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大学サッカー応援プロジェクト スペシャルインタビュー 長友 佑都

1年前まで、長友佑都という選手を知っているのはほんのひと握の人間しかいなかった。転機となったのは、昨年5月の五輪代表2次予選。いち無名の大学生選手が五輪予選という大舞台でいきなり輝いてみせた。そしてつかんだJの舞台。FC東京で即戦力と期待される長友佑都が語る、大学サッカーの思い出と、これから。

大きな長友コールをもらった、このサポーターの元でやりたい

まさにシンデレラボーイと呼ぶに相応しい躍進ぶりだった。1年前までは所属する明治大でもレギュラーでさえなかった男が、昨年5月に五輪代表候に初召集され、6月6日の北京五輪2次予選・マレーシア戦では初出場初ゴールを決めた。反町五輪代表監督の高評価と試合での活躍ぶりに、周囲が"長友とはどんな選手なのか"と色めきたったのも無理もない。

「東福岡高時代は、アンダー代表どころか国体に選ばれたこともない。だからJのクラブから声をかけてもらうどころじゃなかったですね。大学もスポーツ推薦で来てくれというところはなくて、指定校推薦で明治大に入学しました。プロになりたいという気持ちはありましたけど、自分の実力じゃプロはほど遠いだろうという気持ちもあって・・・。正直いうと、あの段階では、プロのことは考えたこともなかったです」

明治大に入ってもしばらくはIリーグ(大学の育成リーグに相当)でプレーしていた長友。やがてトップでプレーする機会に恵まれたが、それは本人にとっては思いもよらない形のチャンスだった。

「当時はまだ試合にも出られていない時期だったんですが、いきなりトップの紅白戦でサイドバックをやれと言われまして。でも実は僕、高校時代まではボランチで・・・。ちなみに小学生時代はFWで、中学のときは中盤のオフェンシブ。なんか、ポジションがどんどん下がってきてますが(笑)。だから最初はサイドバックをやるのが本当にイヤで、神川(明彦)監督に"Iリーグに行ってもいいから、とにかく攻撃のほうをやらせてください"ってお願いしたんです。それで一度、トップからIリーグに落ちた。それなのに次の紅白戦ではまた"DF、右から長友"ってメンバーを読み上げられて・・・(笑)。それでもう、これは仕方がないな、と」

だが、結局このコンバートは大成功だった。右サイドバックというポジションで、長友はその身体能力をいかんなく発揮。桁はずれの瞬発力とバネ、そして豊富な運動量を存分に見せつけて2年の後半には押しも押されもせぬレギュラーに定着した。そしてわずか半年間の活躍でユニバーシアード代表候補合宿に召集され、関東選抜にも選ばれた。

「初めてプロを意識したのは、2年のリーグが終わった直後の全日本大学選抜(ユニバー候補合宿)のあたりから。そのあと関東選抜に選ばれて、FC東京と仙台、甲府から声をかけてもらいましたし。もともとどこのクラブが好きとか、どこに行きたいというのはあんまりなかったんです。高校は福岡ですけど、出身は愛媛だし。愛媛FCは・・・小学校から中学に上がるときにテストを受けて、落とされてるから(笑)。FC東京の特別指定選手になったのも、近いところのほうが練習に行きやすいかな・・・くらいの気持ちでした」

しかし、特別指定選手として参加したFC東京での日々と五輪代表での経験が、長友の意識を大きく変えることとなった。

「正直、それまでは自分の身体能力だけでガツガツやればいいや、みたいな気持ちがどこかにあったと思う。でも上のレベルの選手を見たら、それだけでは通用しないことがわかった。判断のスピードやパスの精度、クロスの精度――シュートやパスの前後のプレーの正確さを強化していかないといけない、というのは痛感しました」

そして長友が出した結論は、大学生選手として残りの1年を過ごすことなくプロ入りすることだった。FC東京には自分からオファーを出したという。

「ウチは母子家庭なので、少しでも親の負担を減らしたいという気持ちもありました。最後まで悩んだのは明治大の仲間のこと。やっぱり4年間一緒にやりたいって気持ちもあったんですが、自分としてはどうしても勝負したい気持ちが強くて・・・。ただ明治大の仲間は、自分がひと足早くプロに行っても変な関係にはならない。その信頼関係には自信があったので、最終的にプロ入りという決断をしました」

五輪代表という肩書きをもってすれば、ほかのクラブの門戸を叩くことも可能だったはず。その中であえてFC東京を選んだ理由は?

「何ヶ月間か練習に参加させてもらって、チームの雰囲気がよかったのと選手のレベルが高かったから。スタッフも好きな方ばかりだったし。それと一度ナビスコカップで出たときに、すごく大きな長友コールをもらったんですよ。だから、このサポーターの元でやりたいなという気持ちも少なからずありました」

とはいえプロとしてピッチに立つことになる今後は、"お客さん"だった時代と、サポーターの見る目も変わってくるだろう。

「それはやっぱりプロなので覚悟してます(笑)。その中で特に見せたいなと思うのは、運動量とオーバーラップからの攻撃参加。あとは1対1の守備の対応ですね。身体能力で魅せられる部分は、積極的に見せていきたい。それと大学では怪我が多かったので、やはり怪我をしないことが目標。Jリーグでは全試合出場を目指したいですね」

※この取材は08年1月6日に行われました

2008年度 大学出身 Jリーグ新加入選手リスト

Text & Photo:飯嶋玲子

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長友選手の大学時代を写真でふり返る。

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プロフィール

長友佑都
(ながとも・ゆうと)
1986年9月12日生まれ。愛媛県出身。即戦力の呼び声高い右サイドの疾風。明大(4年)に席を置きながらも、敢然とプロの世界に身を投じた決意には並々ならぬものがある。昨年はU-22代表に召集されており、今夏の北京オリンピック出場も期待される。170センチ、65キロ。

WRITER

飯嶋玲子
(いいじま・れいこ)
ライター/カメラマン。80年代にテレビでワールドカップを見たことをきっかけにサッカーを見始めJSLなどに足を運ぶ。90年代半ばより大学サッカーに興味を持ち始め、以降10年以上にわたり大学サッカーを取材。リーグや主要大会はもちろん海外にも足を運び、ユニバーシアード大会は99年より5大会連続で取材。北京からイズミルまでの三連覇にも立ち会っている。

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