密着ルポ 医療崩壊の波、精神科にも

 産科、小児科や救急医療の医師不足が叫ばれる中、これまで比較的安定しているとされてきた精神科にも、医療崩壊の波が押し寄せつつある。

 長野赤十字病院(長野市)の高橋武久副院長は毎週木曜日、午前7時半には精神科外来の診察室に入る。8時半に診察が始まると、それから夕方までぶっ通しで診察室にこもる。開業に伴う退職などによって、常勤の精神科医は4月から高橋さん1人に。きょうも長い一日が始まった。(兼松昭夫)

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■「眠れない」
「夜中の1時とか2時ごろに目が覚めて、そのまま眠れないんです」
 3月のある木曜日の午前8時38分。この日最初に精神科外来の診察室に入ったのは、40歳代の女性と7歳の女児の二人連れだ。

 女性はしきりに不眠を訴えた。
「睡眠時間はあまり気にしなくてもいいですよ」。高橋さんのアドバイスにも、女性の表情は晴れなかった。
「お母さんはおっかない?」。高橋さんが声を掛けると、女児は無言で首を振った。

 午前10時半、統合失調症の50歳代の男性と40歳代の女性の二人連れがやって来た。
 男性は以前、雪深い山間部で独居していた。自殺が懸念された時期もあったが、今では共同作業所に通えるまでに回復した。最近、その作業所で知り合った女性と同居を始めた。

 男性は作業所の同僚から嫌がらせを受けていると訴えた。「この人はすぐ気にするから」と女性が言うと、男性は「2人で仲良くしているから、やっかみがあるんじゃないでしょうか」。
「この人にありがとうって言ってみましょう」と高橋さんが促すと、男性は恥ずかしそうに「ありがとうね」と女性に言葉を掛けた。

 午後1時48分、60歳代の男性が義姉に付き添われてやって来た。義姉は、男性が独り笑いしておかしいので「何とかしてほしい」と言う。
「いいじゃないですか。にこにこしてて」と高橋さん。

 この男性は、知的障害を抱える上に統合失調症を患いながら定年まで働き通した。高橋さんが「偉い」と褒めると、うれしそうにほほ笑んだ。

 午後5時19分、市内で公務員として勤務する男性が、妻と一緒に来院した。男性はそううつの症状に悩まされてきた。昨年秋に職場復帰したが、正式な辞令は出ていない。いわば様子見の段階で、療養の状況をリポートにまとめて職場に毎月提出している。

「5月に大学の仲間に会いに東京へ行きたいんです」
「それまで安定していて日帰りであれば、試してみる時期だと思います。ただ、大切な時期だから、そこは慎重にしないと」とアドバイスした。

■常勤医、4月から1人に
 長野赤十字病院は県内全域の重症患者を収容する三次救急医療機関。県北部全域から搬送されてくる自殺未遂患者もフォローする必要があるため、精神科の守備範囲はおのずと広くなる。
 数日前には、焼身自殺を図った女性が搬送されてきた。この日は観察記録を確認しに、早朝と夕方の2回、ICUに足を運んだ。

 同病院では、常勤の精神科医2人が開業などを理由に、3月末に退職した。精神科の常勤医は4月から高橋さん1人になった。

 高橋さん自身が宿直することはないが、それでも土日返上で働き続けなければならない。現在は火曜日に初診、木曜日に再診の患者をそれぞれ集中させ、非常勤医と分担して診療をこなしている。それでもすべてはカバーし切れず、がんや肺炎、悪性症候群などの合併症があり、他の病院では対応できない患者だけに受け入れを限定している。

 常勤医獲得のめどは立っていない。「9月まで頑張れば、何とかなると思うんだけど…」。

■時間が足りない
 外来診療がすべて終わったのは午後6時10分すぎ。昼食を取る時間はなかった。そのまま診察室で、午後7時5分すぎまで非常勤医と今後の方針などについて打ち合わせた。

 その後、院内LANで上がってくる連絡事項の確認を済ませ、診察室から出てきた時には午後7時50分を回っていた。隣の「準備室」で、この日初めての休憩。菓子をつまみながら新聞に目を通す。

 高橋さんがこの日診た患者は55人。このほか、診察の合間を縫って入院患者の薬の処方もこなした。せん妄や自殺願望にとりつかれた患者が多いため、気が抜けない。記者が同席を許された中では、診察時間が16分超に及ぶケースもあった。

 最初の患者を診察してからの約10時間に診察室から出たのは、トイレに行った2回と、「準備室」に駆け込み麦茶を飲んだ2回のみ。

 1年前の同じ時期には、常勤医3人体制で精神科をカバーしていたが、それでも悲鳴を上げていた。「こんな状態は初めて」と不安がるスタッフもいる。「高橋先生1人でどこまで持ちこたえられるのか。これからどうなるのか分からない」。

 ただ、当の高橋さんは「これほどやりがいのある仕事はない」。時間が足りず、患者の訴えに十分耳を傾けられないことが悩みだ。

■消灯直前に病棟回診
 午後8時すぎ、8階の精神科病棟のナースステーションへ。入院患者一人ひとりの診療録を確認。看護師から日中の状況について報告を受け、今後の方針を話し合った。

「夜分恐れ入ります。長野赤十字病院の高橋ですが…」
 入院中の男性患者に付き添っていた高齢の女性の様子が気になったため、高橋さんはナースステーションから家族に電話を入れた。
「とにかく疲れ果てている感じで。認知症やうつ病の前段階かもしれないので、一度、一緒に来ていただいて…」。家族同伴での来院を勧めて電話を切った。

「こんばんは。調子はどうですか」
 病棟回診を始めたのは、午後9時の少し前。もう眠っている患者もいる。「寝ているところを起こして話を聞くのもどうかと思うけど」と高橋さん。

「9時になりました。消灯時間です。皆さん、お休みなさい」―。回診が始まって間もなく、消灯を告げる放送が病棟に響いた。
「あとはあすだね」。回診を一通り終えると、ナースステーションに声を掛けて病棟を後にした。

 午後9時32分、副院長室に。机の上に積み上がった書類を一点ずつ確認し、はんこを押していく。山積みの書類は3人の副院長が確認し、最終的には院長が決裁する仕組みだ。緊急に決裁が必要なものもあるので、先送りするわけにはいかない。

 午後10時10分、書類をすべて確認すると、一日の仕事がようやく終わった。

 翌日には、一緒に暮らしてきた二男が就職のため家を出るという。「だから早めに帰りたかったんだけど」。
 午後10時15分、自宅に電話すると、二男はもう寝ていた。最後の晩も、顔を合わせることができなかった。高橋さんは電話を切ると、「うちで食事を用意してくれているそうです」と言い残し、家路に就いた。


更新:2008/04/18 12:40     キャリアブレイン

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08/01/25配信

高次脳機能障害に向き合う 医師・ノンフィクションライター山田規畝子

医師の山田規畝子さんは、脳卒中に伴う高次脳機能障害により外科医としての道を絶たれました。しかし医師として[自分にしかできない仕事]も見えてきたようです。