高知新聞
天気追加:
台風情報
地震情報
花粉予報
中部の天気
東部の天気
西部の天気

高知のニュース
国内・国際ニュース
おすすめトピックス

ミュージアムマップ
イベント情報

音声ブラウザーご使用の方へ

お買い物

ニュース検索

Google検索
Google


高知新聞購読申し込み
声ひろばなど投稿
記事データのご利用
後援申請の用紙
サイトからのお知らせ

にゅーすけっち
きんこん土佐日記 web版
とさあち
釣りタイムズ
47NEWS ニッポンのGOHAN


土佐いごっそう倶楽部
診療科目ガイド
サクラが咲いたら書店へ行こう2008


地球33番地公式サイト


















企業情報
高知県内リンク
医師が危ない
第4部 驚きの「防波堤」 近森病院
 近森病院
2008年04月18日付・夕刊

 (7)帰れる時は帰る!

近森病院ERの強力「防波堤」、根岸救急部長(左)と井原医師(中央)ら=高知市大川筋1丁目 「高知医療センターの内情は知らないですけど、うちは、べらぼうに忙しくはないですよ」

 近森病院の脳神経外科、高橋潔部長(51)の口から出た言葉は、高知赤十字病院(日赤)で聞いた言葉と似ていた。

 最大の理由は救急外来(ER)が守ってくれているからだ。しかも、三人いる救急専従医のうち二人が脳外科の専門医資格を持つ。ERの根岸正敏部長(47)は以前、近森の脳外科科長をしていただけに、脳外科にとっては心強い存在だ。

 さらに頼もしいのはもう一人の外科医、井原則之医師(34)。群馬大救急部で鍛え、新潟県中越地震でも現地に入って救援活動に従事。災害時の医療救護班「DMAT」の講師資格も持つ実力派。三日間の密着取材で、ERの機動力はある程度分かった。

 象徴的だったのは二日目、午前十時からの二時間。救急車が六台も来るラッシュ。さらに、ウオークインの急患も続々入り、ERの治療、回復、予備のベッド十台がすべて埋まった。

 高知市の中心部の救急病院だけに需要も多い。のぼせるような忙しさ。その中には急性硬膜下血腫の患者もいた。高知医療センターなら脳外科医が呼ばれている場面だが、日赤同様に救急医が奮闘。CT、MRI検査を済ませ、止血剤、降圧剤を入れ、容体が落ち着いたところで脳外科医に引き継いだ。所見も整理しており、後は家族への説明と手術だけだ。

 これなら、脳外科に限らず大助かりだ。うらやましい環境。だが、聞いてみると、この体制になったのは昨年六月。まだ日が浅い。

 近森の医師は群馬大系の人材が多い。根岸部長も近森と群馬大を二度往復。平成五年、近森で脳外科科長だったところを群馬大に呼び戻され、大学病院の救急部立ち上げに参加。そこから救急医の道を歩み始めた。三度目の近森勤務となったのは十七年四月。医局を離れ、高知に永住するつもりでやって来た。

 「院長から、救急を統括してほしいと誘われたんです」

 それから二年間、ERで孤軍奮闘。十九年、井原医師と、脳外科医の竹内敦子医師が群馬大の医局を離れ近森のERに合流。戦力アップした。

 「二年間は学会にも行けず、夏休みも取れずでした。このまま、一生独りでやるのかなと思ったことも」と振り返る。

 群馬時代は当直を月に十五回したこともある。井原医師は十三回。修羅場を知るだけに仕事も早いし、帰宅も早かった。

 この日、両医師が病院を出たのは午後九時。竹内医師は院内旅行で不在。脳外科も午後に二つの手術をし、四人とも九時までに帰った。その翌日はさらに早く、脳外科、ERとも午後七時半には全員が消えていた。

 「帰れる時は帰らないと。メリハリがないとやっていけません」と根岸部長。彼の帰宅を見送った後、高知医療センターに電話を入れると、脳外科はまだ四人の医師が働いていた。これも日赤取材の時と同じだ。

 だが、ここで一つ、日赤と異なる問題がある。ERの救急医が帰宅した後、夜間の救急対応はどうするのか。ここにまた、近森が培ってきた独自のシステムがあった。

 【写真】近森病院ERの強力「防波堤」、根岸救急部長(左)と井原医師(中央)ら=高知市大川筋1丁目

 
サイトマッププライバシーポリシーネット上の著作権新聞購読お問い合わせ