えたい」という親孝行の気持ちでもあった。日蓮自身は「末法の愚かな衆生にはこの法門は難解すぎるので学ぶ必要はない。ひたすら題目を唱えることで仏性が現れる」と説いているが、折角日蓮宗の信徒になった限りは「理入」もしてみたいと思ったのだ。だから「87歳の母にも分かる一念三千論」というエッセーをなるべく早く書き終えて自分のホームページに掲載し、プリントアウトしたものを郷里の母に送りたいと願っていた(現在も願っている)。
{玄侑宗久師との出会い}
法華経曼荼羅を開眼供養し題目を挙げるようになったのが去年(2007年)の9月である。その翌月、ボンヤリとNHK教育テレビにチャンネルを合わせたら、ある僧侶が話をしていた。番組の終わりかけだったので、その僧侶の話を聞けたのは1〜2分ぐらいの僅かの間だったが、直感的に、この人は分かっている、と感じた。エンディングタイトルを見ても名前が出てこないので、私は直ぐにNHKに電話をかけ、その僧侶の名前が「玄侑宗久」だと教えてもらった。
早速パソコンで検索したところ、芥川賞作家で禅寺の副住職をしている人だと分かった。
薄ボンヤリとだが、以前新聞で現役の僧が芥川賞を取った記事を読んだ記憶が残っていたが、私は現代小説から関心がなくなっていたので、その人の小説も読んではいなかった。
それで玄侑師のブログを見つけ、早速メールで質問してみた。去年(2007年)の10月5日のことだ。
まずクリティカル・ブッディズムの「如来蔵思想批判」に疑問を持っていたので、「縁起説と如来蔵思想を両方同時に受け入れることは可能か?」いう質問を出した。すると翌日早速返事があり「私は可能だと思います。しかし仏性を実体的に捉えるのではなく、それもまた縁起による現象だ、と見ることが肝要です」との返事。さすが私が見込んだ人だけある。私はこの答えに満足し、納得した。仏性というのは潜勢的可能体であり、修行に伴う無数の縁によって発現するものだ、と思っていたからである。
この玄侑宗久さんのメールを読んだのを契機に、私はその日から坐禅を久々に復活することにした。
そしてその坐禅の方法は普通の作法から見れば全くの邪道だった。しかし今思えば、その邪道のお陰で見性できたのである。
前述したように坐禅は「綺麗で静かな部屋」で行うのが規則である。しかし、この時期の私は鬱病のどん底にあったので、わざわざ隣室の書斎までいって坐禅を組む気にならなかった。
それで寝室の布団の上で、顔も洗わず、寝巻きのまま、法華経曼荼羅が安置されている仏壇の扉を開いて、その前で坐禅することにしたのである。
顔を洗わないのは、これも鬱病の症状の一つで、その動作に移るのが億劫でたまらず、最初の洗顔と歯磨きは午後6時ごろになるのが日常になっていたのだ。
寝室には、後述するが妻は「片付けられない病」なので、常に布団三組が敷きっぱなしになっている。しかも坐禅の前に靴下を脱ぎ、時計を外すという常識にも囚われなかった。
ところがそういうルール無視の坐禅を久々に組んだところ、実に巧くいき、最初から法悦境に入ることが出来た。参考になると思うので、以下に私の坐禅の方法を具体的に記述しておく。
仏壇の前に座蒲を置き、仏壇の扉を開く。結跏趺坐を組んで5分ほど首を回してストレッチする。(これは私が大学院生のときに個人映像を鑑賞する際、ライトペンで細かにノートを取っていたことに由来する。個人映像はほとんどレンタル化されないので、二度と同じ作品を見られないケースが多い。だからメモを取る必要がある。ところが猫背になりながらスクリーンとノートを交互に見る、という動作を繰り返したことで首を痛め、或る日突然激痛が走って首が動かなくなった。接骨院で見てもらったら第七頚椎ヘルニアになっていると言われ、私は休業日以外は毎日接骨院に通い、牽引を中心に電機治療とマッサージを丸二年続けた。それで八割がた症状が治まったものの未だ完治せず、放っておくと首筋が痛み頭痛に苦しむのである。それで坐禅前に姿勢を正す準備運動として首を回すわけだ)
ストレッチが終わったら臍の後ろの腰骨(脊梁骨:せきりょうこつ)を反らし気味にして姿勢を正す。私は異常に背筋力が強いのが見性の原因の一つになったと既述したように、坐禅ではこの腰骨を反らすのに背筋を使う以外は、全身を脱力させねばならない。これは坐禅の秘訣の一つである。
ついで右手の上に左手を乗せて法界定印を結ぶ。このときに丁度両手の小指が腹に当たるが、そこが「臍下丹田」(普通は臍の下9センチといわれる)である。非常に敏感な場所で、「切腹するときにここを切ったら一番痛いだろうな」と感じる場所だ。
視点は目の前1メートルぐらいのところに置き、宇宙を尻の下に敷き、頭は宇宙の果てを突き破って伸びているというイメージを抱く。
私の場合は、まず20回から30回の数息観から始める。実際は鼻から息を吸うのだが、イメージとしては頭頂部から宇宙のエネルギーを吸い込んで、ストンと丹田に落とす感覚だ。そして充分に丹田でそのエネルギーを受け止めて味わってやる。もうそれだけで心地よさを感じるはずである。ときどき小指を丹田に当てて少し押して場所を確認し、吸気をそこに落とすようにするといいだろう。(禅の入門書によっては、丹田呼吸と複式呼吸を一緒にしているものもあるが、これは全く別物なので要注意)
ついで呼気はなるべく細くゆっくりと、鼻から吐くのではなく、全身の毛穴から息が漏れていくイメージを抱く。その際、体内のあらゆる病巣は呼気とともに吐き出されると信じることだ。私の場合、調子がいいときは最初の5回目ぐらいの数息観で三昧に入る。脳内に快感物質がビビビっと放出される。
数息観が終わったあとは、これは私のオリジナルの方法だが、呼気を長くするために呼気の秒数を数える特殊な数息観を行う。私の場合は吸気に3〜5秒、呼気に20〜25秒である。その呼気を出来るだけ長くするために数を数えるのだが、20秒当たりを超えると苦しくなって下腹の筋肉が震える。それを我慢して1秒でも長い呼気が出来るように、これも20〜30回繰り返すのである。後日、玄侑宗久さんとメールを交わしたおり、「呼吸の長さを気にする必要はない」と言われたが、私はこの方法を試すようになって禅定の力が更に強くなった。
それが終わったら最後に心行くまで随息観をする。
もうこの頃には体中が喜悦と安楽に溢れており、道元の言う「仏の部屋に投げ入れられる」という言葉が実感として分かる。
坐禅では「二の念を継がず」といって、どのような想念も心で追いかけてはならないのだが、私の体験で言えば、喜悦・安楽といった法悦感は充分に受け止めて楽しんだほうがいい。むろんそれに執着してはならないが、じっくりと味わい楽しむのは見性のためのコツだと思う。
ちなみにそういう法悦感は殆どが脳内で起きるが、首、背筋、手先、太股などが鳥肌立つような歓喜に震えることもある。それを充分に受け取って座禅三昧の原動力にすればいい。
この段階になると私は吸気の入り口を頭頂部、前頭葉、後頭部と自在にイメージして、脳全体をクリーニングすることを意識する。パソコンで言えばハードディスクの再セットアップのようなものだ。頭がカンカンに冴え返ると同時に法悦に包まれ、申し分のない心境になって坐禅を終える。座中は真剣勝負だから真冬でも軽く一汗かいている。
座蒲を取り、結跏趺坐を解いた後は、両手を畳に付き頭をうな垂れて数分の間余韻に浸る。そして法華経曼荼羅に対して朗々とした声で唱題し、最後に祈願して終わる。
以上の通りだが、念のために二つだけ秘訣を記しておく。
まず、数息観の勘定を数えるときも「頭で数えるのではなく、丹田で数えること」、視点を1メートルほど前に置くときも「目で見るのではなく、丹田で見ること」、この二つを徹底することだ。山本玄峰師が「数息観を足の指で数えられるようになるといいのだが」と言っているのを読んで、最初は全く意味が分からなかったが、大事なのは絶対に頭を使わないことだ。私は丹田で数え、丹田で見るが、山本師ぐらいになると足の指に意識を置いて息を数えることが出来たのだろう。
もう一つは上記したことと密接な関係を持っているが、「言葉とイメージによる思考を一切停止すること」である。これが坐禅をするに当たって最も重要なことだ。
仏教では「眼、耳、鼻、舌、身、意」の六識も、「色、受、想、行、識」の五陰も全て煩悩だと規定する。つまり全ての感受作用、イメージ形成作用、言葉による概念化作用が煩悩の源泉だと説くのである。
だから簡単に言えば、坐禅とは言葉を使わず、そのことによって概念による思考を遮断する訓練なのだ。唯識論的に言えば、その意識的訓練を繰り返すことで、無意識であるマナ識もアラヤ識も浄化され煩悩が仏性に転化するのである。
もっと具体的に書こう。
坐禅中、坐禅と関係ない雑念に囚われるなどというのは論外である。私はそういう心理状態になったことは一度もない(繰り返すが、こういう人間は稀有らしい)。但し、「頭頂部から息を吸って」とか「丹田に吸気をゆっくり受け止めて」とか「丹田で数を数えろ」とか「丹田で見ろ」などなど、坐禅を正すために内言を吐くことは許されるだろう。ここが肝要だが、やがて「言葉を使わなくとも思考できる」という不思議な状態が訪れる。
「丹田で見ろ」が「丹田」に縮まり、やがて「タ」になり、最終的には言葉を使わずに丹田で見るという行為が出来るようになる。「非思量」とか「不思量底を思量せよ」というのはこのことだと私は理解している。
この極意を別の面から見てみよう。
何の本に書いてあったのか忘れてしまったが、ゾウリムシの世界像は「食べ物である」「食べ物でない」「障害物である」「障害物でない」という4つのファクターでのみ構成されているらしい。私はそれを知ったときに、頭に閃くものがあった。
この話を聞いて「ゾウリムシとはなんて原始的な生き物だ」と思ったのではない。人間の世界像もある境地から、たとえば如来から見れば、ゾウリムシ並みに原始的で愚かなものではないだろうか?と閃いたのだ。この発見は修行をするのに大変な励みになった。想像を絶する超越したものの存在が予感されたからである。つまり、我々の感受作用、イメージ形成作用、言語化作用と認識、それに続く意味と価値の体系を、我々は疑いもせず、さらに悪いことに、自分達はもっとも高度に進化した霊長類だと自惚れて生きているが、ある視点に立ったとき、我々もゾウリムシレベルなのかもしれない、と自覚するようになったのだ。と同時に、とすれば認識の最大の道具である「言葉」を離れることが見性の第一歩であり、如来には如来の言葉(あるいは非言語)がある、と思い、座禅中は無念無想になることのみを心がけるようになった。
事実、坐禅を終え、唱題した後は、頭の中が空っぽで「言葉を使うのが不潔な感じ」がして、しばらくは「非思量」のまま行動している。面白いもので、慣れてくると言葉を使わなくても人間は行動できる。当然一日中そんな状態を続けることは出来ないから、読書をしたり、テレビをつけたり、家人と話すときに仕方なく言葉の世界に戻っていく。
「人間はゾウリムシかもしれない」「如来には如来の認識法がある」という発見は、私の修行を続ける上での強い牽引力になってくれた。
そうそうこの際、坐禅を書斎でなくリビングの寝室で行ったことで、禅定の力が強くなっていった具体例を書き留めておこう。「静かな」「綺麗な場所で」というルールを無視したことで、逆に予想外の恩恵を受けることが出来たのだ。
寝室は4車線のバイバス通りに面しているので車の音がひっきりなしに聞こえている。始終パトカーや救急車が通り、わざとマフラーの消音装置をはずしたヤンキーたちの車やバイクがけたたましい音をたてて通り過ぎていく。そういう中で坐禅を組むのに慣れていったので騒音が気にならなくなった。やがて座禅中に子供が帰ってきて隣室でテレビをつけたり(我が家は襖で仕切られているのでテレビの音はガンガン響く)、私の後ろを行き来したりしても、瞑想三昧が壊れなくなった。私が座っている横にあるマッサージチェアを誰かが使っていても全く気にならずに禅定が崩れない、という状態にまでなった。
やや余談になるかもしれないが、似た体験があるのでたとえとして記しておこう。
太刀魚のウキ釣りは堤防釣りの中でも至難と言われ、上達者が30匹も釣り上げているのに、その横にいる初心者は1匹も釣れない、というほど腕の違いが極端に釣果になって現れる。私はこの釣りに夢中になった。太刀魚は見かけと異なり極端に臆病で繊細な性格なので、これを釣るには穂先の柔らかいグレ竿を使うのだが、私は逆に穂先が極度に硬い投げ竿を使って練習した。分かる人には分かるが、これは無茶苦茶な、セオリー無視のやり方なのだ。
しかし私はお金が無かったので投げ竿一本しか持っていなかったのと、工夫をすれば竿など関係ない、と思っていたので、竿が硬いぶん手首を柔らかく使うテクニックを獲得して太刀魚釣りをマスターした。後日、穂先の柔らかいグレ竿を使い出すとさらに楽々と釣れるようになり、気付けば名人級の腕前になっていた。
要するに何事においても、悪い環境の中で修行しておくと普通の環境に置かれたときには達人になる、という理屈である。
次いで「歩行禅」についても記しておく。
これは禅寺の門を叩いて間もなく、何かの本を読んで実践し始めた。既述したように、私は坐禅をやめていた時期が二年以上あるが、この歩行禅だけは続けていた。
具体的方法を記すと「我」を土踏まずの下に置いて、それを踏みしめながら無念無想で歩くのである。つまり我執を消すための修行である。
これは本当の坐禅よりも遥かに難しい修行だ。私が「完璧な歩行禅が出来た」と納得できたのは、後述する見性体験の後やっとである。私は最初の坐禅で瞑想三昧を得ることが出来たのに、歩行禅はそれほど至難の業なのである。
それは当然だ。坐禅は静かな場所で視点を一点に定めて瞑想するのだが、歩行禅は街中で、体を動かしながら、それに従って当然視点と風景が変化する中で、しかも横には車が轟々と通るのを無視し、人や自転車とぶつからないよう気を配りながら、その困難な状況の中で無念無想を貫くからである。こんな悪条件はない。
私は足を一歩踏み出すごとに心の中で「無」「無」「無」と呟きながら歩く。あるいは「南無」「妙」「法」「蓮」「華」「経」の6音節に合わせて歩みを進める。雑念が収まらないときは小さく声を出してみるといい。人間は声を出しながら他のことを考えることはできないので、声を出せば無念無想になりやすい。
この歩行禅が出来るようになれば、座ってやる普通の坐禅などは朝飯前になるはずだ。
そうそう、同時期に中村天風の影響を受けたことも記しておこう。
私のネットの「お気に入り」にハンドルネームがkeizo(本名は鈴木啓造氏)という人の掲示板がある。Keizoさんは私と同い年、学生時代に覚醒体験を経験した俳人で、彼の人徳に吸い寄せられて自然と魂のステージの高い人々が集まっているレベルの高い掲示板である。その常連投稿者の一人のパウロ(本名は広瀬一郎氏)という人が中村天風のことを教えてくれた。
天風は日清・日露戦争のときに軍事探偵として大陸に渡り「人切り天風」と呼ばれたつわものだが、当時の医学では治癒できない死病に罹り、その治療法を求めて世界を旅して医学を学んだあげく失望して帰国の途に着く。途中、偶然にヨガの達人と出会い、ヒマラヤ山中で数年の修業ののち悟達し死病も退治した人物である。天風は会社を経営して成功するがあるとき全ての財産を処分して辻説法を始め、のちに「天風会」を組織し、門下には東郷平八郎から頭山満、総理大臣、皇族まで錚錚たる人々が名を連ねた。宗教ではなく、ヨガ行を取り入れた天風哲学とでも称すべき理念に基づく修行法である。
この中村天風の語録が読め、肉声が聞けるサイトを教えてもらったわけだ。私は一時期「天風病」になった、と言っていいほど大きな影響を受けた。特に「不安、悲しみ、恐れ、といったマイナス感情を一切捨てよ。口にも出すな」という教えに感動した。たとえば「俺は酒が弱い、と言うのも駄目だ。俺は酒が強くない、と言え」と教えている。私は映像学の専門家なので少し注釈すると、イメージには否定語がないので「このパットが外れませんように」と否定語で祈ると、イメージは「パットが外れた」場面のみを提出する。だから天風が強調する通り、ネガティブな言葉を使っているとそれが無意識に作用して悪感情の連鎖に陥るのである。
また天風はもともと豪傑なので線香臭さが全くなく「人生は楽しむためにある。他人に迷惑をかけない限りは大いに楽しみ、快楽を追求せよ」とも述べている。私は、天風と出会ってから、恐れ、不安、悲しみ、愚痴、虚勢、などの一切の感情を心から払拭したつもりである。
そういうわけで私は、玄侑宗久師からメールをもらって以来、坐禅行に打ち込み、また中村天風師の影響もあって、徐々に心境が高まっていった。
玄侑師とはメルトモのようになり、御著作を次々と読んで読後感などを送っていたが、玄侑師が共著の『実践 元気禅のすすめ』を読んで、ハタと悩んでしまった。
やはり例の瞑想における雑念・妄念の問題である。玄侑師の表現を借りれば、瞑想中に「心の教室の中で三千人の生徒たちが一斉に暴れだす」と断言してある。
これはどの禅書を読んでも例外なく書いてあることで、藤平光一(詳しくは後述する)も「蟹が泡を吹くようにブクブクと妄念が湧き上がるから、ノイローゼの人は坐禅をしてはいけない」とまで言っている。
とすると、タダの一度も雑念や妄念に苦しんだことがなく、無念無想の法悦に浸っている私の坐禅は、どこか根本的に間違っているのではないか、という不安がまた持ち上がってきた。
それで私は玄侑師へのメールに「実践 元気禅のすすめ」の読後感を書き、ついでに自分の坐禅を具体的に記して点検を受けることにした。
「そもそも数息観は数を数えることに集中し、随息観は呼吸を見つめることに集中するのだから、雑念など湧くはずがないじゃないですか」「私の坐禅はどこか間違っているのでしょうか」等々書いて返事を待った。
このメールを出したのが去年(2007年)の12月18日のことである。いつもは必ず翌日返事があるのだが、待てど暮らせど返事がない。ブログを見ると人気作家だけあって過密なスケジュールが書いてあり、また僧侶だから年末は忙しいのだろうと想像した。
それで、この本に書いてある「全的自己を丹田に集中させよ」という言葉が気になって、それまでの頭頂部から丹田に吸気を落とす方法を止め、丹田にのみ意識を置く坐禅を組んでみた。すると座中に視界が真っ暗になり、眠くて仕方ない。結局、座を解いたあと座蒲を枕にしてしばらく眠ってしまったのだ。
以前、無我になろうとして魂が抜けてしまったことを思い出した。自己同一性拡散のせいか異常な集中力のせいか分からないが、私はそういう特殊な状態に陥ってしまうのである。
これではいけない。丹田に意識を置きながらも同時に頭部にも意識を残さないと本当の法悦は得られない、と確認した。
それが気になって様々に意識の置き方を工夫していたときである。まさに共時性(シンクロニシティ)の体験をした。
前述したkeizoさんの掲示板でまたもパウロさんが藤平光一の本を紹介していたので興味を持ち、直ぐに著作を二冊注文した。その一冊『気の威力』を読んでいたら、「丹田に心を静めれば自然に天帝に意識が集中し、自然に脳髄の思考も統一される」と書いてあったのだ(天帝とは眉間のこと)。
私の体験から丹田に全意識を置くと眠くなるだけだから、本当は藤平氏の言葉は嘘なのだが、とにかく丹田と眉間とに意識を集中させることがコツだと理解できた。それで座禅中に様々に工夫を凝らし、結局、普通の数息観と、呼気を数える私のオリジナルの数息観のときは、「眉間から息を吸って丹田に降ろす」方法を用いるのが最善の方法だと分かった。
そして、最後の随息観は以前と同じように頭部の様々な場所から吸気を入れて脳全体を活性化させるようにした。これで私の座中における呼吸イメージのフォーマットは完全に定まった。
欲しい本が探そうと図書館に行くと、書棚の目立つところにその本が置いてあり一瞬で見つかる、といったシンクロニシティを「図書館の天使」というが、まさに藤平氏の著書との出会いは共時性の現われだった。
ちなみに藤平光一とは、肋膜炎を克服するために坐禅からはじめて合気道を学び、合気道の創始者で様々な伝説を持つ植芝盛平に師事して植芝を超え、前述の中村天風に師事して天風を超えた天才型の合気道家であり、海外に合気道が流布したのはこの人の力によるものである。
この人の本にも私は大きな影響を受けた。丹田と眉間の関連性だけでなく、次のエピソードも紹介しておこう。
藤平氏は参禅により様々な公案も透過して、死ぬことなど怖くないという心境で戦地に赴いたが、実際の戦闘に巻き込まれ機銃掃射を受けると、それまでの修行の成果など吹っ飛んで死の恐怖に慄いた。そこで「私が修行を続けているのは天地から使命をもらっているからだ。しかし自分はまだ何も世の中のために役立っていない。もし自分がここで死ぬとすれば天地に心などないことになる。そんな天地に未練はない。いさぎよくおさらばしよう。死ぬも生きるも天地任せだ」と腹をくくり全身の力を抜いたら、敵の銃撃が怖くなくなった、と記してある。
坐禅は、生きながら死を体験する側面があるので、私も「いつ死んでも怖くない」と思っていたが、このエピソードを読んで、観念的な覚悟と実際的な覚悟との距離を思い知らされた。中村天風も同様に、剣道の達人が馬賊に出合ったときに恐怖のあまり全く役に立たなかったエピソードを披露して、普通のときは誰でも落ち着くことが出来るが、いざというときこそが大事なのだと「晴れてよし雲ってもよし富士の山」という道句を紹介している。確かにどん底のとき、大変なことが起こったとき、果たして霊峰富士のように泰然としていられるかどうか、そのときにこそ人間の器が試されるのである。
腹をくくって、力を抜いて、丹田に気を籠めて、いつ何時でも堂々と生き、そして死ぬこと・・・その大切さを教えていただいた。
それにしても玄侑宗久さんからのメールが届かない。2007年12月18日に出してから年が明けても返事がないので、松の内が過ぎた2008年1月8日に再度メールを出してみた。すると同日にすぐに返事があった。
法事や葬儀が重なり返事が遅れましたと謝罪の言葉があり、私の坐禅について、「確かにあなたは坐禅の要諦をすでに掴んでおり、禅定をあっさりものにされている」との回答があった。
この言葉を読んで私はその場で踊り出したいぐらい嬉しかった。雑念が起きず無念無想になる私の禅は根本的にどこかおかしいのではないか、とそれまで心の奥に蟠っていた不安が一瞬にして消えた。よし、俺は坐禅の才能がある、これからも精進しようと心に誓った。
{見性の予兆}
私が見性体験をしたのが1月28日なので、玄侑宗久師の「認定」メールから丁度20日後である。前年の10月5日に玄侑師にメールを出して坐禅を再会して以来4ヶ月弱の間に様々な見性の兆しが現れた。以下項目ごとに記す。
★坐禅中の法悦感の増大・「微笑禅」の発見
玄侑師に自分の坐禅を認めてもらってから自信がつき、禅定の力が一層強くなり、座中の法悦感が飛躍的に伸びた。明らかに変わった点がある。それは、おかしなことを書くようだが、座中に「陰茎の根本が射精時のように痙攣する」ようになったのである。脳内に快感物質が迸るから陰茎がピクンピクンと痙攣するのか、それとも痙攣するから脳内に快感物質が放出されるのか、未だにどちらか分からないのだが、ともかく先ずそういう身体反応の変化が起こった。10呼吸に1度、あるいは5呼吸に1度ぐらいの頻度で痙攣する。時には連続して痙攣することもある。
それに従い、座中に「楽で楽で、嬉しくて嬉しくて仕方ない」「もうこのまま死んでもいい」という心境になり、思わず表情が微笑んでいる。時々喜びが抑えきれず声に出て、フフフ、と含み笑いをしてしまう。なんだか爆笑寸前のところを必死でこらえているような心理状態が続き、嬉し涙で視界が曇るようになった。はたから見たらキチガイになったと思われるだろうが、自分では相当な境地に進んでいるのが分かった。そこで私は自分の坐禅を「微笑禅」と名付け、妻に「このまま行けば今年中に悟るかもしれないぞ」と予告した。
★一家和楽に近づく
坐禅を再会した後から、それまでギスギスしていた家庭環境が穏やかになった。
私の妻は「片付けられない病」を持っている。これは読者の想像を超えているので具体的に書いておこう。
郷里愛媛で母と同居しているとき、皿や鍋などを棚に整理するのに妻は半径の小さいものを一番下に置いて大きいものを上に順番に重ねるので、通りすがりにちょっと触れるとガラガラと崩れてしまう。本や雑誌についても同様だ。小さな本の上に大型の本を積み重ね、さらにその上に小物入れなどを置いているので、ちょっと体が当たるとバラバラと崩れ落ちる。また、化粧道具や小物類を棚の前面ギリギリに並べる癖があり、これも少し触れただけで落っこちてしまう。
母は嫁苛めをするような小さな人間ではないが、この整理下手にはいつも嘆いて注意していた。妻はよほど整理の才能が無いのか、脳みその一部が壊れているのだろう、結婚して以来数百回となく注意しているのだが、未だにその悪癖が治らない。
もし誰かが私たちが住んでいるマンションを突然訪問したとしたらビックリするに違いない。まさにゴミ屋敷である。フローリングにはコンビニのレジ袋と新聞紙と雑誌と衣服が散らばっていて床が見えないほどだ。2DKの部屋には大きなゴミ箱が2つあるが、共にゴミが山盛りになって周りにこぼれている。一部屋は寝室だが、3組の布団が年中敷きっぱなしになっている。布団を干すのはおそらく数ヶ月に一度だろう。
押入れを開くと衣服や雑誌類がパンパンに押し込められているので崩れ落ちる。私が使う大工道具を入れてある専用の引き出しの中に、気付くと巻き糸やタオルやお菓子が入っている。
私は慣れているのでこれぐらいでは怒らない。一番ひどいのがダンボール類の整理を全くしないことだ。毎月4箱のミネラルウォーターをはじめとして様々なサプリメント類を定期購入しているせいもあり、ダンボールがいつの間にか溜まっている。しかし妻は全くそのゴミ出しをしないので、玄関前もダンボールだらけ、納戸もダンボールとゴミ袋の山で、それらに埋まった傘や洗車道具や自転車の空気入れなどを取ろうとするとバラバラと頭の上からゴミとダンボールが崩れてきて、まるで喜劇映画のワンシーンのようになる。ベランダを見るとダンボールの山の間に仕舞い忘れた洗濯物や郷里の母が送ってくれた藍染の座布団などが挟まっていて、何ヶ月も雨ざらしになっている。
妻はパートに出ているとはいえ午後4時頃には帰ってくるし、週に一度の休日もある。それなのに、こういう無茶苦茶なゴミ屋敷にしてしまうのだ。一日に20〜30分掃除すれば綺麗になるのに、どうしてもそれが出来ないのである。
私が怒って、いつ片付けるんだ、と言うと、今度の休みの日にやる、と答えるのだが、当日になると昼過ぎまでダラダラと寝て、片付けのことを忘れ去っている。それで、もうこれは仕方なく、私は時々怒りを爆発させてビンタを食らわし、妻に「何月何日に絶対に掃除します」と紙に書かせ壁に貼り付ける、というところまで行かないと動かない。
私も夫婦喧嘩は嫌だからギリギリまで我慢している。毎日のように、掃除しろ、といい続け、それに素直に従えばいいのだが、いつも言い訳をして、他にもっと大事なことがあるとでも言いたそうな顔で膨れっ面をする。思い切りビンタをくれて怒鳴らないと正気にならないのである。私は妻を、美人で性格が明るいから結婚したのだが、こんな欠点があるとは夢にも思わなかった。そういう訳で、2〜3ヶ月に一度は妻を怒鳴って手を出すのが日常になっていた。
また高校二年の娘も性格に難があり、これも時々叱らざるを得ない。
娘は下に弟が生まれたときに自家中毒を起こしたぐらいだから、弟が疎ましいらしく、いつも難癖をつけて嫌味を言っている。長女らしさが全くないワガママな一人っ子性格に育ってしまった。頭はいいのに、私はバカだと言い、好きな教員の教える教科では学年一位の成績を取る一方、嫌いな教員の教科は全然勉強せずに赤点を取る始末である。そういう性格だから高校受験のときは美術の教師に嫌われて通知表が3だった。このために第一志望の公立高校に落ちた。通っている学習塾で試験結果を調べたら、志望校の合格者平均点よりも高い得点を取っているのに、内申点が足りずに落ちたことが判明したのである。
それで私立高校の進学クラスに通い出したが、周りの生徒のレベルが低い、とか、教員が気に食わない、とか常に不満を漏らし、全く勉強せず、授業中も家に帰っても寝てばかりいる。
それで注意するとヒステリックに叫んで「高校を中退してフリーターになる」と自棄を起こす。反抗期、思春期という理由もあるが、私のことを「ジジイ」と呼ぶ。
そんな娘だから、これも女房と同じで時々ビンタを張って心掛けを入れ直さないとどうにもならないのだ。
小学6年の息子は私の父の隔世遺伝なのだろう、真面目で几帳面でしかもユーモアがあっていつもニコニコしているから文句なしだが、我が家は女性陣が出来が悪い。私が酒に溺れて夜になるとキャバクラやスナックへ通いだした理由の一つに、このようなギスギスした家庭環境があったことは確かである。
ところが、坐禅を再開するようになってから、自然と和やかな空気が生まれ始めた。私の言葉遣いが変化したからだ。どういう心境になったのか、普段は妻を頭ごなしに怒鳴りつけるのに、「おい、ちょっと文句を言うから真面目に聞け」と目を見つめて説得するようになった。娘に対しても同様に「お前のために大事な話をするから少しだけ聞け」と諄々と諭すようになった。こちらの言葉遣いが変化すると、相手もヒスを起こしたり膨れっ面になったりしなくなる。少しずつ少しずつだが一家和楽に近づいていった。
★気宇壮大になる(年賀状の言葉)
今年(平成20年・西暦2008年)の年賀状は非常に評判が良かった。次のような文句を書き添えたのだ。
年末にテレビで鑑定番組を見ていたら、今再評価されている備中松山藩の陽明学者・山田方谷の書に高い値段がつきました。私はその歌を読んで感動し、壁に貼り付けていた「禁酒・禁煙」の紙を引き剥がし、その歌をパソコンで印刷して貼り付けました。出来もしない決心をしてストレスを溜めるより、これぐらいの気概で一生を送りたいものです。女性の方は「美人」を「美男」に代えてお読み下さい。
世の中は 後ろに柱 前に酒 左右に美人 懐に金
こういうふざけた年賀状を出したのである。山田方谷は危機状態にあった藩の経済を「質素倹約」を徹底させて再建させた人物だが、そのような人間でさえ、心の中ではこういう遊び心をもっていたのだ(尚、この歌は方谷のオリジナルではなく、誰かの狂歌なのだろう、古典落語にも出てくる)。
経済苦、鬱病、糖尿病、アルコール性慢性肝炎といった四重苦の中でこんな年賀状を書いたということは、かなり心に余裕ができ、諧謔精神が備わってきた証しだろう。
★競馬の的中率が上がる
私は学生時代から競馬をやっているのでもう30年のベテランになる。今年になってから不思議に勘が冴え、僅か6週間の間に万馬券を4回も取った(私は馬連しか買わない)。決して大穴狙いばかりしているわけではなく、本命馬券もしっかり取っているが、なぜか「このレースは荒れる」と分かるようになり、計算の上で万馬券が狙えるようになった。経験が長いのでもともと普通の人よりは上手いのだが、競馬新聞を非常に冷静に分析できるようになったのである。
坐禅の心境が進むとギャンブルなどといった煩悩から離れて枯れていくものとばかり思っていたが、逆にそのときそのときに集中し、遊びは遊びで充分に楽しめるものだと分かった。
★女性に好かれるようになる
私の住んでいる街は駅前に飲食街が集中し、スナックやキャバクラの数が非常に多いので有名な地域である。8年前に当地に転居してから、酒の好きな私は夜になると決まったように外飲みに出かけていた。やがて糖尿病と診断され、また収入も減ったので家で飲むようになった。ところが坐禅を再開した昨年(2007年)の10月に、たまたま駅前で散髪したついでに久しぶりに夜の街に出かけてみた。
店に入ると以前から顔なじみの美人ホステスがついた。酒を飲みながら「君みたいな綺麗な恋人が欲しいな」と、定番の大人の会話をした。女の子が横につく飲み屋にいったことの無い人のために念のため断っておくが、そういう場では猥談や口説きは「お約束」であって、いちいちそれを真に受けるようなホステスさんはいない。だから普通は「嘘ばっかり」とか「奥さんに叱られるわよ」と上手にいなされるのだが、彼女は意外にも「本気なの?」と聞き返してきた。それで「もちろん」と答えると、「私嫉妬深いけど、それでもいい?」と念を押してくる。長年の経験で、これは口説けるな、と思い、次回同伴の約束をした。
同伴してみると嘘のように会話が進み、野暮な説明は省くが、人目を避けてキスをするぐらいの仲にはすぐに進んだ。
さらにまた別のホステスさんに同じような軽口をたたいたら、これもまた不思議なことに真に受けてOKサインが出た。
経済難なので頻繁には会えないが、ともかく若くて綺麗な恋人が二人できたのだ。若い頃ならともかく、50歳を過ぎ腹の出たデブ親父で、ヤクザか右翼に間違えられるような怖い顔をした私が何故? と自分でも信じられない。
そういえば他にも確実に変わった面がある。私は非常な面食いなので、タイプが合わないホステスが来ると気分が悪くなり無口になるのが通例だったが、いつの間にか気が優しくなり、どんなホステスが付いても和気あいあいとした雰囲気を作れるようになった。デブでもブスでも、誰が相手でもニコニコ笑いながら楽しい話をする。ホステスは待ち時間や帰りの車中でお互いに情報交換をするから、「あの人は感じがいい」と評判になり、ヘルプの娘がやってくると「那田さんにつけてラッキー」などと言う。ホステスに評判が良くなると店のほうも上客扱いしてくれる。そんなわけで誰が隣に座ろうと、お互いに楽しく酒が飲めるようになった。
またこれは全くの偶然なのだが、二人の若い恋人たちと付き合いだしたのと同時に、突然25年も前に別れた初恋の女性がメールを送ってきた。彼女は私が浪人下宿にいたとき、浪人仲間の間で「早稲田小町」と呼ばれた美人高校生だった。私は大学に合格してこの女性と本当の意味での最初の恋をして数年付き合った。結婚したいと思うほど惚れた相手だったが、簡単に言えばお互いの浮気がもとで別れ、彼女は別の男性と結婚した。その女性がパソコンで検索して私のHPを見つけ、メールしてきたのである。
人生の荒波に揉まれたらしく、彼女は聖女のように美しい魂の持ち主になっており、今でも貴方を愛している、と言って思いやりの篭ったメールをくれ、今はすっかり仲の良いメルトモになっている。「男は別れた女に悪口を言われるようではダメだ」と誰かが述べているが、この女性が私を慕ってくれていることで、私は胸のツカエが取れ、充実した日々を送っている。
(生真面目な読者から見れば、見性の兆しという神聖な話題にギャンブルと女の話をするなどもってのほかと思われるかもしれない。しかし事実は事実として記しておきたい。「他人に尊敬されたい」とか「威厳を保ちたい」という気持ちこそがまさに煩悩なのだ。体裁を繕わずただ事実を書く)
★前向きな人生観を持つようになる(糖尿病の治療開始)
次いで、性欲という煩悩が原因で結果的に真面目な生き方が出来るようになった、という面白い事実を書く。
前述のように女性に好かれるようになり、いつでもベッドインできる条件が整ってくると、気になるのは糖尿病によるED症状のことである。男の嗜みとしていざというときのためにED改善薬(バイアグラやレビトラ)は用意していたが、個人輸入の製品の大半が偽物だという報道があったのをきっかけに、2週間に一度抗鬱薬をもらいに通っている心療内科の医師に処方を頼んでみた。この医師には8年以上お世話になっているので、何でも語れる親しい関係になっている。するとその病院では処方していないが、いい医者を紹介すると、家の近くにある内科医院を教えてもらった。
そこで早速受診してみたところ、先ず血液検査を受けることになった。その結果が以下の数値である。
| Hb-a1c | 血糖値 | 中性脂肪 | γーGTP | |
| 私の数値 | 9.3 | 424 | 405 | 495 |
| 正常値 | 4.3〜5.8 | 70〜109 | 50〜149 | 70以下 |
医師は「これはいつ昏睡状態になってもおかしくない危険な数値です。まず糖尿病から治療しましょう」といい、投薬、管理栄養士による食生活改善、一日30分のウォーキングというプログラムを提示した。
これは有難かった。実は私は「自分は50代で死ぬだろう」という固定観念めいた確信があり、それならそれでいい、と思って生きてきた。好きなだけ酒もタバコも飲んでいたし、γ―GTPなどは最高1300まで上がったことがあるが、禁酒することは出来なかった(今でもしていない)。
この治療によりもし自分が長生きできるなら、将来のために現在を意義深く使わねばならない、という普通の人にとっては当たり前の、ごく真っ当な考えが持てるようになった。
また、真冬のウォーキングという鬱病患者にとっては非常に厳しい行為を試したところ、意外にもこれが楽しく、現在では生き甲斐すらなっている。さらに私はウォーキングの際にも歩行禅を試みるので、この行動が見性体験の助けになった。詳細は後述する。
★容姿への劣等感が暴れ始める
これまで書いてきたことは言わば「陽性反応」だが、面白いことに逆に「陰性反応」も現れた。
自己愛やエリート意識が煩悩であることは誰にでも分かるし、それを消滅させることは以外に簡単だが、実は最もやっかいな煩悩とは「劣等感」であり、これを乗り越えることは並大抵のことではない。「凡夫即仏」という思想は使い古されて慣れっこになっているが、なるほど確かに、言葉は簡単でも自分の仏性を本当に自覚することは至難の業なのである。
若い頃の私はなかなかの色男で、芸能人に間違えられたこともあり、女性にも相当にもてた。しかし私は自分の顔に劣等感を持っていた。具体的に言うと前歯の上下が4本ずつ少し前に出ていて、大げさに言えば馬の歯のようになっているのだ。この歯並びの悪さは、それが親からの遺伝なら諦めもつくのだが、明らかに自分自身の意図的行為が原因になっているので余計に気になり後悔していた。
というのは、幼稚園児から小学低学年のころまで私は近い親戚の「真理ちゃん」という女性に可愛がられていた。私より5歳か6歳年上で、美人で頭が良く、とても優しいお姉さんだった。だから私はいつも「大きくなったら真理ちゃんと結婚する」と言って懐いていた。その真理ちゃんの癖が「笑うときに舌を前歯に押し付ける」というものだったのだ。そうして笑うと歯の隙間から桃色の舌が見えて、不二家のマスコット人形のペコちゃんのように可愛いのである。
それで私は彼女の真似をして、笑うとき意識的に舌で前歯を押すようになった。このために乳歯から永久歯に生え変わるときに歯並びが悪くなったのである。その事実を自分で自覚しているから、人から容姿を誉められても自分自身では劣等感を抱き続けていた。
若い頃は容貌に少し欠点があっても逆にそれがチャームポイントになるが、年を取るに従いそれはタダの欠点に収まっていく。たとえば女優の南野陽子が若い頃はリスのように可愛かった前歯を(大きくて少し出ていた)後年差し歯にしたように、私も自分の前歯を出来るものなら治したいと常に思っていた。
坐禅を再会した辺りからこの劣等感が急速に膨らんでいった。ふと気付くと無意識のうちに舌や唇で前歯をいじっている。次第にその癖が強迫神経症のようになって、寝ているときと坐禅を組んでいるとき以外は常に口元を動かすようになってしまった。自分でも分かっているのだがその行為が止まらない。妻に「助けてくれ」と泣きついたほど自己コントロールが出来なくなったのだ。
それで僅か4ヶ月ほどの間に、以前はふっくらしていた上唇が薄くなり、法令(小鼻の付け根から口の端にかけてのシワ)が長く、深くなり、人相まで変わってしまった。おまけに、その癖のせいでアゴ関節に常に力が加わるため「耳下腺炎」を起こして病院に通うまでになった。
坐禅の心境が深まるに従い無意識が浄化している最中に、最後の最後まで執拗に残っているのが容姿への劣等感だということが分かった。
曹洞宗で最後に悟った人と言われる澤木興道師が、実際はゲンコツを握ったような顔をしているのに、「俺は男前だ。ただそれが凡人には分からないだけだ」と述べているのを読んで、へぇ悟った人でも容貌が気になるのか、と不思議な思いをしたものだが、実際、それぐらいに容姿へのこだわりは無意識に食い込んでいるのである。(見性後はさすがにこの強迫神経症は治まったものの、未だに少しは気になる)
禅は「自己否定」から始まり「無我」となって仏性を体現するが、自己否定は意外と楽々と出来るもので、究極に近づくと逆に「自己肯定」のほうが難しい。
たかだか自分の顔すら肯定できないという事実を前にすると、「十界互具」とか「凡夫即仏」という如来蔵思想・本覚思想が、文字づらこそ当然のように見えるが、実は驚天動地の革命思想だったことが分かる。
下手な公案などよりも「凡夫即仏」のほうが遥かに理解しがたいものなのである。
{見性体験}
1月28日月曜日、私は靖国神社に行って初詣がてら昇殿参拝を受けるつもりで午後1時には家を出ようと考えていた。愛国者として一度は行くべき場所でもあり、私の叔父(父の長兄)は日露戦争のおり旅順で戦死しているので私は遺族でもある。また何かと話題の遊就館も一度は見学したかった。
ところがパソコンに向かってメールの返事を書いたり、お気に入りのサイトに書き込んだりしているうちに2時になってしまった。それでいつもは40分ほど坐禅を組むのだが、時間がないから今日は半分で終わらせようと、あわてて座蒲に座った。
早く終わらせようと思ったためにいつもより集中力が増したのだろうか、そのときの坐禅はいつもよりも法悦感(安楽感と喜悦感)が強く、陰茎の根本がしきりに痙攣を繰り返し、微笑、含み笑い、感涙と続いて、申し分のない坐禅になった。
それで2時半になったので念のために靖国神社に電話をして確認すると、昇殿参拝の受付は午後4時までだという。計算するとギリギリで間に合わない。私は落胆した。
それでテレビを見ながら一服した後、糖尿病治療のためのウォーキングに出かけた。川沿いの道を30分歩いて帰宅し、下着を着替えた。
この辺りから、どうもおかしな感じになった。
普段は座中の法悦感は組み終えたあと30分から1時間ほどすると日常生活に埋もれて消えるのだが、この日はその法悦感が消えず、むしろドンドン増加していくのだ。
楽で楽で、嬉しくて嬉しくてたまらない。半忘我状態になっていたので詳細までは思い出せないが、なるべく丁寧に説明しよう。一言で言えば、射精の後の、全てのストレスが取れて快感に浸りきっている感覚、が何時間も続くのである。脳みその中はもちろん、体全体にハッカのような揮発成分でも塗ったかのような涼しさを感じる。毛穴から何か空気のようなものが吹き出ていくような、風呂上りに体を扇風機に当てたような感じが続く。
地に足が着いていないようで、空中に釣り上げられているような、また逆に奈落の底に向かって落下しているような、行方の分からない恐怖感すら感じる。具体的に言えば「喜悦感が8割、恐怖感が2割」といった感じである。
妻が帰ってきたので「いま多分見性している。突然笑いだしたり、踊りだしたり、叫び出したりするかもしれないが、キチガイになったわけではないので、落ち着いて見ていてくれ」と、何度も何度も言ったことを記憶している。
自分がどこまで飛んでいくか怖いので、思わず釈迦や日蓮の姿をイメージしてそこに逃げ込みたくなった。その瞬間、玄侑宗久さんが送ってくれたメールの文章「禅宗ではどのようなイメージも否定します」という言葉が脳裏をよぎり、「臨済録」の次の文句を思い出した。
仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢(らかん)に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、眷(しんけん・親族)に逢うては親眷を殺して、始めて解脱(げだつ)を得ん。
そうか、仏を殺すのはこのときだ、と決心して、どんなイメージにも救いを求めず、なるがままに身を任せようと腹をくくった。
その途中経過をkeizoさんの掲示板に書き込んだ記録があるので以下に紹介する。おかしくなってから4時間ほど経った午後7時42分の書き込みである。
keizoさん。私が変です。 投稿者:那田尚史 投稿日:2008年 1月28日(月)19時42分25秒
さっき自分の掲示板に以下のように書きました。
**********
まず最初の5呼吸で三昧に入る。脳の中に快感物質がほとばしり、背筋が震える。さらに快感が強くなり、射精の時のように陰茎の根本がピクンピクンと痙攣する(所謂「空うち」、男なら分かりますね?)。
ああ、もういつ死んでもいい、と心から思う。
坐禅後、現在まで4時間、そういう状態が続いている。
もう見性は目の前だろう。もしかしたら今その最中かもしれない。
確信が生まれたら「私の見性体験記」を書きます。
私はこういう風に徐々に快感が深まってきたので、「歓喜の大爆発」が起こる心の準備が出来ているが、もし突然今の状態になったら、「キチガイになったのではないか」と不安に陥るだろう。
これ以上の歓喜が訪れるとしたら、自分でも少し怖い。
**************
気味が悪いので、これから風呂に入ったら、寝酒を飲んで、逆にシラフになりたいです。
何かの力で天に引き上げられている感じです。こうなったら、史上最高のレベルまで進んでみようと、腹をくくっています。今の実感は「最高に気持ちいいけど、不気味」です。
それで風呂に入って酒を飲むことにした。
酒に酔うことでこの異常な感覚を正気にしたい、という気持ちがあったのだ。よほど恐かったのだろう。ところが飲んでも全くその法悦境は変わらない。飲めば飲むほど頭がカンカンに冴え渡ってくる。
それでふと面白いことを思いついた。
私は個人映像・実験映像の研究者兼批評家なので、映像作家に友人が多い。中でも金井勝氏と居田伊佐雄氏は天才型のアーチストで、私は彼らの作品を批評し、その批評を彼らが認めてくれたことで交際が始まり、現在も頻繁に連絡を取り合っている。私は金井氏を「日野の叔父」、居田氏を「狭山の兄」と呼んで慕っており、特に居田さんとは年も近いこともあって、始終電話やメールを交換して、芸術論、政治論だけでなく、ごくプライベートな出来事も逐一報告している。たとえば、私の収入がいくらで、何に困っていて、どんな遊興に溺れていて、どんな心境にあるか、居田氏は全部ご存知の筈である。私は裏も表もすべて打ち明けるから、普通なら面倒くさいと思われるところだが、不思議に居田さんは丁寧に返事をくれ、適切な助言と感想を寄せてくれるのだ。
それで居田さんに「見性体験の実況中継」をしようと思いついた。
ちょうど夜10時に電話をかけた。「遅い時間に済みません。5分だけ付き合ってください。どうやら遂に悟ったみたいです。今のうちに何でも質問してください」と最初に言ったことは覚えている。結果的に丁度1時間語り合ったのだが、忘我状態になっていたので詳細は思い出せない。
射精感覚に似ているとか、名画や名曲を鑑賞しているときに鳥肌が立って背筋が寒くなる感覚がずっと続く感じ、などと説明したはずだ。
唯一明確に覚えているのは、「もし神通力が備わったとしたら、それを捨てずに世のため人のために使って欲しい」と居田さんが言い、私も、そうしたい、と答えたことである。
オウム真理教のような密教系の宗教と逆に、禅宗では見性に伴い備わってくる種々の神通力を「魔境」と言って無視する。しかしこの汚れ切り、善良な人々が苦しみ嘆いている娑婆世間では、世のため人のためなら堂々とその神通力を発揮して、たとえば唯物論者・科学絶対主義者の大槻教授をへこますぐらいのことをやってもいいのではないか、と思う。
ちなみに禅は、ある意味非常に変わっていて、神通力を無視するだけでなく、坐禅による法悦感すら最終的には滅するのである。
あるとき天台大師の『摩訶止観』を読んでいたら、「禅に喜楽あるのは病患である」と書いてあるのを見つけて不思議に思い、調べたことがある。丁寧に説明すると、「色界の四禅」のうち、初禅は「覚・観・喜・楽・一心」から成り、第二禅は「内浄・喜・楽・一心」、第三禅は「捨・念・慧・楽・一心」、第四禅は「不苦不楽・捨・念・一心」と進んで終わる。つまり高度になるに従って、喜悦や安楽感といった明るい感情が消えていき、最終的には無感情に落ち着くのだ。
さらに「無色界等至の四禅」というのがあり、簡略に述べると、対象に対しての想念を動かすことすら止めて、究極には呼吸しているかどうかさえ分からない仮死状態になってしまうのである。そこまで行って初めて解脱と呼ばれる。
しかし私は、もし禅宗がそういうものであるのならキッパリと禅宗を否定する。
一人涅槃の境地に達して仮死状態になっているデクノボウのような人物と、颯爽として喜びに溢れ、時には神通力を発揮して人々を苦しみから救う人物とどちらが魅力的だろう。つまり、究極の解脱を目指すのではなく、その手前に留まって世のため人のために尽くす「菩薩行」こそ大乗仏教の真髄ではないだろうか。私はそう確信している。
話が横道にずれてしまったが、とにかく居田さんとの電話での結論は、見性によって掴んだパワーを「世直し」のために使おう、というものだった。
電話を切り11時から翌日の3時近くまで飲んだと思う。缶ビール5本と黒糖焼酎を5合飲んでも頭がカンカンに冴え渡るので、安定剤と睡眠薬を併せ飲んだあげくに気絶してしまった。
翌日、早朝に目が覚めた。さすがに寝不足と二日酔いで気分が悪い。悟ったのであれば「気分が悪い」などということは無い筈だから、さては昨夜は一時的に躁病にでも罹ったのか、と落胆して、朝食を取り新聞を読んで、二度寝をするために布団に入った。
体を横たえ、不快感が急速に消えていくに従ってまた大歓喜に襲われ、頭がターボモードに入ったかのように高速回転し始めた。その瞬間にさまざまな公案が頭をよぎり、それを片っ端から透過した。そのとき初めて、あ、悟ったんだ、と確信を得た。
私は曹洞宗だから「只管打坐」(しかんたざ:ただひたすら坐る)の坐禅であり、臨済宗や黄檗宗のように公案を用いることはない。しかし『無門関』をはじめとする古典的な禅語録は一通り読んでいたので主な公案は知っていた。公案の答えは秘密にしておくというルールがあるので語らないが、見性してみればほとんど「当たり前」のことが書いてあるだけである。中に幾つか師弟問答形式の公案があり、普通の論理からすれば師匠の答えは質問に噛み合っておらず理解に苦しむものがあるが、それは質問者の心境が低すぎるので、師匠はそれを相手にせず、一気に仏性を示す言葉を吐く。だから一見論理的整合性が壊れているように見えるだけなのだ。
それで頭が冴えて二度寝できなくなり、またkeizoさんの掲示板に書き込んだ。朝の10時47分である。
文中、藤平光一の「心が体を動かす」という言葉を解説しているが、これはkeizo掲示板で議論中の問題だったので自説を述べているのである。藤平氏は中村天風に「心が体を動かす」という一見当たり前の言葉を聞いたことで一種の悟達を獲得し、それ以来無敵の合気道家になった、と書いている。その解釈を提示しているのだ。以下引用する。
見性しました(多分) 投稿者:那田尚史 投稿日:2008年 1月29日(火)10時47分45秒
昨日は坐禅中に射精感覚に襲われ、寝るまで続きました。
気持ち悪いので、わざと大酒を飲んで、シラフに戻ろうとしたのですが、いくら飲んでも気持ちよくて仕方ない。
で、気絶して寝たようです。
今朝起きてみると、二日酔いと寝不足で、頭がボーッとしています。さては昨日は一時的に躁病状態にでもなったのかな、と思い、先ほど、ノロウィルスで学校を休んでいる娘の横の布団に入り、猫を抱いて眠ろうとしました。
ところが体を横にしてしばらくすると、二日酔いと寝不足でぼんやした頭が徐々に冴えてきて、また陰茎の根本が痙攣し、脳内に快感物質が溢れ出して寝付けなくなりました。
どうも本物のようです。あと一週間、この状態が続くようならHPに「見性体験記」を書きます。
昨日の夜、藤平光一師の「心が体を動かす」という意味が分かりましたので、参考のために書き記して起きます。
この言葉は、やはり一定の高い境地にならないと理解できないと思います。
また、この言葉は例え話ではなく、実に具体的な、そのままの状態を言っているので、私も理屈でなく具体的に書きます。
昨夜、晩酌のおつまみなどを買うために、自宅から100メートルほど離れたコンビニに行きました。私は歩くときには歩行禅を心がけていて、自意識を土踏まずの裏に置き、我執を踏みしめて歩く癖がついています。
とは言え、凡夫ですから、様々な想念が頭をよぎります。いけない、いけない、と反省して、また意識を足の裏に置く、というのがこれまでの歩行禅でした。
昨夜、コンビニに行くときは全く違っていました。自意識が100%足の裏に行き、心は春風のように爽やかで、頭脳は冴え返り、鳥肌が立つ喜びに包まれ、歩いているというより何かに歩かされているような気分でした。
そのとき訳も無く「心が体を動かす」という言葉を思い出し、あ、これだ、と理解したわけです。
上の説明に補足しましょう。
上の体験は細かに言うと「心が意識を動かす」体験かもしれませんので、別の話に置き換えます。
私はHPに書いた「剣道上達のコツ」で、最後に、今でも飛んでいるハエを物差しで叩き落せる、と書きました。
一匹ぐらいを落とせるのは偶然、ということもあるでしょう。しかし、もし三匹のハエが飛んでいて、それぞれを、一発で叩き落としたとしたら、それを見ている人は「神技」と思うでしょう。
つまり、完全に精神が集中して、体が思い通りに100%動くという事実を言っているのです。もちろん、空中浮遊やスプーンまげなどは出来ませんが。合気道の場合、八人の相手を片っ端から投げ飛ばすなどというのは、まさに心のままに体が100%動き、しかも苦痛もなく、無理な力も入れず、自由自在に体が使える状態なのでしょう。
むろん、この状態に到達するには、しっかりとした基礎体力、技を獲得した上で、さらに見性しなければできないものと思います。
書いているうちに眠くなりましたので、これで失礼します。
補足:さっき布団の中に入っていたとき、禅の公案が頭に浮かびました。知っている限りの公案は全部解けました。正解かどうかはわかりませんが、全部当たり前のことが書いてあるだけです。自分が気持ち悪いです。
藤平師は「力を入れてはいけない。リラックスすれば気が出る」と言っているが、これも私の体験から言えば、嘘ではないにしても「説明不足」である。常人よりも遥かに強い基礎体力と技を獲得した上ではじめて「心が体を動かす」という境地に至るのであり、凡人がいくら心だけ用いても技など決まる筈はない(私が剣道に強くなったときも握力は65キロで学年一位だった)。
こうしてまたも半忘我状態になって二日目を迎えた。
その日は午後7時に高田馬場で瀬戸弘幸さんと会う予定になっていた。
瀬戸弘幸さんはネット右翼のカリスマであり、維新政党新風の副代表で前回の参院選に立候補された。選挙期間中、朝鮮総連の前で「拉致被害者を帰せ。朝鮮人は祖国へ帰れ」と叫び、創価学会本部の前で「池田大作は朝鮮人だ」と叫び、中国マフィアの巣窟である歌舞伎町で「不法滞在している中国人を捕まえろ」と叫んだ日本一度胸のある政治活動家で、その様子はネット画像配信サイトyoutubeで公開され大変な反響があったのでご存知の方も多いだろう。瀬戸さんのブログ「日本よ何処へ」は全国ブログランキングの政治部門で常にベスト2を維持している。
私は彼の活動に共鳴し、HPに掲載しているエッセーをメールで送ったところ瀬戸さんが、会いたい、と連絡してきたのだ。私も彼のように体を張って「菩薩行」を実践している人物にぜひ会いたかった。
それで八王子から中央線に乗って中野まで行ったのだが、車中いつもの習慣で、電車の吊革に掴まったまま丹田呼吸をして瞑想に入ろうとした。いつもは簡単に出来るのだが、このときに限って「今の心の状態を解説する声」「これまでの修行を振り返る声」が聞こえ、うるさくて仕方ない。文中強調して書いたように、坐禅の要諦は言葉による思考を遮断して無念無想の状態を保つことであり、私は最初の坐禅からそれが出来たのだが、このときばかりは一呼吸するごとに自分を解説する内言が現れて集中できない。せめて10呼吸は無心になろうと努めたが、3呼吸までの間に内言が聞こえる。また1からやり直して、また3呼吸までに挫折する。それを7〜8回繰り返し、やっとの思いで10呼吸できたときに中野駅に着いた。背中から脂汗が吹き出ていた。
玄侑宗久師が「心の中の三千人の生徒がいっせいに暴れだす」と表現し、藤平光一師が「カニが泡を吹くようにブクブクと雑念が湧き上がる」とたとえ、山本玄峰師が「八万四千の妄想が猛然と湧いてくる」と言った煩悩の正体はこのことか、と初めて理解できた。なるほどこんなに妄念が次々と現れてはたまらない。藤平師が、神経症の人間が坐禅を組むのは危険だ、と述べていた理由がやっと分かった。
座禅中雑念に苦しんだことがタダの一度もなかった私が、見性体験をしたことで逆に一般人の瞑想の苦しさが理解できたわけだ。実に皮肉な現象である。
自分では純粋に「この見性体験を誰かに、特に玄侑宗久師に伝えたい」という気持ちがあっただけなのだが、再考、さらに再々考すれば、俺は悟ったんだ、人より優れているんだ、という驕慢な心が無意識のうちに横たわっていたのかもしれない。
東西線に乗り換えて中野から高田馬場までの2駅の間は、座席に座り視点を床に落として丹田呼吸に入って普段の瞑想が出来た。 高田馬場に到着したとき顔を上げると、車中の風景がいつもと違って見える。
あ、これか、と分かった。悟ると風景が変わって見える、というのは何人かの見性体験に書いてあるので知っていた。要するに、自意識が変性しているので、まるで他人が見た景色のように不思議な光景が広がるのである。
瀬戸弘幸さんは待ち合わせの場所に来ておられた。私は早速見つけて「先生、那田です。会いたかったです」と声をかけたら「先生はやめて下さい」と言われたので、その後は「瀬戸さん」で通した。寿司屋で飲みながら政治談議に耽ったが、これほど思想がピッタリ合う人がこの世にいるのかと感動した。この人はヤクザと日本刀での斬り合いになって相手に重症を負わせ、実刑を食らって公務員をクビになった猛者なので、どんな怖い人だろうと思っていたら、見掛けは学校の教員のように真面目で穏やかで、私のほうが遥かに怖そうな面構えをしている。話し方も理知的で、まったく意外の感を受けた。菩薩様だなぁ、と思いながら実に楽しいひと時を終えた。
私はその日は高田馬場のホテルで一泊した。半忘我状態の見性体験は一応この二日間続いたわけである。
{見性体験を振り返る}
現在の時点で私の見性体験を振り返ってみよう。妻に当時の様子を聞くと、「躁病になったのかと思った。同じ話を繰り返して一人で盛り上がっているので、聞いているほうは腰が引けてしまった」と答えた。悟ると後光が差すなど、傍目から見ても立派に見えるのかと思ったら、全くそういう変化は起きないらしい。むしろ軽薄な人間のように見えたようだ。
一方、見性中に電話をかけて実況中継した居田伊佐雄さんにメールで尋ねたところ、「いつもの那田さんでした。柔らかい調子の知性的な話しぶりに、お酒が入った陽気な気分が加わった様子、といったところです」との返事だった。
妻が語ったように、私もまた「一時的な躁病」になったのではないかと訝った。
私は15年間SSRI(最初はデプロメール、現在はジェイ・ゾロフト)という抗鬱薬を飲み続けている。それが突然効いて、その副作用で躁状態になったのではないか、と疑ったのだ。
しかし私はこの薬を飲み始めてハイな気分になったことは一度もなく、本当にこの薬が効くのだろうか、と怪しみながら飲み続けていた。軽い鬱病の場合は投薬後3ヶ月ぐらいで治る、と書いてあるが、私は性格上の特質がもともと鬱なので、薬ぐらいで治るとは思えなかった。まして、SSRI(セロトニンという快感物質の再吸収を疎外することで脳内のセロトニン量を増やし爽快感をもたらす薬)では効果がない気がするので、SNRI(セロトニンとノルアドレナリンを同時に増やす薬)が認可されたとき早速医師に新薬を処方して欲しいと願い出たところ、医師は「処方する側としてもノビシロを残しておきたい」と判断され、新薬の代わりに安定剤の量を増やしたぐらいだから、SSRIごときでまるで覚醒剤でも打ったかのような(経験はないが)ハイテンションになるとは到底思えなかった。(後日医師に確認したところ、躁病には「観念奔逸」「逸脱行動」「多弁」「浪費」といった異常な行為が現れるので、私の場合抗鬱薬による副作用の可能性は全くないとの診断だった)
見性体験の引き金になったと思われることが二つある。一つはその日が月曜日だったことだ。というのは私は土曜と日曜は坐禅をサボっている。二人の子供が学校が休みなのでリビングにいて落ち着かないことと、私は学生時代から30年間競馬を続けているので、土日は競馬を楽しむ日に充てているためだ。本を読むと坐禅は毎日しないといけないと書いてあるが、私の場合はむしろ二日ぐらい間をあけたほうが、坐禅を組みたい、という欲求と渇望が高まり翌日の坐禅が充実する。だから、二日サボった後の月曜の坐禅であったこと、しかも靖国神社に参拝するために短時間で坐禅を終わらせようと集中したことが見性の原因の一つと思われる。
もう一つは糖尿病治療のためにウォーキングを開始したことに関わる。土曜からウォーキングを始めたので、月曜が坐禅とウォーキングの両方を行った最初の日に当たる。私は既述したように歩行禅を実施しているから、その日は言わば「室内の静の坐禅」と「室外の動の坐禅」の両方を続けて行ったことになる(実は後日二度目の見性体験をしたのだが、このときも同じ条件が重なった)。ウォーキングという歩行禅を始めた効果は確かに大きかったと思える。
ここで見性前と見性後との心境の違いを説明しよう。
見性前でも座禅中に忘我の法悦感を味わうのは日常的だったが、それはあくまでも座中のことであり、日常生活に戻ると1時間程度で法悦感は静まっていた。しかし見性後は法悦感が連続している感覚がある。むろん人間なので、睡眠不足や体がだるいときなどは気が滅入るが、そういうときでも丹田呼吸を一度行うと心がスカッと晴れ渡る。たとえて言えば、腕っ節は強いが気が弱くて、酒を飲まないと度胸が据わらないヤクザがいたとしよう。彼がある日からシラフでも度胸が据わるようになったとすれば、これは無敵になるだろう。もちろん彼にとっての酒が私にとっての坐禅なのである。
逆に困ったことが一つある。二度寝が出来なくなったのだ。
私は大抵朝5時から6時の間に起き、大学の講義が無い日は9時ごろから1〜2時間二度寝をするのが習慣になっている。ところが見性体験以来、布団に入ると頭がターボモードになって高速回転するために寝付けなくなったのだ。だから現在は二度寝の前に安定剤を飲んでいる。
逆の面から見れば、頭が冴え渡っているぶん非常に行動的になり、毎日仕事を見つけて動き回るようになった。私の職業柄、本を読み原稿を書くのが仕事で、以前は慢性的な鬱症状のためにそれらの行為が億劫でしかたなかったのだが、見性後はむしろ無聊なのが辛い。次々とやるべきことを見つけて、スケジュールで一杯になっている状態が丁度心地いいぐらいに大きく変化した。
{悟りを目指す読者へ}
ここでは、読者との質疑応答の形で、悟りを目指す人々のためにアドバイスをしたいと思う。
まずはじめに、私は従来の坐禅のマナーや常識を無視して見性に至ったので、そのルール違反の行為を再度まとめて記しておく。
@「坐禅を組むときは静かで綺麗な場所で」を無視して、騒音の多い、布団が敷きっぱなしの乱雑な場所で坐禅を組んだ。
A服装も寝巻きのままで、顔も洗わずに行った。
B時計を外し靴下を脱ぐのがルールだが、私は頓着せず靴下も脱がなかった。
C短時間でも毎日坐禅をするべきだと言われているが、私は土日はサボった。
しかし、これらの無頼な坐禅は全て見性に至るための肥やしになってくれたのは事実である。以下、質疑応答式で助言する。
★誰でも悟れるか
結論を言えばNOである。
法華経方便品には、釈迦がこれから法華経を説こうとするとき、傲慢な5000人の僧侶と在家が、そんな説法など聞きたくない、と席を立って去っていった記述がある。どうしても成仏できない、度し難い存在を仏教では一闡提(いっせんだい)と呼ぶ。現代風に言えば自己愛型の人格障害者などを指すのだろう。こういう人が悟る可能性はないと私は思う。たとえば創価学会名誉会長の池田大作は勤行嫌いで有名だが、曲がりなりにも60年間はお題目を唱え続けてきたはずだ。それであのような下品極まりない勲章コレクターにしかなれないのだから、腐った根性で何百万遍お題目を唱えてもなんの効果もないことは明々白々である。菩提心のない人間は救いようがない。
★心がけが良ければ悟れるか
菩提心があれば悟れると思う。但し資質の差は大きい。私の場合は心と体の特質が坐禅向きだったので早く悟れたが、人によっては長い時間がかかるかもしれない。
ある師家さんが言ったように「3年ぐらいでは数息観も出来ない」というのが坐禅の常識だとすれば、それほど長い間苦行を続ける意義が私には理解できない。私は最初の坐禅で爽快感を覚え、数息観も随息観も一回で身についた。坐禅ほど楽しい修行はないと思っている。だから、一週間ほど坐禅をしてみて爽快感も得られず数息観も出来ないのであれば、禅宗以外の宗教に打ち込むべきだ、と私は判断する。
戦後生まれた新興宗教などは論外だが、伝統仏教、キリスト教、イスラム教など様々な宗派があるのだから、自分に一番合う修行をすればいい。題目や念仏などは声を出し信仰の対境(本尊)に祈るぶん、遥かに集中しやすく、また易行である。坐禅で悟らなくても別の修行で悟ればいいのだ。どんな宗教でも3年間も真面目に修行すればおのずと一定の心境に達するに違いない。
★どんな人が悟り易いか
先ず激しいスポーツに打ち込んだ経験のある人。
私は剣道とバスケットボールに打ち込んだ。こういうスピードを求められる運動は、練習でも試合でもボンヤリして物思いに耽っている暇がない。フト気付くと2時間ぐらい経っている。それが「三昧」というものだ。三昧の習慣がついている人は坐禅に向いている。
それから堤防釣りの好きな人。
前の日から仕掛けを数種類作り、当日は潮を読み、タナを探り、エサの付け方を工夫し、竿のアクションを工夫し、ひたすら電気ウキを見て当たりを待ち、今か今かと思いつつあっという間に夜明けを迎える。その工夫と三昧の力は坐禅に共通する。ボンヤリ座っていてはいけない。あれこれと工夫を重ねて様々に試してみて、あるときコツが分かる。堤防釣りの名人は坐禅においても名人になれると思う。
★我流の坐禅で悟れるか
最初は禅寺の参禅会に参加したり、師家さんに指導を受けるなどして、姿勢や数息観・随息観の基礎を習うべきだと思う。吉本新喜劇でよく使われる「ワシは空手3段やで。通信教育の」というギャクがあるが、坐禅入門書を読んでも肝心なところは伝わらない。
何事においても基本は最も大切であり、出だしを誤るととんでもない野狐禅になる可能性がある。天体観察をした経験がある人はすぐお分かりだろうが、望遠鏡の角度を360分の1度でもズラしただけでそれまで見えていた星が見えなくなる。それと同じ理屈である。
★どんな本を読むべきか
私は80冊以上の禅関係の書籍を買って読んだ。本質論的にはどんな下らない本を読んでも、それが開花のための土となり肥やしとなり水となり太陽の光となる、とは言える。ちょうど画家がピカソの絵を見ても幼稚園児の絵を見ても勉強になるのと同じである。
しかし一生の時間は限られている。効率論的に言えば下らぬ本を読むことで費やす時間はもったいない。
私が読んだ本の中で、本当に役に立ったものは10冊程度ではないかと思う。学者の書いたものは全部無駄だと思えばいい。大家・鈴木大拙の本ですら私は全く感動を受けなかった。やはりきちんと見性した僧侶による、しかも「語録もの」が面白くためになる。お薦めの4冊があるので紹介しよう。
入門書としては安谷白雲の『誰にもわかる座禅の手引きー総参の話−』が懇切丁寧で、実体験をもとに語っているので最適だろう。但しこの本は入手し難いので、発行所の住所を記しておく(熊本県菊池郡西合志町須屋字袖山2723−25 九州白雲会)。
あとは私が坐禅を始めるきっかけを作ってくれた山本玄峰の『無門関提唱』。それから澤木興道の『禅談』と『禅に聞け 澤木興道老師の言葉』(櫛谷宗則編)がお薦めである。山本玄峰師は臨済宗らしく見性の素晴らしさを強調して「悟れ、悟れ」と元気良く励ますが、その一方、澤木興道師は曹洞宗らしく、本当は自分は悟っているのにその事実を黙して語らず、「悟ろうとするその根性が間違っている」とハスに構えて諧謔と逆説を連発する。このあたり「臨済将軍、曹洞土民」の宗風の違いがよく現れていて、とても面白い。山本師と澤木師の3冊の本は何度読んでも飽きない。見性前も面白かったが、見性後はなおさら面白い。
★悟ると何かいいことがあるのか
別に大金が入るわけでもなく、酒とタバコが止められるわけでもなく、私は相変わらず経済苦と病苦の中で生きている。ただ、それが少しも辛くない。その程度のものだ。
★禅宗と日蓮宗の二股をかけるのは矛盾ではないか
私の場合は全く矛盾を感じない。その理由を簡潔に言えば、禅宗は祈祷・祈願をしないから、その分を日蓮宗で補っているのだ。
祈祷・祈願をしないというのは一面からみれば、実に素晴らしい宗教観である。良寛さんが地震にあったとき、知り合いから見舞いの手紙をもらい、それに返答した文章は余りに有名なので引用しよう。
災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
ここまでの心境になるのは大したものである。さすがは良寛さんだ。私も見性後はいつ死んでも構わない心境になっている。しかし、良寛さんのように仕事もせずにお布施で暮らし、弟子の尼さんと愛欲に浸って人生を楽しむような生き方は、私個人は憧れるが、現実には許されない。私には妻子もいれば老母もいる。私が死んでしまえば一家は路頭に迷うだろう。そういう過酷な現実の中で生きている人間は、往々にして自分の努力ではどうしても解決できない困難にぶち当たる。そのときに自然の感情として祈りや願いの心が芽生える。禅はそういうとき良寛さんのように諦観するが、日蓮は「祈りとして叶わざるなし」と断言して困難を突破しようとする。
日蓮の『祈祷抄』から有名な一説を引用しよう。
大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず
だから私は現実社会に生きる一人の人間として必然的に法華経曼荼羅に祈祷・祈願するわけである。
難解な教学の話は省略するが、禅宗が強調する「縁起説」と日蓮が理論的支柱にした「一念三千論」とは双子のようなもので、ちょっとだけ力点の置き方が違うだけだ。だから教義の上でも何の矛盾も感じない。
日蓮自身も『一念三千法門』の中で「智者は読誦に観念をも並ぶべし。愚者は題目計りを唱ふとも此の理に会ふべし」(観念とは座禅のこと。理とは一念三千のこと)と記している。
★やはり坐禅は毎日やるべきではないか
様々な書物に「一日に5分でも10分でもいいから坐禅しなさい」と書いてあるが、私はそれと別の考えを持っている。
今の私は最初の5呼吸ぐらいで三昧に入れるが、普通の人は20分を過ぎたあたりから心が落ち着き三昧の喜び(法悦)を味わえるようになる筈である。だから、未だ法悦感に至らないままの状態で座を解いても意味があるとは思えない。
一座(一柱)が大体40分前後に決められているのには意味があり、ちょうどそれぐらいの時間が法悦感の絶頂になり、もう少しこのままでいたい、というところで終わるのである。
それ以上組むと集中力が途切れるだろう。私は寺の行事で二座続けて座ったことが一度だけあるが、二度目は足が痺れて集中できなかった。
だからやるからには40分前後はきちっと組むべきだと思う。
また最初に書いたように、私は土日は基本的に坐禅をサボっているが、それでも見性を得ることができた。ああ坐禅がしたい、と欣求渇望する気持ちで月曜を迎えると、組む前から嬉しくてしかたなくなる。恋人と会うのだって、少し間を空けたほうがワクワクするように、坐禅も少しは間を置いたほうが効果的だと私は思う。但し、歩行禅は常に行ったほうがいい。
サラリーマンのように毎日40分坐禅を組む時間が取れない人でも歩行禅は出来るし、また電車やバスの中で丹田呼吸をしながら瞑想することも出来る。
★歩行禅の極意を教えて欲しい
土踏まずの下に我執(自意識、自分へのこだわり、エゴイズム、自己愛など)を置き、心はカラッポにして春風のように颯爽とした気持ちを抱き、一歩ずつ我執を踏みつけて歩く。一歩進めるたびに「無」「無」「無」と心で呟いたり、「南無」「妙」「法」「蓮」「華」「経」の6音節に合わせるとやり易い。
難しい順番にいえば「無念無想の歩行」>「心で無の字を唱える歩行」>「心で題目を唱える歩行」>「口に出して無の字を唱える歩行」>「口に出して題目を唱える歩行」となる。
前述したように、基本的に人間は声を出しながら他のことを考えることは出来ない。試しに「アー」と言いながら朝食の献立を思い出してみればいい。相当苦労する筈だ。だから声を出すほうがずっと易行なのである。
ところで、初心者のために一番楽な方法がある。鼻歌を歌いながら歩行禅をするのだ。
要するに、我に対するこだわりを捨て、言葉で概念を組み立てない訓練なのだから、これが一番楽しくて優しい方法なのである(鼻歌ぐらいで歌詞の持つ意味の世界にどっぷり浸かる人などいないのだから)。私も無念無想の歩行禅の途中から鼻歌に変化して、実にいい気持で帰宅したことがある。面白いもので私の場合は「お吉物語」「人生劇場」「網走番外地」などアウトローの歌が自然に口に出てくる。もし三波春夫の大傑作「俵星玄蕃」にでも合わせて歩行禅を続ければ相当の境地になれるだろう。
尤も鼻歌の歩行禅といっても、酔っ払いではなのだから、胸を張って肩を下げ、辺りを睥睨して颯爽と、虎が街中を歩いているように堂々とした歩行を心がけることである。鼻歌の歩行禅から始めてもし無念無想の歩行禅が出来るようになれば、座っておこなう坐禅など朝飯前でマスター出来るだろう。
★坐禅をするのにどんな道具が必要か
真面目な人は羽織袴(坐禅着)に着替えたり、作務衣(さむえ)に身を包んだりするが、家で行うぶんには私のようにパジャマのままだって構わない。座蒲(尻の下に敷く特有の座布団)についても厚めの座布団を二つに折ったり、またパンヤを買ってきて自分で作ったりしてもいいと思うが、私は仏具屋にいって正式な座蒲を買った。書道における筆、剣道における竹刀、釣りにおける竿、またギターに凝ったときの経験などから、道具はある程度いいものを揃えたほうが上達が早いのは確かである。私の座蒲はビロード製で見ても触っても気持ちいいし、寝るときは抱き枕の代わりにして抱きしめて寝ている。5千円前後だから買うことをお薦めする。
★座禅中に体を動かしてもいいか
本を読むと絶対に動いてはいけない、蚊が刺しても動くな、と書いてある。しかし私は、たとえば顔が痒いのにそれを我慢している時間のほうがもったいないと感じる。私は顔が痒ければ直ぐに掻く。そうしてさっさと無念無想の状態になることを心がける。三昧境に至れば顔が痒いなどということはないのだから、それ以前のウォーミングアップの時間帯には自由に動いていいと思う。
また私は頚椎ヘルニアの持病があるので、ともすれば猫背がちになる。そういうときはグッと姿勢を正し直す。さらに法悦状態に至ると爆笑しそうになり臍下の筋肉が始終震えてしまう。だから私の坐禅は結構体が動いている。それで全く問題ないと思う。
★努力してみたがどうしても悟れない人へ
悟る必要は全くない。今の日本を見れば、地方の何千という町が廃れ、商店街はシャッター街となり、過疎地神経症で独身男たちが亡霊のような顔になり、必要のない護岸工事で川が死に果ててしまった。これらの悪政を糺すほうが見性などより遥かに大切なことだ。悟ったデクノボウになるより瀬戸弘幸さんの活動に協力してビラ撒きでもしたほうがずっと立派な菩薩行である。
悟るまでは、悟ることで全てが解決する、と思いこんでいたが、いざ悟ってみると大事なのは「行為」だと分かる。たとえ煩悩だらけの田夫野人であっても、正しい行いを実戦すれば、すでにその人は菩薩であり、一人家に篭っているだけの覚者などより遥かに尊い存在である。
{終わりに}
2003年の夏、初めて禅寺の門を叩いて4年半、途中2年以上の中断があったので実質2年と少し、接心会にも一度も参加せず、土日は坐禅をサボって競馬に熱中するという無頼の修行法にもかかわらず、まさかこの境地に至るとは思いも寄らなかった。冒頭に書いたように、これは私と関わった全ての有縁の方々のお陰である。改めて感謝いたします。
実はこの体験記を書いている途中まで、この{終わりに}の部分には以下のような文章を置こうと構想していた。その草案を以下に記す。
「私の見性体験には神通力が伴っていないので、本当の大悟徹底ではない。また文中、知っている限りの公案は全て透過した、と書いたが、改めて公案集を読んでみると、「父母未生以前の本来の面目」という公案だけが通過しない。この公案は『無門関』の第二十三則「不思善悪」から派生して生まれたもので、夏目漱石の『門』の主人公がこの公案で挫折することでも知られている。現代語に訳せば「お前の両親が生まれる前のお前さんの面構えを見せてみよ」というような意味だろう。これがどうしても透過できない。山本玄峰師は「こんなものは屁のカッパだ」と言っているが、所謂「難透」と言われる公案より、私にとってはこれのほうが遥かに難しいのである。
理屈では分かる。たとえば、善悪、好悪、美醜といった価値判断は両親の教えが無意識に沈殿して超自我を形成して生まれる。だからそれら後天的獲得物から完全に自由になった私・・・ダダイストなどが主張した「タブラ・ラサ(白紙)」の私に戻るのだ、という返答は可能である。多分、この回答は当たらずとも遠からず、で、ヒットではなくてもファール・チップぐらいはしていると思う。しかし、本当に悟ったときにはこういう理屈ではなく、体全体で一気に答えが分かるのだ。頭をめぐらせているようではダメである。
この公案が透過したときにおそらく神通力も備わり大悟徹底するものと思われる。だから私は次の見性を待っている。おそらく『正法眼蔵』が自分の掌(たなごごろ)を見るのと同じぐらい明らかに理解できたときに、最後の関所を通過できるだろう」
と、書こうと予定していた。
ところがこの体験記を書いている途中、一度目の見性体験から約20日後の2008年2月16日の午後8時から二度目の法悦感に襲われて再度見性した。このときに「父母未生以前の本来の面目」という公案を一瞬に透過してしまったのである。別に師家さんに認可されたわけではないが、認可の必要を私は感じない。分かるときには一気に分かり100%の確信が持てるものなのだ。
それで現在の心境だが、とにかく「安心した」という感じである。冒頭に記した6種の神通力は相変わらず備わらない。空を飛ぶのはもちろん、前世も来世も見えてこない。ただ、大人から見れば子供の心や行動が予測できるのと同じように、人の心境がよく分かるのは事実である。直観力や判断力が極度に高位レベルにあるのでそうなるのだが、これは誰にでも備わっている能力なので、あえて神通力と呼ぶほどのものではないだろう。
神通力について私は、もしそれが身につくことで世のため人のために役立つのであれば、どうぞ力を与えてください、と祈っている。
大悟徹底したのか、さらに見性を繰り返しさらに高次の心境に至るのか、私には分からない。ただ私は、その究極の悟りに至ることを全く焦っていない。これは多分、一定の体験をした人にしか分からない気分だろう。それを説明するために以下に賛美歌の歌詞を引用する。
1.山路こえて ひとりゆけど 主の手にすがれる 身はやすけし
2.松のあらし 谷のながれ みつかいの歌も かくやありなん
3.峰の雪と こころきよく 雲なきみ空と むねは澄みぬ
4.みちけわしく ゆくてとおし こころざすかたに いつか着くらん
5.されども主よ われいのらじ 旅路のおわりの ちかかれとは
6.日もくれなば 石のまくら かりねの夢にも み国しのばん
(賛美歌 404番 詩:西村清雄 1903年)
この賛美歌は私の故郷(愛媛県西予市)で生まれたもので、西村清雄氏が法華津峠という険しい山路を越えて隣町に布教し、帰り道にこの山中で夜を過ごした体験をもとに作られたものであり、日本語の賛美歌としては最初の作品であると共に、名曲として広く知られている。
この4番と5番が素晴らしい。私はこの歌詞を思い出すたびに鳥肌が立つ。禅用語「修証一如」(修行と悟りは一体である)という意味を本当に分かっている人だけが口に出来る言葉だと思う。
今現在の心境をまた別の歌を引用して示せば、大石内蔵助の有名な辞世の歌
あら楽や 思いは晴るる身は捨つる うき世の月にかかる雲なし
と全く同様である。(一般にこの歌の初句は「あら楽し」と書かれているが、最新の研究では江戸時代の版木印刷のミスであり、「あら楽や(あらラクや)」が正しいらしい。たしかに「あら楽し」のほうが華やかで大向こう受けする言葉だが、「あら楽や」は口語的でより実感が篭る)。切腹を前にこのような晴れ晴れとした歌が詠めるからには内蔵助も見性していたに違いない。
私は見性したからといって少しも自分が偉いとは思っていない。確かに最初の見性のときは嬉しくて嬉しくて誰かに伝えたくてしょうがなかった。しかし二度目に見性したあとは、むしろ人にこの体験を話すのが嫌になった。私より立派な人は腐るほどいる。悟ったからといって家に篭って一人で楽しんでいても、それは何の役にもたたないデクノボウである。世界を平和に、とまで言わなくとも、せめてこの国をより良くするために一身を投げ打って、先ずドブ浚いから始めたい。我執はとっくに捨ててある。今後は世のため人のために尽くしたい、と本心から思う。
今の私のモットーは坐禅のみに捉われることなく、「過去を悔いず未来を恐れず、今ここにおいて如来となる」である。日常の一つ一つの行為が仏性の実現なのだ。
衆生無辺誓願度(衆生は無辺なれども 誓って度せんことを願う)
煩悩無尽誓願断(煩悩は尽きること無けれども 誓って断ぜんことを願う)
法門無量誓願学(法門は無量なれども 誓って学ばんことを願う)
仏道無上誓願成(仏道は無上なれども 誓って成ぜんことを願う)
平成20年2月24日午後7時00分、 那田尚史(52歳)これを記し終える。合掌。