現在位置:asahi.com>文化・芸能>芸能>音楽> 記事

自分の愛する作曲家と歩む アンドラーシュ・シフ9年ぶり来日

2008年03月21日14時53分

 バッハやベートーベンら大作曲家に向きあい続けるハンガリーのピアニスト、アンドラーシュ・シフが9年ぶりに来日した。「私は音楽を娯楽と思っていない。皆が喜ぶ演奏を、キャンディーのように客席に投げ込むことはできない。シュナーベルのようにとつとつと、自分の愛する作曲家と歩んでいたい。人生はあまりにも短いのだから」。そう静かな口調で語った。

 気負いなく巨匠の懐に戯れる童子。東京公演ではそんな風情でたっぷり2時間半、バッハだけを奏で続けた。もう一つのプログラムでは、ベートーベンのピアノソナタ「ワルトシュタイン」の重厚な世界にがっぷり向き合った。

 「バッハは、私とともに人生を歩いてくれる。ベートーベンは、私に人生の喜びを教えてくれる」

 ゾルタン・コチシュ、デジュー・ラーンキとともに「ハンガリーの若手三羽ガラス」と注目された。転がるようなタッチの美しさは当代一と評される。

 バッハを弾く際、足のペダルは用いない。バッハの時代にはペダルがなかったからだ。「響きではない、曲が生まれた時代をかみしめることが大切なのだ」と言う。「ロマン派以降の人々が教会のオルガンのイメージで豪華な編曲をし、その印象が独り歩きした。自分が持っている楽曲のイメージを常に疑いつつ、一石を投じる。そんな気持ちで音楽に対峙(たいじ)しています」

 毎朝バッハを弾くのを日課とする一方で、「ワルトシュタイン」は50歳まで弾くまいと決めていた。ハ長調という最もシンプルな調性のなかで、無限に花開いてゆく独創性が怖かった。

 現在54歳。やっとワルトシュタインを弾ける年齢になった。

 「ベートーベンは、耳の病気も相まってモーツァルトやシューベルトに比べ、格段に成長が遅い。でもその異様な密度の濃さが20代の頃、漠然と怖くて」

 だからこそ疑問に思う。今の10代のピアニストたちが、なぜこの曲を簡単に手にとろうとできるのか。「芸術への畏(おそ)れは知っていれば知っているほどいい」

 ピアノに向かうのは1日3時間だけ。ほかの時間でベートーベンに精いっぱい関心を向けてみる。彼が霊感を得たシェークスピアやゲーテ、シラーを読んだり、芝居を見たり。

 「彼が味わった人生の充実を追体験する。それが自分の演奏に息づく時がくる。そう信じています」

PR情報

このページのトップに戻る