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読む政治・選択の手引:医療費(その2) パンク寸前、公的医療

 とどまるところを知らない医療費の伸び。政府は、その抑制に躍起となっている。今月スタートした後期高齢者(長寿)医療制度も、抑制策の一環だ。しかし、医師不足など地域医療の崩壊が進み、「医療費抑制はもう限界」との悲鳴も聞かれる。現状を打開するのは、公的保険がカバーする範囲の見直しなのか。それとも国民が保険料や税の負担増を受け入れるべきなのか。選択が迫られている。【吉田啓志】

 ◇混合診療解禁論

 Q なぜ医療費を減らす必要があるの?

 A 医療技術が進歩し高齢化が進んだことで、医療費が増えているのはやむを得ないこと。患者の窓口負担を含めた総医療費を国民医療費=注<1>=と言うけど、そのうちどこまで税と保険料による公的医療費でカバーするかで意見が分かれている。公的医療費の伸びを抑えないと国家財政がパンクするとの危機感が、背景にあるんだ。

 Q 公的医療費でカバーしないところは?

 A 政府の規制改革会議は、民間医療保険の活用と、混合診療の解禁を主張している。

 Q 混合診療って?

 A いまの制度は「必要な医療はすべて公的保険でみる」のが基本で、保険非適用の療法や薬は「不必要で安全性を欠く」という建前なんだ。例えば保険非適用の30万円の抗がん剤を使うと、本来は保険が利く検査や入院費などの70万円も含め、100万円すべてが自己負担になる。このように保険が適用されないものと適用される療法の併用を混合診療と言うんだ。厚生労働省は「怪しい療法に公的医療費は使わせない。望むなら自己負担」というけれど、併用しても本来保険が利く部分には公的医療費を充てるのが、混合診療の解禁さ。

 ◇所得で健康格差

 Q 解禁で公的医療費は減るの?

 A 解禁されると、例えば製薬会社は時間のかかる保険適用を申請する利点が薄れて保険適用外の新薬が増え、公的にカバーする分野は縮小していく--というのが解禁に慎重な人たちの指摘だ。低所得者は十分な医療を受けられなくなり、所得による健康格差が広がると主張している。

 Q 解禁派は?

 A 財政健全化だけでなく、保険非適用の薬や療法を切望する患者の自己負担を軽減する必要を強調している。厚労省も混合診療を全面禁止はしていない。患者の要望は強いし、何でも公的保険でみるのは不可能との本音もある。専門家が安全性や有効性にお墨付きを与えたものは、将来の保険適用検討を前提に混合診療OKとする仕組みだ。解禁派は一層の拡充を求めているけどね。

 Q どうしたらいい?

 A 公的保険を縮小すると、怪しげな治療や薬が入り込む可能性はある。でも欧米の月100万円かかるような新薬まで保険適用すると、財政がもたない。GDP(国内総生産)に占める公的医療費は6%台。医療界には欧州並みに7~8%への引き上げを求める声が強いけど、保険料アップと増税で10兆円近い財源が必要。まさに政治が国民に問うべきテーマだね。

 ◇「75歳以上」切り離し

 Q 75歳以上の人の医療制度が変わったね。

 A やはり医療費抑制策なんだ。75歳以上の約1300万人は、これまで国民健康保険や企業の健保組合などに入っていたけど、全員が後期高齢者医療制度に移行。保険料が年金から天引きされ、評判の悪さに政府は長寿医療制度と愛称をつけたけどね。

 Q どうして新制度が必要なの?

 A 05年度の1人当たり医療費は、現役世代15万9200円に対し75歳以上は5倍の81万5100円。老人医療費圧縮のため、75歳以上の医療を他の世代から切り離した。日本は治療をするほど値が張る出来高制が基本。75歳以上は一部定額制を導入し、糖尿病など慢性病の人はかかりつけ医に月1度定額の「後期高齢者診療料」を払うと、多くの治療や検査は何度受けても新たな負担が不要になった。医師報酬は6000円。75歳以上の窓口負担は原則1割だから600円だね。

 ◇「みとり」院外へ

 Q 朗報じゃない?

 A 患者の負担は減る。でも定額なら、必要な治療さえしない利益優先の医師が出てくる懸念もある。患者と相談し終末期医療の方針を文書化すれば医師に2000円の報酬が出るようにもなったけど、これも高額の延命治療を減らし、病院でなく自宅などでの「みとり」を増やす方向に誘導しようというものさ。

 Q 保険料は?

 A 新制度は都道府県単位の広域連合が運営し、それぞれ値段が違う。単純平均で比べた場合、全国平均は年7万2000円だけど、最高の神奈川県は9万2750円で、最低の青森県4万6374円の約2倍。医療費を安くできれば独自に保険料を値下げでき、都道府県に医療費削減を競わせるのも狙いだ。

 Q 負担は増えるの?

 A 人それぞれだね=注<2>。厚労省は、国民年金受給者は今の国保保険料より減ると言うけど、運営が都道府県単位になるから従来の市町村の補助がなくなって負担が急増する人もいる。新制度の公的医療費の50%は税金、40%を現役の支援金で賄い、10%に75歳以上の保険料を充てる。お年寄りの負担割合は引き上げられる予定で、厚労省は15年度には10・8%になると試算している。

 ◇地方の医師不足、疲弊する勤務医…

 Q 「医師がいない」と、病院を次々に断られた揚げ句患者が亡くなる例が続いたね。医師不足と医療費抑制策は関係あるの?

 A 04年に新人医師の臨床研修制度が始まったことが大きい。従来新人は出身の大学病院で研修する例が多かったけど、新制度は自分で研修先を選べるので地方を嫌がる人が増え、地方を中心に医師が減った。ただ、根本原因は、医療費抑制を狙った医学部の定員削減にある。07年度の入学定員は約7600人で、84年度より8%少ない。

 Q 足りないの?

 A 厚労省は「総数は足りているが都市部に偏在」と言ってきたけど、今年ようやく「総数が足りない」と認めた。人口1000人当たりの医師数(04年)は2・0人。経済協力開発機構(OECD)加盟30カ国中27位だ。04年時点で26万6000人必要なのに、診療に当たっている医師は25万7000人だ。

 Q 対策はないの?

 A 08年度診療報酬改定でも、不足が際立つ産科や小児科を中心に、勤務医対策に1500億円投入する。緊急搬送の妊婦を受け入れた病院に5万円の加算も設けた。

 Q それで医師が増えるの?

 A うーん……。疲れ果てて辞める勤務医を踏みとどまらせる効果はあるだろうけど。

 Q 1500億円じゃ足りない?

 A そうだね。病院の総年間収入16兆円の1%に満たない額だし、1500億円のうち400億円は開業医の収入を削って工面する形だからね。

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 ◆注

 <1>国民医療費

 05年度の国民医療費は、前年度比1兆円増の33.1兆円。20年前の2倍以上に増えた。一方、厚労省は06年度に27.5兆円だった公的医療費が、15年度に37兆円、25年度は48兆円に達するとみている。医療費増は各国共通の悩みで、費用対効果で公的保険適用を判断する動きが広まっている。英国は、国立の機関がその療法を受けた場合の生存年数などを指標化。カナダなども同様で、06年には韓国も似た評価システムを取り入れた。日本はこうした点で遅れている。

 <2>後期高齢者医療の負担

 大都市を中心に独自の国民健康保険料の軽減措置がなくなり、負担が急増した人もいる。職場の健康保険に入っていた人は、保険料の事業主負担がなくなり全額自己負担となった。新制度に移った人の扶養を受けていた75歳未満の家族は国保に加入し、保険料を払う必要が生じた。また、同居する75歳以上の親の国保保険料を子どもが払っていた場合、子は確定申告時に所得から保険料を差し引くことができたが、年金から天引きされる新制度の保険料は控除対象にならない。

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 ◇保険は重度医療中心に--国際基督教大教授・八代尚宏氏

 国民皆保険は守るべきだが、すべての医療を公的保険で賄うことは現実的でない。日進月歩で新しい医療が生まれてくるうえ、高齢化の進展で医療費が増えていく。かつての英国のように病院には長い行列ができ、金のある人は別途、自由診療に向かう。医療資源は無限ではないからだ。

 今はどんなにいい病院もよくない病院も、同じ治療をすれば同じ報酬が出る。一種の悪平等だと思うが、それが皆保険との認識が医療界には強い。

 しかし、医療は高度な専門サービスで、医療の質や医師の技能に応じた報酬体系が必要だ。基礎的な医療を確実に保障する公的保険の補完として、新たな保険の仕組みがあっても良い。そのための民間保険導入は長期的には必要になると思う。

 特に高度先進医療分野。先進国で使われている上位88の薬のうち、日本は保険適用が3分の1だけだ。欧米で一般的に使われる薬はほぼ自動的に混合診療の対象にし、民間保険を使う。金持ち優遇と言われるが、全く逆。混合診療を認めないと、本来保険が利く分野も含め全額自己負担できる人だけが高度な医療を受けられることになる。

 将来的には公的保険の範囲を線引きすることが必要だ。際限なく公的保険の対象にすれば医療費が膨らみ続け、結果として制度自体を壊すことになる。

 もともと今の公的保険ができた時の医療は、結核など感染症や急性症が中心。これらをすべて公的保険で賄うのは当たり前だが、今はむしろ慢性症が大部分だ。今後は重度医療こそ保険の中心になるべきだ。経済的に貧しい人は別にして数千円程度の風邪薬は自己負担でいいのではないか。

 「赤ひげ」は金持ちから取った金で、無料ないし安価で庶民に治療を施した。「全部公的保険でないと営利主義に走る」は極論。患者の平等にかこつけて、医師の平等を追求しているように見える。

 一方、公的保険の医療費には無駄が多い。一つは地域間格差。俗に「西高東低」と言われ、大阪から西と北海道は1人当たりの医療費が高い。他地域より多い病院のベッド数を埋めるため、医療費が余計にかかると言われる。

 供給が需要を作る典型で節約の余地は大きい。普及していない後発医薬品も活用できる。そうした改革なしに単に公的医療費を増やせば、高齢化社会を乗り切れない。【構成・佐藤丈一】

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 ■人物略歴

 ◇やしろ・なおひろ

 旧経済企画庁などを経て現職。政府の「経済財政諮問会議」の民間委員も務める。専門は経済政策。62歳。

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 「読む政治 選択の手引」は毎月1回掲載します。

毎日新聞 2008年4月19日 東京朝刊

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