狂牛病がイギリスで発見されたのが1986年。その病原体が肉骨粉であるとイギリス政府によって公式に発表されたのが1988年でした。
それ以前に狂牛病はなかったのでしょうか。
食人習慣のある部族に発症したクールー病
『死の病原体プリオン』(草思社)によれば、狂牛病、つまり牛海綿状脳症(BSE)が発見される前から、それに似た病気が人間に発病していたといいます。
ニューギニア東部フォアにクールー病という死に至る病がありました。1957年、若き小児科医でウイルス学者でもあるガイデュシェック博士がクールー病と出会います。フォアでは、「死者を追悼する饗宴において愛情のあらわれとして肉親の遺体を食する」という文化が残っていました。ガイデュシェック博士は、クールー病になった2人の老女をすぐに診察しました。そのときその2人は歩くことができず、体の震えが止まらない状態にありました。脳の障害であることは歴然としていました。
ところで、ガイデュシェック博士の父親はニューヨークで食肉店を経営していたチェコからの移民でした。ニューヨークの肉屋の息子と、ニューギニアの食人習慣のある部族との出会いが、狂牛病研究の発火点のひとつだったのです。
獣医からもたらされた脳障害の原因
1920年クロイツフェルト博士が、未知の脳の病気をドイツの学術雑誌に報告し、翌年ヤコブ医師も同じ病気を発見します。その脳の病気はクロイツフェルトヤコブ病として命名されました。
ガイデュシェックはクロイツフェルトヤコブ病とクールー病という2つの致死性の脳障害について考えていました。しかし、なかなか答えは見いだせません。そんなおり、同じような病気についての情報は、獣医からもたらされました。羊の病気スクレイピーでした。
長い時間と労力をかけてガイデュシェックはクールー病の研究に没頭していきます。1950年代当時も、そしていまも脳科学は医学の最先端です。わからないことのほうがわかっていることよりも多い。いえ、わからないことだらけだといえるでしょう。
1985年4月、イギリスの獣医が奇妙な牛の病気に気づきます。牛は狂ったように暴れて死んでいきました。同じように死んだ牛の脳を顕微鏡で検査したところ、脳がスポンジ状になっていたことが確認されたのが翌1986年、狂牛病騒ぎの始まりでした。
異常プリオンによる感染はまだ「仮説」にすぎない
ニューギニアでの食人習慣のある部族の脳の病気、ドイツで報告された脳障害、羊の病気、牛の病気、こうした異なる病気をひとつひとつ検証していって、見えてきたのが、異常プリオンという病原体の存在でした。しかし、異常プリオンによる感染はまだ「仮説」なのだというのが通説です。『死の病原体プリオン』の解説を書いている福岡伸一(京都大学助教授・分子生物学)は、「プリオン仮説はなおきわめて不完全な仮説である」と述べています。なぜでしょう。プリオン研究の第一人者でノーベル賞受賞者のプルシナー博士が「最終的に精製したプリオンタンパク質には感染性はなかった」と報告しているからです。状況証拠からはプリオンが病原体です。しかし確実な証拠をまだ人類は手にしていないのです。
私たちは狂牛病とは何かという重大な問いを抱えながら、牛という家畜とつきあっていくことになりそうです。
【狂牛病という呼び方について】
狂牛病はイギリスの農民がつけた名前で、正式な病名ではありません。現在、 世界的には牛海綿状脳症(BSE=Bovine
Spongiform Encephalopathy)と よんでいます。
2002年2月25日
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