2004年1月1日

特集/徹底比較―武富士・武井保雄と創価学会・池田大作

池田・武井は時代が生んだ「悪しき双子」


ジャーナリスト 溝口 敦


 「サラ金の帝王」こと武富士会長・武井保雄は03年12月2日、警視庁捜査二課により電気通信事業法違反の疑いで逮捕された。武井は同社に批判的な記事を書いたジャーナリストらの電話を盗聴していた事件で、盗聴を指示、実行させた疑いである。

 盗聴、金貸し……相似形の二人

 電話盗聴と聞いて連想が働くのは創価学会名誉会長・池田大作だろう。日本共産党議長・宮本顕治宅に対する電話盗聴事件は前会長・北条浩以下創価学会の組織的取り組みであることが東京高裁判決で確定している。
 創価学会はまた妙信講や立正佼成会の幹部、元民音職員・松本勝弥などに対して盗聴したほか、02年には創価大学職員など学会員3人によるNTTドコモの携帯電話通信記録不正入手事件が発覚している。03年5月には日蓮正宗妙観講の副講頭など女性2人が創価大学OBら複数の創価学会関係者を電気通信事業法違反と窃盗容疑で東京地検に告発している。
 組織を拠り所にする超絶的な権力者は自分だけは法令を無視・蹂躙して許されると錯覚するのか、それとも一切の批判的な言動を芽のうちに察知し、摘み取りたいと脅えているのか、ことのほか盗聴や電話盗聴、情報の違法な入手に熱心である。
 こうした盗聴もそうだが、他の面でも池田と武井は相似形と叫びたくなるほど、よく似ている。
 池田は1928年東京・羽田の生まれ育ち。生家は海苔の養殖業者だった。他方、武井は池田より2年遅れて1930年、埼玉県深谷で生まれている。生家はよろず屋だった。両家とも貧しく、2人とも長男でなく、大書するような学歴はない。
 一方は新宗教、他方はサラ金に出会って、今の地位を築き上げたのだが、池田も出発点は2代会長・戸田城聖がやっていた東京建設信用組合や、手形割引を主業務とする金融業・大蔵商事で営業をしていた。つまり金貸しの手代という点では、武井と同じである。
 金貸し業のスタート時、武井はどのような仕事ぶりだったか。当時の仲間の証言がある。
 「武井は不良時代に金銭感覚を磨いていたんでしょうね。利子こみで、いくら金を貸してあり、そのうち最低でもいくら取り戻さなければならないか、肌で知ってましたよ。ですから取り立ては徹底していた。たとえ貸した先が友だちだろうと容赦せず、返せなければ障子1枚、畳1枚だろうとトラックで乗りつけ、さらっていきましたね」
 金貸し時代の池田については、債務の取り立てで「病人の寝ている布団をはぐ」こともしたといわれている。池田は後に「大蔵商事では一番いやな仕事をした。どうしてこんないやな仕事をするのかと思った」と回顧している(『社長会記録』68年2月10日)。
 池田は1960年創価学会第3代会長の座につき、とりあえず組織を掌握、頂点に上る。武井の方はやや遅れて1966年、小口金融の富士商事有限会社を創立する。77年貸付残高100億円を達成するとともに、別会社を合併して今の武富士に社名を変更、80年には貸付残高648億円となって業界トップに立つ。

 組織内の女性と特別な関係、異常な個人崇拝

 2人とも若干時間のズレはあるが、似たような軌跡をたどる。女性に対してもほぼ同様といっていい。
 池田は「月刊ペン」編集局長・隈部大蔵の手で、同会婦人部の幹部で元国会議員2人との醜関係を問題にされ、後に月刊ペン事件へと発展する。武井もまた67年、赤羽根署に強姦未遂で逮捕され、社内の女性との特別な関係を取り沙汰されることが多かった。武井自身がかつて筆者のインタビューにこう語ったことがある。
 「あたしはね、芸者とか銀座の女性っていうのは全然興味ないんですね。仕事に情熱燃やす女性っていうのがあたしは好きですね」
 2人とも手近でといっては失礼だが、組織内の女性に関心を持つ傾向があるとはいえそうである。
 また武富士での会長・武井保雄とその次男、専務取締役営業統括本部長・武井健晃に対する個人崇拝は池田大作ばかりか、北朝鮮の「偉大なる首領」金正日さえ想起させるレベルに及んでいる。
 武富士の元JR天満駅前支店長・御木威は次のように告発している。
 「武富士では会長とその息子(武井健晃)に忠誠を誓わなければならない。朝、出勤すると、支店の奥の部屋に飾られている、会長の額入り写真に向かって大声で『会長、おはようございます! 本日も一日よろしくお願いします』と挨拶させられる。地区部長以上の上役がいるときは、声が小さいと怒られ、やり直しさせられる。退社時もまた写真に向かって『会長、本日も一日ありがとうございました。明日も一日よろしくお願いします。それではお先に失礼致します』と一礼するのである。
 それだけではない。ことあるごとに会長・本部長・支社長や会長の奥さんにお礼の手紙を書かないといけない。初任給・昇給・昇格・降格・賞与支給・社員研修・慰安旅行など、そのたびに最低二、三通の手紙を強制的に書かされ、出したかどうかのチェックまでされる」(武富士被害対策全国会議編『武富士の闇を暴く』所収)
 創価学会では本部職員や公明党議員により池田宛ての礼状どころか、マルP代と称する現金の贈与まで半強制的に行っていた。どっちもどっち、池田と武井はうり二つといわなければなるまい。
 武富士の社内報『竹の子』197号(武井の平成15年、年頭の辞を収める)を見ると、社長・清川昭からして、武井会長賛歌を唱えている。
 「まさにその通り(武井のいう通り)であり、その慧眼に畏敬の念を持ちました。トップ経営者の最も大切な資質は、時代を見通す眼であると言われます。その意味で現在の武富士があるのは、武井会長のその見通す眼と、その方向に全力で邁進してきた社員の努力があったからだと思います」
 無ビュウの人、武井保雄である。
 次男の武井健晃自身も金日成を讃える金正日と同じ位置づけで、武井を讃仰する。
 「私を含め、皆さんは武井会長の御指導に忠実に、言われた事を言われた通りにやればいいだけです」

 取締役営業統括副本部長・小堺竹士も同様である。
 「世界一の経営手腕をお持ちの会長と、その会長御指導を忠実に実践される本部長お二人の下で働いているからこそ、この様な社会情勢の中でも安心して業務に邁進出来ている事を、私達は決して忘れる事なく、常に感謝の気持ちを持たねばなりません」(いずれも『竹の子』から引用)

 「勲章好き」まで共通する

 武富士は全国を7支社に分け、支社の下に地区・ブロック・支店の順で組織されている。どことはなしに創価学会臭が漂う陣立てだが、奇怪なことに武井の勲章好みも池田と同じである。
 前出『竹の子』には「『日本経済・社会への貢献絶大』ハーバード大学総長から武井会長に勲章贈与のメッセージ」と題して、次の記事が掲載されている。
 「前の米国財務長官で現在ハーバード大学総長のローレンス・サマーズ氏が、武井会長を『金融の天才である』と絶賛し、同大学での講演を希望されている事は、『竹の子一九四号』で紹介したが、去る一月下旬、同大学アジア地区マネージャーのジョン・ミルズ氏が再度来日し、武井会長のもとを訪問された。
 同氏はサマーズ総長が『戦後の日本の経済・社会に武井会長の貢献度は絶大だ。武井会長は、電機の天才・松下幸之助氏、自動車の天才・豊田章一郎氏と並ぶ名経営者で、金融の天才である。だから、大学としては武井会長と現在も将来も交流を続けていきたい考えである。その気持ちを表す為に『勲章』を是非とも贈呈したい。又、学内に武井会長の名前の残る場所を作りたい。ついては外部に主旨を発表し、武井会長にボストンに来て頂いて勲章を贈呈したい』と仰っている旨を武井会長に伝えられた。(以下略)」
 これを読んで「聖教新聞」を思い出すのは筆者ばかりではないだろう。まさしく池田の戯画として武井は存在する。
 この記事の隣には「武井会長がこれまでに授与された勲章・褒賞など」として、次の記事が置かれている。

 「武井会長は平成七年に内閣総理大臣より紺綬褒章(公益のため私財を投じた人に与えられる)を、平成八年秋にはローマ法王ヨハネ・パウロU世よりサン・シルベストロ勲章(ローマ法王が授与する勲章の中で最高位のもので、特に『人間性に優れた人』に与えられる)を授与されている。
又、キリスト教に係わる人が学ぶローマのグレゴリアン大学では、武井会長を学校創立者の一人に加えると共に、大学の大講堂を『武井保雄講堂』と命名し、武井会長の社会貢献活動に感謝の意を表している」
 なぜこうも池田と武井は似ているのか。おそらく心底、自分に自信を持てない。自己同一性の危機にあり、外部の権威に支えられて初めて安心できるといった心かもしれない。また血族以外は信用できず、つねに猜疑心に駆られて不安でたまらない。
 だからこそ盗聴もするし、組織内に密偵も放つ。私物も検査する。できる同僚は放逐してきたし、自分の座を脅かしそうな幹部に対してはいじめ抜いた上、外に放り出す。結果、内外に告発者を抱えることになり、その対応に追われる。対応にもっぱら使うのはカネであり、カネで人の心が買えると信じている。
 池田と武井は今という時代が生んだ悪しき双子である。しこたま積み上げたカネを抱えて地獄に行っていただくのが世のため、人のためとなろうか。(文中・敬称略)

溝口 敦(みぞぐち・あつし)1942年生まれ。早稲田大学政経学部卒。出版社勤務を経てフリージャーナリスト。宗教関係をはじめ幅広く社会問題を扱う。著書に『堕ちた庶民の神』『池田大作創価王国の野望』『オウム事件をどう読むか』『宗教の火遊び』『チャイナマフィア』『あぶない食品群』『食肉の帝王』など多数。

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