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社説:ムダ・ゼロ政府 行政の役割放棄は筋違いだ

 日本の政府は、国、地方を問わず、無駄が多過ぎるといわれてきた。そこで、中曽根康弘政権以来の行革では小さな政府の実現を目指してきた。その動きが加速したのが小泉純一郎政権時だった。「民間でできることは民間に」との掛け声で、行政サービスの民間開放や民営化が推進された。

 延長線上で、福田康夫政権が「ムダ・ゼロ政府」に向けて動き出した。経済財政諮問会議の民間議員が提案した無駄のない政府への行動プランは一般政府の効率化や規模の圧縮と公益法人改革とからなっている。

 このうち、公益法人の見直しには異存がない。道路関係公益法人では法人数半減など数値目標が設定され、国土交通省は3年で50法人を16法人に削減することにしている。

 公益法人の中には、存在自体に問題のあるものや、役割の終わったものが少なくない。所管官庁の天下りの受け皿にもなっている。福田首相は「骨太の方針にしっかり書き込むことで進めたい」と語ったが、全公益法人を対象に業務内容や役員構成などの洗い直しを行い、数値目標を設定するなどして、改革を本物にしなければならない。

 政府の効率化でも、行政プロセスの透明性や説明責任を高めることは当然のことだ。民間議員提案に盛り込まれている予算の受け取り手の明示や国、地方の二重行政の排除も積極的に進めていくべきだ。そのためにも、地方分権や税財源の地方への移譲には早急に取り組まなければならない。

 ただ、政府は小さければ小さいほど望ましいという新自由主義に基づいた改革一本やりでは、適正な水準の公共サービスの確保や不公正や不平等のない供給に支障が生じることは明らかになっている。仕事の見直しでは、行政がやるべき業務を明確にし、国民に示さなければならない。行政が担ってきた各種サービスの中には民間が担当した場合、質の低下や供給の不公正が生まれかねないものも少なくない。コスト意識だけでは割り切れないのが公共サービスなのである。

 市場メカニズムを使った方が、質、量の両面で水準を維持でき、効率も高められる分野では、行政が責任を持ちつつ民間参入を進めていけばいい。ただ、市場化テストなどではその基準が必ずしも明確とはいえない。これまでは、ある程度サービスが低下しても行政の効率化を達成できればいいという発想が優勢だった。コスト削減第一ということだ。

 国民の安心を高めることは福田政権も掲げている。国民は国、地方いずれにもサービスの維持や向上を求めている。そのすべてに応えることは不可能だが、行政に固有の仕事は必ずやる。それが政府の信認を高めることにつながる。そうした仕事は無駄なのではない。必要なのだ。

毎日新聞 2008年4月21日 東京朝刊

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