プロレス城、落城寸前....。偽りの天下泰平をぶち壊す救世主は誰だ?

ノイシュバンシュタイン城(ドイツ)

OG1980年代前半、長州さんやアニマル浜口さんらが率いる維新軍団と藤波さんら正規軍との抗争で低迷していた新日本は黄金時代に突入します。

藤波「熱い時代だったね。あの頃は選手全員が『オレが新日本を、頂点をとってやるんだ』って感じでギラギラしていたもんだよ。アントニオ猪木というひとつの頂点があって、その下はもう血で血を洗うような闘いの荒野がね、猪木さんの首を誰がとるかっていう野望が広がっている」

OG当時の藤波さんにも「頂点(猪木)をとってやる」みたいな感情があったんですか?

藤波「ボクが猪木さんを? いやいやいや、そんな明智光秀的な感情はなかったけど、自分なりにいろいろ考えて、なんとかしようともがいていたことは確かだよ。みんあがみんな意識しまくってたし、そこらじゅうがかけ引きだらけだし、そんな中で『最後は自分が勝つ、勝ちにいく!』ってみんな思ってたんじゃないかな。あの時代は今のプロレスラーに足りないものが詰まっていると思うよ」

OG今のプロレスラーに足りないものとは?

藤波「プロレスっていうものが本来どういうものなのかってことを見失っているのは実はプロレスラーなんだよ。今って、格闘技はプロレスだけじゃなくて、K−1や総合格闘技という新しい格闘技が普及して定着したよね。しかも、どちらかというとそれらに比べてプロレスに元気がないでしょ。でも、一般の人から見たら全部同じに見えちゃうんだよ。絵的には裸の男がパンツ一丁でリングで闘ってるんだから」

OGたしかに、今の子どもにプロレスのことを聞くとK−1やPRIDEなんかのことになっちゃうんですよね。

藤波「悲しいことだよね。でも、残念ながらその原因はプロレスラーにあるんだよ。格闘技とプロレスはもう全然違うものであって、格闘技の価値観は基本的に勝ちか負け、強さで優越を決める場所であり、対戦相手のアイデンティティを消す場所でしょう。でも、プロレスはリング上での勝ち負けだけじゃなくて“闘い”というドラマを丸ごと全部見せる場所」

藤波辰爾

OGプロレスラー自身がその大きな違いに気付いていない?

藤波「その通りです。KOや1本勝ち、無闇に殴り合ったり、そういう流れというのは『今はK-1やPRIDEが人気がある』という観点で、それをプロレスラーがマネしちゃってるだけなんだよ。でも、そんな試合の流れじゃ闘いのドラマなんてお客さんに見せれないよ。プロレスにはプロレス特有のものがあるじゃない! 両肩がリングに付いたらワンツースリーとか、5秒以内なら反則OK とか、そういうものを今の時代だからこそ上手に再利用してプロレスというものを大切にしていかないと、『プロレス人気の低迷は時代の流れ』だなんて漠然なこと言ってたらこのジャンルは終わるよ(断言)」

OGプロレスだけに限らず、「昔はよかった」的なことってあまり言っちゃいけないことではないかと思うのですが、1986年(6月12日大阪城ホール)に行われた藤波辰爾VS前田明(現・前田日明)なんて、藤波さんは前田さんのバッチバチに激しいシュートな攻めを真正面から受け止められましたよね。ああいう“危ない臭い”って今はないと思うんですよ。

藤波「ああいうことを相手に仕掛けてくる選手は今はもういないし、そういったものを体中で受け止める選手はもっといないよね。今はなんだか競技というかスポーツというか、プロレスっていう形を作り過ぎてしまっているんだよね。昔はプロレスなんてものは形なんてないものだったんだよ。だから前田のようなスタイルがあり、長州のようなスタイルがあり、ボクのようなスタイルがあり、それぞれのスタイルが輝いた時代だったんだよ。今はみんなひとつの形になっちゃってるから」

OG今のプロレス界は戦国時代が過去の産物になってしまっていて、かつ家康的な文鎮が不在の無法地帯、しかもその流れのまま天下泰平的な空気になってしまっているんじゃないでしょうか?

藤波「うん、その通りかもしれないね。だからこそ、ボクは闘いのシンボルである城から闘いの信念というものを、プロレスの原点のひとつひとつをことあるごとに再認識させてもらっているんだよ。プロレスラーひとりひとりが、闘いのドラマとはなんなのか?ってことを丁寧に考えながらやれればプロレスはまた元気になると思うんだけどね」

OGリング上での闘いだけでなく、なぜ自分がリングに立っているのか? 相手はなぜ自分と闘うのか? みたいな部分全てが闘いであると。

藤波「ボクと長州の試合なんてのはお互いがそういうものを常に考えながら試合をしていたからこそ全ての闘いがものスゴい熱を発したと思うんだ。長州とのいろんなことを思い浮かべながら花道を歩く、リングで長州の顔を見る、お客さんを見る、ボクと長州が思い描く闘いのイメージがぶつかり合う、ピリピリとした空気が徐々に会場を支配していって、ゴングが鳴った瞬間、会場は興奮の坩堝と化す......」

藤波辰爾

OGお客さんひとりひとりは持つ幻想を、選手は闘いのイメージだけで爆発させることができなければダメだと?

藤波「そうですね。だから別に激しくドタバタ殴り合わなくても、それさえできればお客さんは闘いのイメージでリングを見てくれるんです。今の選手はそういうイメージを作りきれない、だからこそ必要以上な殴り合いや危険な大技に頼っちゃう。もちろん、そういうのは見た目派手だからお客さんはその瞬間興奮するかもしれないけど、そこだけの興奮は後を引かないんだよね。お互いがなぜその試合に臨むかっていうイメージをリング上からお客さんに伝えれないといけないと思うな」

OG今のプロレス界には血湧き肉踊るような真の戦国時代絵巻が足りない?

藤波「足りないどころか無いよね。だから見る方は興醒めしちゃうんですよ。例えばね、昔は全日本プロレスと新日本プロレスって交わることなんてなかったでしょ。今ってホントにこういろんな団体があるけど、不思議と普通に交わっちゃうじゃない。ある意味ではいいのかもしれないけど、プロレスっていうのは闘いなんだからそう簡単に交流はしちゃいけないんだよ」

OG最近は“夢のカード”のバーゲンセール状態ですからね。

藤波「実現しないから夢のカードなんだから! それをどこまで膨らませて、幻想を大きくさせて、丁寧にファンに夢を与え続けて行くかってのがプロレスの魅力であり大事なことだと思うんだ。新日本プロレスっていう最強の団体に求心力がなくなっちゃって、プロレスファン以外の人たちへ闘いというドラマを発信することが難しくなってしまった今だからこそ、新日本プロレスと共に他の大きな団体が並びを上げて協会みたいなものを作ってプロレスというものが持っている力を一点に集めて乗り越えないとジャンル自体がダメになってしまうよ」

OGプロレスという大きな城が落城するときがくるかもしれないとお考えですか?

藤波「このままじゃ多いにあると思うね」

OG今のお話から考えるに、まさに藤波さんこそがプロレス界での家康的なポジションに就かれる最高の人材だと思うのですが?

藤波「もちろん、自分がそういう立場に立って、プロレス界を良くしていかせることができたらこんなにうれしいことはないんですけど、城主っていうのはホントに大変なんですよ。もうホントにねぇ......(苦笑)」

プロレスよ、戦国時代に帰れ! そのためには炎の飛竜が一肌脱ぐ!!

藤波辰爾

OGプロレス界を戦国時代に例えると、藤波さんは戦国時代の中心であり、今も最強の藩であり続ける新日本プロレスの社長、つまり城主だった時期もあったわけですが、やはりあの時期は大変でしたか?

藤波「そりゃもう大変だったね(苦笑)。たしかに城主ではあったけど、ご存知の通りその後ろには隠居はしているものの絶対的な力を持つ大目付っていう存在がいたわけでしょ。城主ではあったけど、いわば今でいう雇われ社長というか、自分で言うのもなんだけど雇われ城主なわけだからさ、だから自分にすべての権限があるわけじゃないよね」

OGあぁ......、たしかに(苦笑)

藤波「しかもそのもうひとつ後ろには創設者っていう信長的な求心力を持つ人もいたわけだし。なんだろうねぇ......、ボクは徳川秀忠みたいなもんだね」

OG秀忠って......、何もそこまで。

藤波「家康の本丸には入るんだけどねぇ。なんだろう、今川義元に捕らえられていた人質の気分だったね。家光的な時期で城主をやれていたらまた何か違ったんだろうけど、なれなかったね」

OGでも、藤波さんはいろいろ改革を起こそうと奮闘されてましたよね?

藤波「まぁいろいろやろうとはしたけど、全てこう空回りしちゃったな。自分があの頃思い描いたことがあの時に実現できていれば、今頃プロレス界はこんなことにはなってなかったろうって思うこともあるよ」

OGその頃思い描いていたものって具体的にどんなことなんですか?

藤波「団体レベルでもそうだし、団体の中でも派閥ってたくさんあるでしょ。そういった派閥をね、もっとはっきりとした派閥にしていければって考えてたんだよ。本隊だとかそれに敵対する軍団とかそんなのじゃなくて、本丸は本丸として各派閥にしっかりと作って、その上に団体というレベルでも本丸を作る。それらを新日本プロレスが中心となって協会化して、いい意味で統制していければ、今みたいに団体間で食い合いになることなんてなくなるだろうと」

OGつまり相撲のように、協会の中に各部屋があってという骨子みたいなもの?

藤波「その通り。新たな枠組みを作れないかと思ってたんだよ。新日本プロレスという団体がプロレス界を牛耳るという形でなく、新日本プロレスを団体として考えるのではなく協会という象徴的な立場に置いて、各団体の本丸をまとめて、団体という概念を捨ててプロレスという存在をひとつにしたかったんだよ」

OGテレビ局との兼ね合いやいろんな利権が邪魔して実現はかなり困難でしょうけど、理念としてはとても素晴らしいと思いますし、実現したらプロレスは生れ変わりますよね。ただ、そういう考え自体をよく思わない人間がいたと?

藤波「そうだね。やっぱりさ、我々の業界というか、レスラーはリングに上がって闘う人間なわけであって、そういった根回し的なことっていうのが不得意なんだよね。ボクの思いだけが一人歩きして、みんなが理解しないうちに、間違った形で流れてしまったりね」

ウィンザー城(イギリス)

OGでも、日本プロレスの原点である力道山の時代にもそういった動きはあったと聞いたことがありますが?

藤波「力道山先生もそういう形を作ろうとしてたそうなんですけど、着手する前に亡くなれたからね、力道山先生の日本プロレス協会はボクが思い描いたようなものを作ろうとしていたと思う。相撲ってもともと東京と大阪で別れていたんだけど、力道山先生もプロレスをそうしようと考えてたそうだしね。実際に大阪プロレス(現在の大阪プロレスとは無関係)という団体を作ろうとしてたそうなんだけど」

OG力道山先生なき後、それらが割れてしまい団体間の戦国時代に突入すると。

藤波「そこから今に至るってところだね。ただ、その頃の戦国時代はプロレスにとっては別に悪いことではなかったとボクは思うんだよ。でも、今はちょっと違うよね。団体の数もとんでもない数になって、お互いを食い合う状態はさらに酷くなっている、戦国時代というけどそこに闘いはないんだよ。温故知新とは言わないけど、今、我々は持っているもの全てを最大限に利用して、プロレスという闘いのシンボルをね、プロレスという大きな城を復元しなければいけない。では何をすればいいか、まずはちゃんとしたプロレスを見せればいいんですよ」

OG江戸城を蘇らせたいという藤波さんの思いは、プロレスを蘇らせたいっていう気持ちと同じ?

藤波「同一線上だね。日本人は自分たちが誇れるものを自分たちで守っていかないといけない。プロレスも同じ、プロレスラーが誇れるものはプロレスしかない、プロレスを守りたいならば、これがプロレスだというものを一生懸命に見てもらうことしかない。でね、ボクは言いたいんだけど、そのヒントは城にある!」

藤波辰爾

OGプロレス城復元のヒントは城にありますか!

藤波「あるね! でもさ、今も昔も若手を誘っても『いや、ちょっと自分は......』なんて言って誰もついて来やしない(苦笑)。ネコちゃん(ブラックキャット/故・マル・ビクトル・マヌエルさん)くらいだよ」

OGアハハハハ!

藤波「最近ね、城を見ながら『もし新日本が昔のままできてたら今のプロレス界はどうなってただろう』って、『前田(日明)や高田(延彦)なんかが今も新日本に残ってたら』って考える時も正直あるよ。とにかく、今のままプロレス界はいけないよね」

OGうわぁ、いい話だなぁ......。とにかく、藤波さんの家康襲名、プロレス界の復興。そして、夢の藤波城建設の実現に期待しています! ありがとうございました!!

藤波「こちらこそありがとう! そうそう、これ見てよぉ(カバンをゴソゴソとしながら)」

OGなんですか?

藤波「ホラ! 日本の名城トランプだよぉ!! これいいでしょう? ぜーんぶ絵が城の写真なんだよねぇ、これがかっこいいんだよねぇ(満面のドラゴンスマイルで)」


藤波辰爾 ふじなみたつみ

本名:藤波辰巳、身長体重:184cm・104kg。1953年12月28日生、大分県出身アントニオ猪木に憧れ、1970年に日本プロレス入門。翌年71年5月にVS北沢幹之戦でデビューを果たす。72年3月、新日本プロレスの旗揚げに参加。74年の 第1回カール・ゴッチ杯で優勝、75年6月に海外遠征へ出発し78年にWWWFジュニア王座を獲得して凱旗帰国。日本中にドラゴンブームを巻き起こした。81年にヘビー級に転向後、85年IWGP、88年第2代IWGPヘビ ー級王者、93年G1初優勝を達成、98年にはIWGP 王座6度目の君臨を果たす。そして、99年(〜04年)には新日プロ社長に就任した。06年に親日プロを退団。愛弟子とともに新団体「無我ワールド/プロレスリング」を旗揚げ、08年より団体名を「ドラディション」と改名し、現役レスラーとしてリングで闘い続けている。

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