■2005/05/28 (土)
う〜ん・・・最近書いてなかった |
う〜ん・・・ここも放置しっぱなし。
すっかりと最後の日記から一年ぶりくらいになってます。
そろそろまじめに書こうかな。
子供・・大きくなりました。もうちょいで3ヶ月突入です。
最近んじゃ甘えんぼになりつつあり 人の気配がすると探して声を出しています。
ふふふ・・・かわいい子になってほしいものなのです。
5月に転職をした。
さあ、ひさしぶりにこのことでも書くかな。
入社からはや2ヶ月が経つ。もっと大人しくしている予定だったがとてもぢゃないがそういう状態でもない。
多少ずうずうしくても(え?いつものこと?)・・・・やることはやることにした。
まあ、どこに行っても多少の不満ってのはあるものだ。
でもまあ入社していきなりのビックプロジェクト・・・・いいのか?入社したての人間にそんなのまかせて??
ああ怖い。
昔から私を知るメーカーの営業さんには「行く先々で大きなプロジェクトが回ってきますね」と笑っていた・・・・ここまで来ると運命か?・・というくらい確かに回ってくる。
う〜ん・・・
でも、今回のプロジェクト・・・かなり難しい。
最悪こけることも念頭に入れないといけないだろう。
今の会社の人がこれだけの大きなものを回す経験がないのだろう。
まあしょうがない。
普通の会社じゃこんな仕事は回ってこないのだから。
でも・・大丈夫か?・・・これ?
■2004/05/01 (土)
熊野・・・改め北山川下り |
北山の川は厳しかった・・・・・
リザルトだけを言うと・・・・
艇:中破・・・・キールポール破損(折れた)
その他:・・・・パドル分断(真っ二つ)
沈回数:・・・・0・・・・あれ?0?
破損状況をみると散々な状況なのだが・・・実際の沈は0・・・・
まあ・・・それでもこれだけの傷を負う川なのだろう。
でも、それで下りきった私もすごくない?w
ポールが折れ、これまた真っ二つになったパドルをシングルパドルのスタイルに構えて2級の瀬を漕ぐ姿・・・
常連のポリ艇軍団からは「なんだこいつ?」って目でみられ 笑いを買ってました。
そんな我々ファルト軍団が この日一番の注目だったのは言うまでもない。
行く先々で声をかけられ勇気付けられました。
この日、小森ダム下から小松までの間・・・距離にしたらなんてことはない距離。
車なら5〜10分の距離。
それがカヌーだとなかなか進まない。
途中途中に3級クラスの瀬があるものだからそのたびに下見をよぎなくされる。
大体がスタート直後にある瀬が3級の3段の瀬「音乗りの瀬」
3段構えで落ち込みがある瀬で、一段目で沈をすると残り2段を泳いで下らなければならない最低な瀬だ。
カヤックを漕ぐのが久しぶりな私・・・いきなり一段目で進入を誤り沈しそうになる・・・・が、ハイブレースを試みる。先にまだまだ瀬が見えている状況においては必死だ。
一発目で不発に終わるも即座に二発目を実行。
ほとんど沈間際の状態からなんとかリカバリーに成功する。
下で見ていたラスカルさんは私の艇のボトムが見えた瞬間に「沈」を確信し「やった〜」と思ったようだが・・・・笑
浜岡校長にロールを教えてもらったおかげで多少のことじゃ沈なんてしません。
まあ、これはヒップスナップの訓練のおかげかな?
まあ、とにはかくにも旅は続く。
転職を機会に長めに休みを取り、妻の実家がある奈良に挨拶にいくことにした。
でもどうせ行くのだから多少の遊びを入れないとつまらない・・・・
まあ、最終的にどちらがメインなのか・・・わからないような行程なのだが。
とにかく奈良に行く前に熊野に寄ることにした。
同行するはカヌーサークルの仲間、ラスカル氏と村雲家親子合計5人
熊野は和歌山の深い山地をゆったりと流れる大河・・・・・ゆったりと?
ここが私の認識の間違い・・・・
今回はゆったりのんびり川下りツアーだったんだ・・・最初は。
ヘルメットだって不要だろう・・くらいに思っていた。
なのに一行がたどり着いたのは熊野の支流北山川。
ホワイトウォーターで有名な日本有数の激流スポットだ。
現地に到着した当初、まだダムが放水しておらず水はちょろちょろ。
状況を確認しにダムの直下まで行ってみると・・・そこには筏の急流下りのスタートポイントが・・・・
急遽我々一行もスタート地点を小森ダム下に変更。
あれ?・・・いいのか? ファルトでこんなとこ下って?
私の脳裏に一抹の不安を覚えつつも 皆が下るという中、チキンにはなれない。
と・・・いいつつもなんか皆して腹の探り合いが続く。
誰かやめるって言い出さないかな〜・・・・とわずかな希望を残しつつ。
それでも一行のスタート準備は着々と進む。
車を下流にデポをし回送。
着替え・・・そして艇の組み立て。
ああ・・・準備が出来てしまった。
ダムの駐車場から見えるはごうごうと爆音を立てて流れる激流・・・・
ああ・・・俺の人生って・・・ここで終りかも。
万が一、艇が分解してもいいように艇にはこっそりと 収納ザックをしのばせた・・・。
無事に下れますように。なんまいだなんまいだ。
■2004/04/28 (水)
インプレッサ メンテナンスの2 |
インプレッサにシステムキャリアーを付けて ビークロスからの遺産を引き継げるようにした。でもこれがまた大変・・・・オーディオの簡単さが懐かしい。
■難関その1・・・・ドアバイザーのあほ
ディーラーで車を買うと普通に付けられてしまったドアバイザー・・・これがまず問題その?@。
ドアバイザがついているとシステムキャリアーの脚を取り付けられないことが発覚・・・。泣く思いで真新しいドアバイザーを撤去し始めるがこれがまたまた大変。
ビスと両面テープでがっちりと固定されたドアバイザーはちょっとやそっとの力じゃ取れてくれません。
これじゃ本体を傷めるな・・・とディーラーの営業さんに心配になって聞いてみたら熱湯かけるといいですよって教えてくれた。
実際やってみると さっきまでの苦労が嘘のように簡単に剥がれていく。
んなもんで インプレッサの横にキャンプ用のシングルストーブにさらにキャンプ用のヤカンを火にかけ お湯を沸かしながらの作業が続く。
親がコーヒーでも入れているのか?と勘違いしていた(笑
■難関その2・・・3つのコンチクショウメ!
すばるのコンチクショウメ!、カーメイトのコンチクショウメ!そして最後にオートバックスのコンチクショウメ!
まずはスバル。
なんでステーションワゴンなのにシステムキャリアをつけるベースがないかな・・。
私の頭の中を?マークがコサックダンスを輪になって踊り出しちゃったよ。まったく。
おかげでキャリアバーの前後間隔はカーメイトの仕様書ですら58センチ。
まったく何考えているんだか。
私の所有するルーフボックスを載せるには75センチの前後間隔が必要・・・。
まあ、これは システムキャリアにエクステンションシステムを組むことで何とか解消したけどさ。
コンチクショウメ!
続いてカーメイト。
仕様書にはバーの前後間隔58センチって描いてあるけど50センチでないとつかないじゃないか。よく見やがれってんだ。コンチクショウメ!!
最後にオートバックス。
なくしたパーツを発注したら401と402とを間違って納品しやがって、ただでさえ苛ついているときにさらにもう苛々が・・・ああ〜もう。
コンチクショウメ!!!
はあ、バイザーを撤去しちゃったから 雨の日・・・困るなあ。
換気とかで窓開けたらぼたぼた水が・・・入ってくる。
間違いない・・・
コンチクショウメ
■2004/04/23 (金)
旅の日記ー8:ローマの休日 |
■ローマの二日目
二日目の朝は市内観光から始まった。
フィレンツェの時と同じように朝は少々冷える。
前日 ホテルの近くにあるスーパーマーケットで手に入れたポケットティッシュを多めに鞄に詰め込むと我々夫婦はホテルを後にした。
駅までは徒歩5分程度。
待ち合わせ場所までは地下鉄で5駅ほど。
ローマテルミニ駅の次の駅だ。
待ち合わせの噴水には大きな彫刻がそびえる。
これもまた著名な作家の作品なのだろう。
トリトンをモデルにした彫刻。そして台座にはローマ法王の紋章である王冠と3本の鍵が刻まれている。
そこには我々を含め4組の夫婦が集まった。
ガイドのオバサンは日焼けをして一瞬アンデス系の人?・・・・という外見の女性。
一瞬日本人とは気がつきませんでした。すいません。
一行は朝の通勤ラッシュに賑わう市街地に歩を進める。
交差点では気をつけないと車やバイクが通行人などそっちのけで突っ込んでくる。
日本の道路事情が懐かしい。
一行は路地を歩きながら朝市を見学、その後トレビの泉へと進む。
トレビ・・・3つの筋・・・という意味だそうで、昔はそこが3つの筋が合流するところだったことから名前がつけられたとか。
この彫刻・・・背面がすぐに建物がありホテルになっていた。
知らなかった・・・・このホテルに是非とも泊まってみたいものである。
一行はここで休憩。
お約束ながら夫婦二人で背中向きでコインを投げ入れる。
まあ、お約束だからお約束。
それにしても日本人がいるってのは助かる。
写真を頼むのにしたってとても簡単だ。
人に頼む時には撮影が簡単なデジカメを渡すことにしている。
いつだったか京都の清水で観光客に一眼レフを渡したら「え?それですか?」・・・とぎょっとしていた。昔はみんなこういうカメラだったんだい・・と思いながらも一つの教訓としよう。
ああ、それにしてもなんて風薬の効く体なのだろう。
普段薬を飲んでいないせいか昨日までの体調不良が嘘のように体が楽だ。
フィレンツェの薬局で買ったマスクはとてもじゃないが街中で使えるしろものではない。
困ったもんだ。
■2004/04/22 (木)
旅の日記ー7:ローマの午後2 |
●HIS訪問
HIS事務所はホテルとくっついたビルの4F、日本で言う5F。まぎらわしい。
スタッフの女性に色々教えてもらう。美味しいお店や薬局で買う薬の名前。
旅先でこういう拠点があると本当に安心感がある。
HIS事務所と同じビルに入居する薬局にて風邪薬を買うと不思議と気分が楽になる。
受験生が参考書を机に並べると勉強した気になるのと同じか?
その後日本で言うスーパーマーケットみたいな店に行く。
食料品と生活雑貨が売られているが日本と違うのは パンとチーズ、そして肉類が以上に充実している事だろうか。
ホテルがさびれている街に建ち(その時は本気でそう思っていた)夕食を取ってからホテルに移動すると夜になって少々怖い。それに 旅の疲れと体調不良もあいまって 夕食の時間まで市内をぶらつく元気もなく 我々夫婦は食事を調達してホテルの部屋で取ることにした。
■2004/04/22 (木)
旅の日記ー6:ローマの午後 |
●ローマの午後
ホテルにつくと洗面だけ軽く済ませ 空腹のおなかを満たしに外に出る。
時間は午後1時半頃
それにしてもこのホテルの周辺、店がほとんどシャッターが下りており営業していない。さびれているのか?・・・とんでもない所のホテルを取られてしまったもんだな・・・と一抹の不安を覚える。
が、これは後で間違いと判明。
イタリアの文化ではこの時間帯は休憩時間なのだそうだ。
昼を挟んで3時間くらい。
テルミニ駅周辺の都会はもちろん別だかちょっと郊外に出ると今でもこの文化は残っていた。
地図を便りにホテルから地下鉄の駅に出る。
そこまで行けば何かレストランでもあるだろうと思っていたが甘かった。
あるのはガススタンドと住宅そしてBARばかり。
次の駅が近いのでそこまで歩いてみるが結局 地下鉄に乗りテルミニまで出ることにした。
電車賃は日本のように距離によっては変わらない。
1回1e(およそ130円)
1日4e(およそ520円)
テルミニに出るも右も左もわからない。
そんな中で見慣れた「M」の文字はとてもほっとする。
マクドナルドだ。
どこの国に行ってもある、そしてここならまずぼったくられることがない(笑)
でもそういう安心感が体調不良で気力の落ちた私には嬉しい。
遅い昼食を済ませると 観光案内と風邪薬について教えてもらう為ローマにあるHIS現地事務所を探す。
HIS事務所はテルミニから徒歩で10分くらいのところにあった。
■2004/04/22 (木)
旅の日記ー5:フィレンツェからローマへ |
フィレンツェからローマへは電車での移動となる。
ユーロスターだ。
切符はHISからもらった封筒に入っていた。
出発時刻は10時55分
まあ、あまり時間はない。
ホテルのチェックアウトを済ませるとホテルから徒歩数分の距離にある駅に移動する。
前の日に昼食をともにした日本人夫婦から出発直前までいつ出発かわからないしかなりアバウトだと聞いていたが・・どうなるものか?
駅には出迎えの人やこれから出発する人達でごった返している。
その中からなんとか出発便の案内をしている電光掲示板を見つけるが乗車予定の列車の発車番線がまだ案内されていない。
何番線からの出発なのか判明したのは出発10分前。
事前にそのことを聞いていなければ ちょっとパニックになっていたかもしれない。
困ったものだ。
ローマまではおよそ2時間の旅。
車窓から見える農村風景や町並みはとてものどかに見える。
旅に来たんだな・・・と思える一瞬。
ローマはフィレンツェに比べて都会だ。
日本で言うと東京と仙台くらいの違いだろうか。
人の多さ、走る車の台数・・・喧騒・・比べ物にならない。
ユーロスターはローマのテルミニ駅に到着するが 我々が宿泊するホテルはそこから地下鉄でさらに5駅ほど移動した所から徒歩10分ほどの場所だが 私は迷わずタクシーを選択する。
昨日からの体調不良に加えて旅行の大荷物・・・こんな状態でスリに気をつけながら不慣れな地下鉄に乗って更に徒歩でホテル探し?・・・
とてもじゃないが持ちこたえる自信がない。
多少高かろうがぼったくられようがここはタクシー・・・・でも本当にぼったくられようとは思わなかったけど。(笑)
ホテルまで車で40分くらい。渋滞が酷い。
それで払った金額は45e・・日本円で5000円ちょい。
多分・・・メーターをリセットしていなかったんだろうな・・・と
後から思うが移動の疲れでもうそれどころではない。
それに後から思うのだが地下鉄の駅からけっこう距離があり更にその間中下って登ってと坂道だからけ。
これをあの荷物持って歩いていたら・・・体調不良の私はどうなっていたやら。
まあ、あれが正解だったのさ・・・と自分に言い聞かせた。
■2004/04/21 (水)
旅の日記ー4:フィレンツェ1日目・・午後 |
とりあえずホテルに帰ろう・・・
妻も旅の緊張もあってかホテルで休むと言ってくれた。
なんてこったい・・・イタリアに来て初日・・・突然のダウンである。
ホテルに戻る頃には私の体は完全に熱を帯びている。
こんなにふらつくのは久々だ・・・
「ああ・・旅はここで終わるのか・・」
空港で加入した旅行保険の内容をベッドの上で思わず読み返す。
最悪の場合、高熱のため移動できずこのままフィレンツェに足止めなんて事も考えられるからだ。
治療費は?通訳は?ホテル代は?・・・色々な不安が頭をよぎる。
しかしながらその不安は取り越し苦労に終わる。
普段 薬をあまり飲まない私の体には日本から持っていった熱さましの薬が異常なまでによく効いた。
服用して30分もする頃には鼻も止まり熱も落ち着き 外を歩く元気も出てきた。
夕食を外食する元気もなく 妻の分も合わせてホテル近所のBARにてサンドイッチを購入する。他には水とケーキが2切れ。
水は店員さんに教えてもらってガス無しを購入する。
質素なものだ。
イタリアにまで来てホテルでサンドイッチをむさぼる私。
でもまあ以外と美味しかったので これも可としよう。
フィレンツェ1日目はこれでおしまい。
疲れて眠りにつく。
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