2008年04月07日 更新

【柔道】亜希と一緒に北京行くぞ!康生、これぞ執念の内また

これが伝家の宝刀だ! 決勝で豪快に右足を跳ね上げ、生田(左)を内またで仕留めた井上

これが伝家の宝刀だ! 決勝で豪快に右足を跳ね上げ、生田(左)を内またで仕留めた井上

 全日本選抜体重別選手権最終日(6日、福岡国際センター)康生、涙の復活V! 男子100キロ超級の井上康生(29)=綜合警備保障=は、準決勝で五輪代表最有力候補の棟田康幸(27)=警視庁=に優勢勝ち、決勝では生田秀和(29)=綜合警備保障=に内またの一本勝ちで大会4年ぶりの優勝を飾った。絶望的だった北京五輪への大逆転出場へ、最終選考会の全日本選手権(29日・日本武道館)に望みをつないだ。

 やっぱり、おれにはこれしかない。井上がたまった思いを込めて右足を跳ね上げた。120キロの生田が空を飛ぶ。どよめきの中、大きな背中を思い切り畳にたたきつけた。全盛期を思わせる会心の内また。決勝を一本で制した王者のほおに、涙が光った。こらえきれない嗚咽が、マイクを通じてアリーナに響いた。

 「一生懸命ガマンしていたんですけど…。正直、うれしかった。こみ上げてきました。やるしかないと思っていましたから」

 予選会などを除くと、優勝は07年フランス国際以来14カ月ぶり。しかも北京五輪を懸けた選考会での頂点。万感迫る思いに、肩を震わせた。

 準決勝では、100キロ超級の代表レースで先頭を走る棟田と直接対決。「笑みがでるくらいワクワクした」と闘志をみなぎらせた。開始30秒で棟田に指導。58秒には両者に指導と決め手を欠く展開だったが、内またで積極的に動いた。そのまま優勢勝ち。内容は地味でも、何物にも代え難い1勝を手にした。

 「(5位の08年)フランス国際は負けることを恐れていた。きょうは『優勝したい』じゃなく『おれが優勝するんだ』と言い聞かせました」

 伝家の宝刀をよみがえらせたのは強い意志だ。5試合オール一本で優勝したシドニー五輪など、封印していた自分のビデオを解禁。繰り返し見て「おれは強い」と暗示をかけてきた。前日5日、他の階級で優勝した後輩に祝福メール。「先輩、気持ちです」という返信は自分の“答え”と一致していた。全日本選手権へ希望の空が開けた。

 「全日本で燃え尽きてもいいぐらいの気持ちでやらないと、(五輪への道は)開けてこない」

 五輪出場を逃せば、一線を退く決意を秘めている。4・29は引退と五輪を天秤に懸けた究極の勝負だ。その先のスケジュールは、頭にない。

(周伝進之亮)


■井上 康生(いのうえ・こうせい)

 1978(昭和53)年5月15日、宮崎・宮崎市生まれ、29歳。東海大相模高−東海大−綜合警備保障。5歳の時に、警察官として働きながら柔道を指導していた父・明さんに連れられて競技を始める。00年シドニー五輪100キロ級金メダル。世界選手権は99、01、03年に3連覇。全日本選手権は01、02、03年に史上4人目となる3連覇を達成。しかし、日本選手団主将として臨んだ04年アテネ五輪ではメダルなしに終わった。07年世界選手権100キロ超級5位。得意技は大外刈り、内また。1メートル83。

■100キロ超級・北京への道

 100キロ超級代表は、29日の全日本選手権終了後に選ばれる。有力候補は07年世界選手権無差別級金の棟田康幸、07年オーストリア国際Vの石井慧ら。全日本選抜体重別で優勝したとはいえ、フランス国際5位の井上が代表争いに再浮上するには、全日本選手権の優勝が不可欠。同選手権で井上が順調に勝ち進めば準々決勝で高井洋平、準決勝で鈴木桂治、決勝で棟田と対戦する可能性がある。

■シドニー後の康生の苦闘

 ★五輪惨敗
 01年、03年と世界選手権を連覇したが、五輪2連覇を狙った04年アテネは4回戦、敗者復活戦と生涯初の「1日2度の一本負け」でメダルなし
 ★大けが
 05年1月の嘉納杯は優勝したものの、決勝で右大胸筋を断裂。全治6カ月の重傷で右肩を手術し、世界選手権を断念
 ★兄の死
 05年6月に、長兄の将明さん(享年32)が心臓病で死去
 ★結果出ず
 06年6月の全日本実業団対抗で復帰し11月の講道館杯、07年2月のフランス国際で連勝。しかし同年4月の選抜体重別、全日本選手権はともに準決勝敗退
 ★リオの惨敗
 07年9月のリオデジャネイロ世界選手権では2回戦でリネールに捨て身技をかけられて敗戦。12月の嘉納杯も決勝で石井慧に敗れるなど、丸1年間、個人戦の優勝なし

亜希夫人は女子78キロ超級を制した塚田真希と並んで応援(撮影・山下香)

亜希夫人は女子78キロ超級を制した塚田真希と並んで応援(撮影・山下香)

★喜びの亜希夫人、塚田と抱き合う

 井上の亜希夫人はスタンド最前列で、女子78キロ超級を制した塚田真希(26)=綜合警備保障=と並んで応援。内またで投げ飛ばして優勝を決めた瞬間、“ボディーガード”の親友と抱き合って喜び合った。

★棟田、敗因は自分

 厳しすぎる判定にも見えた指導2つで優勢負け。棟田は「審判は絶対。僕はそれを受けるだけ。自分の柔道をできなかった自分が原因です」と悔しさを押し殺すように話した。久しぶりに対戦した井上については「負けたんだから相手のペース。相手が良かったというだけ」。昨年の世界王者は静かに、完全決着をつける全日本選手権でのリベンジを期した。