4月の朝雲ニュース

4/17日付

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鹿児島・徳之島のCH47ヘリ墜落事故から1年
乗員しのび慰霊祭
地元3町で実行委 高校生らも鎮魂歌合唱


緊急患者空輸に向かう1混団101飛行隊(那覇)のCH47JA輸送ヘリコプターが鹿児島・徳之島町の天城岳(533メートル)に墜落、乗員4人が殉職した事故から1年目の3月30日、同町山公民館で1周忌慰霊祭が行われた。徳之島の同町、天城町、伊仙町でつくる実行委員会が主催したもので、遺族や島民、1混団隊員ら約200人が離島住民の命を救う任務に散った4隊員のめい福を祈った。また、前日には駐屯地で追悼式を開き、同僚隊員らが献花した。


4隊員のめい福を祈り、献花する(左から)武内団長、安部西方幕僚長、末永沖縄地本長(3月30日、徳之島で)

「私は昨年、機体回収を終え、この徳之島の地を離れる時に、雲の切れ間にまっすぐ天に昇る虹を見た。そのとき、まさに建村1佐、坂口2佐、岩永曹長、藤永曹長が天に昇っていかれたと感じ、少し救われた気持ちがした。生涯忘れることのない虹だった」  。
徳之島での慰霊祭に招かれた武内誠一1混団長は、「慰霊の詞」の中で殉職した4人への思いをこう述べた。
昨年3月30日深夜、鹿児島県知事から急患空輸の要請を受け、那覇駐屯地から徳之島に向かっていた101飛のCH47JA52963号機が天城岳頂上付近に墜落。機長の建村善知1佐(当時54)、副操縦士の坂口弘一2佐(同53)、整備員の岩永浩一曹長(同42)、藤永真司曹長(同33)が殉職した。
 沖縄本島を中心に、鹿児島県の奄美、沖永良部島などを含む南北約500キロ、東西約1000キロに及ぶ広大な担当エリアに点在する離島から、緊急患者を輸送してきた同隊ヘリの事故は沖縄、鹿児島両県関係者、離島住民に大きな衝撃を与えた。事故後、空輸を要請した伊藤祐一郎知事は「まことに痛恨の極み」と建村1佐らの殉職を悼んだ。
徳之島、天城、伊仙の3町民からは「徳之島島民の救急医療のために尽力した4人の勇敢な隊員の功績を末永く後世に伝え、離島医療の悲哀を風化させず、二度とこのような事故を起こさないために慰霊碑の建立を」との声が上がり、昨年11月からは島内全世帯を対象とした募金活動も行われた。
慰霊祭には武内誠一1混団長、安部隆志西方幕僚長、沖縄地本長の末永典良陸将補らの隊員、遺族、高岡秀規徳之島町長ら徳之島3町住民らが出席。8音楽隊(北熊本)の演奏による国歌斉唱、黙とうに続き、住民の作詞作曲による鎮魂歌の歌詞を徳之島町役場の女性職員が朗読。この後、徳之島高校音楽部員らが鎮魂歌と「千の風になって」を合唱した。
高岡町長に続いて慰霊の詞を述べた武内団長は、事故後も険しい山道を登って4人の供養を欠かさなかった町民に謝意を述べた後、「人命救助という崇高な使命に殉じた御霊の皆様。どうか安らかにお眠り下さい」と祈った。
献花の後、建村1佐の妻・美代子さんが遺族を代表して「彼らが職務に人生をかけたことを誇りにして生きていきたい。離島医療の環境が改善されることを願います」と述べた。
これに先立ち、前日の29日には那覇駐屯地体育館で追悼式が行われ、遺族をはじめ、仲井真弘多沖縄県知事、伊藤鹿児島県知事、1混団管内の離島町村長、医療関係者など約600人が参列した。
祭壇を前に黙とうが捧げられた後、武内団長の追悼の辞、遺族・来賓・関係者による指名献花、弔銃斉射に続いて坂口2佐の妻・恵子さんが遺族を代表してあいさつ。式後、隊員による自由献花の列は1時間にわたって続いた。

CH-47ヘリの絵画寄贈
須藤画伯から1混団に



須藤画伯がCH47JA輸送ヘリ墜落事故殉職者のために描いた「英雄」

【1混団=那覇】101飛行隊のCH47JA輸送ヘリ2機編隊が徳之島上空から沖縄本島に向かって飛行する情景を描いた「英雄」と題した絵画が3月14日、作者の洋画家・須藤真啓画伯から1混団に寄贈された。
作品は、昨年3月30日のCH47ヘリ墜落事故に心を痛めた須藤画伯が「緊急患者空輸の任務中に殉職された隊員の勇姿を絵画として残したい」と、事故直後から制作に取り掛かった追悼画。事故から1年目を迎える前に完成し、寄贈の運びとなった。
須藤画伯は洋画家、文筆業のほか、危機管理・防災のスペシャリストとしても活躍する。特に絵画については、ハイパーアートの生みの親としても知られている。
「英雄」は120号の大作。CH47JA2機のうち先頭の1機は事故で墜落した963号機がモデルになっており、操縦席、後部窓には亡くなった4人のクルーが敬礼をしている姿が描かれている。作品の裏側には4人の氏名とともに、「自らの命を賭し 日本の平和と安全を守る為 徳之島に散った皆様方を 私達日本国民は決して忘れない 英霊となられた四名の方々に捧げる」と追悼の詩が直筆で書かれている。
駐屯地体育館で行われた寄贈式には武内団長以下1混団の全隊員が出席。「英雄」のお披露目の後、須藤画伯は「4人の隊員の魂を沖縄に返してあげたかった」と制作に込めた思いを語った。
武内団長は感謝の言葉とともに「私の使命はこの絵と同じで事故を風化させないこと。本当に素晴らしい絵をありがとうございます」と述べ、記念に徳之島の海の鮮やかなブルーになぞらえた琉球ガラスの壺を贈った。
式後は作品の前に隊員が押し寄せ、その迫力にため息を漏らしていた。