裁判員制度を来年5月21日にスタートさせることが閣議決定された。来年の裁判員候補者に選定された人には、早ければ11月にも通知が届く。初めての裁判員裁判は来年7月に開かれる見通しだ。制度開始に向け、いよいよ秒読みが始まった感がある。
裁判員制度では、市民から選ばれた裁判員が裁判官と一緒に刑事事件の裁判に参加し、証拠を精査して評議で有罪、無罪を判定し、量刑も決める。英米などの陪審員、ドイツなどの参審員とは異なるユニークな制度だ。明治以来の刑事裁判のあり方を大きく転換させることにもなる。
それだけに、うまく機能するのか、不安を感じるのはむしろ当然だろう。新潟県弁護士会が時期尚早として実施の延期を決議したり、具体化が進むにつれ、慎重論、反対論が勢いづいている面もあるが、これもある程度は想定されていたことだ。
最高裁が今年1、2月に行った調査では、6割強の人が「裁判員に選ばれれば参加する」と回答したものの、一方では8割以上が参加したくない、と考えていることが分かった。この結果を元に前途を危ぶむ声も聞かれるが、責任の重さを考えれば慎重になるのは無理からぬところだ。納税義務と同様、負担も大きいだけに喜んで応じる人が少なくても不思議はない。
今、大切なことは、裁判への参加は民主主義を完成させるために避けては通れぬ道だと理解し、それぞれの立場で心構えをしておくことだ。改めて指摘するまでもなく、民主主義社会では立法、行政、司法の三権に市民が参加しなければならない。それなのに日本では戦前の一時期、陪審裁判が行われただけで、裁判はもっぱら職業裁判官の手に委ねられてきた。
先進諸国では陪審制、参審制のいずれかを採用しており、裁判への参加を国民の権利であり、義務でもあるとする考え方が人々に浸透していることに照らせば、日本では市民の権利意識が希薄だったとのそしりを免れ得ない。
その意味で裁判員制度によって司法の欠陥を是正するだけでなく、市民の意識改革を進める好機と位置づけるべきだろう。裁判員として加害者、被害者双方の生き様と真摯(しんし)に向き合えば、人々は謙虚になり、社会にも好ましい影響が生じるに違いない。
スタートまで1年余、関係者は使い勝手のよい制度に仕立てるために万全を期さねばならない。市民の積極的な参加を促し、制度を定着させるためには、裁判員の辞退理由を柔軟に認めることなども必要だ。家族や近隣住民、企業などのバックアップ態勢にも工夫を凝らしたい。前例のない制度だけに、不都合が生じたら大胆に見直しを図り、軌道に乗るまで不断の改善を重ねる姿勢が何よりも肝心だ。
毎日新聞 2008年4月20日 東京朝刊