物は言いよう

週刊金曜日 マガジン9条

2007-10-14

[]朝日新聞2007年10月12日「新聞のチカラ」

ご要望にお答えして、太田光立川談志インタビューを書き起こしてみました。

では、どうぞ。

談志:新聞は今はとってないんだよなぁ。国会議員のころは1面からしっかり読んでたけど。40ページくらいある。厚すぎるし記事も多すぎる。

太田:僕はくせで、毎朝全紙の社説だけ読みます。朝日と参詣がけんかしてたりすると、非常に面白い。でもニュースは、ネットでチェックする。紙は残りますからね。

談志:昔は、「ラジオと新聞どっちがいい?」って聞かれたら、「新聞の方がいい」って答えた。なぜなら、弁当包めるから、ってね。上から読んでも下から読んでも「しんぶんし」。

太田:……。それに、新聞は見出しとレイアウトといった記事の扱いで新聞社の性格が出てしまうじゃないですか。レイアウトを見るのが大事なんだと言う人もいますけど、僕はあれがないほうがいい。ネットなら、殺人事件も暇ネタも、全部並列で出るじゃないですか。

談志:ニュースっていうのは本来、「いつどこでどういう事件がありました」。これでおしまいだよね。それを、色々と盛り上げようとしてしまう。「有罪という裁判長の声が暗い法廷にむなしく響いた」なんてね。

太田:例えば、僕なんかは、(談志師匠落語にはどっぷり漬かろうと最初から思って見るわけですよね。立川談志の主観に浸りたいと思うわけ。でも、新聞に何もそうしたドラマを求めたいとは思いませんよね。

談志:新聞に判断を委ねちゃだめだってことだよな。事実は事実として、自分の思考を大切にしろ、ということ。

だっておれの記憶では、新聞は終戦の前の日まで「鬼畜米英」だったのに、その後、ころりと「米国歓迎」になったんだぞ。

太田:ところで、今やじ馬的なところは全部雑誌がやっちゃって、新聞はどんどん幅が狭くなっていますよね。

談志:新聞っていうのは元来、瓦版ですから、本来は興味本位だったんだと思うんだ。誰と誰が別れたとか、こんな心中があったとかっていうね。でも、大新聞の看板しょってると、知的レベルが低いものを出せない。それで逆におもしろくなっている。

太田:朝日読売日経の各新聞社ががネットで共同事業に踏み切るということは、僕は大英断だなと思うんですよ。

例えば師匠なんから、落語という伝統があって寄席に毎日人が来るっていう状態がだんだん崩れていく中で、もがいてそれを今のものに変えるという格闘をしてきたわけじゃないですか。僕はそういう姿勢が重要だと思うんですね。

やっぱりニュースは1番最先端であるべきで、世の中が変わればそれに応じて自分たちの形も、いわゆる伝統も、変えていく必要がある。

談志:それがなかなかできねぇんだよな。講談社で昔「キング」という100万部以上の雑誌があったんですけどね、それが90万部になり80万部になり、そこで廃刊にすりゃいいんだろうけど、やっぱり50万部になり、30万部までいってしまった。

その辺のこともこれから新聞社全体に起こってくると想定しなきゃいけないんじゃないか。その時、ページを減らして解決するのか、ネットに1本化するのか。

太田:今、携帯小説がはやってるじゃないですか。じゃあ本もそのうち全部画面で見るようになったらいいのかなって考えると、僕は本が好きなので、やっぱりそれは寂しいですね。でも、紙としての新聞への愛着はないんですよ。

談志:昔、落語家がラジオに出るのをやめたら、逆に人が帰ってきたという話もあるよ。それとちょっと似ているかもしれない。ネットにどこまでニュースを出していくのか、紙の新聞の生き残りにとってはバランスが大事だな。

我が家は他紙をとってましたが、どっかでやはり朝日新聞が一番正しい、一番ちゃんとしているというイメージは持っているね。実際はわかりませんよ。だけど、自分の歴史の中にはそういう感覚はありますな。とっつきにくいということもあったけどね。読売のほうがいいよな。

太田:僕の世代だと、そういう印象とはまた違うんですよね。やっぱりリベラルだったり、左っぽかったりというのは、僕らの世代以降にとっては、やぼったさのイメージとしてある。

むしろ、今の若い人たちには産経みたいな新聞の方が強くて、格好いいイメージがある。そういう雰囲気にしてしまった責任の一端は朝日新聞にもあると思うんですよね。

談志朝日新聞も畏れ多いイメージはあったけどね。それがやっぱり崩れてきたのは、権威を無意識のうちに若者が嫌っている部分があるんだろうな。

太田:例えば「平和」や「平和運動」という言葉に、ちょっと格好悪いな、というイメージがもうすでに付いちゃってますよね。「またきれいごとを言って」という。でも本当は、「平和」を格好いいイメージに演出していくボキャブラリーが必要なんだという気がしますね。

談志:記事の質が落ちてるな。文学性がないといったらいいのか。文章のすごさで圧倒されるというのがなくなった。そこまでいくのは無理でも、その香りは欲しい。

太田:夏目漱石だってなんだって、昔の明治文学者は記者という肩書きだったり、記者出身だったりした場合が多かったわけですよね。おそらく、そういう言葉のセンスの問題もあるんじゃないか。

談志:1社がつぶれる分には「ざまあみやがれ」ってなもんだけど、新聞社が全部無くなったら寂しいだろうな。ワーッて叫ぶんじゃないか。

私はテレビやらネットよりも、新聞で育った時間のほうが自分の歴史の中で長い。色々と言ったけど、全部否定しちゃうと自分の歴史の否定になっちゃうからね。だからどっかで新聞を認めている気持ちがありますね。

新聞はやはり、時代の先端を切っていく「文明」ですよ。一方で、そういう流れから取り残され失われていく「文化」を守っていかなきゃならない。そういう両面を持ち続けることに期待したいね。

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この写真の横の見出しは、「『きれいごと』格好良く演出しなきゃ」です。