中国がチベットを手放せない理由(2)
2008年4月18日 ビデオニュース・ドットコム
ゲスト:平野聡氏(東京大学大学院准教授)平野聡氏 |
平野氏はその背景には、列強の侵略を防ぐためには、近代化を進めるしかないという清朝以来の恐怖心があり、清朝は「単一民族」として言語を統一して富国強兵に成功した戦前の日本をモデルとしていたことが、現在のチベットの同化政策につながっていると説く。
しかし、平野氏はまた、同時に、これまでのような経済発展と同化政策を進める方法では、チベット人は決して中国の支配を受け入れることはないだろうとも語る。しかし、その一方で、中国としては、チベットだけに高度な自治を認めることは、ウイグルやモンゴルなど他の少数民族の離反を招きかねず、容認できるものではない。中国に強力な指導者が存在しない現状の政権では、劇的な政策転換は困難な状況にあるというのが平野氏の分析だ。
ジャーナリストの武田徹と社会学者の宮台真司が平野氏に聞いた。
チベットにおけるダライ・ラマの影響力
武田:1960年代になるとダライ・ラマは亡命して海外にいたわけだが、チベットにおけるダライ・ラマの影響力はどれほどあったのか?平野:やはり極めて強かった。特に1980年代に入って中国政府はチベット側に対する融和策として亡命政府との対話を再開したが、このときに亡命政府の代表団がチベット高原各地を巡った際、代表団はダライ・ラマの代理として手を合わされるような大歓迎を受けた。中国政府はそれに対して非常に大きなショックを受けた。
ダライ・ラマ14世やパンチェン・ラマ10世はチベット人やチベット仏教の運命のために粉骨砕身しているイメージを持たれている。チベット人一般の間におけるダライ・ラマに対する信頼感、信仰心は本当に大きく、一般の家屋だと必ず仏間があり、その中央にダライ・ラマとお釈迦様を並べて置いているという感じだった。
2年前にも、一般の人におけるダライ・ラマの影響力が極めて大きいということが改めて明らかになった事件があった。ダライ・ラマが法話の席で、「最近チベット人の中にも豊かになる人が現れてきて、希少な動物の毛皮を使って民族衣装を作るような動きがあるようだ。しかし、これは仏教徒としての質素を心がけるという趣旨に反するので、そのようなことはあまりすべきではない」という旨の話をしたそうだ。すると、このダライ・ラマの話が瞬く間にチベット高原全体に伝わって、いたるところで民族衣装が燃やされて、お祭りのような状態になった。チベット人にとっては、自分たちがいかにダライ・ラマを信仰しているかを自慢げに話す、そのような機会になった。
北京オリンピック
平野:ダライ・ラマはオリンピックの開催には賛成しているが、開催するためには中国がそれにふさわしい国になることが非常に重要な条件だと留保をつけている。もし、この問題が拡大して多くの国がボイコットするようになると、逆にダライ・ラマ一派の策動が当たったと非難する材料を中国政府に与えてしまうことになり、ますます問題がこじれるだけだ。全面的なボイコットはあまり良くないのかもしれない。しかし、経済的な利益や、中国が大国であることを理由にして、様々な国がだんまりを決め込んでしまうのも国際的な世論としていかがなものかと思う。
一番良いのが何かというと、今回のオリンピックがこのような国で開かれるということを我々も注視して、必要があれば適宜声を上げることだ。それは、実際に起きた事柄がどのような意味を持っているのか、我々自身が我々自身の言葉で考えていくということだ。
そして、中国にとって一番困るのはオリンピックが後味の悪い感じで終わることだろう。言ってはいけないかもしれないが、そのような結果になったときは一つの見所だ。多くの国がボイコットしたとしても参加した国は盛り上がるだろうし、全ての国が不満を押し隠しながら盛り上がっても、やはり中国政府を喜ばせるだけだろう。だから、オリンピックに参加しながら歓迎しないという雰囲気を参加国が出すことが、チベットなどの人々に精神的な支援を送る一つの重要な方法だ。
宮台:オリンピックが後味悪く終わる気配は既にある。
しかし、中国の華人ネットワークは世界中に広がっているので、中国がどういう視線を向けられているのか、国際的な世論に敏感にならざるを得ない。チベット問題がこのままではまずいという世論が、華人ネットワークやそれを通じた中国国内で惹起されることはあり得ないのか?
平野:やはり彼らはナショナリストなので、むしろ被害者だと余計思いこんでしまう可能性の方が高いのではないか。六四天安門事件以降にアメリカに政治亡命をしたような新華僑と呼ばれる人々は、豊かになった祖国に認められたいがために、国外にいるにもかかわらずナショナリスティックな主張を一様に強めてしまう。
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。