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【社説】

聖火リレー 歴史に汚名を残すな

2008年4月21日

 オリンピックは楽しくなくてはならない。大会を開く者たちは、世界中が楽しみ、感動を味わえるように力を尽くす義務がある。そのことを、北京五輪の関係者はあらためて胸に刻むべきだ。

 五輪の開幕は四カ月後に迫っている。が、今回は心はずませて待つ形にはなっていない。チベット問題による中国への不信感は広がる一方だ。世界各地を進む聖火リレーは、行く先々で激しい抗議にさらされている。

 二十六日には長野市にやって来るが、直前になって善光寺が出発地点を辞退するという事態に立ち至った。二十日には寺に落書きが見つかるなど、思わぬ混乱も出ている。十年前に熱く燃えた聖火の再訪を、心おきなく迎えられないのはなんとも悲しい。これはもう聖火リレーの体をなしていない。

 オリンピック開催にはさまざまな意義がある。たとえば平和、たとえば人権、たとえば自由。そして、人々をあまねく楽しませ、感動させるからこそ、理想をもたらす手段ともなり得るのだ。ホストとなる国や都市は、そのことをけっして忘れてはならない。

 では、北京五輪はいま、オリンピックの理想を反映する大会になりつつあるだろうか。世界中が楽しめるだろうか。残念ながらそうは言えない。五輪を開く者がそれにふさわしいかどうか、いま世界が厳しく問うているのだ。

 中国が祝福のもとに開幕を迎えるためには、ホスト国にふさわしい振る舞いが必要となる。皆が楽しめる大会、理想や意義を尊重する大会にするのだという姿勢を明確にしなければならないのである。それがなければ批判はやまないだろう。

 国際オリンピック委員会(IOC)にも責任がある。ホスト国の姿勢が五輪開催にふさわしいか。楽しめる大会になるのか。IOCは常に状況を見つめ、問題点を指摘する立場にある。開催のみを考えて、課題から目をそらしてはいけない。

 中国には五輪の心をあらためて思いおこしてほしい。ホスト国の義務を果たすため、国際社会の声に耳を傾け、自らの姿勢を修正する勇気を持ってほしい。このままでは感動も楽しさも感じられない大会になる。どんなにきらびやかでも、楽しくなかった大会の汚名が歴史に残るのでは、開催する意味がないではないか。

 五輪の心に学ぶか、どうか。それこそが、北京大会の行方を決める。長野でも考えたい。

 

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